作者・北村想も声で出演~ 43年に渡って愛され続ける名作『寿歌』が、史上初の《人形劇》となって名古屋で上演
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『人形劇 寿歌』稽古風景より。人形左から・ゲサク、キョウコ、ヤスオ
核戦争の終わった、関西のある地方都市。荒野でリヤカーを引く旅芸人のゲサクとキョウコ、その途上で出会う謎の男ヤスオの3人による掛け合い漫才のような奇妙な旅を描いた『寿歌(ほぎうた)』は、今から43年前──1979年に、名古屋在住の劇作家 北村想によってこの世に生み出された。
当時、北村が率いていた劇団〈T・P・O師★団〉の女優たちの稽古用台本として書かれ、4組のキャストによって演じられたこの戯曲は、名古屋で初演されると瞬く間に評判を呼び、翌’80年には東京で上演。’81年には第25回岸田國士戯曲賞の候補作となる。その後も北村自身の演出で何度も再演が重ねられた他、2012年には堤真一、戸田恵梨香、橋本じゅんの出演、千葉哲也の演出でシス・カンパニー公演として上演されるなど、全国各地のさまざまな劇団やプロジェクトによって幾度となく上演され続け、愛され続けてきた名作だ。
劇中でゲサクが語る、「どこへ行ってもどこでもないし、あっちはどっちや」という印象的なセリフに代表される、あっけらかんとした明るさで描かれた絶望や圧巻のラストシーンは、いつの時代も私たち観客の心を大きく揺さぶり続ける。そんな名作『寿歌』が、43年の歴史上初の試みである『人形劇 寿歌』として、2022年11月30日(水)~12月4日(日)の5日間に渡り、名古屋・丸の内の「損保ジャパン人形劇場 ひまわりホール」で上演される。
『人形劇 寿歌』チラシ表 原画:ヨコヤマ茂未
本公演は、1989年の創立以来、“新しい人形劇の可能性を追求する事業”を目的としてさまざまな企画制作を展開してきた「愛知人形劇センター」がプロデュースするもの。作者であり監修を務める北村想が自ら声の出演を提案したことから、北村と荘加真美(劇団ジャブジャブサーキット)、山内庸平が声の出演を担い、人形操演は、桑原博之とゆみだてさとこ(共にPuppet Theater ゆめみトランク)、LONTOとChang(共にラストラーダカンパニー)が担当することに。また演出には、演出家・劇作家のニノキノコスター(オレンヂスタ)を起用。ニノキノコスターは、同センター主催の「劇作家とつくる短編人形劇」で上演した『MANGAMAN』が「P新人賞2017」の新人賞と観客賞をW受賞している他、イヨネスコ作『犀』を世界初人形劇化するなど、人形劇や人形と演劇の融合にも積極的に取り組み続けている演出家だ。
こうして、演者・演出家は若手から中堅も起用する一方、スタッフは『寿歌』という作品をよく知る初演当時の顔ぶれを結集するなど、独自性ある座組によって開催される『人形劇 寿歌』。本公演を企画した「愛知人形劇センター」のプロデューサー・中康彦と演出を手掛けるニノキノコスター、作者で今回ゲサクの声も演じる北村想、さらに本作で初めて人形美術を担当した美術家のヨコヤマ茂未に、それぞれの立場から作品に対する想いや取り組みについて語ってもらった。
前列左から・人形操演のゆみだてさとこ、声の出演の荘加真美、脚本・監修・声の出演の北村想、人形操演の桑原博之、LONTO、Chang 後列左から・声の出演の山内庸平、 人形美術・チラシ原画のヨコヤマ茂未、演出のニノキノコスター、舞台美術・大道具の松本ひろし、プロデューサー補の加藤智宏 後列左から・音楽・音響のノノヤママナコ、衣装の大池かおり、照明の石原福雄、プロデューサーの中康彦、プロデューサー補の佐和ぐりこ
■「『寿歌』という作品は、最終的に人形劇になるために生まれてきたのかな、という気がします」(中康彦)
── 中さんは、いつ頃からこの『寿歌』を人形劇に、と考えていらっしゃったのでしょうか。
中 それはもう、かなり前から温めていました。なんとか上演したいと思って、安住恭子さん(「青空と迷宮ー戯曲の中の北村想」を上梓するなど北村作品への造詣が深い演劇評論家)と6~7年前から話をしていたんです。でも当時は資金もなかったので、どこかでやれる方法はないかと探りながらも、コロナが流行しだしたりいろいろあって結局伸び伸びになっていたんですが、こういう時代だし、何かやれないかと考え始めて。その時に、せっかくだったら名古屋の演劇人で、人形劇と演劇界で盛り立ててやった方がいいんじゃないかな、という話をして、ノノヤママナコさん(※1)と具体的に話をし始めたんです。
