髙木竜馬、今こそ“挑戦”の姿を 全国7都市をめぐるツアーは「魂の奥底を揺さぶる特別な演奏会に」
-
ポスト -
シェア - 送る
ピアニスト髙木竜馬が2025年3月~4月にかけて全国7都市を巡るリサイタルツアーを行う。昨年(2024年)4月にデビューアルバムをリリースし「30年間の節目になる集大成であり、同時にこれからの長い音楽人生の始まりの一歩」(https://spice.eplus.jp/articles/328182)と語っていた髙木だが、その言葉通り、2025年最初のツアーは新たに取り組む作品を中心に「挑戦」のときを迎える。髙木にリサイタルへの想いを聞いた。
”自己紹介”から”挑戦”のフェーズへ
――今回のリサイタルのプログラミングに込めた思いをお聞かせください。
デビューしてからのこの数年間は自己紹介の期間と考えていたところもありまして、数多くの演奏機会を経て自信を持って演奏できる作品を主体にお届けしてきました。今後のリサイタルでは”挑戦する姿”を皆様に見届けて頂きたいという強い思いもあり、新しい作品を中心に演奏活動を展開していきたいと考えています。
なので、今回予定している曲目は多くが初挑戦の作品となるわけですが、初めてお越しいただく方もいらっしゃると思いますので、今までにも弾き続けてきたショパン「幻想即興曲」やシューマン=リスト「献呈」など、少し聞き馴染みのあるものも合間に入れて全プログラムを構成しています。
――前半は冒頭にジロティ編曲による「前奏曲 ロ短調(平均律クラヴィア曲集 第1巻 第10番 ホ短調 BWV855)」、締めにブラームス編曲による「シャコンヌ」と、バッハのトランスクリプション作品が二題が置かれています。
今まで演奏会ではバッハ作品に取り組む機会がなかったのでトランスクリプションではありますが、全体像を構成する軸になっていると思います。
――後半最後はプロコフィエフの最高傑作の一つ「ピアノソナタ 第8番 変ロ長調 作品84」でプログラム全体を締めくくると。
プロコフィエフの「ピアノソナタ 第8番」は音楽史に残る傑作で、作品の規模感といい、内包している世界観といい圧倒的にスケールの違いを感じます。ずっと挑戦したいと思っていた作品で、これ以上先延ばしにするのはどうかなと思い、今回挑戦することにしました。
前半ラインナップは、静粛で神秘的な心の奥底への旅路
――冒頭のバッハ=ジロティ「前奏曲 ロ短調」は“前奏曲”という性格もあり、演奏会の方向性を告げるような特別な意味合いがあるのでしょうか?
原曲のJ.S.バッハによる『平均律 第10番 ホ短調』ももちろん素晴らしい曲ですが、個人的にこのジロティの編曲作品に特別なスゴさを感じています。トランスクリプション技法としては、原曲の左手のパッセージがジロティ作品では右手に移されていて、右手のメロディはハーモニーとして取り入れられています。一見するとかなり類似しているようにも思えますが、原曲のホ短調とジロティが試みたロ短調では悲しみの重さが根本的に違います。
ロ短調はバッハの最高傑作である「ロ短調ミサ」でも用いられるなど、厳粛で精神性の深さを感じさせる調性なのですごくインパクトがありますね。祝祭的な幕開けというのとは程遠く、心の奥底に沈殿していく世界観に入って頂くための導入と考えたら、今回のラインナップの冒頭にこの作品を置くのは意味あることと捉えています。
ジロティはラフマニノフの従兄で幼少期から彼の教育にも携わっていた人物なので、その後に演奏する(ラフマニノフの)前奏曲への繋がりもあり、さまざまな思いがこもった一曲目です。
――ラフマニノフは髙木さんにとって重要な作曲家の一人ですね?
