2003年生まれの注目シンガー・Broken Kangarooが1stミニアルバム『Sirius』で超えた次元と他者との境界ーー「楽曲は自分の日記や手紙であると同時にプレゼント」
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夜空に浮かんだ月を眺め、誰かに想いを馳せる。夜空を、あるいは大切な人を想う行為を通じて、遠い距離がなぜだかなくなったように思えていく。2003年生まれのシンガー・Broken Kangarooが2月26日(水)にリリースした1st ミニアルバム『Sirius』は、宇宙の壮大さと自己存在を対比させながら、距離や次元を超越した愛情や居場所を求める道のりを描いた1枚である。4歳の時にバイオリンと出会い、音楽を始めたというBroken Kangarooこと、竹内羽瑠が抱き続けてきた孤独感。自戒を綴った楽曲たちが共感を呼ぶ中で、芽生え始めた広く音楽を届けることへの責任とようやく繋がり始めた社会。本作を皮切りに赤裸々な姿を提示するようになった彼が今、踏みしめる場所を問う。
劇判からバンドへ。自戒を込めたBroken Kangarooの音楽の原点
――まずは、竹内さんと音楽の関わりについて伺わせてください。プロフィールには4歳の時にバイオリンを教わり始めたことで音楽と触れ合ったとありますが、バイオリンのどういった部分に魅力を感じていたんですか。
僕がバイオリンと出会ったキッカケは姉の付き添いで通っていたピアノ教室でした。最初は僕もピアノを習っていたんですけど、集団でレッスンを受ける形式が合わなくて、隣の教室で開かれていた個人レッスンのバイオリン教室に魅力を感じるようになって。そういうレッスン形態の合致もありつつ、昔はメロディーを重視して音楽を聴いていたから、ピアノよりも主旋律を奏でることが多いバイオリンに惹かれていきました。
――集団に馴染めない感覚はBroken Kangarooの楽曲にも通底しているものだと思うのですが、集団レッスンのどういった部分に苦手意識を抱いていたのでしょう。
机を並べて先生の話を聞くスタイルそのものに対して落ち着けなかったから、幼稚園の頃はクラスを抜け出してしまうこともあったらしくて。集団の一員としてみんなと同じ行動をとることから逃げ出したいと強く思っていたんじゃないかなと。逆にバイオリンは和音を奏でる必要もなかったので、1人の先生と一緒に1つの音と向き合うことができた。その一対一の関係性がしっくりきていましたし、信頼できる人のいる場所に巡り会えた感覚がありましたね。
――その後、中学で劇判を制作し始めたとのことですけど、こちらはどのようなキッカケで?
当時は映画の劇判にハマっていたこともあり、バイオリンとは関係のないところで、映画を撮りたいと思っていたんです。そうした中で、中学2年生の時に映画制作のワークショップに参加したんですが、そこで劇判を作る必要があって。その時、全く別のところに存在していると思っていた音楽と映画が結びついて、自分がやってきたバイオリンが初めて生きたんですよね。そこまでの音楽経験で張られていた伏線が回収されるというか、今までやってきたことが報われた瞬間だった。その体験で、大人数ではなく、少人数で一緒に音楽を作り上げたいと思うようになったんですよ。
――中学校2年生のタイミングで映画監督の夢とやってきた音楽が結びついたとお話いただきましたが、どこかの時点で映画以上に音楽やバンドが優先になったということですよね。その分岐点はいつだった?