それで補助金を申請して、総予算の半分ぐらいは支給されたのでやろう!と。ポイントにしたのは、名古屋発の作品で、戦後の小劇場演劇にとって記念碑的な作品でもあるし、歴史的にも優れた作品で演劇愛好家にはよく知られているけど、若い世代には知らない人もいる。そういう意味では、今この作品を上演するのは面白いんじゃないか、と思ったんです。しかも、1回も人形劇にはなったことがないので、ここはなんとか上演しようと。
※1 )1982年に、北村想がかつて率いていた「彗星’86」入団以来、北村作品の音楽・音響を100作品以上手掛け、本作でも音楽・音響を担当している。
── 先日開催された「『寿歌』リーディングシアター&トーク」(関連企画として2022年11月4日に実施)では20代~30代の若手の演劇人も参加されていましたが、『寿歌』の存在を全く知らない方もいて驚きました。
中 変な話、今回の出演者も知らない人がほとんどなんですよね。もちろん戯曲を読んだりはしてますけど上演は観ていない世代なので。演者も演出家も作品を観てない世代だからこそ、逆にスタッフは当時関わった人間に入ってもらった方がいいだろう、ということになって、想さんに「人形劇で上演したいんです」と伝えたら、「俺、ゲサクの声で出てもいいよ」って(笑)。そこから大騒ぎになって、どうしようどうしよう、と。我々もそういう想定は全くしていなくて、操演する者が語るんだろうなと思っていたので、そこからプランを練り始めて。
それで結局、人形劇の原点的なところへ戻ったら面白いかな、ということになったんです。日本には「浄瑠璃」という古くからのスタイルがあって、日本の人形劇は、古典は浄瑠璃みたいに声と操演が分離しているんですけど、現代人形劇ではそういうことをあまりやっていないんですよね。敢えて言うとテレビ人形劇のアテレコの方法(演技に合わせてセリフを録音する)しかなくて、後からいろいろ考えていくと結局、戦後の現代人形劇でこんな風に上演するものはないんじゃないか、逆に新鮮で面白いんじゃないか、と改めて思いだして。当初は声も生声で、語りは語り、操演は操演という形も考えていたんですけど、想さんの体調の問題もあったりして、声は録音という形に行き着きました。だから僕らも初めてのことで、手探りで進めている感じです。
『人形劇 寿歌』稽古風景より
── ニノキノコスターさんを演出に起用されたのは、「愛知人形劇センター」の企画で人形を使った作品を上演されていたり実績があるということで。
中 そうですね。実績もありますし、名古屋の演劇界できちんと人形のことを考えているのは彼女ぐらいしかいないと思います。そういう意味では本当に真面目で、すごく人形のことを考えているので。人形劇はなかなか大変なんですけど、人形についてよく考えている人が必要ですし、そういう人じゃないとやれませんから。人形劇を愛する人じゃないと、こういう難しい作品は演出出来ないんじゃないかな。
■ホンの強度にすごくビックリしました(ニノキノコスター)
── ニノキノさんは人形をどう扱うか、ということもよく考えていらっしゃいますよね。
ニノキノコスター いや、それは桑原さんやゆみだてさんが人形劇の操者としてはトップレベルの人達なので。あと、LONTOさんとChangさんは身体のエキスパートなので、それと人形とが組み合わさった時どうなるのか、みたいな。
中 そういう意味では操演するのはみんな経験者ですし、LONTOやChangもメインはパフォーマーとして活動していますが、うちの人形劇の作品にも幾つか出てもらったりしています。身体表現と人形を操ることは実はかなり近い関係性あるので、そういう意味では彼らは違和感なくやっていて、むしろLONTOなんか本当に人形を遣うのが上手い。桑原やゆみだてはその道で10年以上やってきているし、ゆみだてに関して言えば、今あの世代で人形を遣わせたら一番じゃないかな。感性というか人形に関わるセンスというか、それはすごくいいものを持っています。そういう人達が舞台上で丁々発止になれば面白いな、と思っています。
── ニノキノさんは、『寿歌』を人形劇にする演出を、と依頼を受けた際にはどういった感想を抱かれましたか?
