石井琢磨、5年分の感謝を込めて。「TAKU-音 TV」開設5周年アニバーサリーツアーを完走! 活気にあふれた満員御礼のサントリーホール公演をレポート

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2025年6月のベルリンフィルハーモニーホールでのデビュー公演で大成功を納め、飛ぶ鳥を落とす勢いで躍進中のピアニスト石井琢磨。今年「TAKU-音 TV (たくおんYouTubeチャンネル)」の開設5周年を記念して、8月2日(土)静岡・三島市民文化会館 大ホールを皮切りに『石井琢磨 ピアノリサイタルツアー 2025 たくおん 5th ANNIVERSARY』をスタート。9月21日(日)宮城・電力ホールにてファイナルを迎え、全国9都市を巡るツアーを完走した。8月27日(水)、サントリーホールを満席にした東京公演の模様をお伝えする。


6月下旬に日本で開催されたベルリン交響楽団との凱旋公演において抒情性あふれるシューマンのピアノコンチェルトを弾きあげ、満場の客席を魅了したピアニスト石井琢磨。その鮮烈な記憶も新しいが、2020年から投稿をはじめた「TAKU-音 TV(たくおんYouTubeチャンネル)」が今年5周年を迎え、アニバーサリーのリサイタルツアーを敢行中だ。8月27日、東京・サントリーホールで開催された東京公演は見事に満員御礼の活況ぶり。公演開始前の影アナも石井自身が買って出るなど相変わらずのサービス精神にステージ開始前から会場は活気にあふれていた。

石井の登場を心待ちにする客席の熱気が漂う大ホール。石井がいつものように蝶タイとシックな格子柄のスーツに身を包み颯爽と登場。ステージ上に“たくおん”がリアルに現れる喜びは聴衆にとっても時めく瞬間だろう。

声援に応えつつ、第一曲目 シベリウス 「10の小品」から「ロマンス 作品24-9」。冒頭から繊細な抒情性と研ぎ澄まされた美音で客席を包み込み、石井らしい世界観を披露。左手のメロディラインの美しさが次第に右手のそれへと変わりゆくとともに、中間部ではダイナミックレンジの幅広さで惜しみなく内面の想いを客席に届ける。愛おしむように心を込めて歌い上げるロマンティックな旋律とともに石井の感謝の気持ちと音楽に対する深い愛情がストレートに伝わってきた。客席に問いかけるように終わる最終節は、つぶやきのようにも取れ、まるで客席と対話をしているかのようにも感じられた。

シベリウスを弾き終え、マイクを持つと石井は今回のツアープログラムが「たくおんTV」で過去5年にわたって取り上げてきた作品で構成されている旨、解説を加える。

二曲目はラフマニノフ「パガニーニの主題による狂詩曲」から第18番。誰もが知るこの一曲をラフマニノフのメロディーメーカー的なロマンティックさだけではなく理知的な余裕すら感じさせていたところが石井らしい。

三曲目 フランク「前奏曲」、「フーガと変奏曲」。ピアノのレパートリーの中でもかなり渋い玄人向けの選曲ゆえに、演奏前に自ら作品について解説。フーガというものの意味や循環形式というものが取られた有機的な構成の妙についてもわかりやすく説明を加え、連続的に演奏される前奏曲―フーガ—変奏曲がどれもメインディッシュ級の規模と重みを持つことにも言及。

前奏曲ではフランクという作曲家の持つ孤高な音の世界を、しかし高ぶることなく純粋に敬意を表するかのように厳かに奏でる。コラール・フーガと進みゆく形式の変化に応じて、次第にみずみずしい音色を保ちながらも精神性を湛えた重厚感を燻らせ、オルゲル・プンクト的な和声感も近代的ピアニズムの美しさと見事に融合させ、均整のとれた美学を感じさせた。
古典的な静謐さから盛期ロマン的なパトスの高まりを徐々に聴かせる見事な構成感、そして、移調しながらも何度となく表れる循環主題の扱いもそれぞれにはっきりとした文脈が感じられ石井の近年の成長ぶりが感じられる演奏だった。

そして次はショパン「英雄ポロネーズ」。石井いわく、ウィーンの学生時代、恩師のアンナ・マリコヴァからもらった「ショパンという作曲家のノーブルさを忘れないように」というアドバイスが今でも脳裏によみがえる大切な一曲だという。
当夜の演奏も格調高く、まさに気品にあふれ、自信に満ちた演奏を聴かせた。普段から「舞曲好き」と自ら語っている石井だが、ポロネーズという貴族的な舞曲の持つ独特なアクセントを洒脱に捉え、絶妙なセンスと勘でその本質へと迫り、石井の個性もあいまって聴きごたえある仕上がりになっていた。

