振付家・マギー・マラン、スペシャル・インタビュー「『May B』は一種、時間を越えた作品」

2022.10.14
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マギー・マラン  (C)Tim Douet

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2022年11月19日(土)・20日(日)埼玉会館 大ホールにて、マギー・マラン『May B』が上演される。

マギー・マランは1980年代フランス・ヌーヴェルダンスの旗手として数々の衝撃作を発表し続けており、その中でも代表作と称されるのが『May B』だ。1981年の初演時(日本初演は1984年)に演劇・ダンスの両ジャンルで旋風を巻き起こした本作品は、今なお各国で上演を続け、世界中の人々を魅了し続けている。

この度、オフィシャルよりマギー・マランのスペシャルインタビューが届いたので紹介する。

『May B』の誕生

ーー『May B』の初演は、1981年でした。その当時の状況や、なぜこの作品が誕生したのかを教えてください。

マギー・マラン(以下 M):当時のフランスは、ヌーヴェル・ダンスの時代でした。つまりフランスにたくさんの振付家やカンパニーが登場してきた時期で、当時30歳の私もその一人でした。それまで私はモーリス・ベジャールの学校で学び、彼のバレエ団に入団して踊っていました。『May B』は、私の長編第一作です。当時のダンス作品は10分~30分の長さでしたが、演劇のように単独で上演できる1時間半程度の作品を作ろうと思ったのです。『白鳥の湖』『ジゼル』等を上演する古典バレエは別ですが、コンテンポラリーダンスでは単独で公演として成立する作品は稀だった。演劇に刺激を受け、一作品で公演できるダンス作品の創作を決心したのです。

ーー『May B』の誕生には、劇作家・小説家サミュエル・ベケット(1906-1989)の存在も重要な役割を果たしたと聞いています。

M:『May B』の創作を始める頃、私はベケットを読んでいました。私はダンス・クラシック(バレエ)出身で、ベジャールはダンス・クラシックの振付家ではなかったけれど、テクニックはバレエに基づいていた。でもベケットを読んで、ダンス・クラシックの技術がたくさんの人をダンスから排除していることに気がついたのです。ダンスは若者だけのものではなく、ふくよかな人も年老いた人も、あらゆる年齢、身体、民族の表現であるはずなのに。ベケットは、私にとってムーヴメントの考察に非常に重要でした。ベケットを読み、彼が小説や演劇で描いたようなハンディキャップを抱えた身体、不自由な身体に基づくダンスの創作に取り掛かった。これが『May B』の冒険の始まりでした。

『May B』舞台写真   (C)Hervé Deroo

ーーベケット本人にも会ったことがあるそうですね。

M:ええ。ベケットは作品使用に関して少々難しい人だと聞いて心配になり、ベケットの出版社に『May B』の作品資料を送りました。するとしばらくして本人と会えることになったのです。ベケットは台詞の非常に少ない演劇に取り組んでいた時期で、彼の仕事はとても振付的でした。私がダンス出身だったことが、この出会いでは重要だったのだと思います。

ーーどんな人でしたか? 噂どおり、難しい人でしたか?

M:いいえ、ちっとも。むしろ礼儀正しく、とても集中力の強い人でした。なれなれしくなく一定の距離があって、エレガントで美しい人でした。話題は私の作品や仕事で、ベケットは音楽についてたくさん語りました。『May B』でシューベルトの曲を使用すると資料に書いていたところ、ベケットは彼が好きなシューベルトの歌曲の話をしてくれた。私たちはかなり波長が近かったのです。

言葉と音楽、そして身体

ーー『May B』には、『死と乙女』はじめ複数のシューベルトの歌曲が使われています。

M:ベケットには『すべて倒れんとする者』(All That Fall, 1957年) というラジオのための戯曲があり、その冒頭でも『死と乙女』が微かに聞こえると書かれています。最初にそれを読んだときには、すごく彼と近いものを感じ、動揺したほどです。パリで会ったとき、ベケットはシューベルトの歌曲、特に『冬の旅』と『白鳥の歌』の話をしていました。『May B』の初めと終わりには、この二つの歌曲集の曲を使っています。『冬の旅』の「辻音楽師」(Der Leiermann)と『白鳥の歌』の「影法師」(Der Doppelgänger)です。

ーー他の使用曲についても教えてください。ユネスコ無形文化遺産に登録されているベルギーのバンシュのカーニバルの音楽、イギリスの実験的作曲家ギャヴィン・ブライアーズの曲も使われています。

