ソロプロジェクト「A-UN(あうん)」を始動した山内総一郎がソロで魅せるクリエイティブ「人間と音楽の多面性を表現していく」

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山内総一郎

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今年2月に活動を休止したフジファブリックのギター&ボーカルの山内総一郎が、avex内のcutting edgeレーベルよりソロデビューし、ソロプロジェクト「A-UN(あうん)」を始動した。活動休止後は仲間やスタッフに支えられて少しずつ曲作りを進め、7月にはソロ初のワンマンライブ『The Hole In The Wall』を、自身の誕生日でもある10月25日には、人見記念講堂にて2度目のワンマンライブ『OCTOBER SONGS』を開催、新曲を続々と披露した。そして10月22日に「旅にでる」「GOOD FELLOWS」を、10月29日に「人間だし」をリリース。さらに最新ニュースとして、12月26日リリースの「ソラネコ」を皮切りに、3ヶ月連続配信リリースを行うことを発表した。そんな山内に、ソロプロジェクトやワンマンライブについて、10月リリースの新曲3曲について話を訊いた。

山内総一郎

●ファンの方々に支えられたことが、とても幸せ

ーー改めて、東京・NHKホールでの(フジファブリック)ラストライブを振り返るといかがですか?

デビューして20年間ずっとファンの人たちに支えてもらっているバンドだったので、ロックバンドとして最後まで自分たちの音楽を信じて立ち向かっていく姿、自分たちが今最大限できることを皆さんに観て聴いてもらうのが1番だと思っていました。だからやる前は「どうなるんだろう」と思っていたけど、そこまで考えずに本番は臨めましたね。

ーーライブの後は喪失感がありましたか?

活動休止を発表してからNHKホールまで1年ぐらい時間があったんですけど、その期間の方が苦しかったというか。ライブで涙されてる方も多く見かけましたし、1本のライブで全曲できるわけじゃないので、1人ひとりのことを想像すると「もっと聴きたい曲があったのかもしれないな」と思いながら。メンタル的に良くないなと思うこともあったんですけど、浮き沈みが激しい時期を経てのNHKホールだったので、当日はある意味少し吹っ切れた気持ちで臨めたかもしれないですね。

ーーファン1人ひとりに対して「この人はこの曲が聴きたかったかもな」と。

思ったりしますよね。自分はフジファブリックのフロントマンでもあり、ファンでもあったので「この曲があったら面白いだろうな」と思う時もあって。僕らのやることを肯定してくれる方々がファンにいて支えられたことが、僕の人生にとってはとても幸せだと感じられました。

●「山内総一郎」として歌うということ、仲間との雑談で開けた視界

山内総一郎

ーーラストライブの後はゆっくりされつつも、サポートメンバーの方にスタジオに連れ出してもらい、徐々に曲を作り始めていったそうですね。

ドラムの伊藤大地くん(ex.SAKEROCK)が「スタジオ入ろうよ」と言ってくれて。僕はその時ちょこちょこメロディーや歌詞ができ始めているタイミングで。本当に音楽ばかりやっていて外に出る理由があまりなかったので、外に連れ出してくれました。大地くんと、あとは大阪府茨木市出身の同郷で、中学校の隣のクラスで一緒にバンドを始めたベースの砂山淳一と3人でスタジオに入って、まだリリースしていない曲をセッションして。ドラム、ベース、ギター、歌って最小限の編成だけど、みんなでセッションする楽しさやバンドアンサンブルの楽しさがすごく蘇ってきて、そこから本格的に曲をいっぱい作ってみようかなという感覚になれました。

ーースタジオに入られたのはいつ頃ですか?

(スケジュールを確認しながら)5月2日に入ってますね。多分その前にも1回入ってると思うんですけど。

ーーラストライブから2〜3ヶ月ぐらいですね。それから2ヶ月後の7月にソロ初ライブなので、結構早いですね。「山内総一郎としてやっていこう」と決めたのも5月頃ですか?

