[ kei ] kannivalism、BAROQUE、ソロとして立つ“渋谷公会堂”ライブを控えてキャリアを振り返るロングインタビュー【後編】
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[ kei ] 撮影=大橋祐希
渋谷C.C.Lemonホールはkannivalismで、渋谷公会堂はBAROQUE(baroque)で2Daysと、バンドキャリアが変わるたびに次々とこの会場を制覇してきた[ kei ]が、今年(2024年)の自身の誕生日でもある8月12日、今回はソロアーティストとしてLINE CUBE SHIBUYAでワンマンライブ『0』公演を開催する。ここでは、こうしてネーミングライツで名前が変わるたびに同場所でワンマンを開催してきた彼の音楽人生の変遷を、kannivalism、BAROQUEを起点に振り返ってもらいながら、それらが8月に開催する[ kei ]としてのLINE CUBE SHIBUYAのステージにどのように繋がっていくのか。前編、後編で送るロングインタビューの後編をお届けする。
――今回はBAROQUEの話から始めたいと思うんですが。メジャーデビュー曲に「我伐道」が選ばれた理由はなんだったんですか?
インディーズでツアーを回ってる頃からライブでやってて、人気があって。一番盛り上がる曲だったからです。
――この曲はどんなきっかけで作った曲だったんですか?
ライブで盛り上がる曲、観客にウケる曲を作ろうというので作りました。この曲は16~17歳の頃に作った曲なんですけど、その頃の僕は自分の音楽性とかよりも、まだ子供だったから、どうやったらウケるか、どういうのを作ったら成功するか、とうのをまず考えてたんですよ。ヴィジュアル系のインディーズシーンでどういう曲をやったらトレンドになれるかっていうことを相当気にして考えていたんです。だから、当時は周りのバンドの音源とかもほとんど聴いてたし。その時代のムードを把握しながら、そのなかでどう売れるか。1番になりたかったから、そのためにはどんな曲がウケるのかっていうのをすっごい考えてました。とにかく売れたかった。
――1番になること、売れることが最優先だったと。
そうです。それで、ライブで他のバンドよりも盛り上がるものっていうことで、当時はDragon Ashもいれば青春パンクみたいなJ-POP、ヴィジュアル系、いろんなものをミクスチャーみたいなものが流行ってたので。
――そういうものを肌で感じながら作ったのが「我伐道」。
ちょうどヴィジュアル系のバブルが崩壊した後だったので、なかなかシーン的には難しかった時代だったんですけど。そういうなかでも、高校生たちが“これだったら聴ける”、“カッコいいな”と思えるものはどんなものなのか。しかもバンギャルでも受け入れられるものはどんな曲か?っていうのを考えながら作りました。とにかく売れたかったので。
――その“売れたい”という欲求は、BAROQUEが当時、バンド結成から史上最速で日本武道館公演を制覇したことで少しは解消されたんですか?
されましたね。されたというか、やってみて“これじゃあヤバいな”と思いました。バンド結成から2年3ヵ月、武道館に立つまではものすごい勢いで、あっという間だったんですよ。自分自身はまだ10代なのにメインコンポーザーをやらせてもらってて、もう疲れてたんでしようね、いろんな意味で。周りと自分らを比べて、負けない音楽を作らなきゃいけないというのも、ものすごいプレッシャーだったし。いま思うとね。そういうのが少し嫌になっちゃったんですよね。売れたい、1番になりたいと思ってそこまでやってきたものの、実際武道館に立ってみたら全然実力は伴ってない、立たせてはもらったものの。だから、僕は“このままじゃヤバい”としか思わなかったんですよ。と同時に、自分はこういうアーティストになりたかった訳じゃないなという気持ちも湧き上がってきて。その頃、事務所とも折り合いがうまくつかなくて。バンドを取り巻く環境がガラッと変わって、いろんなことがごちゃごちゃしだしたんですよね。それもあって、バンドも疲れてたんだと思います。それで、僕は僕で未成年でタバコを吸ってたのを事務所に見つかって謹慎処分になったり(笑)。
――ああー。ありましたね。そういうことも。インディーズからイケイケの勢いで武道館までいったのに、そこで勢いが一度ストップしてしまったところもありましたよね?
