HeavensDustフロントマンShin、「RIZIN」入場コールでお馴染みのレニー・ハートらを迎えた新EP『Behind My Smile』について語る
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SHIN
2019年よりソロ活動をスタートさせたHeavensDustのフロントマン、Shin。昨年発表したEP『Time Leaving Trace』では、彼のバックボーンのひとつでもあるヒップホップ/ラップミュージックをフィーチャー。バンドで表現している和楽器とラウドミュージックを融合させたハードかつメランコリックなサウンドとは異なる表情を見せる作品となった。そして、6月2日に新たなEP『Behind My Smile』を発表する。今作は、「PRIDE」や「RIZIN」の入場コールでお馴染みのレニー・ハートや、盟友であるドラマー・Okajimahalを迎えて制作。コロナ禍でShinが体感したこと、そして、彼の人生の分岐点において最も大きかったという出来事を経て生まれた感情が閉じ込められた1枚となった。笑顔の裏にある悲しみと、その奥に秘められた希望の光を感じてもらいたい。
──2019年12月に初のソロ曲として「Sky」を発表されましたが、ソロで動く構想は以前から考えられていたんですか?
いや、全然考えていなかったです。HeavensDustはメタル調で激しい音楽ですけど、自分のバッググラウンドにはヒップホップもあって。そういった楽曲もいつかやりたいなぐらいの漠然とした感じではあったんですよ。ラップはできないけど、ループもので、そういう感じのものをやりたいなって。ただ、ウチのドラム(KoREDS★)が癌になってしまったんですよね。これから治療に入るから、バンドで動くのはちょっと難しいかもねという話をしていたら、今度はコロナのことが始まってしまって。メンバーともスタジオに入れなかったし、癌治療を受けていると免疫が下がっているから無理はできないし、じゃあこの機会にやってみようかなという感じでしたね。ちなみに、(KoREDS★は)いまはもう元気でやってます。
──よかったです! 安心しました。ソロでやろうとしている音楽のヴィジョンがはっきりしていたのもあって、トラックを作るのもスムーズでした?
そうですね。何か思ったことがあったらすぐに曲を書くんですよ。音楽が生活の一部になっているので。ずっとそういう感じでやってきたから、どうしようか悩んだりすることは全然なかったです。
──昨年からコロナウイルスの問題が出てきて、物理的な制約や精神的に影響を受けたところもあると思いますが、そちらはいかがでしたでしょうか。
いやあ、もうとんでもなかったです。自分が副社長をやっている格闘技道場でいえば、会員さんが週に2000人ずつぐらい辞めて、半分の人数になっちゃいましたからね。他にもシャレになれないレベルでいろんなことがあって。
──今回発表されるEPのタイトル『Behind My Smile』のような状況というか。
もうほんとに。みんなに「Shinは幸せそうに生活をしてるよね」ってよく言われるんですよ。いまはこういう状況なのもあって、SNSでしか判断できないところもあるんだけど、地獄を味わっていたので。ただ、それは別に僕だけじゃなくて、みんな普段からそういうことってあると思うんですよね。たとえば、家族写真とか。みんなが笑っている写真を見て、周りの人は「幸せそうな家庭ね」って言うけど、実際は撮る前に子供がわんさかやってたりとか(笑)、すごく時間がかかったりして、その1枚は奇跡的に撮れたものだったりする。あとは、学校とか職場とかで、人と会っているときは笑顔を振りまいていても、家に帰ったら介護をしないといけなかったりとか。やっぱり、それぞれの人生で戦いがあると思うんですよ、その笑顔の裏には。そういうことを込めてこの作品を作りました。
SHIN
──作品全体としては、昨年発表された『Time Leaving Trace』はヒップホップやラップミュージックのニュアンスが強かったですけど、今作『Behind My Smile』はどれも歌モノで、ピアノをメインしたスロウナンバーがほとんどですね。
今回のEPを出す前に、Dropout Kingsっていうアメリカのミクスチャーバンドのラッパーとコラボしたんですよ(「From Below ft. Eddie Wellz (Dropout Kings)」)。その曲はヒップホップテイストがすごく強かったので、ちょっと雰囲気を変えようかなって。そう思っていたところはあったんだけど、作っている時期が悲しすぎたので、自然と悲しい曲になっていっちゃいましたね。
──心の内側で抱えているやり切れなさ、沸々とした感情が綴られていて、かなり生々しいEPになりましたよね。最初にできた曲はどれでした?
