森田美勇人 ダンス、絵画、写真、音楽など多方面での活動と、20代の心象風景を描写した20代最後のEP『29』を語る
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森田美勇人 撮影=菊池貴裕
ダンス、絵画、写真、音楽など、幅広い方面で活躍している森田美勇人。昨年、ソロでの音楽活動をスタートさせた彼は楽曲制作やライブに精力的に取り組み、対バンイベントへの出演も重ねている。10月29日にリリースされる2nd EP『29』に収録されている5曲は、30歳の誕生日を迎える10月31日が迫る中、20代の心象風景を描写している。11月18日(火)に東京・恵比寿 LIQUIDROOMで開催される『Myuto Morita Oneman Live in LIQUIDROOM』への期待も高まる。多彩な要素のリンクと共に広がり続ける彼の表現の背景にあるものとは? これまでの活動の軌跡も辿りながら語ってもらった。
――芸能界のお仕事を始めたのは、9歳の時ですよね?
そうです。母親が僕の知らないうちに履歴書を送って……っていう、よくあるやつです。
――ダンス好きのお母様だとお聞きしています。
クラブやディスコに遊びに行くのが好きな人なんです。高校生の時にバンド活動もしていたみたいです。だから子供もそういう感じに育てたかったんでしょうね。家ではよく音楽が流れていました。基本はアース(アース・ウィンド&ファイアー)。あと、アデル、ノラ・ジョーンズとか。キッスも好きなので、かけていましたね。姉がダンスをやっていたので、僕はそれについて行ったりもしていて、ブラックミュージックをいろいろ聴く機会も多かったです。“音がかかったら乗る”みたいなのは、身体に自然と染みついていました。
――芸能事務所に入ると演技、歌とか、いろいろなレッスンがあると思いますけど、一番楽しかったのは?
ダンスでしたね。こんな活動をしていて言うのもなんなんですけど、他人から見られるのが得意じゃないんですよ(笑)。ダンスって“僕自身の姿を見られている”というよりは、“音楽の中で踊ってる”というような形で表現できていたので、それがしっくりきたんだと思います。歌を歌うとなると注目を浴びている気持ちになるんですけど、ダンスは音楽の中でみんなと熱中できるんです。そのバランスがやりやすかったのかもしれないですね。結果として、演技も歌もダンスもやっていることは一緒だとは思うんですけど。
やりたくないと思いつつも他にやりたいことがあるわけでもなく。「やめていいよ」と言われた時の反骨心みたいなものでやり続けてきた節もあります。
――芸能の仕事を今に至るまで続けているのは、なぜだと感じていますか?
半ば負けず嫌いだったからなのかもしれないです。本当はやめたかったんですけど。とは言え、やりたくないと思いつつも他にやりたいことがあるわけでもなくて。「やめていいよ」と言われた時の“え? 単純にやめるのもな……”という反骨心みたいなものでやり続けてきた節もあります。歌を歌い始めて、曲を作り始めたのも、それにトライしていない人生に悔いが残りそうだったからです。駄目でもいいからやってみたら、諦めもつくのかなと思ったので。
――表現したり、作品を形にしたりするのは好きですよね?
好きです。作品を作るのは好きです。ダンスの振り付けもそうですし。歌詞を書いたり、詩を書いたり、写真を撮ったり、いろいろな表現方法を試していて、どれも好きです。
――僕、森田さんのダンス、大好きですよ。
ありがとうございます。
――スキルや表現力はもちろん、佇まいや身体のスタイルとかも含めたダンスの素質もすごくあるんだと思います。
向いていたのかもしれないですね。たしかに、自分の身体的なものが映えるジャンルだったとは思います。アクロバティックな動きをしたりとか、身体能力がすごく高いダンスは、メジャーなメディアとかに乗る際に注目を浴びる要素ですけど、そういうのは僕にはあまりないんです。音楽に対する理解度、それをダンスに落とし込む理解度というか、“音楽的な部分で楽しむ”ということに僕は重きを置いていたんです。だから今、こうしてアーティスト活動に繋げていることに対しての違和感はないというか。僕はアクロバティックなことをするびっくり人間になりたかったわけではないので。良い音楽の中で自然に良いダンスをしたり、良い演奏をできたらいいなあという想いのまま今に至っています。
――「美勇人さんのダンス、好きです」と言われることは多いんじゃないですか?
