MUCC、ライブハウスからの配信ライブ『FROM THE UNDERGROUND』オフィシャルレポート
-
ポスト -
シェア - 送る
MUCC
MUCCが11月28日(土)に都内ライブハウスで開催した無観客配信ライブ『FROM THE UNDERGROUND』のオフィシャルレポートが到着した。
2020年11月28日。MUCCが2週に渡る配信ライブ企画の2本目を行った。前週の21日に行われた2週連続配信ライブの1本目『FROM THE MOTHERSHIP』は、レコーディングスタジオからの配信であり、2本目となる今回はキャパ200ほどの小さめなライブハウスで行われた。
新型コロナウイルス感染症(COVID-19)が蔓延した中で、【配信ライブ】というものが取り入れられられるようになり、徐々に広がり始め、いつしか【配信ライブ】というものが“当たり前”の手段として受け止められる様になった今、私たち書き手もその【配信ライブ】のURLを受け取り、視聴者と同じ目線でそのライブを視聴し、書き止めることが多くなった。
まるで映像作品を作っているかの様な、通常のライブではありえないメンバーの立ち位置でのステージングや、作り込まれたセットの中で歌うシーン、ドローンやクレーンなどを使った映像ならではの見せ方で視聴者を楽しませた。さすが、どんな環境も味方に付けてしまうのがMUCCというバンドである。
ライブハウスからの配信と聞いて、やっとか、という思いだった。MUCCはそこから始まり、そこで育ってきたバンドだから。彼らは【配信ライブ】を始めたとき、 その原点を選ばなかった。6月21日の渋谷ストリームホールはライブスペースではあるものの、普段はDJやクラブイベントなどが行われる、ライブハウスとは毛色の違う場所だった。9月20日のポートホール竹芝はライブスペースですらない、ただの空間を使ったライブだった。この二本のライブで様々な演出や最新の技術、映像も音も配信に特化したノウハウを駆使した配信の形をやった後に、先週のレコーディングスタジオからの配信、そして今回のライブハウスからの配信を選んだのだ。今までの配信ライブを見た視聴者は、この時を待ってましたとばかりに“この日の配信ライブは絶対に観たい”と思ったのではないだろうか。通算14枚目となるアルバム『壊れたピアノとリビングデッド』のライブでは、中野サンプラザのステージを映像を駆使した異空間の中に包み込んだこともあり、“ライブバンド”と“エンタテイナー”な両面を持ち合わせている特殊なバンドでもあるMUCCが4本目の配信ライブの舞台に選んだのは、観客が最も求めるものであり、配信ライブにおいてはアーティストがその表現に最も苦心する「生の熱量」を届けるのに最適なライブハウスだった。
定刻時間通り。画面に誰もいないステージが映し出されると、SATOち、YUKKE、ミヤ、逹瑯の順にステージに姿を表した。それぞれが定位置に着くと、ミヤは胸の前で両手を合わせ、いつも通り深々と頭を下げた。逹瑯がスタンドマイクの位置を正すと、一瞬そこに静寂が漂った。静寂はミヤのギターによって破られ、「惡-JUSTICE-」が幕を開けた。突き抜けたメジャー感をサビとするこの曲は、極端な激しさと美しさが同居するトリッキーな楽曲だ。激しさと美しさが激しく移り変わる流れの中で、4人は音を内側から吐き出す様にぶつけ、そして叫んだ。そんな4人を、LEDにはない熱量を持ったライブハウスならではの赤一色な灯体が呑み込んでいく。
2曲目はMUCCらしいアンダーな世界が侵食する「CRACK」。曲中に在る逹瑯の語りは、独特な世界観へとより深く引き摺り込んでいった。ライブでは初披露となる「神風 Over Drive」では、逹瑯とミヤの掛け合いのボーカルが際立ち、温まり始めた空気を加速度的にヒートアップさせる。「ENDER ENDER」ではミヤとYUKKEが立ち位置を入れ替わり、逹瑯はまるでオーディエンスが見えているかの様にモニターに足をかけ、その前足に重心を置くとカメラではなく、無観客のはずのフロアに何か意味を含ませた笑みを残した。
次に投下されたのは「夢死」。今のMUCCからはあまり匂わなくなった“いなたさ”が全面に広がるこの曲は、“今のMUCC”によって洗練された景色に塗り替えられていた。そんなアレンジの変化での聴こえ方の違いも実にそれぞれに魅力的だが、充分大人になった彼らが、“嘘まみれの大人達と戯れよう 何度でも何度でも刻み続けることができたあの頃は世界がまっ白に見えたんだ”という“大人”への鬱屈した想いを歌うのは、実に愛おしい瞬間であった。
わずかな数の照明で照らされたステージにSATOちのドラムが放たれ、YUKKEのベースフレーズが「ぬけがら」へと導いていく。比較的、昔のMUCCを感じさせるアレンジに仕上がっていて、発表当時の4人の事が脳裏をよぎった。