ソロでやっていこうというのは、2月か3月には決めていました。やっぱり音楽をやっていくしかないなと思っていたので、マネジメントや新しいレコード会社のスタッフと話しながら。でも一歩目ってすごく難しいといいますか、考えてできるものじゃない部分もあるし、考えないといけない部分も多いし。「とにかく雑談したい」と言って、スタッフの皆さんと雑談しながらひとつずつ決めていった感じですね。

ーー雑談?

例えば、僕が家でデモを作って持っていって「この曲はこうした方がいい」みたいな話というのは、一発目の話し合いにはあまりそぐわないというか。ある程度走り始めた後はそれでいいんですけど、走る前の話だったので。とにかくどうやっていこうとか、名前をどうするとか話し始めました。それも3月4月ぐらいだったと思うんですよね。ライブをするために会場だけは押さえてもらっていたんですけど、「ライブしよう」とは言わなかったんですね。やりたくなかったら「やーめた」って言おうかなとも思っていたんです(笑)。

ーー揺らいでいる感じだったんですか?

自分の中に自然と溢れてくるものや満ちてくるものが音楽になるなと思ったので、無理に何かを始める必要はないタイミングだとは思っていて。捻り出すことが必要な場合もありますけど、この時は雑談やディスカッションを通してどんどん視界が開けていくイメージでした。やっぱりバンドからソロになるというところには、あまり明瞭ではない景色がありまして。自分一人ではなくスタッフの力を借りたいとか、そういう中で色々なことが薄らぼんやりと見えてきて。本当に視界が開けてくるのは7月のライブからなんですけど、それまではずっと……五里霧中まではいかないけど、「どうしよう、これでいいのかな」と自問自答をずっと繰り返していた感じです。

ーー2022年に初のソロアルバム『歌者 -utamono-』を出された時も「魂の歌い手として、山内総一郎としてやる」とおっしゃっていましたが、その時と今とは違いますか?

全然違うんですよ。バンドのプロジェクトのひとつであるソロと、そうではない山内総一郎としての1stをまた作るというのとでは、全然ニュアンスが違っていて。『歌者 -utamono-』の時は、少し俯瞰的に見たフジファブリックのことを歌ったり。僕はフジファブリックを本当に素晴らしいバンドだと思っていて、『歌者 -utamono-』は「バンドに全力を注ぐプラスアルファで、このバンドの力になれることが何かできるんじゃないか」というアルバムだったので、ニュアンスはかなり変わっていますね。

ーーフジファブリックとして築いたものがありながら、個人のソロとして立つところに怖さがあった?

すごく怖かったです。ガクブルというんですかね。ずっと震えているというか。お客さんが全員自分だったらと考えるとより怖くなる。多分厳しい目もあるし。7月の最初のライブで新曲を8曲やったんですけど、1曲できても「これじゃないんじゃないか」と迷いながら、毎日ちょっとずつその曲をいじってるみたいな。でも一歩目のゴールというかライブは決まっていたので、ちゃんと人生をかけて自分で納得するものにしたいと思っていました。

●「A-UNプロジェクト」で素をさらけ出していく

ーーレーベルを移籍されたのも、新しく始めるためですか?

それが一番ですね。チームの方々と話をさせていただいて、アイデアがいっぱい出てきたり、「山内総一郎のコアな部分」をすごく見てくださっているような気がして。僕がこれからやろうと思っていることは、まさにそこで勝負していかないといけないし、そこだけでも足りないから強化しないといけない。実際にお会いして雑談をした中でどんどん視界が開けて「歩いていけそうだな」という感じになった。成長していくべき時に後押ししてくださる方々だなと思ったので、移籍を決めました。だから決して1人で全てを決められたわけじゃない。周りの人たちのおかげだなと思いますね。みんな面白い人たちです(笑)。

ーー「A-UN」プロジェクトを据えられた意図というのは?