ですね。だから、1回いろいろ考えるのを止めようと思ったんです。そういう意味では武道館が転機、ターニングポイントになりました。そのあと「ila.」という曲を作るんですけど。いま思うと《la…疲れた~》って歌詞にあるんですよ(笑)。あの曲は自分の心境とも合ってたので、本当に疲れてたんだと思います。それで、それまでのBAROQUEとか関係なく、ヴィジュアルシーンがどうだとか関係なく、そのとき、19歳の自分が本当にやりたい音楽を普通にやろう、自分にしか作れない曲を作ろうと思ったんです。
――そうして誕生したのがBAROQUEの1stアルバム『sug life』。
等身大という意味では、ヴィジュアル系の影響は受けましたけど、それ以外にテクノ。クラブカルチャーとか、バンドサウンドとは違う要素が入った音楽も好きだったので。「ila.」、「Nutty a hermit.」、「exit」、「ガリロン」なんかには、そういう自分独自のオリジナリティーが出せたと思います。
――自分にしか作れない音楽ということで、このアルバムで見つけたオリジナリティーは、現在のソロにも繋がっているんでしょうか。
間違いなくそうですね。原点はここにあると思います。PCを買ったのもこのタイミングですし、レコーディング期間中ずっとスタジオにこもって作業をするというスタジオワークも、ここが原点だと思います。
――なるほど。そのBAROQUEは『sug life』を作った2004年に解散。その後2011年に活動を再開し、2012年に行なった『TOUR バロック現象 第2現象 baroque初のホールツアー』で渋谷公会堂ワンマンを行なっているんですよ。
そうみたいですね。
――しかも、セットリストも衣装も変えての2DAYS開催で。
あぁ~。片方は白い衣装でした。それぐらいしか憶えてないんですけど(笑)。でも、20代の頃は同じことを繰り返してましたね、僕は。まず、これの前にkannivalismの復活があって。渋谷C.C.Lemonホールワンマンをやったあとにkannivalismは休止。そのときにBAROQUE再結成の話も出てて、2011年から活動を再開して。その流れでやった渋公2DAYSだったんですけど。kannivalismの『helios』以降はダークサイドにある等身大の音楽をやってたんですけど、それをメンバー全員で理解して、さらにお客さんと共有するのって、なかなか難しかったんですね。それもあって、BAROQUEは一度、志半ばで終わってしまったことや、ポップなBAROQUEを求めている人たちがたくさんいることも分かっていたので、復活後の音楽性としては『sug life』以前のBAROQUEのムードをいまやったらどうなるだろう?というのがテーマとしてあったんです。
――ファンが喜ぶような音楽をやってみようというチャレンジが、そこには。
ありましたね。だから、僕の20代はずっとその繰り返しなんですよ。なかなか需要と供給が一致しなかった。等身大の音楽をやったら、次は分かりやすいものをやる。その繰り返しになっちゃったことは、すごく自分的には辛かったというか……難しかったですね。外からは好きなようにやってるように見えても、意外と自分のなかにはそういう葛藤があって。だから再結成後のBAROQUEは、自己表現とかはまず置いといて、BAROQUE再結成プロジェクトを役割としてやっていった感じです。もちろん、いい曲もたくさんできましたけどね。
――しかし、そのプロジェクトもメンバーが。
「バロック現象」と平行して減少していって(苦笑)。
――2014年には、ついに2人体制のBAROQUEになる訳ですよね。
そうそうそう(苦笑)。
――そこでBAROQUEは、再び音楽性がガラっと変わりました。
自分は10代の頃からメインコンポーザーとして自分なりにその責任を感じながら活動をしてきたんですけど。2人になってからは、ここから先は本当に自分の精神から湧き上がってくるものだけを作ろうって決めたんです。これまで自分なりに周りのことを考えたり、ニーズに合わせたりということもやってきて、でも、うまくはいかなくて。
――それに伴って、メンバーも脱退していってしまった。
だから、そもそも2人になってもBAROQUEを続けるかどうかというのもあったんですけど。あるとき、この体制で3枚作れるんじゃないかという予感がしたんですよ。それで、2015年から5年かけて、その気持ちを信じ、突き進んでアルバムを作っていきました。
――このときに作った『PLANETARY SECRET』、『PUER ET PUELLA』、『SIN DIVISION』という3枚のアルバムは、哲学的思考を巡らして作った作品でもありましたが。
自分の知らない自分の内面世界を一つずつ理解して、具現化していったようなアルバムでしたね。自分の心のなかでバラバラになっていたものを統合していくような感覚で、3枚作ったことで、やっとその実態が自分でも分かった感じです。
――その作業をしながら、圭のソロとして、今度は全編ギターインスト曲で制作した『4 deus.』を2019年にリリースしましたが。こちらは?
