立川志らくインタビュー 『2020 今年最後の立川志らく独演会』をオンライン配信でも
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立川志らく 撮影=山田雅子
2020年12月17日(木)よみうりホールにて、『2020 今年最後の立川志らく独演会』が開催される。落語家の立川志らくは、2011年以来、1年の最後の落語をここで納めてきた。10回目となる今年は、イープラス「Streaming+」にてオンライン配信され、12月17日(木)のライブと、12月31日(木)までのアーカイブで、全国から楽しめることとなる。
朝の情報番組『ひるおび!』のコメンテーター、そして朝の情報番組『グッとラック!』でMCをつとめる志らく。全国のお茶の間に広く知られる落語家のひとりだが、テレビ出演の機会が増えたのはここ4、5年のこと。それ以前の落語界での活躍から、コアな落語ファンも多い。この独演会への思いや、年末の風物詩ともいえる落語「芝浜」の思いを、取材会で聞いた。
■「談志が志らくに」の良い誤解
ーーよみうりホールで開催する年末の独演会は、2011年12月23日から数えて10回目を迎えます。
毎年、落語の納めはここと決めています。もともと2011年は、ピンチヒッターで出たんです。それまで(立川)談志が、毎年、暮れによみうりホールで落語会をやり、そこで「芝浜」をよくかけていた。これを目当てに談志ファンもきていた。ところが2011年、談志が入院し、落語をできそうにない。当時主催していたサンケイリビング新聞社さんから「会場をおさえてしまっているから、代わり落語会をやってくれないか」と連絡がありました。いつも通りの自分の落語会をやればいいのだろう。談志の調子が良ければ挨拶くらいできるかもしれない。そのくらいの気持ちで引き受けたのですが、11月21日に談志が亡くなってしまいました。
えらいことになったと思いました。1か月後の独演会の雰囲気は、俄然、談志追悼の会です。いつもの自分の独演会のつもりが、談志のお客、“談志信者”と呼ばれるようなお客もきており、幕が開いた時は、異様な空気でした。泣いているような方もいた。
立川志らく 産経新聞社提供
そこで自分がどんな風に「芝浜」をやったのかは覚えていませんが、夢中でした。後々バッシングを受けた記憶もありませんし、いただいた拍手もとても大きなものでした。立川談志の影を、自分にみてくれた方もいたのかなと思います。
そのようなわけで、年末の独演会を引き継いだのは、実際にはサンケイリビング新聞社さんがたまたま私に声をかけたから。でも、ファンの方々の中で「談志が志らくにパスをした」という、良い誤解で受け止められた雰囲気もある。(春風亭)小朝師匠に「談志(の名前)、いつ継ぐの? 継ぐんでしょう?」と言われたりもして。生前、談志が私の名前をよく出してくれていたことも影響しているのでしょうね。
この落語会で、毎年必ず「芝浜」をやるわけではありません。ですが今年は、私がテレビにたくさん出るようになり、志らくをきっかけに、初めて落語を聞く方もいるかもしれない。ならば、そこで「芝浜」をかけることには、意味がある気がします。
立川志らく 産経新聞社提供
ーーテレビ出演の機会が増えたことで、変化を実感される場面はありますか?
落語だけをやっていた頃、月4回くらい大きな落語会をやれば、そこそこ食べていけたんです。時間がありましたから、長女を連れて東京中のあらゆる遊園地、公園、デパートにショッピングモールなどに行き尽くし、深夜から好きな映画を2、3本見て午前6時に床についたり。それが今では月曜から金曜まで、夜10時には寝て、5時には起きていますからね。芸人にあるまじき規則正しい日常ですよ(笑)。
ーー周囲の反応はいかがですか?
以前は「落語会でこれだけ活躍していて、なんでテレビに出ないの?」と言われることがよくありました。今は「こいつ落語できるの?」なんて言われる。落語会にきたコメンテーターの方が「志らくさんが、あんな大きな声で喋るとは思わなかった」とまで言われました。たしかにぼそぼそ世の中のことを喋っていますけれど(一同、笑)、三十何年間落語をやってきて、自分の身にそんなことが起こるとは思いませんでした。
■芝浜は、一番遊べる落語です
ーー師匠は「芝浜」という落語にどんな印象をもっていますか。
一番遊べる落語です。基本的に夫婦2人の会話で噺も(頭に)入っているから、その場の気分でアドリブを入れても間違えることがない。毎年やっていると、「こんな芝浜になったんだ」と、その1年の自分自身の進化のバロメーターにもなります。
ーー志らく師匠の中で、進化させた部分をお聞かせください。
談志は「この女将さんは全部計算していて気持ちが悪いんだ」と言っていた。たしかに、それまでの師匠方がやっておられた女将さんは、打ち明ける時に「話せば亭主は分かってくれるだろう」と、ある意味計算づくのところがある。そこがなんだかイヤだから、「亭主が財布を拾ったことを(計算ではなく)衝動的に夢だったことにした。そういう女にした」と談志は言っていました。
立川志らく 撮影=山田雅子
計算づくがイヤと言いつつ、大晦日におかみさんが亭主に打ち明ける時に「私の話を全部聞くまでは、手荒なマネをしないでちょうだい」と先ず言い、亭主が「てめえ、この野郎!」となるけれど「約束したじゃない、話を聞いて」とそれを止める。この「話を最後まで聞いてちょうだい」という台詞を、談志は最後まで残していた。私はそれも、なくしました。代わりに、女将さんはいきなり「あれは夢だった」と切り出し、亭主は「てめえ」と髪をつかみ顔をひっぱたく。女将さんは「最後まで聞いて」ではなく「痛い痛い、痛いからやめて」と亭主を止めます。
ーー違和感のない進化です。
談志の「芝浜」を知らないお客さんは、自然にそういうものとして聞いているようです。落語ファンのお客から「変えすぎだ」という声もない。この影響を受けた私の弟子とかが、やがてこの形で「芝浜」をやるようになれば、それがスタンダードになる可能性もあるでしょうね。
■芝浜の前に創るべきもの
ーーお弟子さんが「芝浜」をやられるときには、どのような言葉をかけますか?
