寺十吾×山像かおり×奥山美代子インタビュー~西瓜糖『ギッチョンチョン』は実話を交えたホームコメディ
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西瓜糖第8回公演『ギッチョンチョン』 左から山像かおり、寺十吾、奥山美代子
演劇集団西瓜糖による第8回公演『ギッチョンチョン』が、2021年8月25日(水)~29日(日)に中野ザ・ポケットにて上演される。
西瓜糖(すいかとう)は、劇作家・秋之桜子(あきのさくらこ)の戯曲を上演する演劇プロデュース集団として2012年から公演を重ね、第5回公演までは文学座の松本祐子が演出を手掛け、以降は花組芝居の加納幸和や文学座の高橋正徳など、公演ごとに演出家を招いてきた。昨年5月にわかぎゑふ演出の新作公演を行う予定だったが新型コロナウィルス感染症拡大の影響で公演中止を余儀なくされた後、10月の特別公演を経て今回が久しぶりの本公演となる。
西瓜糖はこれまでも大正~昭和の日本を舞台にした作品を上演してきており、今作は昭和47年(1972年)の東京と大阪を親子・姉妹の絆が繋ぐホームコメディだ。秋之の母や祖母の実話をもとに構成され時代をリアルに映した物語と、三味線の生演奏も見どころとなる。
今作への思いを、これまでも秋之桜子作品の演出を何度も手掛けており、西瓜糖では第6回公演『レバア』以来2回目の演出となる寺十吾(じつなしさとる)と、西瓜糖のメンバーである山像かおり(やまがたかおり/筆名・秋之桜子)と奥山美代子(西瓜糖 代表)に聞いた。
■西瓜糖は「1回だけやってみよう」というノリで始まった
――まずは、西瓜糖が結成されたいきさつから教えてください。
山像 私と奥山は同じ文学座にいながら(山像は2017年に退座)、それまで共演したことは一度もなかったんですが、私が劇団外部で出演したり、秋之桜子名義で脚本を描いた舞台をしょっちゅう見に来てくれる後輩、という存在でした。
奥山 2010年に、秋之桜子脚本で寺十さん演出の『猿』という舞台を見に行って、それまでとはテイストの違う脚本で「がっちゃん(山像)、すごい作品を書くな」と思ったんです。その頃ちょうど松本祐子さんと「今度、勉強会でもやろうよ」という話をしていたときだったので、「私と祐子さんの企画で何か書いてください」とお願いしたのが、西瓜糖の始まりです。
西瓜糖第8回公演『ギッチョンチョン』 奥山美代子
――山像さんは、最初に奥山さんから「書いて欲しい」と話があったときは、どう思いましたか。
山像 ビックリしましたね。確か、四谷三丁目に呼び出されて「何かやらない?」って言われて。「いいじゃん、1回だけやってみようよ」みたいな感じだったので「それじゃあ、やってみようか」と。
奥山 そういうノリでしたね。長く続けるつもりは全然なかったです。
――1回だけのつもりで始めたのが、今回で第8回公演を迎えることになりました。
奥山 活動歴としては10年ぐらいになりますね。2回目をやることになったのは、1回目が案外うまいこといったのに味をしめたのと、せっかくホームページを一生懸命作ったのに1回で終わりにするのはちょっともったいないな、という思いからでした。その第2回公演『鉄瓶』には、寺十さんも役者として出演していただいたんです。
■子どもの頃にみた景色を1回ちゃんと書いておきたかった(山像)
――今回の作品は「ホームコメディ」ということで、これまでの西瓜糖の作品とは少し雰囲気が違うのかなと思いますがいかがでしょう。
山像 私は元々、羽衣1011という女二人芝居のユニットでコメディを書いていましたし、奥山が以前から「西瓜糖でもコメディをやりたい」と言っていたんです。コロナ禍になってからいろいろ考えたときに、この作品は私の母たちの実話がたくさん描かれているんですが、私が子どもの頃に見た景色、大人たちがワタワタしてるけどたくましくて、子ども心にそれを面白いなと思いながら見ていた記憶を残しておくためにも、1回ちゃんと書いておきたいなと思いました。すごく個人的な歴史なんだけど、でもそれっていろんな家庭にある歴史とも通じると思うし、寺十さんに「こんなの書いてみたいんだけど」って相談してみたら「いいんじゃない」って言ってもらえたので書いてみました。
西瓜糖第8回公演『ギッチョンチョン』 山像かおり
――今作が生まれたのは、奥山さんが山像さんの幼少期の話を聞いて「それを脚本に書いてよ」と言ったこともきっかけの一つだったとうかがいました。
奥山 彼女がいろいろ経てきた人生とか生い立ちは絶対に書いてもらいたいと思っていました。いつもは本があがってきて読んだ後で「ここは変えた方がいい」とか口出しするんですけど、今回の本に関しては何一つ言わなかったですね。