ソロで『silk tree』というアルバムを作ってから10周年を迎えた年にライブをやろうかという話が出て。それで、2019年に正式なソロライブというのを初めてやったんですけど。それに合わせて作ったのかな? あんまり憶えてないんですけど。
――コンポーザーに加えて、ギタリストとしての意識がすごく高まっていた時期でもあったんじゃないですか?
ああー。BAROQUEの初期やkannivalismの頃は、ギターに自分を投影するというのはそんなになかったんですよ。もっと自分はコンポーザーという立ち位置だったので。
――ギタリストではあったけれども。
ステージでは動きやすいフレーズしか弾かなかったりして、パフォーマーみたいな感じでしたからね(笑)。だけど、2人体制になるとシンガーとギタリストだけなので、各々の表現がないと成立しないと思ったんですよ。そこで初めてギタリストとしての自分を構築し始めたんですよね。自分の好きなギター、自分らしいギターってなんだろう?というのを。
――なるほど!
『4 deus.』はギターで自分を描くとこうなる、というところから始まったんだと思います。
――このギターインストで自分を表現するというスタイルは、現在のソロにおける歌ものとギターインストを組み込んだライブスタイルにも。
つながってますね。ここで自分のギターというのが確立できなければ、いまのソロも、歌も歌ってギターも弾くというスタイルにはなってなかったかもしれないですよね。『4 deus.』の後に出した『utopia.』という作品も、『4 deus.』がなければ作ってなかっただろうし。そう考えると『4 deus.』も自分のソロの起点となってますね。
――ですよね。そうして、2人になったBAROQUEでは、アルバムを3枚作ったらなにかすごいことが起こるんじゃないかと。
当時インタビューでよく言ってましたよね。アルバム3枚作り終えたら、信じられないことが起こるんじゃないかと。
――そうしたら、それが怜さんの引退という。
本当にまったく予期せぬ、信じられないことが起きてしまいました。
――その後、1人になってからはギタリストでありながらステージのセンターに立ってボーカルも担うという、さらに信じられないことが起こりました。
そうですね。
――そうして、8月12日にはそんな[ kei ]さんがソロでLINE CUBE SHIBUYAに立つという、さらにとんでもないことが起こる訳ですけど。
ちゃんと成立するのかな?と思ってますけど(笑)。でも、本当に不思議だなと思いますよ。なんなんでしょうね。こんなことになるなんて、想像もしてませんでしたから。
――それこそ[ kei ]さんの曲じゃないですけど「MIRACLE」ですよね。
メンバーとか、どのタイミングなのかは分からないけど、自分と出会って愛してくれたファン、スタッフとの出会いとか。その一つひとつがいまの自分を形作っているんだと思うんですよ。すべてが必要なことで、自分の財産みたいなものだと思うんですけど。その一つひとつがあったからこそ、いまこうして自分は1人で音楽をやらせてもらえてる。[ kei ]の活動は、いい意味で本当に自発的ではなかったんですよ。コロナ禍があって、BAROQUEからは怜が引退してしまい、バンドが休止してしまった。そのときに、人としてバンド休止で傷ついてしまったファンの人たちに俺は何ができるのか? 自分ができることを探していった結果がいまの活動なんです。
――そうだったんですね。
だから、いまの自分はファンの人たちに形作ってもらったという気がしています。昔と全然違うところは、等身大の自分と求められてる自分が噛み合わない10~20代があったという話をしたじゃないですか。それを考えるのをやめようと決めたのが30代、BAROQUEが2人体制になったときで。そこからは自分が心の底から良いと思ったものを表現しようと決めた。それで離れた人もいるだろうし、途中で出会った人もいると思うんだけど。そのなかで、すごくファンの人と自分が“良い”と思うものがどんどん一致していって、僕の最大の理解者になっていったんですよ。だから、もうどんなものを自分が表現しようが受け入れてくれる。むしろ、次はどんな新しいものがくるのか。そういうものを待っててくれているという信頼感があるから、昔のようにファンと自分が乖離するんじゃないかという怖さ、不安はなくて。2人になったBAROQUEの後半ぐらいからは、音楽活動をするにあたってすごく安心感をもって、自由に自分を表現できるようになってきていたんですね。だから、いまは本当にファンは誰も傷つけることなく、自分ができる最高値をやらせてもらっているという感覚。だから、いまは自分が最高に頑張らないとお客さんを喜ばすことはできないんですよ。
