【ゲネプロレポート&インタビュー】宮城聰が語る《妖精の女王》、北とぴあで本格オペラ上演日本初演
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オペラ《妖精の女王》
12月11日、北とぴあ国際音楽祭2015でパーセルのオペラ《妖精の女王》が本格的なオペラ舞台上演として日本初演された。演出は劇団SPACを率いる宮城聰。寺神戸亮指揮、 レ・ボレアードの管弦楽と合唱に、ソプラノのエマ・カークビーらを迎え、劇団SPACの俳優陣も出演しての上演。
北とぴあ国際音楽祭は、北区独自の地域文化の創造と発信を目的に1995年に始まり、2006年からは「世界の古楽」をコンセプトに開催している。
日本初演を前に行われたゲネプロ(最終総稽古)を終えたばかりの宮城に話を聞いた。
(2015.12.10 取材・文:編集部 Photo:M.terashi & J.Otsuka/TokyoMDE)
演出・宮城聰(SPAC)
シェイクスピアの『夏の夜の夢(1595 – 96)』を題材としたオペラ《妖精の女王》(1692)は、台詞劇、歌を伴う音楽、器楽のみの音楽、の3つが共存するオペラ形式をもつ。音楽が劇を誘い、そしてまた、劇が音楽を奏でさせる、それがこの作品の特徴だ。
原作はシェイクスピアだが、このオペラの最終的な台本作家は不明だ。
「歌舞伎でもそうですが、近松門左衛門のように、そのままでなく時代の変遷で書き換えられていますね。シェイクスピアからパーセルまでの100年近くの間に流布した台本は、当時はそれが当たり前だったのだろうけど、本来のシェイクスピアのものから変わっている。なかには、シェイクスピアに話を戻して上演することもあるようですが、今回が実質、日本初演という役割を担っている以上、パーセルのこの作品の本来の台本がどういうものかを示すという役目も担っています。あえてシェイクスピアに戻さず、こういう風に書かれてありますときちんと見せるためにも、今回はそのままやっています」
オペラでは本来、歌手が主役となるが、本作品では俳優たちが歌手と同等の重要な役目を担う。劇団SPACでは、2011年に『真夏の夜の夢』(潤色:野田秀樹)を初演、その後2014、15年と再演した。SPAC版『真夏の夜の夢』では、創業130年の割烹料理屋「ハナキン」の娘「ときたまご」には板前デミという許婚がいるが、彼女が愛するのは別の板前ライで、ときたまごとライは富士の麓の「知られざる森」へ駆け落ちする・・・といった設定となっているが。
「今回のは、芝居はぱっと見は似ているけれども、セリフはSPAC版の劇とはあんまり同じところがないくらい変えてあります。音楽が入ったことで劇中劇の場所が変わってたりもしている。森の中で稽古をするという劇中劇の設定はそのままです」
紗幕の向こうに照明があたり、真夏の夜の森や妖精たちが見えてくるオープニングのシーンは、SPAC版『真夏の夜の夢』と同じだ。しかし、劇の冒頭にあった「そぼろの独白」はなく、代わりに、音楽が始まるとそれを遮断するように、いきなり前口上とも言うべきか、イージアスの娘ハーミアと許嫁ディミトリアスの結婚を巡る騒動で始まる。
「基本的な装置、新聞紙を使うアイデアは同じです。ただ、劇のときと比べて今回の舞台では寸法が変わっていますから、別の装置を作ったに等しいですね。装置のアイデアなどは、ある程度きまっていたんです。ただ、オーケストラの前にアクティングエリアを作るか、あるいは、後ろか、上か、など、オーケストラとの配置には悩みました」
音楽と演劇の融合と言ってもよいこの作品。劇と音楽が交差する演出をするうえでどこに難しさがあったのだろうか。
「とにかく、音楽が阻害されないことを心がけて演出しています。歌う上で負担になることを歌手には要求しません。俳優は、舞台と客席にハシゴをかけている存在だと思うんです。観客と同じ地平でなんら違いはない、優位に立ってはいないという意識でやってるんです。それはなんら特別な能力ではなく、お客さんが出来ないことをやっているのでなく、彼らでもできることを、ほんのちょっとうまくやっているだけだと思っている。それに対して、音楽家の技能は、まったく俳優と違う。だから、俳優たちは音楽家に敬意を払っているんですね。パーセルの時代は、音楽家と俳優の専門性には差があまりなかったかもしれない。けれども、今の時代は、俳優に専門性はないけれども、音楽家には専門性が可能。オペラが手の届かないものではなく、俳優を介して、客席となだらかなスロープでつながっている。音楽家はプロのスポーツ選手などと同じで、少し浮き世離れしているけど、俳優と音楽家が同じ舞台に出ることで、その差が少し縮まったんじゃないかと。それは出演の俳優も感じています。それがお客さんにも感じてもらえたらと思っています」