山像 演出家に見せる前に、まずは奥山が首を縦に振らないと、っていうのがあります。西瓜糖の主演女優ですから。全体のバランスとかもチェックしてくれるんですよ。でも今回は何も言わなかったね。
――実話をもとに構成されたそうですが、どのあたりまでが実話なのでしょうか。
山像 どのあたりというよりか、実話のエピソードをいっぱい散りばめてあるんです。結構「これ実話じゃないだろう」って思うのが実話だったりするんですよ(笑)。
寺十 創作したシーンもあるし本当の話もあるけれど、どれが作ったものでどれが本当かをみなさんに想像してもらったら、多分想像したものと逆だと思うんです。「嘘でしょ?」と思ったことが実話で、「本当の話なんだろうな」と思ったことが作ったものだったり。
山像 そうだと思います! 実際に今の世の中見てると、芝居に書いたら「そんなアホなことあるか」って言われちゃうようなことが現実に起きてるじゃないですか。
■本を紐解くのと同時に作家自身を紐解いていくと面白い(寺十)
――寺十さんは、先ほど話に出た『猿』で初めて秋之桜子脚本の演出を手掛けた後、西瓜糖では『鉄瓶』に役者として出演、第6回公演『レバア』では演出、昨年はあうるすぽっと『その男、ピッグテイル』でも演出を担当、と秋之作品に関わって来ましたが、どのような印象を抱いていらっしゃいますか。
寺十 好きな世界観と美学みたいなものがしっかり前提としてあって、それを舞台上で具現化したいんだな、というのは強く感じています。だから、表現としては視覚的にも演出効果的にも、作品が発しているものにぐっと傾けてやった方が面白い本だなと思っています。秋之作品は今回の本もそうなんですけど、作家が見たがっているものが僕個人としてはよく伝わってくるので、でも見たいものにしていくためにはいろんな手続きがあって、そこで四苦八苦はするだろうなと。まあ、作家がやりたいこと、見たいものさえ見られるものになっていれば、細かいことは気にしないで(笑)、その細かさが吹っ飛ぶぐらいの腕力で演出できればいいな、というのはありますね。
西瓜糖第6回公演『レバア』舞台写真 撮影:宮内勝
――山像さんと寺十さんが初めて舞台でご一緒したのが、寺十さんの演出舞台に山像さんが出演した、2009年の『太陽の匂い・彼方の水源』だったと記憶しています。
山像 2作品のオムニバス上演で私は『太陽の匂い』に出演したのですが、そのときに寺十さんの演出力の高さと、作家へのリスペクトといいますか、脚本の読み解き方がすごくいいなぁ、って思っていたんです。だから『猿』のときは、寺十さん演出でやりたい!とプロデューサーにお願いしました。
――寺十さんに演出をお願いしたいと思った理由、作家へのリスペクトを感じた部分というのを具体的に教えてください。
山像 脚本をしっかりと読み解いて、作家の思考だけで終わらずに様々な視点から多角的にとらえて作品に熱量を吹き込んでくれるんですよ。そのうえで、作家の書いたものを否定しないところが私は好きなんです。演出家によっては「ここは面白くないからカットします」って脚本を変える人もいるんですが、寺十さんはそういうことは全く言わないです。読んだだけでは意味がよくわからない部分でも、行間を読み解こうとしてくださる。脚本を絶対に否定せず一緒に物語を奏でようとしてくれている感じがするんです。
――寺十さんご自身、そのあたりは意識して演出されているのでしょうか。
寺十 僕も「tsumazuki no ishi」という劇団をやってきて、座付き作家のスエヒロケイスケの本に惚れ込んでたから、この本がいかに面白いかということをどうやって伝えればいいのかな、っていうところで長年苦しんできたんですね。だから演出をするときは、もらった本の面白さをいかに伝えるのかということと、本を紐解くのと同時に作家自身を紐解いていくっていうこともやると面白いなと思っていて。「なぜそのように書かざるを得なかったのか」っていうことを想像していくと、より作家の輪郭みたいなものがはっきりしてきて、極端なこと言うと「僕はあなた(作家)よりもあなたのことを知っていますよ」って言えるくらい近づきたいですね。だから舞台が出来上がったときに、書いた本人が「ああ、自分はこういう本を書いたんだ」って一番驚いたりね、そんな関係であるのが楽しいかなって思っています。
西瓜糖第8回公演『ギッチョンチョン』 寺十吾
――秋之作品は、実際に読み解いていってどのような魅力があると感じていらっしゃいますか。
寺十 「生きる」ということを渇望している人がいっぱい出てくるところと、「生きる」っていうのは食べて寿命を伸ばすだけじゃなくて、その生きざまっていうのかな、醜さがひっくり返って美しさになったり、逆に美しさが醜さになったり、そういうことをよく考えている本なんじゃないかな、と思います。あとは、コミュニケーションの密度ですかね。今回もそうだけど、罵倒するは泣きわめくはするけれども、それでも一緒に住んでるっていう。コロナ禍で自宅にいることが多くなって、久しぶりに家族と長時間一緒にいて、自分と家族がどういうコミュニケーションを取って来たかっていうのが明らかになったじゃないですか。そういう意味でも、今やるにはいいんじゃないかなという気はします。