中学校3年生の時、劇判を作った友達と一緒にバンドを結成したのがキッカケだったと思います。そのバンド名がBroken Kangarooだったので、間違いなく今に繋がっているわけですけど、当時から「これを自分の表現として一生やっていきたい」と確信している部分があった。というのも、初めて恋愛を経験して歌詞を書くようになったことが大きかったんですよね。これまでは言葉のない音楽をやってきた分、ずっと抱えてきた集団に対する恐怖や大切な人に対して生まれた愛情を表現するのが難しかった。でも、バンドであれば、歌詞という形で音楽の中に言葉が入ってくる。そうやって伝えたい思いをきちんと表現できるスタイルが僕にとってはバンドであり、ロックだったんです。
――もともと目指していらっしゃった映像の分野でも、例えば台詞に自分の言葉を仮託する形で思いを残すこともできるわけで。それでも、音楽を選び続けてきたのはなぜだとお考えですか。
音楽は自分の感情を表現するまでの期間が短いんですよね。例えば同じ感情を起点にした作品であっても、映像だと長い時間がかかる一方で、音楽であれば早く1つの作品に落とし込むことができる。そういう即時性じゃないですけど、自分の考えに都度都度名前を付けて保存できる点に魅力を感じているんだと思います。
――感情に名前を付けているとおっしゃっていただいた通り、Broken Kangarooの音楽は描写したい光景や心情に対して音楽を対応させている側面を持ち合わせていると受け止めています。そうした中で、主観的な表現に傾倒するわけではなく、客観的な描写を織り込んでいると思うのですが、主客のバランスに対してはどのような意識をお持ちなのでしょう。
そうやって評価していただけて有難いんですけれど、自分の中ではむしろ課題にしている部分なんです。ここまで自分の人生を喋らせてもらっている中でも、やっぱり僕はエゴが強いし、自分中心の考え方で生きてしまっている部分があって。だから、僕にとって主観的な要素を描くことは、戒めというか、許しを請う作業なんですよ。自分の感情をきちんと書くことで、自分が傲慢な人間であることと向き合っている。とはいえ、客観的な視点に寄りすぎてしまうと、作品の中に自分がいなくなってしまうじゃないですか。それは表現から逃げていることになると思うので、きちんと自分を主軸にした上で客観的な描写をしたいなと。
――自分を作品に組み込むことで、客体として捉えている感覚?
それはかなり大きいと思います。僕の言葉と視点で自分の話を書くことには恥じらいもありますけど、作品に鏡のような役割を持たせることで、きちんと反省をして前に進んでいける。それと同時に客観的な視点を織り込むことで、自分と社会を関わらせているんじゃないかな。
宇宙と自己を対比させた1st ミニアルバム『Sirius』で描く、居場所を見つける旅路
Broken Kangaroo - Sirius(Album Teaser)
――2月26日(水)に1st ミニアルバム『Sirius』がリリースされました。リバーブ感の強い壮大さが印象的な「Sirius」から四畳半フォーク的な香りが漂う「演劇」へ繋がる流れをはじめ、楽曲のスケールの緩急が印象的な1枚だと感じています。具体例を出すとコールドプレイの『Moon Music』や映画で言えばクリストファー・ノーラン監督の『インターステラー』とも重なるイメージを受けたのですが、改めて本作を振り返って、竹内さんはどのような作品になったと受け止めていらっしゃいますか。
おっしゃっていただいた通りの作品から影響を受けていますし、サウンド面に関して言えば、ブライアン・イーノのアンビエントな温度感や『インターステラー』の劇判を担当しているハンス・ジマー、ルドウィグ・ゴランソンの立体的なスケールを保ちながら、音だけで宇宙や感情を表現する手法は念頭にありました。あとは、自分のルーツを示したかったから、小さいころから聴いてきたUKロック的な空間の広がりを意識した一方で、アコースティックな楽曲ではスケールや憧れから少し離れて本当に自分から生まれてくる音を表現したかったんですよね。広く響く音と自分の近くで鳴っている音の色分けができた1枚だと思っています。
――広く響く音は宇宙の壮大さと、身近な場所で鳴っているアコースティックな楽曲は竹内さんのパーソナルな部分と呼応しているとのことですけど、1つのテーマとして宇宙を取り上げたのはなぜだったのでしょう。
それこそ、クリストファー・ノーラン監督からの影響は大きかったですし、自分が映画を観るようになったキッカケが『スター・ウォーズ』だったことも1つの理由でした。自分のルーツや劇判からの影響を表現するのであれば、宇宙をテーマにするしかないと思った。同時に、僕は幼少期の頃から居場所というか、心の底から「ここにいたい」と思える場所をずっと探していたから、人生のテーマが「探す」なんだと感じていて。それを宇宙の旅と重ね合わせることで、自分が誰かを愛する場所や愛される場所を見つける旅の始まりを表現したかったんです。
――誰かを愛し、愛される場所を求める旅を「宇宙」と重ねたとお話いただいたように、本作は宇宙をテーマとしながらも、愛を探すことが作品の中心を貫いているじゃないですか。そうした愛を求める感覚と宇宙を照らし合わせていった理由は?