ニノキノコスター 『寿歌』で、人形劇で、でもどういう形態のヒトガタを使うかはもう全くゼロベースだったので、どういう形式にしていこうかなぁっていうのが最初はわからんなぁ、という感じでした。やりながら考えていこう、という風に思っていたんですけど、先に声組の稽古とか録音が始まっていった時に、想さんは書いたご本人だし、真美さんは初演を観ていらっしゃるし、想さんの声を聞いた時に、「あ、ゲサクこうなるんだ!」っていうのが、もう自分が想定していたゲサクでは全然なくって、すごくびっくりしました。面白い持ち味を持っていらして、自分が例えばストレートに人間劇を創っても人形劇を創っても、この音の発し方は選ばないな、というのが作者かつ監修から自由な感じで出て来たのに驚いて。
── それはエセっぽい関西弁の発音の部分とか?
ニノキノコスター えーと、年齢ですね。ゲサクとキョウコの関係性は、私が戯曲を読んだ時は、もうちょっとギリギリ恋仲に出来るかどうかぐらいの年齢差がいいな、と思っていたんですよ。ゲサクは30代後半とか40代前半ぐらいで考えていたんですけど、実際に想さんと真美さんのやりとりを聞いたら、完全に“おじいちゃんと孫”みたいな関係に(笑)。真美さんも20代とかではないのにキョウコの年齢不詳さをすごく表していらっしゃって、声を当てる人によって関係性が臨機応変に変わってくる、ホンの強度にすごくビックリしました。
── ゲサクはキョウコのことを大きく包み込んで見守っている存在、という感じですよね。今回の想さんの声でその役どころがより強調されていると。
ニノキノコスター すごく出てますね。想さんがご自身のブログ(北村想のネオ・ポピュリズム)で、ゲサクのことを「これが私の分身らしい」と書かれていて、最終的に歳を重ねて行き着いたらしいんですよね。それによって今回の想さんの声にも、“カラッとした生”と同時に、“カラッとした死”みたいなものがずっと横たわっていて、「この人もいつかいなくなるんだ」というのがすごく伝わってくるんですよ。劇中で、死を匂わせたりするシーンやゲサクが苦しんでいるシーンがありますけど、その声の説得力! ご自身が鬱病とかで苦しみもがきながらも演劇というものをやりながら、生きてはまた倒れて、生きてはまた倒れてという果てに、今、想さんが見えている「生と死の景色」というものがそこにある。青年期や中年期の、まだまだそのあと長い人生がある、という状態じゃないからこそ醸しだされる切なさ、虚無感、これがすごくいいんですよ。
だから舞台上で操者が声を出しながらやるのと違って、要は録音された声というのは、今その時、そこじゃなくて、それより前に留められた記憶、記録なんですよね。その構造に気づくとですね、余計にその「今ではない」という感じが出る。氷河期になる前の、人類が本当に滅び切っちゃった後の話なのかな、という感じが。そう考えると、安住さんも仰っていたんですけど、「『寿歌』は最後、人形劇になるために生まれてきたのかな」という気がします。ホンの強度が強い分、人間劇でやる時には俳優さん自身の人間力とか強度もすごく試される作品なんですけど、それを人形にすることで、より書かれている内容そのものがお客さんに伝わりやすくなるというか、感じてもらいやすくなるような気はするんですよね。
── 想さんが演じる声を聞いていろいろ思われたということは、操演される方達にも同様に、何らかの影響を及ぼしている感じはありますか?
