【DDT・大石真翔インタビュー】「20周年記念試合は念願かなったカード。The37KAMIINAにはテイオーさんから学んでほしい」
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DDTプロレスが10月12日、東京・後楽園ホールで『Get Alive 2022』を開催する。同大会では<王者組>樋口和貞&吉村直巳VS<挑戦者組>佐々木大輔&KANONによるKO-Dタッグ選手権が行われるが、そのタイトル戦とともに注目を集めているのが大石真翔のデビュー20周年記念試合だ。
大石はMEN'Sテイオー、旭志織と「メンズクラブ」を久しぶりに結成し、The37KAMIINA!(サウナカミーナ)の上野勇希、MAO、勝俣瞬馬組と対戦する。区切りの記念試合を目前に控えた大石に現在の心境を聞いた。
――KAIENTAI DOJO(K-DOJO)、フリーの時代を経て、DDTに来て20周年を迎えました。スタートはプエルトリコでしたね?
大石「僕はプエルトリコがそんなに危険な所だと思わず行ったんです(笑)。TAKAみちのくさんが面白いことをやってるな、先輩があまりいないからという理由もあって行ったんです。1期生の人たちが行ってできたところで、手作り感あふれるいい道場でした。協力してくれるジムがあって、そこの駐車場に、掘っ建て小屋みたいな道場があって」
――デビュー戦はどんな会場だったんですか?
大石「バーの駐車場です。お客さんは自由に見れて、バーの売上で僕らのギャラが支払われてという感じでした」
――K-DOJOの時代があって、DDTに移られたんですがDDTはどうでしたか?
大石「K-DOJOで9年。その後、DDTに移って11年経ちました。もうDDTのほうが長くなりましたね。DDTでは高木さん(三四郎社長)という柱があるんで、安心してプロレスができた11年でした。身近には男色ディーノがいたし、我々が何をしても、高木さんは笑ってくれてる。ノビノビとやらせてもらえて。去年、ケガして1年休むとなったときも、笑ってほかの仕事を与えてくれて、今までと変わらない感じで生活できたんで。感謝しかないです」
――そのケガですが、去年の7月18日、宮城・白石大会で第一腰椎を骨折されて長期欠場となりました。その間に焦りとかなかったですか?
大石「意図してないんですが、(裏方の)仕事が忙しくて。高木さんに与えられた仕事がいっぱいあって、焦る暇もなくあっという間でした」
――早く復帰したいという気持ちはありませんでしたか?
大石「DDTのみんなが、こんなすごい面白い試合してるのに、『何で俺はこの場にいられないんだろう』という悔しさはありました。上の選手もそうだし、下の選手も、大鷲(透)さんの試合を見ても思いました。俺がここにいたらこうできたなとか、俺がいないとこでこんな面白い試合するのかよという悔しさはありました」
――休んでいる間に所属ユニット準烈は解散してしまいましたが…
大石「それは僕が言い出したこと。岡谷(英樹)も渡瀬(瑞基)も、そのまま準烈があって、たとえば『大石さんが帰ってくる場所を残さなきゃ』とか思っていて、アイツらがチャンスが舞い込んだとき、足かせになるのがイヤだったんです。俺がリーダーみたいな感じでやってましたけど、辞めると言って終わりにすれば、アイツらが自由に動ける。秋山(準)さんは自身で考えて動くだろうし…。そんななかでアイツらにチャンスが来ても、自分で思うようにできないから。岡谷はイラプションに入って活躍してるし、渡瀬はガンプロに移ってノビノビやってるし、解散はしてよかったと思ってます」
――欠場中の1月にデビュー20周年を迎え、7月24日の後楽園大会で復帰戦を行いましたが、1年ぶりにリング上がってどういう気持ちでしたか?
