「現代の歌舞伎を進化させてくれました」中村吉右衛門を尾上菊之助が偲ぶ
-
ポスト -
シェア - 送る
尾上菊之助
正統派の芸と人間味の溢れる立役として活躍をつづけた中村吉右衛門が、2021年11月28日(日)に逝去した。12月1日(水)の発表を受け、吉右衛門の四女の夫で、現在、歌舞伎座に出演中の尾上菊之助が、会見で取材に応じた。
中村吉右衛門 /(C)松竹
吉右衛門は、今年3月28日、歌舞伎座での舞台を終えたのちに心臓発作で倒れ、千穐楽3月29日(月)を休演。それ以来、入院生活を続けていた。菊之助が最後に会ったのは、亡くなる前日の11月27日。
「8か月間(の闘病を)本当に頑張られたと思います。岳父はもっと舞台に立ちたかったでしょう。私はもっと教えを乞いたかったのですが、それが叶いませんでした。岳父が何より申し上げたいのは、岳父の芸を愛してくださったファンの皆さまへのお礼だと思います。私からもあらためて、御礼申し上げます。そして8か月お世話になりました、医療従事者の皆さまにもお世話になりました。本当にありがとうございました」
療養中の吉右衛門は「ずっと物思いにふけっているような様子でずっと頑張っていらっしゃいました」と振り返る。
「復帰されたいという気持ちが強かったのだと思います。8か月間、母(義理)がずっと看病をしておりました。母のことが、気がかりだったのではないでしょうか。ただ……。今まで芝居一筋で生きてきた岳父です。母と二人の時間は、そう多くはなかったのではないでしょうか。この8か月間、母とふたりの時間をゆっくり過ごされたのだと思います」
2018年8月、『秀山祭九月大歌舞伎』取材会の中村吉右衛門。
吉右衛門は、八代目松本幸四郎(初代松本白鸚)の次男として生まれ、のちに母方の祖父、初代中村吉右衛門の養子となる。昭和23年6月、東京劇場『御存俎板長兵衛』の長松ほかで中村萬之助を名のり初舞台。昭和41年10月帝国劇場『祇園祭礼信仰記 金閣寺』の此下東吉ほかで、二代目中村吉右衛門を襲名した。
「初代吉右衛門さんの芝居、芸を守り、全身全霊をかけて芝居に打ち込まれました。先人たちの教えを守り、血と汗と涙の結晶をさらに良いものにして後世に伝える。現代の歌舞伎を進化させてくださいました。その思いを胸に、その教えを守り、我々も研鑽していきたいと思います」
■孫を本当に可愛がってくれました
この日、歌舞伎座での舞台を終えてすぐに、会見の場に駆けつけた菊之助。ようやく表情を和らげたのは、菊之助の長男であり、吉右衛門と尾上菊五郎の孫にあたる、尾上丑之助について問われた時だった。
「威厳のある岳父でしたが、孫のこととなると、大変可愛がってくださいました。プーさんが大好きだったんです。舞台が休みの月には、ディズニーランドに連れて行ってくれ、孫たちとプーさんのアトラクションを楽しまれたり。丑之助ももっとじいたんと芝居に出たいと申しておりました」
2019年2月、尾上丑之助初舞台『團菊祭五月大歌舞伎』記者会見より菊之助と丑之助。
記者から「プーさんが好きなのは吉右衛門さんですか?」と確認されると、「そうなんです。ディズニーが好きで、プーさんが大好きだったんです」と笑顔を見せていた。
吉右衛門が逝去した11月28日は、偶然にも丑之助の誕生日だった。
「誕生日を祝っておりました。誕生日ケーキの時に一報が入り、とてもじゃないけれど、その日は伝えられませんでした。2日後、『和史(丑之助)の誕生日に、じいたんがなくなったから。毎年、感謝の言葉で誕生日を迎えようね』と話しました」
2019年8月の取材会では、「夢」を問われ「初代に並ぶ役者に。そして80歳で弁慶」と答えていた吉右衛門。知性とユーモアに溢れる言葉で記者たちを笑顔にしていた。
その時の丑之助の様子を「心に穴があいたようで。私に抱きついてきました」と答えた。丑之助は、吉右衛門が病床にあった間にも、菊之助の『春興鏡獅子』で胡蝶の精を、吉右衛門の甥にあたる松本幸四郎の『盛綱陣屋』で小四郎を勤めた。
「岳父は、丑之助の胡蝶の精を見たかったでしょうし、9月の小四郎も共演したかったでしょう。孫を本当にかわいがってくださいました。とにかく自分に厳しい方で、芝居以外は律して、生活をされていました。今年3月、私は明智光秀(『時今也桔梗旗揚』国立劇場)を岳父に教わり、勤めました」
「27日に千穐楽を迎え『よくやってくれた』と。思えば、ご自分が倒れる2日前でしたので、きっとお辛かったと思うんですよね。ご自分のことよりも、(2019年に新作歌舞伎『風の谷のナウシカ』で)肘を骨折し、手術をした私のことを心配してくださいました。『歌舞伎座の千穐楽まであと2日だから、がんばるぞ』と力強い言葉をいただいて……。尊敬するとても優しい父でした。私にはまだ、父(菊五郎)が元気でおりますので、岳父の遺志を継ぎ、家族でがんばって、歌舞伎の道を進んでまいりたいと思います」
菊之助は声を震わせ、涙を抑えていた。
「どんなに辛くても厳しくても、全力で芝居をなさる。出し惜しみをしない。芸の模範でした。威厳のある父でしたが、優しい言葉、丁寧なお教えをたくさんいただきました。突然倒れてしまい、ファンの皆様にお礼を言えなかったことが、本当に心残りだったと思います。この場を借り、岳父の芝居を愛してくださった皆様にお礼を申し上げます」
葬儀は、親族のみで終えたことを報告。義理の母が喪主をつとめ、棺には家族で書いた手紙や舞台写真、丑之助が描いた吉右衛門の当たり役のひとつ『熊谷陣屋』の絵などを入れたという。戒名は、秀藝院釋貫四大居士(しゅうげいいんしゃくかんしだいこじ)。享年77歳。
取材・文・撮影=塚田史香