M:『May B』には3つのパートがあります。バンシュのカーニバルのパート、シューベルトの楽曲のパート。そして第3のパートでは、登場する全員が旅に出ますが、旅は一種の円環を描いて人々がいなくなるまで続く。このシーンを構想した時、音楽は決まっていませんでした。ある日、男友達がスタジオに持ってきたのが、ギャヴィン・ブライアーズの『タイタニック号の沈没』というレコードでした。初めて聞いたけれど、B面の『Jesus’ Blood Never Failed Me Yet(イエスの血は決して私を見捨てたことはない)』に魅了されました。包み込む音楽、年齢を重ね疲れたような男の声、その人はホームレスなのかもしれない…。オーケストラの演奏が響くのも素晴らしく、すぐに使用を決めました。

マギー・マラン『May B』

ーー『May B』の初めと終わりには、ベケットのテキストの引用もありますね。

M:はい。『勝負の終わり(エンドゲーム)』(Fin de partie, 1957年)という戯曲からの引用です。「フィニ/セ・フィニ/サ・ヴァ・フィニール/サ・ヴァ・プテートル・フィニール」(終わり/終わりだ/終わろうとしている/たぶん終わるだろう)というフランス語のフレーズのリズムは、振付にも大きな影響を与えています。特に『May B』の最初の部分は、このリズムに基づいています。

ーー『May B』は、非常に独特な身振りで振り付けられています。この身振りはどのようにして発見したのですか?

M:自分一人で、自分の身体でたくさん稽古しました。通常のダンスの優雅な身体とは異なる身振りですが、特に一人でいるときの身振りを観察しました。どんなふうに体を掻くかとか、他人には見せない私的な些細な身振りを熱心に研究したのです。あとは、バンシュのカーニバルの音楽や、踊りからも強いインスピレーションを受けました。バンシュのカーニバルで人々はマスクをつけ、巨大な羽根飾りをかぶり、神経症的な動きで踊るのです。

『May B』舞台写真   (C)Hervé Deroo

登場人物の謎

ーー『May B』の観客は、白い漆喰で身体を覆われた奇妙な登場人物の存在感に、まず圧倒されます。彼らはしばしば「老人」だと言われますが、それに留まらないように見えます。彼らは何者なのですか?

M:『May B』の登場人物は、とても強烈でユーモアがある。ただの老人ではありません。彼らには、それぞれ非常に異なる特徴があります。ベケットの戯曲『ゴドーを待ちながら』のポッツォとラッキー、『勝負の終わり』のクロヴとハム、『すべて倒れんとする者』のルーニー夫人とルーニー氏など、ベケット作品にインスパイアされた者もいれば、尖った帽子の男性はバンシュのカーニバルのジル(ピエロ)にインスパイアされています。ジルの帽子をかぶった男性は16歳くらいでしょうか。16歳もいれば70歳、80歳もいて、10人の年齢もまちまちです。そんな彼らが、ときに互いに愛し合い、ときに互いに愛想を尽かすのです。

ーー 登場人物にもベケットからのインスピレーションがあるのですね。

M:はい。でもベケットが描いた人物たちは、特別な存在ではありません。作品では特殊に造形されているけれど、私たちの日常、街角や地下鉄でもベケットの登場人物に出会うことがある。それに私たち自身だって、程度の差はあれ何かしらの“ハンディキャップ”を抱えている存在です。誰にでもできること、できないことがあるでしょう? ハンディキャップを標準化してしまうベケットの手法が、私は好きなのです。
もうひとつベケット作品には、「支配」の関係があります。一方が他方を支配する、あるいは他方が一方を支配するという、支配の関係が常に存在するのです。二人の人間はこの戦いを繰り広げるけれど、それぞれ一人ぼっちではいられない。長い年月を経たカップルのように、一緒に暮らす人に耐えられないときがあるけれど、別れることもできない。このジレンマが、ベケットが描くカップルにはあります。
どこかでベケットは愛について書いた作家だと読み、確かにそうだと思いました。ベケットは二人の人間の関係性について書いているからです。いじめる側といじめられる側があり、その関係性が逆転する。でも、この関係性は私達の身の回りにも存在しています。だから『May B』の登場人物をベケットの登場人物に類型化することは、あまりやりたくない。一方に弱い立場の人々がいて、他方に彼らを支配する人がいる。こうした力関係や権力性は常に存在するし、自分の生活を振り返ってもそうでしょう?