2曲目の「You Took Everything from Me」ですね。
──かなり悲しい曲ですよね。希望も、これまで必死に積み上げてきたことも、すべて奪われてしまったと歌われていて。
これはもう本当に絶望的なときに書いた曲でしたね。これを出さないとやばいと思ったところがスタートでした。
──自分自身を救うためにも曲を作ろうと。
そうです。日記なのか、カウンセリングなのか。そういう感じですね。
──収録順にお聞きしていこうと思うんですが、次の曲は、「PRIDE」や「RIZIN」の入場コールでお馴染みのレニー・ハートさんを迎えた「Uncommon Enemy ft. Lenne Hardt」。格闘技の流れもあって、元々お知り合いだったんですか?
そうなんです。ただ、格闘技関係で出会ったわけではなくて。レニーさんが開かれた3.11のチャリティーイベントにHeavensDustで参加したことがあったんですよ。僕らもチャリティーでミニアルバムを出していたので、それをやってほしいというので招待されたのが初めての出会いでした。レニーさんって、声のお仕事をされているだけあって、ものすごく歌がうまいんですよ。
──ですよね。すごくパワフルで、めちゃくちゃかっこいいなと思いました。
もう人間そのままが声に出てますよね。この前、MVの撮影をしたんですけど、そのときもずっとおもしろいことを話して、みんなに元気を振りまいていて。本当にエネルギーいっぱいの人ですね。
──レニーさんと一緒にやるキッカケになったのは?
この歌詞がレニーさんから送られてきたんですよ。緊急事態宣言中に、レニーさんも仕事がいろいろなくなったりとか、大変な状況になっていたので、そのことを歌詞に書いてみたって連絡をくれて。自分もミニアルバムを作ろうと思っていたから、じゃあ一緒にやろうかっていうことになりました。
──この曲も切実といいますか。〈Who will survive〉〈Who will stay alive〉というのは、まさに地獄の最中でふと思うことというか。
悲しいですよね。本当に痛い歌詞というか。
──ええ。胸が苦しくなります。その歌詞にShinさんが曲をつけたと。
曲はすぐに浮かびましたね。それをレニーさんに送ってというデータのやり取りをして、レックのときに家に来てもらいました。すぐ録り終わりましたよ。レニーさん、歌うまいんで。僕のほうが時間かかっちゃいました(笑)。
SHIN
──(笑)。次の「Nobody Told Me ft. Okajimahal」は、ドラマーのOkajimahalさんを迎えられて制作されていますね。
OkajiくんはHeavensDustの元メンバーで、いまはゲーム業界で大きくなって、幕張メッセとかでライヴをやるようになったんですけど。彼とはずっと音楽の話をしていて、HeavensDustは辞めてしまったけど、またどこかで一緒にやりたいねっていう話をしていて。それでお互いのことがちょっと落ち着いて、いまみたいな世の中になる前に2人で作ったのがこの曲だったんですよ。
──制作された時期は違うものの、他の収録曲と通じる部分がありますよね。
それもあって今回入れました。「Nobody Told Me」のストーリーは、子供の頃から育っていく中で、いろんなつらいことがあるんだけど、そういう逆境を乗り越えて、突き進んでいけば何の問題もない。だけど、そのことを俺は誰にも教えてもらえなかったっていう物語なんですよ、簡単に言うと。だけど、結局最後には教えてもらえるという話なんですけど、この歌詞は実は親父のことを書いていて。
──なるほど。
人生の分岐点っていくつかあると思うんですけど、自分の中で大きかったのが、親のトラウマを乗り越えたときだったんです。子供の頃から自分は親と仲良くなかったんですよ。ずっと疎遠だったんですけど、そのトラウマを乗り越えたときに、初めて自分の人生がスタートしたような感覚になったんですよね。そのことを思いながら曲にしました。
──乗り越えられたのっていつ頃だったんですか?
3、4年前ぐらいですね。昔は怒りっぽかったし、短気だったけど、それがなくなってからは人間関係もだいぶよくなってきたりとか。心にあったしこりが取れた感覚がありました。
──どうやって乗り越えられたんです?
一番大きかったのは、息子が生まれたからですね。それが本当に大きかった。あと、父も父で変わろうとしていた部分もあったと思うんですよ。年をとって、死期が近づいてくることによって、いろいろ考えることがあったみたいで、終活を始めたんです。それで、たとえば、使っている携帯電話の引き落としをどこに連絡して止めたらいいか話したりとか。今ってそれが結構問題になってるらしいんですよね。亡くなってしまった後もずっと引き落とされてるっていうのが。
──ああ、なるほど。確かにそういうところはしっかり知っておかないと。
そういうことをいろいろ話していたんですけど、それが息子が生まれる前だったんで、自分もいろいろ考えることがあって……という感じでしたね。だから、トラウマを乗り越えてから息子が生まれてよかったです。自分、親父に結構殴られていたんですけど、息子に同じようなことをしていた可能性もあったんで。いまは父と仲良いですね。毎日LINEしてるんで(笑)。
──めちゃくちゃ仲良いじゃないですか(笑)。これまでの人生であり、音楽活動は、そのトラウマが動力源になっていたところもあったんですか?