ここ数年ラフマニノフの前奏曲と(後半一曲目にも予定されている)ドビュッシーの前奏曲演奏をライフワークにしていてリサイタルでは毎回抜粋していくつかの作品に触れています。
――“前奏曲”というジャンルに惹かれるものがあるのでしょうか
ラフマニノフはもっとスケールの大きな作品をたくさん書いていますが、彼の”前奏曲”というジャンルには数分に満たない中に人生が俯瞰されているような曲もあれば、自然を描写したような曲もあり、それぞれにカラーがあってさまざまな景色や人生観が感じられます。今回演奏する二作品が納められている「前奏曲集 作品23」は「ピアノ・コンチェルト 第2番」や「チェロ・ソナタ」などの創作も経た時期で十分に書法が洗練されていて内容的にもかなり充実したものが感じられます。
――作品23-10は変ト長調という少し特殊な調性ですが。
浮世離れした感じですよね。この調性が織りなすものはとても神秘的で「作曲家は一体何を思ったのだろう?」という問いに対して正解はないようにも思えます。その時にどういう風景が浮かぶかというのは、お客様それぞれにとっても違うと思うので、多分、この曲を聴いている時に浮かんだ風景が、もしかしたらそれぞれの方が持っていらっしゃる心の中の原風景なのかもしれないとも思っています。なので、聴衆の皆様にはぜひ当日、心の描写や機微を楽しんでいただけたらと思います。
「今、向き合うことに意義がある」一曲
――前半を締めくくるのは、ブラームスによるJ.S.バッハ作品のトランスクリプション『左手のためのシャコンヌ』です。20分近い長尺な上に左手だけで演奏する訳ですが……。
この曲は「ピアノのための5つの練習曲」の1曲として作曲されました。ブラームスはとにかく練習法を生み出す天才だったと言われていて、僕もその練習法を積極的に取り入れています。なので“練習曲”というかたちを取られると、こちらとしては無条件に演奏意欲が掻き立てられるんです(笑)。
――トランスクリプションながら原曲にかなり忠実ですね。
だから、ブラームスはあえて両手作品にしなかったと思うんです。両手にしちゃうとブゾーニが編曲したもののように、原曲の曲想から少し離れたような作品になってしまうと。
――象徴的に左手のみでの演奏というわけですね。
そのような意味ではブラームスの作品へのリスペクトがものすごく感じられます。その旨はブラームスも実際に述べており、クララに宛てた手紙の中で『このシャコンヌは、最も驚くべき、そして計り知れないほど深遠な作品の一つである』と最上級の敬意と賛辞を送っています。これは僕の主観ですが、ブラームスはもっとやろうと思えばより複雑に派手に技法を駆使できたと思うんですけど、古今東西のあらゆる作品の中で最も意義ある作品の一つであるこの大バッハの「シャコンヌ」に対しては原曲の真意を曲げることなく、より純粋にその作品のすごさとエネルギーを後世に伝えたかったのだと思います。
――そのような作品を前にしてどんな思いを抱いていますか。
もちろん畏怖の念はあります。音楽的なことを考えると、もちろん技術的にも精神的にもですが、険しい数千メートルの山を一人で孤独に登る。あるいは、キリストのゴルゴダの丘じゃないですけれども、死を間近に感じながら十字架を背負い、その重さを踏みしめながら止まることが許されずに歩んでいく……というような、一種異様な世界観があると感じています。だからこそ、今、勉強することにすごく意義があると思っていますし、この曲に向き合うことで自分の持っている世界が変わって、一つ殻がむけるんじゃないかという希望的な思いを抱いています。
壮大な物語とスケール。愛してやまない曲を携えて
――後半はドビュッシー『前奏曲 第一集』から「沈める寺」です。
この作品はブルターニュ地方の伝説で海底に沈んでしまった街をめぐるケルト神話にもとづいています。かつて、伝説上で存在したイス(Ys)という街に大聖堂があったのですが、住民の不信仰のせいで大伽藍が海に呑み込まれてしまう。ところが、人々への見せしめのために時折、海上に浮かび上がるかと思うとまた沈んでゆく……というような教訓的なストーリーなんです。
全編的に和声を主体にした響きが特徴で、大寺院が海底に沈んだ後でもなお鐘の音が余韻のように聞こえたり、“沈める寺”というとどこか静かなイメージがありますけど、むしろ僕の中ではアトランティスの物語的な壮大なものを感じています。10分弱ある曲なのですが、ドビュッシーがそこに証人としてたたずんでいたんじゃないかって思うくらい、ストーリーの内容を見事に描写しているんです。聴き手の皆さんも映画を見たような感覚に襲われるのではないかと思います。
――そして後半の二作品目はプロコフィエフの「ソナタ 第8番」ですね。いわゆる“戦争ソナタ”と呼ばれる三作品(第6・7・8番)についてはどのような理解をお持ちでしょうか?