バロック時代の作品には必ずあるといってよいダンスは割愛した。
「もともと舞曲のところにはダンスが入ってたんですが、ダンスを入れると新しい視線が増えることで音楽のよさに気がつかなくなってしまうきらいがあるんです。それに、現実問題として、パーセルの音楽のもつクオリティをいま日本で踊るのは不可能だと考えました」
この作品にはユニークなキャラクターがたくさん出てくる。歌手や俳優をどうそのキャラクターに活かしたのだろう。
「カウンターテナーのケヴィン・スケルトンはダンサーでもあるんですが、これはまったくの偶然です。ある日、寺神戸さんから『ケヴィンは踊りができるようですよ』って言われて(笑)。オペラと演劇の違いで言うと、俳優は客席のみなさんと同じで、その人たちをある最低2ヶ月間の訓練で特殊なことができるようにするのが演劇だけど、オペラ、音楽家というのは、素材そのままが、リンゴならリンゴの味。キウィならキウィの味。そうすると、リンゴにミカンをやらせることは考えない。キウィの人にバナナになってもらう必要はない。リンゴとキウィがあるのではあれば、どんなお盆に載せるとそれが活きるのか。その素材をどう料理しようかじゃなく、その素材を引き立てるにはどうすればいいのかを考える。それが演劇の演出と違うところです。ワークショップを始めてその人のひととなりがわかってから、この人にはどういう役でどういう衣裳がいいかとか考えます」
それにしても、多種多様な役が出てくる。役作りで苦労はなかったのだろうか。
「台本の指定通りだとこのままではちょっと、というのはありました。機械仕掛けで面白がらせるのは、それこそレオナルド・ダ・ヴィンチの時代には花火を打ち上げるとかありますけど、そういうのはできない。それを裏返すにはどうすればよいかは考えました。出来ないことをどう逆手にとって表現するか。一番苦労したのはフィーバス(太陽神)とジュノーですね。機械仕掛けだけど、それを台車に乗せて、機械仕掛けでも最もチープなものにしました」
舞台全体を彩る新聞紙は、装置だけでなく、衣裳にも使っている。
「新聞紙を木工ボンドで固めて作ってあります。最初はすぐに破けてたんですが、そのうちテクニックが身について(笑)。あのグレーの色合いはなかなか作ろうとしても出せない色なんです。小さい文字だけの新聞を使うと、遠目にはただのグレーの紙にしか見えないんです。それで、大きい見だしの記事や広告を混ぜることで濃淡を出しています。言葉の森、大切なモノもあるんだけど、中にはガラクタもある。そういう“言葉の森”も表現しています」
北とぴあ国際音楽祭でこの作品を上演するのは、北とぴあのスタッフの宿願でもあったという。毎年のように、この作品を上演しようという話が出ては消えていた。音楽はともかく、演技の部分で無理だろうという判断だった。しかし、ある日、これを上演できるのはSPACしかないだろうと、宮城に白羽の矢が立った。
「3年前にやった《病は気から》のときもそうでしたが、最初に話をいただいたときには、どんな作品なんだろうってものが多かった。劇伴とか浅草オペラに近いものなんだろうって思ってたら、そんなことはない。われわれがオペラの演出を考えるとき、より大きいもの、重厚なものに向かおうとするけれども、むしろこういう提案をしていただくと、まだまだこんな楽しみが、こんなにすばらしい音楽、レパートリーがあったんだと気づかせてもらえました。
北とぴあのプロジェクトは敷居が低いけど、やってることは世界レベル。この作品が初演されたドーセット・ガーデン劇場で当時のお客さんが観ていた環境に近いものを感じますよね。日本のお客さんは、ともすれば重厚なもの、深刻なもの、重いものをありがたがる傾向が強いけれども、北とぴあの企画は正反対を行ってる。オペラを見るお客さんの世代がどんどん高くなっているなかで、若い人が気軽に来れる、そういう良さが出てきて、お客さんが定着してきていますよね」
■指揮:寺神戸亮
■演出:宮城聰(SPAC)
■歌手:
エマ・カークビー(ソプラノ)、ケヴィン・スケルトン(テノール)、広瀬奈緒(ソプラノ)、波多野睦美(メゾソプラノ)、中嶋俊晴(カウンターテナー)、大山大輔(バリトン) ほか
泉陽二/大高浩一/春日井一平/加藤幸夫/貴島豪/
小長谷勝彦/大道無門優也/たきいみき/武石守正/
保可南/本多麻紀/牧山祐大/吉見亮/若宮羊市/渡辺敬彦
■公式サイト:http://www.kitabunka.or.jp/kitaku_info/event/index/detail/event/20150703001