そもそも天文学やSF作品って必ず愛がどこかにあると思うんですよ。『インターステラー』や『スター・ウォーズ』は確かに壮大な物語ではあるけれど、誰かと誰かの愛が何億光年を超越することを描いてもいる。宙を見上げることが誰かを想うことになったり、「月が綺麗ですね」の言葉が愛を伝える台詞になるのも、宇宙に想いを馳せることと近くにいる誰かを愛することが似た行動だからだと考えていて。そう思うと、遠い存在に感じる宇宙も実は身近な気がしたんです。それはきっと、愛情も同じで。遠く離れてしまった存在は、もしかしたら何よりも近くにいる身近な存在になるのかもしれないと思えた。そういった部分で宇宙と愛は共通しているんじゃないかなと。
――アルバムを締めくくる「万有引力」は、遠くへいってしまった存在と隣にいる存在は変わらないのではと考えた内容が昇華された1曲です。今おっしゃっていただいたような愛情に対する考えが芽生えたキッカケは何だったのでしょうか。
自分が小さい頃から一緒に暮らしていた愛犬と死別したことがキッカケでした。火葬した愛犬の煙が空に昇っていく様子を眺めているうちに、この世界から消えることと二度と会えないほどに遠い場所へ行くことの違いを考えるようになって。もしも凄いスピードで自分から離れているのだとしたら、どこかのタイミングで光の速さを超えて、時間も距離も超越して自分の隣にいると思っても良いんじゃないかと考えたんです。そうした中で、重力でこの地球に立っている僕たちと、引力に逆らって空へ昇っていく煙のそれぞれから万有引力を強く感じたので、今回のタイトルに至りましたね。
――「万有引力」の冒頭では<秋が落とす葉に手を伸ばして この世界との約束を今だけは 破らせてよ 見逃してくれ>と死別に対してあがこうとしていますが、後半では<春に育つ葉に手を伸ばして 生まれ変わった君にまた会えるなら>と生まれ変わりや次の命に対する期待が綴られていて。死別の悲しみを受容できたからこそ、こういった歌詞を書くことができたのかなと。
悲しみを悲しみのままで終わらせたくない思いが強いんです。生きていく中で苦しいと思うことが多い分、楽曲くらいは前に進んでいけるものにしたいし、そういう作品を生み出していく中で自分自身も前を向ける気がしていて。やっぱり自分の作品を通じて誰かが明るい気持ちになってくれたら嬉しいので、「こうやってその悲しみを乗り越えたらどうかな」と提示する感覚があるかもしれない。
音楽で自分の気持ちを叫べるようになって、ようやく誰かと話せるようになった
――2022年3月のインタビューでは、「自分の作品がどのように世界と繋がっていけるのかが分からない」といった旨を語っていらっしゃいましたが、今のお話にはBroken Kangarooの音楽を通じてリスナーとどう繋がりたいかが表れていたと感じました。竹内さんの中でお客さんや外に対する意識はどのように変化していますか。
自分1人で完結していた音楽を世の中に発表し始めた時は、正直なところ、どうやって自分の作品が届いていくのかが見えていなかったんですよね。でも、SNSでメッセージを貰ったり、反応をいただくうちに、こうやって自分の楽曲が届いていくんだと認識することができた。もちろん、自分のやりたい方向性の音楽を実験的にリリースしてみて、なかなか上手く刺さらないこともあるんですけど、こうやって届くものを探していくことや作っていくことに今は強く意味を感じていて。これまでは自分の作りたいものを変えることに抵抗があったし、やりたいことを100パーセント出し切りたかった。でも今は、誰かに聴いてもらうことで初めて作品が作品になるんだと思えているんです。楽曲は自分の日記や手紙であると同時にプレゼントだと考えられるようになったから、きちんとラッピングしたいなって。
――メロディーが弾きたくてバイオリンを選んだという話から始まり、これまでは竹内さんが抱えるある種のエゴイズムの表出が音楽だったと思うんですよね。でも、活動を続けていく中で、それ以上に誰かに届けることを重視できるようになってきた。
その通りです。とはいえ、たくさんの方からいただく嬉しいメッセージに応えたい気持ちがありつつも、まだ自分のエゴが残っていると感じていて。今日お話したように自分は小さい時から社会に馴染めなかったわけですけど、当時は自分が自分を愛することができるなら明日を生き抜けたと思うんです。でも、大人になるにつれて、自身の嫌な部分や好きになれないところが見えてくるじゃないですか。それでも誰かから愛されたいと考える中で、唯一誰かから思ってもらえる手段が僕にとっては音楽だった。誰かに届く作品を生み出すことで社会と繋がることができて、音楽が受け入れられることで僕自身も受け入れられる気がする。誰かに届く作品を作れないと愛してもらえる根拠や確証がないから、多くの人に届く音楽を生み出したい。誰かに認められたいという思いは、心のどこかで抱え続けているんですよ。