そうですね。ダンスがみなさんがファンになってくださる入口になっているというは、あるんだと思います。僕もダンスが好きですし。事務所をやめたタイミングで“ダンサーの道に進みたいな”と思ったりもしたんです。結局、事務所をやめた後にグループの7ORDERでの活動を始めたんですけど、それと並行して僕の師匠、世界的ダンサーのYOSHIEさんにいろいろ教わってきました。去年、アーティスト、ダンサーのSANTAさんのMVにダンサーとして出演させていただいて、出演した面々もすごかったんです。世界で活躍している方々ばかりだったので。そういう貴重な経験もさせていただいています。
――ダンス留学していたこともありますよね?
L.A.、パリ、デュッセルドルフに行って勉強しました。僕がもともと所属していた事務所はジャズダンスが基礎にあって、ショーアップされたエンタテインメントを大事にしていたんですけど、僕が行ったのはストリートダンスのシーンです。海外に行って、いろいろなダンスに触れることができました。ビジネス化しているストリートダンスもある一方で、かなり純度が高いストリートカルチャーが盛り上がっているシーンもあるので。パリはビジネスというよりも、芸術的に発展していました。
ソロの活動をもう少し充実させた方が、ソロとは別でやっている障がい者支援事業活動に繋がるコネクトがもっと発展的になるんじゃないかなと。
――グループ活動をしていた頃はベースも弾いていましたが。
芸能の仕事をする中で、お願いされて始めました(笑)。だからダンスに深度が追いつかないというか。でも、ベースを弾くようになったことで、音楽的な解釈をかなり深められるようになったというのはあります。
――楽器プレイヤーとして意欲は、そんなに高くはないんですか?
今もライブでギターを弾いていますけど、ソロを弾くとかいう“プレイ”という面での欲はないです。それよりも良いグルーヴのある音楽を作るために楽器に触れられたらいいのかなと。そういう感覚なんですよね。
――先ほどもおっしゃっていましたが、スポットを浴びることへの願望はあまりないんですね。
そうなんです。グループをやっていた時も、みんなが後押ししてくれたから前に出ていた感じでした。ダンスに関しても自分から“真ん中で踊りたい”というのはあんまりなかったです。だから“なんで今、ソロやってんだろう?”と、わりと毎日思っています(笑)。ソロに関しては、“自分が前に出ている”という意識ではないんですよ。僕はソロとは別で障がい者支援事業の活動もしていて、障がい者ダンサーやアートと関わっているんです。そういうものをより発展させて、面白い形にしていきたいというのを起点とすると、“ソロの活動をもう少し充実させた方が、ソロとは別でやっている事業に繋がるコネクトがもっと発展的になるんじゃないかな?”と。関わっている人たちに日の目を浴びさせたいという気持ちがあるわけでもなく、ただ単純に僕が良いと思う人たちと良いものを作って、それを観た人たちが盛り上がってくれればいいなと。そのためにソロを頑張っているという感じです。
――森田さんの活動は、ファンのみなさんが様々な世界に触れる機会にもなっているんだと思います。
僕のファンはダンスが好きだったり、もともとやっていたアイドル活動の姿が好きという方々が大半だと思うんですけど、意外とそういうのとはまた別の僕の活動にも足を運んでくださるんです。この間、障がい者アーティストの福祉施設のやまなみ工房の施設長さん、作品集を作ったデザイナーさん、僕のトークショーが、代官山のTSUTAYAであって、たくさんのファンの皆さんが集まってくれました。真剣に話を聞いてくれて、僕が登壇しない会田誠さんの回にもファンがたくさん残っていました。僕が関わった先にいる人、背景にあるものまでキャッチしようとしてくださる皆さんがたくさんいて、すごくありがたいことだなと感じています。
――新しい世界に触れるのは、楽しいですからね。
発見があると思ってくださっているみたいです。僕もいろいろな発見をしていきたいと思いながら生きています。だから、特定の分野の肩書は自分には似合っていないというのも感じるんですよね。例えばダンスに関しても“ダンサー”と名乗れるほどこの世界に自分が嵌るのかについてずっと悩んでいて。だからいろいろなことをやっているというのもあるんですよね。抽象画や障がい者アートとかも、ダンスを深めるために向き合っている面もあるので。型に嵌っていない表現に触れて、“どこからその発想は生まれているんだろう?”と知るためにやまなみ工房に行ったり。そういうのをシームレスに行なえるようになってきています。僕は各ジャンルの中では大したことのない人間です(笑)。でも、“表現”というものを突き詰めるには、今の活動が自分に合っていると思っています。
――ダンス、音楽、絵画、ファッションとか、どれがメインということでもなく、全部が繋がり合って“表現”となっているから、どれもメインという言い方もできるんじゃないですか?