ニノキノコスター そうですね。発語する人間が操者もやる場合、ごく普通にまず向き合うのは戯曲だと思うんですけど、そこのやり方を桑原さんは今回、結構変えていってますね。桑原さんは元々俳優さんをやられていた方ですけど、文字じゃなくて完全に音、「聞こえてくる音とどう向き合っていくのか」という創り方をされています。それはたぶん、想さんの声の表現がみんなが予想していたものと全く違っていたから、もう音に向かうしかない、という選択をされたと思うんですけどね。ゲサクは主に桑原さんが遣っていて、キョウコは主にさとこさん、ヤスオは声が山内さんで主な操者はLONTOさんですね。ヒトガタの作りは、ヤスオだけかなり特殊なんですよね。
── 特殊というのは、具体的にはどのような?
ニノキノコスター 例えば、ゲサクとキョウコは背骨みたいな状態の棒を手で持って操作する形で、歩かせたい時は、足を遣うサブの人と二人で操演する形になるんですけど、ヤスオはLONTOさんが足を上げたら一緒に足が上がるように一体化されていたり。あと、身体がすごく柔らかくて、丸まったり伸びたり出来るようになっています。
なんて言ったらいいのか、想さんと真美さんの声はすごく土の匂いがする。土の地面や畑を裸足で歩いてきた人達の匂いがするんですけど、その2人の関係性の中にフッと入り込んでフッと去っていくヤスオというのは、声を担当した山内さんも若いですし、昭和の匂いと令和的な空虚感みたいなものが、骨のある感じとクニャッとした状態みたいなものがヒトガタにもすごく現れているのが面白いですね。
── 演出作業を進めていかれる中で、難しいなと感じたことや苦労された点などはありましたか?
ニノキノコスター まず単純に、結局、人形劇も演劇なんですよね。そうなった時に、操演の方々と最初に「人形劇としてはこういうのが前提のルールだよね」というところをすごく話し合ったりしました。自分としては、違和感やバグを潰すのが演出の最初の仕事だと思っているんですけど、「そこで人形がなんで浮くのかわからん!」とか(笑)。操者から、「そこは浮いた方が見えやすいと思って」と言われても、あまりにもおちゃらけてるシーンとかは場の浮遊感みたいなものがあるからいいと思うんですけど、「なんで? いま会話してるのに!? 」と思うんですよ。でもそういう風に言うということは、何かあるのかもしれない…というようなやりとりを重ねていったり。
逆に操者さん達が面白い遣い方をしてくださって、「それは面白いですね。人間劇だったら私は思いつかなかったな。人形ならではで面白いな」ということもあって。人間の俳優は鍛錬していくことはある意味容易ではあるんですけど、ヒトガタはやっぱりすごく時間を掛けて、細かく細かく丁寧に丁寧にやっていってあげることが必要なので、大変ですけどそこを今、みんなで大詰めしているところです。
■「私の「無意識」が、超自我な作用でoutputした、ある意味フロイト的なホンです」(北村想)
── 『寿歌』はこれまで、北村想さんご自身の演出版に限らず、さまざまなカンパニーやプロジェクトによって幾度となく上演されてきた作品ですが、今回初めて人形劇として上演されることについて、何かご感想などありましたら教えてください。