――エゴを抱えながら、広く届く音楽を模索していると語っていただきましたが、「万有引力」の大部分は手紙的な歌詞になっていると思うんです。その中で<「大丈夫 愛は 次元を越えるから」>の一節だけは鉤括弧で括られた引用の形式をとっていて、メタ的というか、客観的な次元の歌詞になっている。ここに主観を突き詰めた結果到達した普遍的な真理を見出せる気がしたのですが、このラインを書くことができたのはなぜだったのでしょう。
先ほど言ったように、次元を超えることによって遠く離れた存在であっても隣にいると解釈する考えが前提にありながら、沢山の作品を体験する中で、自分と近しいことを考えていた人が沢山いるんじゃないかと思ったんです。愛を通じて、あの世に行ってみたり、いつもと違う世界に行ってみたりと、各々がそれぞれの乗り越え方をしていた。その中で、気持ちは次元を超えるからこそ、どこにいても繋がっているんだってことを昔の人たちも考えてきたはずで。だから、この歌詞は自分だけの結論じゃなくて、自分と似たような経験をした人たちみんなの結論になっているんですよ。そういう意味も含め、この言葉を独立させました。
――先人たちが考えてきたことと竹内さんが抱いてきた感情がリンクするのではと考えたことで、1つの総括としてこの歌詞を独立させたと。
格好良く言っていただくと、そういうことかも。歌詞を書くようになってから届けようとする気持ちが強くなっていきましたし、ここで言っている「次元を超える」って、きっと自分の中のハードルを越えることでもあるんですよね。幼い時から僕は自分の気持ちを上手く言葉にできなかった分、誰かを傷つけてしまうこともあった。だけど、楽曲を作ることで、表現力やコミュニケーション能力が足りなくて超えられなかったボーダーを超えていけるようになってきていると思うんです。
――歌詞を書くことによって、自己と他者の境界を超えることができるというか?
そう、それこそ先人たちが考えてきたことも含めて、人の気持ちが理解できるようになってきていて。小さい頃から自分だけの世界でもがいていたから、ある意味で僕は別の次元を生きてきたのかもしれない。でも、音楽で自分の気持ちを叫べるようになって、ようやく誰かと話せるようになったんですよね。
――『Sirius』で宇宙の広大さと自分を対比できた理由も、おっしゃっていただいたような、他者や周囲とのボーダーを意識するようになったからなのかなと。自分だけの世界に籠っているだけでは、きっと自分と何かを比較したり、他者とのボーダーを超えようとも思えなかったわけですし。
確かに、自分と世の中の切り分けができるようになったんだと思います。というのも、学校に行かなくなって、こうあるべきだと考えられている社会のレールから外れた時に、本当の意味で自分を認識できたというか。1人の時間が増えるのに伴って、考え事をする時間も増えたけれど、それでも悩むことから逃げなかった。その結果、自分と社会や世界の関係性を見つけることができたんですよ。もちろん、レールから外れた時は宇宙で1人ぼっちみたいな思いになりましたが、そこで自分を客観視したいと思えた経験が大きかったんじゃないかな。
――今日のお話を通じて、Broken Kangarooは竹内さんの世界で鳴っている音楽からみんなの世界に届く作品へ移り変わっている最中だと感じています。ライブ活動も本格化していますが、この先どういったアーティストになりたいですか。
僕が音楽をやっている理由は、今日お話しさせてもらったみたいに、自分を受け入れるためだったり、作りたいものを追求した先にある理想の自分を掴むためだと思うんです。だからこそ、そこからは逃げたくないですし、『Sirius』を皮切りに居場所を求めて旅する自分の姿を取り繕ずに見せていきたい。まだまだ音楽的にやりたいこともありますし、逃げずに綴りたい言葉もある。そういうことを後悔なく出し切れたらと思っています。
取材・文=横堀つばさ
リリース情報
2025.02.26 RELEASE
https://friendship.lnk.to/Sirius_bk
TRACKLISTING:
1.Sirius
2.演劇
3.WOLF MOON
4.Interlude: call
5.Muse
6.BUTTERFLY TATTOO
7.千載一遇
8.万有引力
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