大石「それがプロレスって疲れるなと思ったくらいで、思ったほど感慨深さはなかったんです。ファンの人に『大石さんの試合楽しみにしてます』とか言われて、やっと試合を見てもらうことができるなって思いました。この1年、DDTファンが増えてて、サウナカミーナがガーって来て、僕がプロレスしてるとこを知らない人がいっぱいいたんです。それまで会場にいたり、『WRESTLE UNIVERSE』のブースで特典を配ったりしてたけど、『この人、プロレスラーだったんだ』と思ったファンの人もいたと思う。その人たちに、『俺はプロレスラーなんだよ』って見せられてよかったです」
――試合勘は戻ってきていますか?
大石「ちょっとずつ戻ってると思いたいですね。ただ、20代の1年と40代の1年は違うと思う。倍以上、感覚的に違います。体もそうですけど、思った以上に年を取ってる。1年前なら、こう動けていたけど、まだここまでしか動けてないとか。自分のなかでこう動けないなら、自分の意識と体をすりあわせて、体をコントロールしていく作業をしていかないといけない」
―その後、火野裕士選手らとK-DOJO時代のユニットΩ(オメガ)を復活させましたね…
大石「Ωをやってた頃は、僕が一番動けてたし、頭も使ってたし、なんとかしようと思ってた時期。その頃の気持ちを思い出して、『もういっちょうやってやろう』と。いまだに若手の子たちに、『Ωの頃の大石さんが好きでした』と言われるんですけど、俺はまだ現役だぞ!って。ファンの人にも若い連中にも体を張って見せないといけないと思って復活させました」
――Ωが今後も継続するならば、DDTのトップ戦線を狙っていきたいところですね?
大石「ハイ。復帰して2ヵ月、だいぶ思うように動けるようになってきたんで。火野、旭さんにサポートしてもらいながら狙っていきたいですね。復帰戦のときに言った『KO-D無差別級のベルトにたどり着く』という言葉は忘れてないんで。あれは本心なんで」
――大石選手はDDTのベルトはほぼ総ナメしていて、獲っていないのは無差別級くらいですからね…
大石「そうですね。あと、最近できたDDT UNIVERSALも獲ってないですし、その辺にも色気は出ています」
――無差別級を狙いつつ、チャンスがあればUNIVERSALも狙っていく感じですか?
大石「そうです!」
―-10・12後楽園の話になりますが、これは希望したカードですか?
大石「ハイ。100%、希望を受け入れてもらいました」
――テイオー選手は師匠格に当たるわけですよね?
大石「ハイ。テイオーさんがいなかったら、20年できてなかったと思います。師匠ですね。基本を叩き込んでくれた。スタートはTAKAさんだったわけですけど、僕は弟子への編入というか、最初からテイオーさんに教わったわけではないですけど、いろいろ教えてもらうようになって築いた部分があります」
――大石選手のレスラー人生に大きな影響を与えた方だと?
大石「すべてですね。TAKAさんに教わった部分もあるけど、あの人は天才肌なんで、教え方が感覚的なんですね。『こうやって動くんだよ』って感じなんです。その点、テイオーさんは口でいろいろ教えてくれるんです。僕は文系なので言葉で教えてもらうと、スッと頭に入ってくる。教え方が上手なんです。だから、僕も若い子にアドバイスするときは、テイオーさんの言葉を使ってます」
――やはり同じコーナーには旭選手もいてほしかったですか?
大石「そうですね。コロナ禍以降、何回かこのカードをやろうとしたけどできなかった。僕と旭さんが組むこと自体、久しぶりです。僕にとっては旭さんは大事なパートナーで、そこにテイオーさんが入ることで、メンズクラブができ上がるのでいてほしかったですね」
――テイオー選手と組むのはいつ以来ですか?
大石「ケガする前にクリス・ブルックスの海外向けの配信試合(2021年4月4日)があって、そこで大石、テイオー、新納刃というトリオがありました。相手は上野(勇希)、MAO、中村(圭吾)。そのとき久しぶりに組みました。本当は新納じゃなく旭さんだったんですけど、出れなくなって。DDTの新宿FACEで、もう1回やろうとしたら、僕が骨折してできなくなってしまったんです。だから念願かなったカードなんです」
――対戦相手がサウナカミーナというのも希望されたんですね?
