反田恭平、等身大の“今”の音楽~さらなる深化と新たな素顔を垣間見た『ピアノリサイタル2022』東京公演をレポート
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2022年7月21日(木)に東京・赤坂のサントリーホールで開催された『反田恭平のリサイタルツアー2022』東京公演。今回の演奏会はショパン作品の他にもブラームスやシューベルトの最晩年の大作品がラインナップされており、反田のプログラミング構成の意図も感じられる意欲的なものだ。オールショパンプログラムではない、反田の新たな素顔も垣間見えた約2時間半におよぶ演奏会の模様をお伝えしよう。
当夜のサントリーホール大ホールは見事なまでに満場の客入りだ。19時少し過ぎたところで、細めの黒いスーツに身を包んだ反田がステージに登場。ショパン・コンクール出場の頃に比べて、シルエットもかなり引き締まった感じだ。
当初、発表されていた曲目の一部が変更になり、それに伴い変更無しの曲目も演奏オーダーが変更された。予定されていたJ.S.バッハ=ブゾーニ「シャコンヌ ニ短調」に代わり冒頭で演奏されたのは、当初後半プログラムに置かれていたショパン「前奏曲 嬰ハ短調 作品45」。
ピアニッシモでつづられるアルペッジョ (分散和音) の得も言われぬ響きが密やかに空間に染みわたる。ゆるやかな音の波がとめどなく繰り返される転調を伴って優雅に紡がれてゆく。いぶし銀のようなショパン円熟期の美の本質を、反田は息の長いコントロールの利いたダイナミクスでじっくりと弾き上げた。
優雅さとリリシズムで冒頭作品から聴衆の心をつかみ取る反田。これがシャコンヌで始まる流れだったとしたら、別の展開になっていたかとも思うと興味深いが、やはりこれこそが最も反田らしいスタイルの幕開けだ。
続いては、当初、全プログラムの最後に予定されていたショパン「ピアノ・ソナタ 第三番」に替わって、ここで同「第二番」が演奏された。多くの聴衆が昨年のショパン・コンクールでの演奏以来、幾度となく反田の “ショパン二番” を耳にしているに違いないが、当夜の演奏では、進化(深化?) めざましいこの若きピアニストらしく、より新たな展開も随所に感じられた。
コンクール前、反田はこの作品 (ショパン第二番) に対して、「少し風変りな印象」を持っており「近寄り難さを覚える」というようなことを語っていたのを記憶しているが、当夜の演奏は、昨年、そして一月の演奏会の時よりも、一層 “自らの歌” を骨太に描き出し、楽章全体をより自らのものとしていた。反田らしい独特の節回しも堂に入っており、若干マニエリスティックであると言えば、それも否定はできないが、展開部まで一挙に前進し続ける激情がその決然たる思いを語っていた。また、再現部での、あたかも死せる魂が生まれ変わったかのような密度の高い響きが紡ぐ詩的でたおやかな語り口が印象的だった。この楽章を特徴的づける “緩急の妙” が醸しだす「幽玄さ」もほのめかすほどの深化ぶりはさすがだ。
第三楽章《葬送行進曲》は最も深化的だったと言えるだろう。今回の反田のツアープログラムには、ブラームスやシューベルトをはじめ、それぞれの作曲家の最晩年に近い作品、あるいは晩年にさしかかる円熟期の作品が多くラインナップされていることからも、この《葬送行進曲》の演奏において、死に対しての反田の思いの深まりというのが感じられたのはあながち偶然ではないかもしれない。死生観に対してのある種の諦観というようなものが誘う境地だろうか――続く最終楽章のプレストでの浮遊する魂を弔うかのようなあの強烈な風の印象も、よりいっそう聴く者の魂をも揺さぶるごとくにリアルに描きだされていた。
そして、前半プログラムの第3~4作曲目はブラームス=ブゾーニ「11のコラール前奏曲より 第8曲《一輪のバラが咲いて》」。続いて ブラームス「6つのピアノ小品 作品118」全曲だ。ブラームスの最晩年の二作品が続けてラインナップされていた。
ショパンの「ソナタ 第二番」全曲を演奏した後に、この二つの作品群を続けて演奏してしまう反田の精神力、体力も明らかにすごいが、後半プログラムにシューベルト最晩年の大ソナタ(作曲家の死の2か月前に書き上げられた) 「ソナタ 第20番 イ長調 全楽章」の演奏を控え、休憩前の前半最後にこの二作品を持ってきた反田のプログラミングの意図も間違いなく興味深い。