続いては石井の18番であり代名詞にもなっているグリュンフェルト「ウィーンの夜会」。冒頭のパッセージを聴いただけでいかにこの作品が石井の手と身体に沁み込んでいるかがよく感じられた。テーマのワルツではよりいっそう“遊び”が加わり、ダイナミクスの緩急も自由自在で、全体的に以前よりもさらなるスケール感が増していたように感じられた。テクニックの冴えも見事で、エンターテインメント的要素を多分に匂わせながらも一線を超えないギリギリの点でしっかりとクラシック的な品格を保っており、いかに石井が“ウィーン気質”というものを骨の髄まで理解しているかがよくわかる演奏だった。

休憩を挟んでの後半一曲目。石井がこよなく愛するモーツァルト「レクイエム」から「ラクリモーサ」。“涙の日”と訳される短調の一曲でありモーツァルト絶筆の作品だ。石井は明るいイメージのあるモーツァルにおいて特に短調の悲しい旋律に惹かれると以前から語っているが、まさにそのモーツァルトらしさを湛えるこの作品を愛おしむように一つひとつのハーモニーを噛みしめるように紡いでゆく。オーケストラを感じさせる厚みのある響きが音響空間に響きわたり、鮮烈な技巧を聴かせる曲が続いた中で心洗われるひとときだった。

続いても石井が大好きな作曲家だというスペインの作曲家モンポウ「モンジュイックの橋」。作曲家自身が愛していたモンジュイックの橋が壊されてしまうことへの哀しみが綴られた作品だ。哀愁を帯びた旋律を色彩豊かに歌い上げ、スペイン的な独特のアクセントのあるフレーズも筆で塗り上げるように濃淡を際立たせて色付けしていたのが印象的だった。光と影を思わせるスペイン音楽独特の二極的な対立する要素を、コントラストというような極端なものではなく流麗に自然なかたちで表現しており、石井の民族音楽への深い造詣と知性が感じられた。

ちなみに演奏前に、数年前に「たくおんTV」用にこの作品を動画撮影した際、「ピアノを野外に運び込んだ後、焚火の前でこの曲を演奏する動画を撮りたくて、お父さんが風の吹く中、一生懸命に炎と格闘してくれた」というほのぼのとしたエピソードを語るトークがこの作品の曲想と少しアンバランスでおもしろかった。いかにも石井のステージングらしい。(当夜演奏されたそれぞれの作品に関して動画撮影・投稿の際の様々な面白いエピソードがプログラム上に記載されているのも良。)

次に挿入された二作品は、少しだけ雰囲気を変えて映画音楽からヘンリー・マンシーニ「ひまわり」と「ムーンリバー」。前者の「ひまわり」では、「石井にこんな一面があったのか!」と思うほど、成熟した大人の感情の揺らぎを思う存分に聴かせた。しかし、どんな演奏においても品格があるところが石井らしい。

後者の「ムーンリバー」では、どこまでも伸びやかに大らかに旋律を聴かせ、作品に対するあふれる思いが玉手箱のように始終飛び出していた。等身大の石井らしさが感じられる好演だった。

そして、本プログラム最後の一曲は、2020年のチャンネル立ち上げの初期の段階で動画投稿されたリスト「スペイン狂詩曲」。ファンによる聴きたい曲アンケートでも上位にランクインした一曲だという。

前半部分では「ラ・フォリア」の旋律による典雅で憂いのある独特なテーマを重厚ながら女性的なたおやかさで聴かせたかと思えば、一転、超絶技巧を駆使したパッセージで聴き手の感情を大いに揺さぶる。しかし、石井のその安定した演奏ぶりは、もはや超絶技巧の困難さも感じさせないがゆえに典雅と華麗さが混在した優雅なる旅路へと聴き手を誘ってくれる。

そして、後半、「ラ・フォリア」の旋律とは対比的な速いテンポの「ホタ・アラゴネーサ(スペインのアラゴン地方起源の熱狂的な舞曲)」による展開部分では、煌びやかな音色を帯びた粒立ちの良い音たちが強烈な推進力をともなって鮮やかな色彩感を生みだしてゆく。軽やかさといいそのトリルが生みだすポエム感といい「ラ・フォリア」と「ホタ」との狂喜的な統合も詩的な感性がみなぎっており、弾き手が心に描く優雅で抒情的な世界観が真に伝わってきた。フィナーレに向かっての陶酔感と高揚感のスリリングさに客席も酔いしれたことだろう。演奏後はファンから一斉にスタンディングオベーションで迎えられていたが、実際、それにふさわしいほぼ完璧な演奏だった。

この後、一階平土間客席の扉から石井がオリジナルTシャツとともに登場。興奮覚めやらぬ聴衆の間を手を振りながら颯爽と駆け抜けて行く。そして再びステージへ。石井はもう一度、客席に深く感謝の気持ちを述べると、アンコール曲 シューマン「トロイメライ」を演奏。心洗われるピアニッシモの純粋で美しい響きが会場に余韻を残した。

終演後のサイン会では、同日リリースのニューアルバム『シューマン・ザ・ベスト』の発売もあり、あの大ホールホワイエを石井の登場を待ちわびるファンたちの長蛇の列が埋め尽くしていた。

取材・文=朝岡久美子 撮影=福岡諒祠

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