大石「ハイ。MAO、勝俣(瞬馬)はNωA(エヌ・ダブリュー・エー)で一緒にやってて、僕のなかでは、僕がテイオーさんになり替わったメンズクラブみたいな感じで…。いろいろテイオーさんから教わったことを、僕なりの言葉で伝えたりしてやってたんです。戦いを通じて感じ取ってもらいたいと。あの子たちは、13、14年前、僕がニューメンズクラブというのを第2、第3試合くらいでやってた年代なんです。今、彼らはあの頃の僕らの年代になってるんで。あのキャリア的にも。僕はあの時代にやってたことが自信になったし、勉強になったし…。今回1試合だけかもしれないけど、僕が勉強したことを、とても大好きなあの3人に感じ取ってほしい。3人とも、このカードが決まったら喜んでくれて。あの子たちもテイオーさんから学ぶことはたくさんあると思うし、テイオーさんを体感してほしい」
――この一戦には、勝敗以上に大事なものがありますか?
大石「やる以上はやっぱり負けたくないです。当時の俺たちの年が、今のあの子たちの年。あの頃のテイオーさんの年齢は、今の俺たちと同じなんです。それでも、あの頃、テイオーさんは負けてなかった。これで負けてたら悔しくてたまらない。僕も旭さんもニューメンズクラブの一員として、負けるわけにはいかないです」
――20周年記念試合ができて、DDTに来てよかったですか?
大石「ホントそうですね。DDTに来てなかったら20年やってないでしょうし、毎週楽しく試合できてないし…」
――テイオー選手には今後も機会があれば出てほしいですか?
大石「もちろん出てほしいです」
――テイオー選手が出るなら、やはりタッグを組みたいですか?
大石「僕ばっか独り占めするのは申し訳ないので。いろんな選手とやってもらいたいです。テイオーさんの隣にいるのは勉強になるんです。秋山さんもそうですけど。ベテラン選手とは戦うのももちろんですが、隣にいるのも勉強になる。10・12の逆のカードというか、テイオーさんと上野、MAO、勝俣とかと組ませてもいい」
――20周年記念試合が終わったら、また新たな戦いをしていかないといけないですね…
大石「そうですね。この試合で、いい刺激をもらって。今年もあと3ヵ月ほどで終わっちゃいますけど、もしかしたらベルトも持ってるかもしれないし…。こっそり無差別級、UNIVERSALを狙って、着々と動いてるかも。みんなが気付かないところで。『アッ、大石いたじゃん』って。正面突破しても今の樋口(和貞=KO-D無差別級王者)にかなう気がしない。こっそり、視界の外から狙っていきたいですね(笑)」
――今、無差別級王座への「いつでもどこでも挑戦権」を持っている青木真也選手を破って、挑戦権を手に入れる方法もありますね?
大石「それがベストですね! でも、青木選手とはなかなかマッチメイクされない。復帰してちょっとしか経ってないんで、機はまだ。樋口に勝てると自信ついたらいきますよ!」
<大石真翔プロフィール>
1979年2月16日生まれ、静岡県富士市出身。2001年に当時プエルトリコに道場があったK-DOJOに入門。2002年1月4日、プエルトリコでデビュー。同団体が日本に逆上陸後はΩ、メンズクラブなどで活躍。2010年12月に同団体を退団し、フリーに転向。2011年からDDTに参戦し、同年9月に入団。2016年に勝俣瞬馬、井上麻生(MAO)とアイドルユニットNωAを結成するも、2018年1月に解散。秋山準がDDTにレギュラー参戦するようになると、新ユニット準烈のリーダーとしてけん引。2021年7月に第一腰椎を骨折し長期欠場したが、7月24日の後楽園大会で1年ぶりに復帰した。これまでKO-Dタッグ、KO-D6人タッグ、KO-D10人タッグ、DDT EXTREMEなど数々の王座を戴冠した