――表現者として自分の最高を常に更新していくことが、いまはお客さんを喜ばせることにつながると。
そうですね。自分が心の底から良いと思う作品を作るということに誠実になる。自分が生きていて、誰かの役に立てるとしたら、それしかないんだなと思って。すべてをさらけ出したり、本当の自分であること。そこを誠実にやってないと、見抜かれちゃいますから。ファンの人たちに。
――最大の理解者だからこそ。
そうですね。
――LINE CUBE SHIBUYAはどんな気持ちでステージに立とうと思ってますか?
ありのままで(微笑)。バンドをやってる時代は、一人でやるなんて到底無理、そんなことできないと思っていたんですけど。ファンの人たちに後押しされて、いまは自信を持ってステージに立てているので。当日は、本当に究極の素の自分だと思います。
――緊張はしないんですか?
しないですね。ソロをやりだした頃は、1人でやるライブなんてどうしていいのか分からなくて緊張してましたけど、いまは究極の素なんで、ステージに立ってた方が落ち着くし。そこにいるのが本当の自分だなと思います。
――どんなライブにしたいと考えていますか?
いい意味で別にないです(微笑)。40歳になるとか、アニバーサリー的な日ではあるんですけど。自分を飾るための日でもないし。でも、このタイミングでこんな挑戦をさせてもらえるというのが、自分は幸せだなと思いますね。興行的に上手くいくのか?とかありますけど、それ以前に、こういう挑戦ができる状況になったこと自体が不思議だなと思うんです。事務所から独立して、ソロアーティストとして腹をくくって今後やっていくんだとしたらここで大きな変化がないと、この先なにも起こらないんじゃないかと思って。それで、会場を取れるかどうかも分からないのに、思いつきで申し込んだら抽選に当たって、偶然やれることになった。これでやってみた結果、1人じゃできないなと思うのかもしれないし。また、違うことを思うのかもしれないし。本当に賭けみたいなものだから、自分でも興味深いですけどね。
――BAROQUE時代、kannivalism時代の姿しか知らない人には、いまの[ kei ]さんのステージをどんな風に観てもらいたいと思っていますか?
もう何年も観てないとか、子供の頃に好きだった人とか、いろんなタイミングで出会った人、みんなに来て欲しいんですけど。観たら、全然変わってないと思うんです。
――えっ! いまは歌ってますよ?
歌ってますけど、音楽でしか自分を表現できなくて、こういう世界でしか生きられないからチャレンジをする自分。そこは、昔からまったく変わってないと思うので。10代の頃にメジャーデビューして、当時は“あんなガキに何ができんの?”って言われていたと思うんです。今度、自分は40歳になるんですけど、“40歳で新しいことに挑戦? もうおっさんなのに”って言われるかもしれない。けれども挑戦する。自分が生きるために。時代ごとに、武道館をやったあとの自分、kannivalism、BAROQUEを再び始めたときの自分、挑戦した壁は同じじゃないけど、そこに向き合っていく自分のスタンスはまったく変わらないから。表現方法は変わっても、まったく同じ魂で向き合ってる自分の姿を見て欲しい。最近僕の音楽を聴いて知ってくれた人はもちろんですけど、昔どこかで出会ったことがある人にも観に来て欲しいですね。
取材・文=東條祥恵 撮影=大橋祐希
ライブ情報
Bass 高松浩史(The Novembers/Petit Brabancon)
Drums 植木 建象
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