北村 なぜ、いままでこのideaに気がつかなかったかが、不思議です。どうも日本では「人形劇」や「絵本」というと「お子さま」の学習、娯楽教材のように受け取られがちなのですが、さにあらず、文楽は「人形浄瑠璃」(時代的呼称としては「人形芝居」となっている)じゃありませんか。パペット、マリオネット、世界でも数々の人形劇があります。アジアなどはかなり人形劇の盛んな地域らしいです。『寿歌』が人形劇として、世界に発信されればオモシロイんじゃないでしょうか。さらに誰か絵本にしないかなあ、とおもってます。
スウェーデンの巨匠ロイ・アンダーソンの『ホモ・サピエンスの涙』は映画ですが、あれは、私から観れば絵本です。たぶん昨今の絵本編集者はあの映画を観ても、「意味がワカラナイ」というでしょう。『寿歌』も、発表当時の演劇業界ではそういうふうにみられましたから。今度の人形劇『寿歌』もそんなふうにみられるかもしれませんが(まだ私も舞台を観てないんだけど)、たぶん、三次元のロイ・アンダーソンみたいになるんじゃないかな。
── 今回、ゲサクの声を担当されるとご自身から申し出られたそうですが、どのようなご心境から志望されたのでしょうか。
北村 左右の膝の故障と頸椎疾患、特種な記憶障害(たぶん認知障害の一種)で、ストレートな役者として舞台に立つのは無理ですが、声だけならやれるんじゃないかと、懐具合も良くないもんですから(ここんとこ、低額所得者で免除やら一時金やら受領している。とはいえユニセフと国境なき医師団への賛助会員ではある)。銭も欲しいし、ヤってみることにしました。
『人形劇 寿歌』稽古風景より
── 声の出演という形で、43年前に書かれたご自身の作品と改めて向き合われてみて、何か思ったことや感じたことなどありましたらお聞かせください。
北村 役者として初めて演じたのですが、このホンはたしかに「スゴイ」なとビックリしましたね。もっとフラグメントしているんじゃないかとおもっていたんですが、見事な段取り(plot)です。私の「無意識」が、超自我な作用でoutputしております(ある意味フロイト的なホンだということです)。こういうのは当時でも二度は書けなかったとおもいますし、こういうホンでは食ってイケナイと判断して、popularな、エンターティンメントなホンを書くことにしたのは、経済的には正解でした。このホンを当時「ワカラン」「演劇ではナイ」といわれたことが良くわかりました。このあたりについては、ブログ(※2)にロシアとウクライナ戦争とリンクさせて、書き始めていますので、お楽しみにお読み下さい。
※2) 北村想のネオ・ポピュリズム http://6659893.cocolog-nifty.com/blog/
■「降ってきた時間がそのまま積もっていくような。そしてそんな時間が降って重なり続けるような人形をつくってみたいと思いました」(ヨコヤマ茂未)
──ヨコヤマ茂未さんが 『人形劇 寿歌』の人形美術を依頼された時のご感想はいかがでしたか?