「いろんな景色の中で配信ライブをやってきましたけども、ライブハウスでライブ形式でやるのは初めてですね。今日はイヤモニではなく、返し(モニター)からの音を聞いてやってます。ツアーの初日感がありますね」(逹瑯)
「あるね、初日感!」(YUKKE)
「居るよね、お客さんが」(ミヤ)
「居るよ! 居る!」(逹瑯)
そんな会話にSATOちがシンバルを鳴らして応える。
MCに続いて始まったのは「商業思想狂時代考偲曲」。小刻みなギターが印象的な旧曲だ。スピーディーに畳み掛けられるこの曲のサビではいつも、フロアにサークルモッシュが広がる。この場所に夢烏(ムッカー=ファンの名称)達はもちろん居ないのだが、ミヤと逹瑯が言った様に、私の目にもハッキリとサークルを作って楽しそうに笑顔でモッシュする夢烏達が見えた。夢烏あってのMUCC。ここに足りないものはそれだと感じた。しかし、どうやら彼らにはこの日ハッキリと夢烏が見えていたようだ。ときおりフロアに送る目線が熱をおびていたのは、本来そこにいるはずの夢烏に向けられたものと何ら変わらなかった。そんな彼らの性を視聴者である夢烏達も肌で感じたに違いない。
続いて放たれたのは「ガーベラ」。いなたいメロと世界観が実にMUCCらしい楽曲。抑揚のあるイントロのSATOちのドラムに心躍る。少し古臭さを感じるこの曲に新しさを感じたのは、当時よりも軽やかに弾かれるミヤのギターフレーズの変化だろうか。滑らかに弾かれるギター音が、昔よりも少しこの曲を洗練された印象に変えていた様に感じた。
感慨深かったのは、「昔子供だった人達へ」。夕焼けを思わせるオレンジの照明が、同郷の4人を逆光で照らした。これぞSATOちという心を打つメロディに、逹瑯が書いた幼かった自分の心情をリアルに描いた歌詞が乗る。苦手だった逆上がり、履き潰した上履き、教科書の隅に誰にも見られないように、押さえきれずに書いた好きな子のイニシャル。
どうしようもなく胸を締め付ける郷愁感は、そこに嘘がないからだと思う。画面を通してでも伝わってくるその体温は、MUCCというバンドの人間力を示すものだった様な気がする。
この後、「キンセンカ」「はりぼてのおとな」「茜空」を届け、後半戦へ。MCを挟んで届けられた「目眩」では、NOCTURNAL BLOODLUSTのボーカル尋がゲストボーカルとして参戦し、ツインボーカルで届けられた。音源で共演したlynch.の葉月のパートでもあることもあり、そこを超えたいという想いと、先輩バンドの中で歌うというプレッシャーが重なっているところへ、ナント、10キロのダンベル付きの“尋専用マイク”が用意されていた。さすがMUCC。愛のある後輩弄りは健在だ。
そんな軽くないイジメを物ともせずパワフルなデスボイスと笑いを加えてライブを盛り上げた尋。NOCTURNAL BLOODLUSTというバンドを知らないファンも多かったようだが、その姿は確実に初見の視聴者も虜にしただろう。
続いてはヘヴィなサウンドの中でミヤとのハモリがフックとなる「塗り潰すなら臙脂」。ミヤとYUKKEが背中合わせに間奏を奏でる姿もなんだか久しぶりだ。
2曲続けてのヘヴィゾーンから舵を大きく切って届けられたのは「謡声(ウタゴエ)」。前向きさが眩しいこの曲から「前へ」に繋がる流れは、夢烏達にとって音を浴びて騒ぎたい瞬間だったに違いない。「前へ」では、逹瑯のオキマリのツイストダンスや、ブルースハープも届けられた。逹瑯は途中、自分の歌からマイクを外し、フロアに向かって耳を済ます仕草をした。逹瑯には、夢烏達が歌う声が聴こえていたのだろう。嬉しそうな笑顔をカメラに向け、夢烏達から歌を受け取り、その続きを歌った。ここからの「カウントダウン」への流れも最高だった。ここでも笑顔でハイタッチしながらサークルモッシュを走る夢烏達が見えた。この規模のライブハウスだからこその熱さが伝わってきた【配信ライブ】に、新たな可能性を感じたこの日。
「俺、やっぱり掻き回すの好きなんだなって思った!」(SATOち)
と、本編のラストのMCで語っていたSATOち。それは、感染予防の為、いろいろな制限の中で窮屈にライブをしてきた圧迫を残念に思う気持ちをSATOちらしい言葉に変えた発言だった。
「蘭鋳」で本編を締めくくり、アンコールとして届けられた「明星」は、大人になった彼らが歌う「前へ」の現在版に聴こえた気がした。
ライブハウスで体感する熱には敵わずとも、それぞれの表情がしっかりと見て取れる配信ならではの魅力の詰まったMUCCだったと感じた。次は12月27日。武道館有観客ライブ。久しぶりに生で聴けるMUCCを今から心待ちにするとしよう。
文=武市尚子 撮影=Susie