そういうことだと思います。何でも自分で表現したいと欲張る気持ちもあるんですけど、ファッション、音楽、ダンスとかは、カルチャーシーン全体で捉えたら、どれも繋がっていますからね。
いずれは“障がい者支援事業”ではなく、障がい者や健常者というカテゴライズなく単純に“自分と合う面白い人を紹介できるプロジェクト”になったらいい。
――活動の拠点となっているFLATLANDは、ご自身の中でどのように位置づけているんでしょうか?
僕の弟はダウン症という障がいを抱えているんです。差別とかいじめとかに対する不安や恐怖心が最初の頃はあって、そういう経験もあったんですけど、弟は誰に対しても優しい人間なんです。弟の影響もあって障がい者と触れ合う機会があって、フラットな価値観が自分の中で形成されていったのを感じています。そういう経緯なので、FLATLANDという名前なんです。僕はこれまで表現活動をさせてもらってきたので、障がい者のアーティスト、ダンサー、パフォーマーとかにフォーカスを当てて、関わっていきたいんです。自分が今までに関わってきた世界と明らかに違う発想、表現に触れることで発見があるので、それを純粋に吸収したり、刺激し合ったりの環境を作れたらいいなあと。だからいずれは“障がい者支援事業”みたいなことではなくて、障がい者や健常者というようなカテゴライズがなくなっていって、単純に“自分と合う面白い人を紹介できるプロジェクト”みたいな感じになったらいいなあと思っています。
――ソロでの音楽活動に関しては、昨年末にEP『SIKI』をリリースしましたね。
はい。他の誰かの曲で表現したり踊ったりするのは、権利上のことがあるという理由もありつつ、自分で弾き語りをするのも好きなので、自分の曲を自分で作って、その中で表現していこうと。そういうのがあって、やり続けています。自分が作った曲で踊ってもいいし、服の展示会でかけたりもできますから。自分のやりたいことがいろいろあるから、“そのために曲を作ってみよう”ということなんです。
――ライブは、生バンドスタイルでやっていますね。
アースとかを聴いてきましたから、やっぱりバンドでやりたいんです。僕は1995年生まれですけど90年代の音楽も好きで、親が聴いてきた音楽にも触れてきたので、生感があるサウンドやバンドという集団にこだわりたいのかもしれないです。
特に大きなテーマやメッセージみたいなものは掲げずに、自分の純粋な人生の記録として形にできたらいいのかな。
――新しいEPも完成しました。タイトルは『29』。
10月31日に30歳になるんですけど、リリースする10月29日はまだ29歳。そういう単純な理由です(笑)。
――20代最後の風景を描いた作品だとお聞きしています。
明確なコンセプトがあったわけでもないんです。でも、大体同じようなことを考えながら日々生きているので、考えたことや自分の中で浮かんだ情景を曲にしたというか。作っていく過程で何度も同じような情景が浮かんだりするんです。特に大きなテーマやメッセージみたいなものは掲げずに、自分の純粋な人生の記録として形にできたらいいのかなと。そんなことを思っていました。
――5曲が収録されていますが、全体的に穏やかで温かなトーンですね。
激しいパンクとかロックに憧れはあるんですけどね。僕が一番尊敬しているバンドは、ZAZEN BOYSですから。激しい衝動みたいなものは僕の中にありつつも、アウトプットするとどうしてもこのEPみたいなテンションになるんです。
――サウンドに関しては、ギターロック的なものがお好きなのかなという印象です。