ブラームス=ブゾーニ「11のコラール前奏曲より 第8曲《一輪のバラが咲いて》」では、オルゲルプンクトをも暗示させるバスの動きも含め、完全にオルガンで演奏しているかのようなハーモニー感と響きを作りだしていた。先ほどまでショパンの激しいソナタを弾いていた同じ楽器から繰りだされる音とは到底思えないほどだ。
“もうすぐ訪れる近代の夜明け” ――作曲家最晩年の境地が描きだす世紀末的で豊饒な和声感の中にも厳格でストイックなブラームスの精神が美しく表出されていた。ブゾーニの編曲作品らしく、コラールのテーマをより高度なポリフォニーによって聴かせるその妙もしっかりと押さえられていた。
そして、ほぼ続けて 同「6つのピアノ小品 作品118」へ。全曲の中でも比較的性急さを持つ冒頭の一曲目(間奏曲 イ短調)――老境の域に達した最晩年のブラームスの内面の思いを描きだすかのごとくに、終始、はやることなく、鷹揚にダイナミックなフレーズを弾き上げ、続く5曲へとつなぐ。
二曲目(間奏曲 イ長調)――「かつての想い」「かつての愛情」を懐かしむかのような老境の作曲家の心の襞を愛おしむように歌い紡ぐ。ショパン作品ではかなり意図的にマニエリスティックに歌う反田だが、ブラームス作品における実直で誠実な演奏もまた印象的だ。中間部では大人の情感を聴かせる。しかし、老境の作曲者自身が湛える密やかな思いは次第に高まり、クライマックスでは、内に秘めた過去の愛惜を激しく解き放つ。反田はその心の深淵を鋭く抉 (えぐ) りだす。その瑞々しいまでの悲壮感は、まさに “抉りだす” という言葉がふさわしかった。
三曲目(バラード ト短調)――ブラームスらしい、いかにも真にドイツ的な冒頭部の力強いリズム感と、中間部の転調感を伴った軽やかさを対照的に際立たせていた。続いて、四曲目 (間奏曲 ヘ短調)——このような中間部の小曲でもブラームスの世界観を貫く室内楽的な重層感をしっかりと際立たせ、この6曲の作品全体に深みを持たせていた。
五曲目(ロマンス ヘ長調)――ブラームス特有ともいえる美しく耳に心地よいあたたかみのある旋律を、反田はまるで童心に帰ったかのように何の衒いもなく、ひたすら純粋にその美しさを求めて弾き紡ぐ。女性的な優雅さも兼ね備えつつも、それはある種の中性的な美しさに満ちていた。いつもエネルギッシュな反田のもう一つの素顔を垣間見た感がある。
六曲目 ――陰々滅々の極致ながら、スケール感のある終曲。主調の存在を感じさせない茫漠とした浮遊感を減七の分散和音などを効果的に聴かせることで理知的に際立たせ、不安定な心のあり様に真っ向から対峙するかのように緊張感をもって緻密に描きだす。
中間部では重厚なハーモニーを振れ幅の広い堂々たるダイナミクスで聴かせ、その後に続く静けさをよりいっそう印象付けた。最後は客席空間を完全に制御し、静寂の余韻を燻らせ全曲を締めくくった。反田の真摯な思いとみなぎる集中力からあふれ出る一連の音の波が残した余韻は、会場全体に密度の高い空気感を残しつつ、後半へとつなぐ。前半終了のこの時点ですでに1時間強が経っていたのは驚きだ。
後半は当初予定されていたショパン「ソナタ 第三番」に替わって シューベルト「ピアノ・ソナタ 第20番 イ長調 D.959」。シューベルト最晩年のいわゆる “三つのソナタ” のうちの一つであり、死の2か月前に書き上げたとされる遺作 (死後に出版) だ。
最晩年の作品が多くラインナップされた今回のツアープログラムの集大成的な一作品であることは間違いないが、シューベルトの “白鳥の歌” にも近いこの大作品を今の反田の演奏で聴けるのは興味深い。老練の大家たちによる数多くの名演奏が残されているシューベルト・ソナタの名作中の名作だが、20代後半を力強く、骨太に駆け抜ける反田がこの作品にいかに対峙するかは、大いに注目されるところだ。
第一楽章 (アレグロ) では、この楽章の肝ともいえる明るい歌を伸びやかに聴かせる。反田は指揮者としても、シューベルト作品を手掛けているだけあり、響きや音色のバランス感覚、安定感はさすがだ。細部では、時折、木管楽器を感じさせるあたたかな響きも聴かせ、細やかな色彩感を与えていた。
第二楽章 (アンダンティーノ) は打って変わって、シューベルトのリートにも描きだされているような物悲しく不安感を帯びた旋律で始まる。まるで迫り来る死の予感をストレートに暗示させるような直截的なメロディだ。当夜の演奏では、前半のショパン「ソナタ 第二番」で聴かせた死生観とはまた別の境地がそこにあった。幻想的な分散和音を伴う中間部の展開も、受け入れざるを得ないある種の運命的な予兆を暗示させるドラマティックさに満ちていた。
第三楽章 (スケルツォ: アレグロ・ヴィヴァーチェ) は、ウィーン古典らしさの真骨頂を反田自身が楽しんで演奏している様子が微笑ましかった。品格ある響きと澄みわたった明晰な音が醸しだす端正な様式感が美しい。
第四楽章 (ロンド:アレグレット) のあの有名な主題旋律は、シューベルト自身の ピアノ・ソナタ 第4番 第2楽章 から引用されたものだが、反田はこの旋律を骨太に、そして賛歌のように力強く歌い上げていた。このように透明感に満ちた堂々たる旋律を聴いていると、このピアニストは倍音を最高に美しくまとめ上げる名手だということを思い起こさせる。空間に満ちる幾重もの響きの襞が、あたかも一つの世界観を構築しているかのようだ。
左手と右手が紡ぎ出す対話の雄弁さも秀逸だ。“対話” がおのずと一つになって調和してゆく過程もまた心地よい。一つ一つの細かなフレーズにも言葉や意味が込められており、すべてが緻密にコントロールされていたのが印象的だった。重厚な展開部での抑制の利いた、しかし劇的な表現、そして、フィナーレでの鮮やかなプレストのパッセージも相まって、聴き手をまるで一つの劇作品を観ているかのようにさせるドラマティックで巧みな文脈構成が際立っていた。全楽章を俯瞰してみても、“今の” 反田を描きだす最良の等身大の音楽が表出されていたのではないだろうか。
ここまでが本プログラム。鳴りやまない拍手に何度もステージに呼び戻される反田。アンコールの一曲目は、お馴染みグリーグ 抒情小曲集より「トロルハウゲンの婚礼の日」。ストーリー展開が目に浮かぶ「安定の上手さ」で客席の聴衆をよりいっそう高揚させる。当夜の演奏は、よりいっそう表情豊かなドラマが加わり ”音の絵本” を見ているかのようだった。
二曲目は、ブラームス「6つのピアノ小品 作品 118」から二曲目の「間奏曲 イ長調」をbis (再び)。その後、六曲目の「間奏曲 ヘ短調」も続いた。同作品では、本編での演奏とは一味違い、かつての (?) 反田らしいワイルド感が少しだけ垣間見え、若干懐かしさも感じられたのが印象的だった。
この時点で21時30分を超えていたが、冷めやらぬ聴衆の拍手喝采に反田はステージ上で何度も頭を下げ、最後まで丁寧にその思いに答えていたのが清々しかった。
取材・文=朝岡久美子 撮影=福岡諒祠
関連情報
2022年
7月12日(火)奈良県文化会館国際ホール
7月14日(木)ふくしん夢の音楽堂(福島市音楽堂)
7月16日(土)メディキット県民文化センターアイザックスターンホール
7月17日(日)名取市文化会館 大ホール
7月19日(火)フェスティバルホール
7月20日(水)オペラシティ コンサートホール
7月21日(木)サントリーホール
7月24日(日)愛知県芸術劇場
ピアノ:反田恭平
NOVA Record│NR- 02202 ¥4,400(税込)
DISC1
ショパン:ワルツ 第4番 ヘ長調 Op.34-3
ショパン:マズルカ風ロンド ヘ長調Op.5
ショパン:バラード第2番 ヘ長調Op.38
ショパン:アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ Op.22
ショパン:3つのマズルカ Op.56
DISC2
ショパン:ピアノ・ソナタ第2番 変ロ短調 「葬送」 Op.35
ショパン:ラルゴ 変ホ長調B.109
ショパン:ポロネーズ第6番 変イ長調「英雄」Op.53
ショパン:ノクターン第17番 ロ長調 Op.62-1
ショパン:12の練習曲 Op.10より第1番 ハ長調
ショパン:12の練習曲 Op.25より 第10番 ロ短調
ショパン:スケルツォ第2番 変ロ短調 Op.31
シューマン=リスト:献呈
「終止符のない人生」