弟子には「芝浜」云々の前に、落語家としての自分のメディアを創れと言っています。まず落語界の中で、売れること。テレビで売れる云々は、ある程度巡り合わせもありますが、落語家の人数はそう多くない。口では「売れたい」と言いながら焦りもなく、現状に甘んじている人が多いように見えます。(春風亭)一之輔のようにポンと売れるやつがいても、「あいつは特殊だ」と自己否定もしません。私自身、売れた時には先輩方から「芸の分からない女子高校生たちがキャーキャーいっているだけ」と言われました。実際は、まず落語が上手くならきゃいけないと努力し、売れるにはどうしたらいいか考えている。宝くじに当たったみたいな売れ方は、そうないと思います。
ではなぜ自分のメディアを創って、売れないといけないのか。それは自分が覚えた落語を、より多くの人に聞かせたいという欲求がある、それが芸人だからです。売れていない自分が落語会をやっても、友達しか聞きにこない。どうすればいいいか。友だちを増やす? そうじゃない。全然知らない人がフラッときて聞かせるにはどうしたらいい? それを考えて、師匠を見て、真似て、その結果売れているんです。
テレビに出ようと思ったのは、「落語の世界では、皆が聞いてくれるようになった。けれども、落語界から少し離れると立川志らくを誰も知らない」という状況だったから。春風亭昇太といえば「ああ、『笑点』の」、立川志の輔といえば「ああ、『ガッテン!』の」となり、「じゃあ、ちょっとその落語を聞いてみようか」となる。私の場合、以前は地方で独演会をやると、落語ファンのお客はくるけれど、それ以外の方は「志らく? 誰それ」と。今はテレビで志らくの顔が全国区になり、東京も地方も変わらなくなりました。テレビがきっかけでもいい。来てくれたお客に対し、自分の落語がどれだけ通じるか勝負すればいいんです。
■ジャズ演奏家のクラシック。聞かせる落語へ
ーー今はインターネットで配信される落語も増えました。12月17日も、「Streaming+」でオンライン配信されます。志らく師匠は、ワタナベエンターテインメント公式チャンネルでも落語を披露されていますね。
生の落語会ならば、マクラで脱線しながらお客の雰囲気を知ることができました。今は、目の前にお客がいたとしても、ノリの落語会がやりにくい。1席ずつ空いていたり、マスクをしていたりしますから当然笑いは小さい。無観客配信なら笑い声もない。分かってはいても、コロナ前の満杯のお客の笑いにのってテンポアップして……に身体が慣れてしまっているんですね。それができないならノリの笑いではなく、作品をちゃんと語ろう、噺を聞かせようという意識が強くなりました。ジャズ演奏家がクラシックをやるようにきっちりと。これが案外いけるんです。クラシックのタイプの人は「あれ? ジャズの人、意外ときっちりできるんだ」と脅威に思うかもしれません。
【立川志らく】YouTubeで落語「子別れ」(2020.5)
ーー誰もがノリの落語と、きっちりとした落語をできるわけではないように思います。
若いころ、談志の落語会で、先に高座に上がったら、談志のお客が私の落語で、ものすごいウケたんです。遅れてきた談志は、志らくがウケていると知り「あとでテープを聞かせてほしい」とスタッフに言ったそうです。それから「上手い落語なんていつでもできると思っているかもしれないけれど、どこかで意識しておかないと、いつもノリでやっていたら上手くはできなくなる」と言われました。当時の私は「志らくがウケたことに焼きもちを焼いてるのかな」なんて思ったけれど、そうではなかった。自分でテープを聞き直したら、客席はたしかに、うねるようにしてウケている。しかし落語はものすごい下手だった。楽譜でいうなら、音程が外れた下手な演奏。ノリでウケた落語は、後で聞くとイヤになることが結構多い。若い時期に、そこを教えていただいたことは大きいです。
コロナ禍以前ならば、「志らくさん本当に落語できるの?」なんて言われたら「じゃあ笑わせてやろう」と、笑いの多いノリの落語をしていただろうと思います。それを聞いた落語ファンは、きっとがっかりしていたでしょう。でも今は、笑いで勝負していません。コロナ禍は世界的には悲劇ですが、私個人の落語家人生においては、自分の芸を見直す良い機会になっています。
『2020 今年最後の立川志らく独演会』第10回は12月17日(木)の開催。よみうりホールまでのアクセスが難しい方は、31日(木)までアーカイブ視聴も可能なオンライン配信をチェックしてほしい。