――奥山さんから見て、秋之桜子脚本の魅力はどういったところだと思われますか。
奥山 私はどちらかというとぽやっと生きている方で、秋之さんの書くような激しさがあんまりないというか、あったとしても日常的に出さないようにしているタイプなので、「え、こんなこと親子で言うの?」ってちょっと衝撃を受けるんですね。こんなこと言っちゃって大丈夫かな、傷つけすぎないかな、とか思いながら演じるんですけど、お客さんからはそこがよかったと言われて、みんなは平凡で穏やかなことばかりじゃなくて、こういう激しさだったりを求めてるのかな、と思うところはありますね。あと、作品に信頼を寄せているのはもちろんだけど、この10年ほどお互い喧嘩もせずに来られたっていうのが。
山像 うまく役割分担ができてるんだと思います。西瓜糖は、奥山がいないと成り立たないんですよ。私は書くくらいしかできないから、他はお任せしていて。たまに小競り合いはするけれど(笑)、お互い気が小さいからすぐに謝るっていう、そんな感じでうまくやれていますね。
西瓜糖第8回公演『ギッチョンチョン』 奥山美代子
■いろんな演出家とやれることは大きなメリット(奥山)
――第5回公演までは松本祐子さんが西瓜糖のメンバーとして演出を担当していましたが、以降はそのつど演出家を招くスタイルになりました。
山像 松本祐子ちゃんが西瓜糖から抜けたけれど、それはそれで彼女にとってさらに羽ばたくことができたと思うし、私たちにとってもいろんな演出家とご一緒できることは活性化にもなっていると思います。
奥山 いろんな演出家とやれるということは、大きなメリットになっていますね。こんな才能あふれる寺十さんとご一緒できるとか。一番最初に『鉄瓶』で役者同士で共演させていただいたときに、なんでこんなにすごいのかなと思って、次に『レバア』で演出をしていただいたときに、「こういうふうに台本を読んでるからすごいんだな」ってちょっとわかったんですよ。
山像 自分が本を書くようになってわかったことの1つに、役者は自分のページしか見ないんだなっていうことがあって。でもそれが役者の仕事としては当たり前で、自分も役者をやってるときはやっぱり自分のところしか読んでなくて、でも全体を把握してる役者さんって、自分の立ち位置をちゃんと計算しているのかもしれないけれど、そんなに面白くなかったりしません?
寺十 だから、俺が演出やりながら役者できないのはそこなんだよね。絶対無理。
奥山 でも、自分の劇団では出演もしてたでしょ?
寺十 自分のところでは仕方がないから出てたけど、でも本当はやりたくない。役者として予定調和になっちゃうから。役者のときは、とりあえず何でもいいから体使ってやっちゃえ、あとの整理は演出がしてくれるから、っていうところでやってるけれど、自分が演出だと「それはやめておこうか」って俺が俺に言う、とかそういうことになっちゃうから、それは無理だよね(笑)。あとは、作家とか西瓜糖のメンバーが嬉しそうにしてるのを見たくてやってるところもあって、役者のときは「今日こそ演出家を笑わすぞ」とか、“相手をどうしたいか”ということが最初の衝動だから、演出しながら役者もやってると、自分の芝居は誰に見せるの? ってちょっと見当がつかなくなっちゃう。
山像 だから私の場合は、自分で脚本書いてて出演するって信じられない、ってよく言われるんですよ。自分の作品をすごくわかってるのに出るなんて、って。でも、羽衣1011で二人芝居をやっているときに相手役から「今、作家の顔した」って言われたんですね。それで切り離すことを覚えちゃって、それ以来“二重人格制度”なんです(笑)。そうしたらすごい楽になりましたね。
――すごい制度を導入されたんですね(笑)。山像かおりと秋之桜子は別人、ということなんですね。
山像 脚本について質問されても、役者・山像かおりは作家じゃないから、とんちんかんなことばかり答えるんですよ。書いた本人のはずなのに、寺十さんからも他の演出家からも「作家さんはそんなつもりで書いたんじゃないよ」とか「ホントに書いた人ですか?」とか言われちゃうけど、でも寺十さんが言ったみたいに、作品についてわかっていたら多分役者はできないと思う。全体を覚えていると、そのときの自分に夢中になれないっていうか。書いたものに縛られちゃったら、役者として多分何も楽しくないと思う。
――でも、俳優の山像かおりと作家の秋之桜子と名前を分けているのは、元々はそういう理由ではなかったですよね?