僕自身の中では、第6番は戦争前夜の恐怖が感じられ、一触即発の緊張感というのでしょうか、人間の生存本能から来る血のたぎりみたいなものを感じています。
一方、第7番における各楽章描写はまさに戦争真っただ中という凄惨な光景ですよね。戦争そのもののシーンが描かれている。爆弾も落ちれば戦車も現れ、銃を撃つ音も傍で聞こえます。しかも戦地だけではなくて、銃後で生きる人々の合間でも闇夜の中にいつ爆弾が落ちてくるかわからない恐怖だったり、そういった時に走馬灯のように幼少期の幻影風景みたいなものが夢うつつに見えてくる……など様々な事柄を内包しているように思えるんです。
第8番について、これは個人的な解釈なんですけど、戦争が終わった後の虚無感というのでしょうか、映画でもよくありますよね、戦いは終わったけれどもPTSDに苛まれ、その人の中では永遠に戦争は終わらない、終わらせることができない、記憶として残り続けるものがある……。人間の感情の中に刻み込まれた一言で片づけられない何かが。もちろん痛みや苦しみがベースになっていて、それがトラウマなのか幻覚なのかは僕にはもちろんわからないのですが、何か人々の心の奥底で蠢(うごめ)くものを追っていってるな……というように感じるんです。
――コンチェルトにも匹敵するようなスケール感がありますが、この作品の真の難しさをあえてあげるならば、どのようなところにありますか?
全編を通して技術的にも精神的にも想像を絶するものがありますが、第三楽章は本当に傑作ですね。フィナーレ史上一番の傑作と言ってもいいのではというくらいスゴい作品です。展開部が驚異的にピアニスティックに書かれていて、ものすごいうねりで、驚くほどに盛り上がりを見せる。そして、続くあのクレイジーなコーダは、あれこそ演奏不可能と言っても言い過ぎではないですね。本当に大きな挑戦です。
――最後にファンの皆さんにメッセージをお願いします。
今回初めて弾く曲がほとんどですが、愛してやまないこれらの曲を携えて全国7都市をめぐります。初めて伺うホールもあれば、いつもお世話になっているホールもあり、それらの場所でこのプログラムを演奏させていただけるのは本当に楽しみです。この精神性の深い作品たちを通じて魂の奥底を揺さぶる何か深いものまでも共有する特別な演奏会にできたらと思っています。ぜひ各都市の各会場にお越しいただけたら嬉しいです。皆さまをお待ちしております。
取材・文=朝岡久美子 撮影=岡崎雄昌
公演情報
2025.3.12(水)18:15 開場 19:00 開演 東京オペラシティ コンサートホール
2025.3.14(金)18:15 開場 19:00 開演 サントリーホール 大ホール
ピアノ:髙木竜馬*
ウェーバー/歌劇『オベロン』序曲
ヒンデミット/ウェーバーの主題による交響的変容
〈ヒンデミット生誕130年〉
指揮:小林研一郎[桂冠名誉指揮者]
ピアノ:髙木竜馬 *
ナビゲーター:朝岡 聡
グリーグ:ピアノ協奏曲 イ短調 op.16 *
ドヴォルジャーク:交響曲第8番 ト長調 op.88 B.163