結局、突き詰めるとそこでしたね。もちろん最初はそんなこと知らずにやってましたけど。この怒りや不満がどこから来ているのかわからなかったし、イライラしやすい性格なのかなと思っていたんで。でも、その根本を突き詰めていくと、やっぱりそこに辿り着く。なんか、親父に認めてもらいたかったというかね。愛情がほしかったっていう。たぶん、家族のトラウマを持っている人って多いと思うんですよ。やっぱり子供の頃って親がすべてじゃないですか。神様みたいなものだから。
──確かにそうですね。トラウマを克服したことで、作っている曲や歌うということに対して、また違う感情が生まれていたりします?
曲を作っている時点でだいぶ違いますね。言葉で説明するのが難しいんだけど、なんていうか……ちょっとスッキリする(笑)。
──昔はいくら書いてもスッキリしなかったけれど。
本当にずっとイライラしていたのに、それがなくなったことにびっくりしていて。書いた後の感覚がだいぶ違いますね。
SHIN
──そういった困難を乗り越えていくところは、『Behind My Smile』という作品自体にも強く表れていますよね。どの収録曲も悲しみが漂っているんだけれども、祈りや希望が込められていて。
やっぱり希望を持っていたいですからね。悲しみがあったとしても、その痛みは少しずつ和らいでいくと思うんです。つらい思いをしたとしても、必ず時間が解決してくれる。そういう思いは込めてます。永遠じゃないですからね、痛みは。
──最後の「Pain Will Ease」はまさにそういう曲ですが、「ease」だったんですね。たとえば「recover」や「heal」、“回復する”とか“癒える”ではなく、あくまでも“和らぐ”。
そこは地獄の度合いというか……自分の好きなインスタグラマーの方の話なんですけど、その方に子供が生まれたんです。でも、最近亡くなってしまったんですよ。まだ一歳にもなっていないのに。それでもまだ、ずっと更新し続けているんですよ。100万人以上いるフォロワーの人たちに元気を与えようと思って。そういうときに彼が、この痛みはなくならないかもしれないけど、少しだけ和らいでいる感じがあるって書いていたのが、自分の中でもピタっと当てはまったというか。その痛みから復活できるとは自信を持って言えないし、正直僕もそこまでの地獄は見ていないんだけど、ただ、少しずつ和らいでいくときが来るから。その痛みはいつか和らぐから、諦めて欲しくないなって。
──メッセージの強いEPになりましたが、完成させてみていかがですか?
ミュージシャンだったらよくあることだと思うんですけど、曲を書いていて、こういうの初めてできたなっていう感覚になることってあるんですよ。どの曲もそういった新しい挑戦じゃないけど、その感じがあります。
──ここから作る曲も、いろいろと変わりそうな予感もあります?
うーん……今は次のことをいろいろと考えていて、話も進めているんですけど、それをやることでまた新しい感覚になると思うんですよ。そこからまた新しい挑戦をしていきたいなと思います。
──次も楽しみにしてます。時勢としては、先が見えてきたような、なかなか見えてこないようなもどかしい状況が続いていますけど、今後はどんな活動を考えられていますか?
コロナの世界になったときにも思ったことですけど、たとえば国の政策や、他の人の行動を待ってから動くというのはやめたほうがいいなって。その辺りって自分でコントロールできないじゃないですか。そういうものを当てにしてしまうと、それがダメだったときのストレスってものすごいんですよね。
──ほんとですよね。
だから、自分でコントロールできること、自分ができることは何だろうって考えていきたい。それで、いまは自分はライヴはしていないけど、楽曲は作れるなと思って今回のEPを作ったところもあったんですよね。あと、それまでトレーニングって週に2、3回しかしてなかったけど、こういう状況になってからは週5でしてるんですよ。だから、コロナになってからのほうが、身体がバキバキになっていて(笑)。
──ははははは(笑)。
飲みに行くことも減ってしまったけど、それで健康的になっているところもあるし。だからまあ、自分がいまやれることは何なのか、しかも外部には頼らずにやれる方法をいろいろと考えてます。
──自分ができることを考えるのは生きていく上でものすごく大切なことですけど、こういった緊急時のときって改めてその重要さを感じる瞬間が多いですよね。
そうなんですよね。まあ、そもそもそこまで国に頼ろうと思っているタイプの人間でもないし、言っても自分も死にかけましたけどね(笑)。だけど、やっぱり諦めたくないんで。まだ40年ぐらいは生きていたいですから。
取材・文=山口哲生