『May B』舞台写真   (C)Hervé Deroo

『May B』、41年間の旅

ーー作品は誕生から41年が経過しましたが、そのインパクトは衰えることがありません。現代性を保ち続けている理由はどこにあるのでしょう?

M:わかりません。ひとつには私が生き抜いて、上演が続いているからでしょうか(笑)。名作でも上演が途絶え、忘れられることがありますから。でも『May B』は上演が続き、観客の数が増え、彼らを作品に引き込んでいきました。
『May B』は一種、時間を越えた作品です。何世紀も前から変わらないこと、つまりこの地球という惑星で、共に生きていかなければならないという私たちの生の厄介さがそこにはある。他者の存在が心底鬱陶しいこともあるけれど、一つの土地を、さまざまな事物を共有しなければならない人間の生の条件。そして孤独への欲求と、孤独であることの不可能。そこに普遍性があると思います。

ーー41年の間に、作品の観客側の受容は変化しましたか?

M:もちろんです。最初は容易ではありませんでした。リヨン・オペラ座バレエ団に振り付けた『サンドリヨン(シンデレラ)』(1985年)のように初演からすぐに上手くいった作品もありましたが、『May B』は上演と休止が2、3年間隔で続きました。最初の2年間は上演回数も少なく、上演の途中で客席を立つ観客もいた。作品の買い手もなく、数年間上演しないこともありました。『May B』の日本初演は1984年の利賀フェスティバルでしたが、当時この作品を取り上げてくれた人はとても少なかったので、よく覚えています。フェスティバル自体も本当に素晴らしかった。
現在の状況のきっかけは、2007年パリ市立劇場での公演でした。それまでに『May B』は300回ほど上演していましたが、ベケットの甥の希望でベケット生誕100周年企画の一環で上演することができたのです。こうして作品は一種のオーラをまとい、観客は作品に敬意を抱くようになりました。

『May B』舞台写真   (C)Hervé Deroo

ーー 埼玉での2013年の『Salves―サルヴズ』(初演2010年)公演から、日本でマラン作品の上演は9年ぶりです。コロナ禍を経て、近年の仕事について教えてください。

M:コロナ禍が自分の作品に影響を与えたかはわかりません。ロックダウンの期間は仕事にひたすら集中していました。それは、大勢の人、お年寄りが亡くなる耐えがたい状況からの、一種の逃避の方法でもありました。たくさんの本を読み、映画を見て、次の作品について考えていました。2021年7月にアヴィニヨンで初演した『Y aller voir de plus près』という、トゥキディデスの著作に基づいたペロポネソス戦争に関する作品です。
『Salves―サルヴズ』は『ウンヴェルト』(Umwelt, 2004年)と並んで、私のキャリアのメルクマールとなる重要作品です。私は常に形式の探求を行っているので、この二作品の形式は全く異なるし、最新作の形式もまた異なります。けれどもそれらを結びつけているもの、この先の作品にもおそらく関係してくるものは、支配と、支配に対する抵抗の問題です。男女間や、植民地支配、企業における労働の搾取、女性の搾取といった、ある集団における支配。人々に対して指導者の数はごく少数でも、人々が団結して支配に抵抗することは難しい。レジスタンスは存在しますが、この数世紀という長い時間をかけて世界で確立された組織に抵抗することは本当に難しいのです。

ーーあなたが関心を抱き続ける支配の主題を扱うのに、なぜダンスを選ぶのですか? 現代におけるダンスの重要性とは何でしょうか?

M:ダンスは身体の仕事で、世界を繋ぐ一つの方法だと考えています。私の作品は演劇的な方向に展開してきたともいえますが、テキストが多すぎると翻訳などの問題が増えていく。私は作品をフランス国外でも上演したいし、フランス語のリミットを越えていきたい。私がダンスに愛着を持つのは、身振りは国を越えるからです。もちろん地域の固有性は存在しますが、動きで互いに分かり合うことができる。それが身振りとダンスについて、私にとって重要であり続けているのです。

聞き手・文:岡見さえ(舞踊評論家、共立女子大学准教授)

公演情報

マギー・マラン『May B』
 
演出・振付:マギー・マラン
出演:カンパニー・マギー・マラン
音楽:フランツ・シューベルト、Carnaval de Binche、ギャヴィン・ブライアーズ
 
<埼玉公演>
日時:2022年11月19日(土)・20日(日)15:00開演
会場:埼玉会館 大ホール
 
<北九州公演>
日程:2022年11月23日(水・祝)14:00開演
会場:北九州芸術劇場 中劇場
公式サイト http://q-geki.jp/events/2022/MayB/