好きですよ。リアルタイムではなくて後追いですけど、ソニック・ユースとか、80年代のロックとかを聴いてきたので。昔、親が買ってくれたポータブルプレイヤーにビートルズとかを入れてくれたのを聴いていました。RIP SLYMEは、小っちゃい頃にはまりました。あと、東京事変とか。そういうのをバスの中で聴いていました。幼少期に聴いていた音楽には影響されていると思います。
――「sou」は、まさに90年代頃のギターロックのテイストですね。シューゲイザー的なウォールオブサウンドも盛り込まれていますから。
自分の好きな世界観、時間帯があるんですよ。夜中から朝にかけての時間によく過ごしていたので、その空間や色味みたいなことを表現しようと思うと、自然とシューゲイズな空気感になるんですよね。
――シューゲイザーがあの時間帯の音だというのは、なんとなくわかります。起きているんだか、寝ているんだかよくわからない、フワフワと漂うあの感じを音にすると、そういう感じなのかもしれないです。
その時間帯に過ごしていた頃の経験をこの曲で描いていますけど、それが本当に起こったことなのかもよくわからない感じもあるんです。思い出って曖昧ですからね。自分の中で美化されている可能性もありますし。僕の場合、美化していることも多いんです。地元に帰ってみると、“俺の中でフィルターがかかりまくってるな”と思うことがよくあるので。でも、そういうことによって抽象度が高まっていくのも好きなんです。
――「誰」も、どことなくアンニュイなトーンですね。
どうしても尖り切れないというか、丸くなっちゃうんです(笑)。内容はかなりヘヴィというか、重ためな曲ではあるんですけどね。でも、サウンドとしてまとめると、“意外と丸いなあ”という印象になるんです。
――「UZA」もタイトルの字面も含めて鋭利ですけど、サウンドは爽やかです。
鋭利にならないんですよ(笑)。アルファベットを大文字にしてみて鋭利な感じを表現してみたんですけど、意外と出来上がってみたら丸かったです。
――楽曲制作は、自分の本質を知る作業でもあるんじゃないですか?
それはすごくありますね。アイドル活動をしていたので、偶像的というか、応援してくださる皆さんの想い、そうあってほしいという姿を叶えるべきだと思って生きてきたんです。だから、僕にはずっと受け身な思い出しかなくて。芸能の仕事を始めたのも“親が履歴書を送ったので”とかですし、言い訳がましい人生だなと自分に思うところがあって。自分を説明できないのが嫌で曲を書き始めたら、だんだんわかってきましたね。曲を作ると自分に対する解像度が上がります。
――「haikara」は、ラップが入っていますね。
ラップは好きなんです。RIP SLYMEの影響です。小学校6年生の時に『TOKYO CLASSIC』をとにかく聴いていて、4人のラップを1人で歌いきる練習を事務所の空き時間にずっと遊びでやっていました。それが今になって完全に活きています。
――“1人でRIP SLYMEを歌ってみた”みたいな動画を投稿したら、反響があるかもしれないですよ。
バズれる気はしますけどね。前に能登でPESさんとお仕事をさせていただく機会があって、みんなでホテルに宿泊したんです。みんなでカラオケをする貴重な体験をしたんですけど、周りはPESさんにRIP SLYMEの曲を歌ってほしそうで。僕が代わりに全部歌い上げたら、「お前、もうRIP SLYMEと名乗っていいよ、RIP SLYMEは襲名制にしよう。二代目RIP SLYMEだ」と直々に言われて(笑)。嬉しかったですね。
――「our days」は、おじいさまを看取った体験を描いた曲ですよね?