ヨコヤマ えらいこっちゃ。と思いました。人形作ったことない+あの、名作『寿歌』、ということで、ずーっと「えらいこっちゃ」と思っていました。ありがたいことにプロデューサーの中さんからお話を頂いたのが2回目で、前回が「あいちトリエンナーレ2016 並行企画事業『人類と人形の旅』」のメインビジュアルを描かせていただいたんですが、その時も「えらいこっちゃ。壮大なタイトルだ。」と思いました。そして今回のお話で「あ、ほんとうに人類と人形の旅をするんだなあ」とも思って、好奇心が刺激されてしまいました。
── 『寿歌』の上演は過去にご覧になっていますか? 作品に対する思いや思い出などありましたらお聞かせください。
ヨコヤマ 伝説の歴史上の名作のお芝居として、いろんな先輩の話から聞く、「泣いた、かっこいい、すごい」という『寿歌』、そのお話をされる熱い想いや先輩方自身がわたしの『寿歌』でした。戯曲を拝読したとき、思いがけない年月を思いました。降ってきた時間がそのまま積もっていくような。そしてそんな時間が降って重なり続けるような人形をつくってみたいと思いました。
『人形劇 寿歌』稽古風景より
── 美術家としてご自身の個展などで立体作品も制作されていますが、普段のご活動とは違った人形製作における難しさや苦労された点、今回の取り組みを通して感じたことなどありましたら教えてください。
ヨコヤマ はい、普段は画家の活動が主です。私自身の立体作品は和紙での制作がほとんどでしたので、なにもかもが違いました。ほとんどはじめて聞く材料でした。そして仕組みについては謎だらけでしたので、〈人形劇団むすび座〉さんにたくさんの人形や型紙を見せていただいたり、方法論を教えていただきました。人形作家の福永朝子さんにもアドバイスをいただきました。
リヤカーを中心にして、リヤカーとゲサクの関係というか不離一体感をどうしたら出せるか、キョウコの特徴、ヤスオの性質を模索していくと、三体それぞれ構造が変わりました。人形の表面は和紙です。また、お芝居のクリエイションをしていくなかで、演出や操演のみなさんと仕組みを試行錯誤して、助けてもらったりして取り組みました。感じたことはたくさんあって。できあがるにつれ、形あるゆえにはかない。という、なんとも言えない実感を覚えました。絵画では感じたことはありませんでした。
『人形劇 寿歌』稽古風景より
── ゲサク、キョウコ、ヤスオの顔の造形について、それぞれイメージしたものは何かありましたか? チラシ原画も担当されていますが、創作順としてはどちらが先だったのでしょうか。
ヨコヤマ チラシ原画が先です。が、人形をつくる前提のキャラクターデザインを兼ねています。台本を読んで新鮮な印象の状態で私からアイデアスケッチを先出しさせてもらい、『寿歌』をよく知るプロデューサーやノノヤママナコさんに助言をいただきながら、演出のニノキノコスター氏とビジュアル会議をしました。彼女のビジュアルに対する感覚は鋭くて面白かったです。
全てのクリエイションにおいて「能舞台」というキーワードが上がっていて、私自身が面の作品を作っていることもあり、とっかかりを覚えていたので能面も参考にしています。想さんのゲサク、荘加さんのキョウコ、お二人の声も作っている間に間違いなくイメージに入り込んでいると思います。ヤスオは、造形に混迷を重ねていました。とにかく、宇宙的に美しいけど変則的なイメージを。ただ、台本を読んで最初に見た新鮮な印象、一瞬のきらめきが降り積もる、みたいなことを常に意識していました。
尚、12月2日(金)19:00の回終演後は、小堀純(編集者)とはせひろいち(劇団ジャブジャブサーキット)によるアフタートークを、また、12月3日(土)18:00の回終演後は、玉木暢子(国際人形劇連盟日本センター(日本ウニマ)事務局長)とニノキノコスター、ヨコヤマ茂未の三者によるアフタートークを開催予定。
『人形劇 寿歌』チラシ裏
取材・文=望月勝美
公演情報
■演出:ニノキノコスター(オレンヂスタ)
■人形美術・チラシ原画:ヨコヤマ茂未
■声の出演:北村想、荘加真美(劇団ジャブジャブサーキット)、山内庸平
■人形操演:桑原博之、ゆみだてさとこ(以上、Puppet Theater ゆめみトランク)、LONTO、Chang(以上、ラストラーダカンパニー)
■会場:損保ジャパン人形劇場 ひまわりホール(名古屋市中区丸の内3-22-21)
■料金:前売3,500円 当日4,000円
■問い合わせ:
愛知人形劇センター 052-212-7229(平日10:00~17:00)
mail@aichi-puppet.net
■公式サイト:『人形劇 寿歌』特設サイト https://aichipuppet.wixsite.com/hogiuta