山像 羽衣1011をやっていたとき、演出の郷田ほづみさんに「かおりちゃん、脚本1本くらい書けるんじゃないの?」って言われて、よしやってみよう!ってなって初めて書いてみたんですけど、絶対その1本で終わると思ってたんですよ。みんなでどんなペンネームにするかを考えて、この作品が失敗したら全部この架空の作家のせいにしよう、って(笑)。だから関係者には「同一人物だって言わないで」って口止めしてましたね。でもその公演が思いのほか好評で現在に至るという。
――先ほどのお話しを聞いていると、今となっては名前を分けていてよかったですよね。
山像 本当によかったです。名前を分けてるから、自分の中でも区切りができるんです。「はい、秋之さんの仕事終わり」みたいな。寺十さんならもう秋之さんがいなくてもお任せできると思っているのも大きいですね。
西瓜糖第8回公演『ギッチョンチョン』 山像かおり
■制作的には負け戦でも、作品は何が何でも納得のいくものをやる(奥山)
――今回は出演者が全員女性です。西瓜糖では初ですよね?
奥山 そうなんですよ。(寺十に)女性だけのお芝居の現場ってどうですか?
寺十 うーん、でもここのところ新型コロナの影響で飲みに行けないじゃないですか。飲みに行く相手がいないというか、女性ばかりだとなんとなく誘いにくいっていうのがあったけど、今は飲みに行かずにすぐに帰るから、他の現場とあんまり変わらないかな(笑)。
――(笑)では、飲みに行く相手がいないということ以外は、女性だけの出演者でも特に変わらないということでしょうか。
寺十 ……そうですねぇ、すごいガサツなことを口走りたいな、って思うことはありますけどね、下ネタとか(笑)。でもそれくらいで、西瓜糖の現場はあまり気兼ねはないですね。
――寺十さんは西瓜糖の作品には出演・演出と合わせると、関わるのが今回が3回目となります。どんな団体だと感じていらっしゃいますか。
寺十 このご時世でもこうやって公演を打つというのが、やりたいとか好きとかだけじゃない、何か使命感のようなものを持っているのかなと思っていて、そういう場所でやるっていうのはこちらも「よし、やってやろう」という気持ちになりますよね。みんなそれなりの年齢だからこそ、それでもまだ飽きずに新しいことやってみたいっていう、純粋に演劇をやりたい人たちの集まりだから、そういうところが一緒にやっていて気持ちいいですよね。なんで芝居を打つのかっていうことについて、このご時世もあってもう一回自問自答しなきゃいけなかったりするから。
西瓜糖第8回公演『ギッチョンチョン』 寺十吾
山像 「なんで今やってんの」って言われたときにどう答えるかとか、好きだからだけじゃもう言ってられないような世の中になってきて。
奥山 制作的なことを考えると、赤字が続くようであれば集団としてはやっていけないんですが、今回もしかしたら西瓜糖は初めて制作的には負け戦かも知れないんですね。だとしたら、作品は何が何でも納得のいくものをやらなきゃ、っていう思いがあるんです。
山像 この状況下なので客席数をやはり半数にしなきゃいけなくて。となるとどうしても売上が赤字になる可能性がある。でも、赤字が出るのは私達の力不足ではないっていうのは、お互い絶対思っておこうね、という話は奥山としました。赤字が出てもとにかくいいものは作る、この状況だけどやりたい、やる、って決めたのは自分たちだから。昨年5月に上演予定だった公演を中止にしたときは、やっぱりすごい悔しくて。「公演をやれなかった」っていうことでびっくりするくらい泣きましたね。
奥山 泣くものなんだ、と思ったよね。中止を決める前から既に「きっとできないな」という空気になってたんですよ、世の中的にも。そうなんだけど、いざ決めるとなると崩れ落ちるような気持ちになって。
山像 それで今年どうするってなったときに、やっぱりやりたい!ってなりましたね。本当にやりたい、って心の中で何かが熱く燃えたみたいな。
奥山 燃えちゃったね(笑)。
山像 コロナ禍を経て私たち2人の結束は強くなったかもしれない。気持ちが同じところを向いてたから。そのへんの熱量みたいなものは、脚本にも出てるかもしれないな。
寺十 この作品に登場する、ケンカしたりもめたりしながらも共に生きていく人たちの姿は、今の僕らにも通じるものがあると思いますし、このご時世でいろいろありますが、これを見て元気になってほしいですね。
西瓜糖第8回公演『ギッチョンチョン』 左から山像かおり、寺十吾、奥山美代子
取材・文・撮影=久田絢子
公演情報
■会場:中野ザ・ポケット
■演出:寺十吾
■出演: