沖縄で1964年に起きた米兵殺傷事件を基にした、今を生きる人々の物語『ライカムで待っとく』の上演が決定 あめくみちこ、亀田佳明ら出演
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KAAT 神奈川芸術劇場プロデュース『ライカムで待っとく』出演者
2022年11月27日(日)~12月4日(日)KAAT 神奈川芸術劇場<中スタジオ>にて、KAAT 神奈川芸術劇場プロデュース『ライカムで待っとく』が上演されることが決定した。
沖縄本土復帰50年となる2022年、メインシーズン「忘」の第4弾となる本作は、沖縄在住の若手劇作家・兼島拓也が書き下ろし、沖縄に出自を持つ田中麻衣子が演出を手掛ける沖縄の物語。
『ライカムで待っとく』は、アメリカ占領下の沖縄で起こった1964年の米兵殺傷事件を基に書かれたノンフィクション「逆転」(伊佐千尋著、新潮社・岩波書店刊)に着想を得て、当時の資料や、現代を生きる東京の若者たち、基地問題の専門家、同じ基地の町・横須賀に暮らす人たちなどにヒアリングし、田中と推敲を重ねながら、1年の歳月をかけて兼島が書き上げたもの。
この事件を全く知らなかったという30代の兼島は米軍基地が身近にある環境で生まれ育ち、現在も基地と生活が隣接している中で、劇作家活動を行っている。
本作に通底するのは、「沖縄は日本のバックヤードではないのか」「沖縄の犠牲の上に成り立っている日本という国」という想い。沖縄の過去と現在と未来が交錯するこの戯曲は、複雑性を包含する沖縄と日本の国の在り方を直視する物語になっている。
戦後80年近い時を経ても、辛い戦争体験をした者たちは語りたがらず、忘れることができないゆえに語らない、語りたくない、語れない「記憶と時間」を持っている島。島の中で基地賛成、反対と対立が続きながら、観光都市沖縄としての存在を益々高め、大きな経済のうねりの中で、共に生きながら歴史が刻まれていく。戯曲にたびたび登場する「決まり」という島の定めとは何なのか。
兼島の筆致は軽快で時にユーモアに溢れ、ミステリータッチで、知らぬ間に私たちに「この国の在り方」について考えさせてくれる。沖縄で生まれ育った兼島だからこそ書ける視点、これまで誰も読もうとしなかった、読まれなかった沖縄(こっちがわ)の物語は、沖縄の人々から我々が鋭く問われている、今を生きる私たちの物語となっている。
演出家の田中とこの物語を紡ぐのは8人の俳優たちで、出演する俳優の半数は沖縄出身。ベテランあめくみちこをはじめとする、沖縄出身の俳優陣と、近年高い評価を得ている、文学座の亀田佳明、充実した仕事を続ける青年座の魏涼子、前田一世などの俳優陣たちが揃った。そして、音楽は数多くの演出家から信頼される国広和毅が担当。俳優たちが三線を奏で、音楽により沖縄の世界が広がるところも見どころのひとつだ。
作:兼島拓也 コメント
生まれ育ったこの島が複雑で面倒臭いことなんてとっくの昔から知っていましたが、あと何十年ここで暮らそうとその全容を理解することはできないし、複雑さや面倒臭さが解消されることもきっとなくて、今回の戯曲の執筆は、そのことを改めて確認する作業でもありました。
もし私が沖縄に住んでいなければ、そして沖縄が複雑で面倒臭い場所じゃなければ、私にこのようなお仕事が巡ってくるなんてことはなかったと思うし、そういう意味で私は「基地に食わせてもらっている」のかもしれません。特権を享受しているのかもしれません。
その「特権」を観客の皆様にもぜひ存分に味わっていただきたく、沖縄の日常を描いた物語になるよう劇作に励みたいと思います。
演出:田中麻衣子 コメント
作家の兼島さんはどこか飄々としていてユーモア溢れる人です。台本の沖縄ことばでのやりとりには、そこでの生活があり、互いを大事にする優しさのようなものが通底しています。
テーゲー(いい・加減)で愛すべき沖縄の人たちを、8人のうち半分が沖縄ネイティブの役者さんたちで。2022 年のドキュメンタリーのような作品になると思います。
50年前、沖縄の人たちが想像した未来はどんなだったのでしょうか。
地上ではブーゲンビリアがひしめいて咲き、海ではジュゴンがゆっくりと泳ぐ、珊瑚でできた島のことです。
この作品が少しでも気になったら、どうか、足を運んでください。
KAAT 神奈川芸術劇場芸術監督 長塚圭史 コメント
ライカムとは「琉球米軍司令部」つまり「Ryukyu Command Headquarters」を略して「RyCom」です。沖縄統治権を米軍が握っていた時代の象徴的なこの名称は、今はその土地の俗称となっています。この地域でライカムと言えばショッピングセンターであるイオンモール沖縄ライカムのことを指し、家族や若者が集まる代表的な遊び場となっているのです。この作品は復帰前の1960年代、沖縄で起こった沖縄人が犯したとされる米兵殺傷事件を扱います。事件の当事者となった若者たちは、幼い頃に凄惨な沖縄戦を生き抜いた世代です。彼らの生活の中には当然のように米軍の支配があり、時に不当な扱いを受けることも日常茶飯事でした。この事件も有無を言わさず沖縄人の罪が問われました。
雑誌のライター浅野はひょんなことからこの事件と向き合うことになります。妻の祖父の葬儀のために沖縄へ行くことになった彼のところに舞い込んだ当時の写真。そこには若き義祖父の横に立つ、自分とそっくり同じ姿の人物が立っていました。妻と共に沖縄のユタ(霊媒師)を通して死んだ義祖父と対話を始めることで、現在と占領下の時代とが交錯し始めます。二つの時代の若き沖縄人の姿を通して、沖縄と日本の終わりの見えない関係に迫ります。
このセンシティブな問題作に取り組むのは沖縄在住の劇作家の兼島拓也さん。『ライカムで待っとく』の兼島さんのセリフはなんとも軽やかで、ユーモアに溢れます。しかしその軽快さは次第に生きる術のようにも思えてきます。毎日朝から晩まで、この解決を見ない問題を直視し続けることは困難です。人は深刻な状況を、時には上手に忘れたり、思い出したりしながら生きていきます。そうでなければ生きられません。しかし当然そのまま目を背け続けてしまう危険性も孕みます。遠く離れていれば尚更に。
兼島さんは、浅野を筆頭とするやまとんちゅ(内地の人)へ問題を投げかけます。これは自分事なのか、それともあっち側の他人事なのか。演出は、自身も沖縄にルーツを持つ田中麻衣子さん。
昨夏から始まった兼島さんと田中さん、沖縄出身の俳優諸氏や、劇場スタッフとの長く濃密な対話を通して、何度も何度も改訂を繰り返している『ライカムで待っとく』。ぜひ劇場でご覧ください。
出演者 コメント
■亀田佳明
中学の修学旅行は沖縄で、皆、楽しい旅行と大はしゃぎだった。
学習の一環として、戦時中のガマでの経験を体験者から聞く時間があった。
約200人の生徒達は話を聞いていくうちに静まり返っていった。
体験者の言葉と、あの会場の深閑とした空気は忘れられない。
以降、沖縄を何度か訪れている。この企画に参加させていただくことで、沖縄にさらに深く関わっていくことになるとおもう。
■前田一世
待ち合わせをするのなら、劇場がいい。今が昔になり、昔が今になる。
待ち合わせをするのなら、劇場がいい。そこは日本だけどアメリカになり、神奈川だけど沖縄になる。
待ち合わせをするのなら、劇場がいい。待っている身だと思っていたら、実は待たせている身だと思い知らされる。
待ち合わせの時間も場所も知らされず「待つ身」となっておいでならば、どうぞ劇場においで下さい。
そこでお待ちしております。
■南里双六
沖縄で起こる信じ難い現実に、内臓が震える思いがします。何故こんなことが起こるのか。声を上げたところで変わらない現実。踏みつけられ、搾取され、どんどん行き場をなくす沖縄。あるときフと気が付きました。私自身は、沖縄の何を知っているだろうかと。琉球以前から生きた先祖のことや、地獄の沖縄戦と惨憺たる戦後の沖縄のことの、いったい何を知っているのか。あの当時に何が起こったのか、どんな人が生き、どんな思いがあったのかをどれだけ「知ろう」としてきただろうか。全身で「知ろう」としてこなかった自分の態度こそが、今の沖縄の現実を招いたのではないか、と。この作品でまた、沖縄を刮目したい。
■蔵下穂波
沖縄が復帰50周年という年に、ウチナーンチュとして私は何が出来るのだろうかと考え、悩んでいた時に『ライカムで待っとく』のお話を頂き本を読み、迷わずやらせてくださいとお返事しました。
現在進行形で続く沖縄の様々な問題を、この舞台を通して感じてほしいなと思います。
特にもっと若い世代にこの舞台を観てほしいです。精一杯頑張ります!
■小川ゲン
戯曲を読んで、どきっとしました。
あっち側と、こっち側。
自分はどこにいるのか。誰がその線を引いたのか。
本土で生まれ暮らしてきた「ヤマトンチュ」の一人として、どきっとしました。
僕たちにできるのは「負担を担っていただく」ことなのでしょうか。「寄り添う」ことなのでしょうか。
この戯曲と向き合うこと、そこに描かれた沖縄で生きる人たちと向き合うことは、「こっち側」にいる自分と、目を背けずに向き合うことなのだと思います。
■神田青
まだ寒さの残る 2022年5月、生まれ故郷・沖縄から上京してきました。34歳、世間的に言えばかなり遅めの選択だったと思います。私個人にとって大きな決断の年は、奇しくも「本土復帰50周年」を迎える節目の年でもあり、沖縄の物語に関われる機会に、私自身何か特別なものを感じています。
本公演を通して、ひとりの島人として、またひとりの演劇人としてご観劇くださる皆さまと「答えのない問い」を共に考えていけたらいいなあと思っています。劇場でお待ちしています。
■魏涼子
『ライカムで待っとく』に不思議な共感を抱きます。
1972年沖縄返還は私の生まれた年。
そして、復帰前は日本であって日本でなかったかのような、復帰後も本土と区別されるような、まるで私の生い立ちと同じような歩みを辿る沖縄。
事件の事は知りませんが、稽古を重ね役を深く理解することで、主人公同様に、沖縄が歩んできた歴史を追体験し、沖縄の人たちが抱え続けている苦労や悲しみを受けとめたいと思っています。
その先に、希望の未来が待ち受けていると信じて。
■あめくみちこ
兼島さんの本を読ませていただき、すぐに、この作品に参加したいという強い思いに駆られました。
ウチナー口(沖縄の言葉)を混ぜながら、時には秀逸なコントの様なシーンがあり、でも、クスクス笑いながら読み進める内に、気づくと深い穴にストンと落ちた様な、沖縄の人達が、長い間抱えてきた、今も抱え続けている、その深い傷に、痛みに、まるで素手で触れてしまった様な、そんな感覚に襲われました。
沖縄復帰50周年の年にこの作品と出会えたこと、参加出来ることに感謝して、すぐに今は亡きふたりのおばぁにも報告いたしました。
KAATのスタジオで演出の田中さん、キャストの皆さんと共に過ごす、お稽古、本番の時間が今から楽しみでなりません。ちむどんどんしています。どうぞひとりでも多くの方にこの芝居を観ていただけますように、沖縄に思いを馳せていただけますように、切に願っております。
『ライカムで待っとく』、KAATで待っとくからね~! よろしくお願いいたします。
公演情報
会場:KAAT 神奈川芸術劇場<中スタジオ>
演出:田中麻衣子
出演:亀田佳明 前田一世 南里双六 蔵下穂波
小川ゲン 神田青 魏涼子 あめくみちこ
KAme(かながわメンバーズ)先行発売:9月17日(土)
一般:5,500円
神奈川県民割引(在住・在勤):4,950円
U24
高校生以下割引:1,000円
シルバー割引(満65歳以上):5,000円
※神奈川県民割引は
※U24、高校生以下、シルバー割引は
※車椅子でご来場の方は事前に
※未就学児の入場はご遠慮ください。 ※営利目的の転売禁止
※公演中止の場合を除き、
公演サイト: https://www.kaat.jp/d/raikamu
主催・企画制作:KAAT 神奈川芸術劇場
公益社団法人全国公立文化施設協会
共催:YPAM 実行委員会
雑誌記者の浅野は、五八年前の沖縄で起きた米兵殺傷事件について調べることになったのだが、実はその事件の容疑者が自分の妻の祖父・佐久本だったことを知る。
佐久本やその共犯として逮捕された男たちの半生を絡めた記事を書きはじめる浅野だったが、なぜか書いた覚えのない内容に文章が書き換えられていた。そしてついにはその記事の中に、いつのまにか自分自身も飲み込まれていく。
過去と現在が渾然となった不可解な状況のなかで、沖縄が歩んできた歴史や現在の姿を知っていく浅野。記者として何を書くべきなのか少しずつ気づきはじめたとき、突然娘の行方がわからなくなってしまう。
混乱する浅野に、それは「沖縄の物語」として決められたことなのだと佐久本は告げる。その「決まり」に沿った物語を自身が書いていて、また書き続けていくのだと、次第に浅野は自覚していく。
かつて沖縄本島中部の北中城村比嘉地区に置かれていた琉球米軍司令部(Ryukyu Command Headquarters)の略。現在「ライカム」は地名として残っている。司令部があった近辺の米軍関係者専用のゴルフ場の跡地には、2015年「イオンモール沖縄ライカム」がオープン。地元民のみならず県外からの観光客も多く訪れる場所になっている。
1964年8月16日未明、宜野湾市普天間の飲食街周辺で、米兵2人と数人の沖縄人が乱闘し、米兵1人が死亡、1人が重傷を負った。沖縄青年4人(2人は徳之島出身)が普天間地区警察署に逮捕され、傷害致死罪で米国民政府裁判所に起訴された。事件は陪審に付された。
沖縄人に重罪を課そうとする米国人らが陪審員の多数を占め、評議は4人に不利な流れとなったが、無罪を主張する沖縄人陪審員・伊佐千尋の粘り強い説得で形勢は逆転し、傷害致死罪については無罪、傷害罪では有罪の評決に至った。しかし、同年11月の判決では3人に懲役3年の実刑(1人は猶予刑)という初犯としては重い量刑が下った。
殺傷事件と沖縄住民への差別意識が渦巻く陪審評議、その後の判決は米統治下に置かれた沖縄の過酷な現実を浮き彫りにしている。