そうです。昨年、祖父が亡くなったんですけど、大病をしたとかではなく、衰弱していって、いつの間にか「入院します」ということになったんです。衰弱していくスピードは、転がり始めると速い感じで。今まで当たり前にいると思っていた人がそうなっていく体験が心にすごく残っていて、“こんなに寂しいのか”と思いました。看取ってからみんなで病院を出たのは夜明け前、3時くらいで、星がものすごく綺麗で、“本当に星になったのかな?”と思ったくらいでした。そういうのも僕の中に残っているんです。
――悲しみも伝わってくるサウンドですけど、どこか温かいですよね。
その時の気持ちは、喪失感とはちょっと違っていて。亡くなったけれど、亡くなったからこそ、より今は身近に感じられるというか。そういう経験だったからだと思います。
自分が生きてきた経験の中で自分なりのソウルというか、心が動くような作品を形にしていきたいです。
――この5曲をEPでリリースした後、11月18日に恵比寿 LIQUIDROOMで開催されるワンマンライブへと向かって行くんですね。
はい。生バンドを重視した音楽ファーストなライブ、生々しさを伝えられるものにしたいと思っています。
――荒谷翔大さん、Jairo、向井太一さんのゲスト出演が発表されています。
対バンをさせいただいたことのある、ご縁のある方々です。僕が作曲を始める時にRUNG HYANG (ルンヒャン) さんのゼミにお邪魔させていただいて、その流れで向井太一さんとのご縁があったんです。Jairoもそうですね。あらちゃん(荒谷翔大)とは、前から仲良くさせていだいています。僕はyonawoの頃から大好きです。
――Jairoといえば、超絶ヒューマンビートボックスデュオですよね。
世界一です。バトルの人たちなので、結果を残すことに対するパワーがものすごくて、対バンをした時も刺激をもらいました。僕がJairoのビートボックスに合せて踊るセッションをその時もやったので、今回のライブでも実現できたらいいなあと思っています。
――その瞬間だからこそ生まれるものがたくさんあるライブになりそうですね。
そうだと思います。僕もそういうものを大切にしていますし、ゲストのみなさんと生々しいセッションができたらいいなと思っています。僕が一緒にやっているバンドのメンバーとも、そういうステージを作りたいです。僕が憧れているブラックミュージックの文脈にある“音楽の中で身体を動かしたり、自然と歌ったり踊ったりする”っていうテンションのことを自然に表現できる場を作りたいです。
――プラン通りに進めるステージではなく?
そうです。生バンドがいて、ヒューマンビートボックスがいて、シンガーがいて、僕はダンスも踊ったりっていう、みんなが自然に集まる場をお客さんに楽しんでいただきたいです。思い描いている理想は、昔の『ソウル・トレイン』(アメリカで放送されていたソウル、ダンスミュージックのTV番組)みたいな、ただただノリだけでみんなで踊ったりする感じというか。ジェームス・ブラウン、僕の世代で言うとジャスティン・ティンバーレイクのステージみたいな、いろんな要素がシームレスに混ざるあの感じを体現してみたいなと。大袈裟に言うと、そんなことを思っています。
――例えばヒップホップも、DJ、ラップ、ブレイキン、グラフィティがシームレスに交ざり合っているカルチャーですけど、そういうものにも通ずるイメージですか?
そうですね。日本人として生まれたなりのカルチャーではありたいと思うので、海外から見たら“これはR&Bじゃない”とか“ブルースじゃない”みたいなことはたくさんあるでしょうけど、僕は僕なりに生きている中での自然な繋がりの作品を作れたらいいかなという感じです。だからR&Bシンガーになりたいとかでもなく、自分が生きてきた経験の中で自分なりのソウルというか、心が動くような作品を形にしていきたいです。
取材・文=田中大 撮影=菊池貴裕
リリース情報
2025年10月29日発売
配信リンク https://linkco.re/54QrES82
<収録曲>
1. sou
2. 誰
3. UZA
4. haikara
5. our days
ライブ情報
荒谷翔大
Jairo
向井太一
(五十音順)
関連リンク
森田美勇人 オフィシャルX(Twitter):https://x.com/MyutoMorita_jp
森田美勇人 オフィシャルYouTube:https://www.youtube.com/@myutomorita_official