僕は楽曲提供もさせていただいてますけど、フジファブリックのギタリストとしてデビューして、途中でボーカリストになっているんです。人間は多面的だけど、音楽的にも多面的だなと自分でも感じていて。スタッフの方と「風神雷神の阿吽の呼吸みたいな感覚で「変わっていく山内総一郎」と「変わらない山内総一郎」が共存しているのが面白いんじゃないか。A-UNプロジェクトはどうかな」と話して、「すごく良いアイデアだな」と思って。確かに自分が作る中にはEDM的な曲があったりするし、ロックバンド然とした曲もダブっぽい曲もある。その時点で色んな触れ幅があったので、絞り込んでやるよりも、敢えてわけることによって自分も楽になるなと思って。僕は元々ゲームミュージックやThe Beatlesが好きで、色んなものをミクスチャーしてできた音楽が好きなので、そういった表現もしやすいんじゃないかということで、この「A-UNプロジェクト」でリリースしていこうと決めました。

ーーなるほど。

砕けた言い方をすると「まだ君の知らない山内総一郎がいると思うよ」ということなんですよ。今まで出してきたもの以外にも、先輩や後輩のミュージシャンにも「なんでその部分出さないんですか」とよく言われて。「え?出てないの?」と思って(笑)。これからどんどん素の自分をさらけ出していきます。驚いてもらいたいし、こっちも「これ大丈夫かな」とあまり思いたくない。そういう意味では「A-UN」のコンセプト自体が自分の助けになっています。何をやってもいいのはすごく助かりますね。曲はやっぱり悩みながら作るものなので。

●「旅にでる」に込めた決意

ーー7月9日と10月25日に行われたワンマンライブを振り返るといかがでしたか?

1本目の7月のライブがあったから、先ほど申し上げた恐怖心や気負いはある程度なくなりました。10月は、高いお金を払って時間も割いて来てくれる皆さんに楽しんでもらいたいという気持ちがより強くなって、欲をかいて新曲をさらにたくさんやったり。7月から10月にかけては少し気持ちに余裕が持てた感覚がありますね。

ーー10月はお誕生日当日ということもあり、「生まれ直すような気持ち」とおっしゃっていましたね。

44歳、だいぶ生きた感覚もありつつも、まだまだ生きそうな気もするというか。節目でもあったので、いわゆる40代ならではの活動の仕方もできたらいいなと思いつつも、「関係ない。ここからまたデビューするぞ」という気持ちになれている感覚がその日のライブにはすごくありましたね。

ーー2回目のメジャーデビュー。

みたいな感覚ですかね。でも、初めてデビューしたぐらいの感覚でもあるんですよ。

ーーそのワンマンライブでも披露されていた楽曲の中から、満を辞して「旅にでる」と「GOOD FELLOWS」がリリースになりました。1曲目にリリースされる楽曲が、新曲8曲のうち、寄せられたリスナーの反響の大きさで決まるという面白い企画をされていましたね。

それがA-UNプロジェクトのひとつです。毎週楽曲のショートバージョンを公開して、YouTubeライブや生配信もして、それを見てくださった方が僕の一歩目の曲を一緒に決めるという企画をやりたくて。まず、このものぐさな自分が毎週配信をやるって大丈夫なんかと思ったんですけど、やってみたら結構楽しめました。結果「旅にでる」が決まって「なるほど」と。今はフジファブリックのファンの方が多く聴いてくださってると思うんですけど、バンドの歴史も経緯も知ってくださっている方が、地続きで「この曲なんじゃないか」というものを選んでくれたと思って、すごく感謝していますね。

ーーまさにスタートにピッタリの楽曲ですが、山内さんご自身は「旅にでる」に決まるとは予想されていなかったんですか?

フジファブリックのお客さんは変な曲がめっちゃ好きなので、「あやかし音頭」かなと思ったんですけど、皆さん「最初はこれでしょ」という気持ちで「旅にでる」を選んでくださったのかな。

ーー『歌者 -utamono-』の時は主人公を決めて曲を書いていったそうですが、今回はどんな気持ちで曲を書いていかれましたか?

思い切り一人称なんですよ。ここで他の人称はなかなか書けなくて。でも自分の話ばかりになるとただの日記になることがあるので、自分でも歌詞を書いた時にノってこないんですね。曲と、サビの<今旅に出るのさ>だけは最初からあったんですよ。歌詞を考えている時にたまたまネットかテレビで、縄張りから出ないハタネズミというネズミがいるのを知って、「これめちゃくちゃ自分に近いな」と思って。フジファブリックという集団の中でいることが一番心地良かったし、そこで自由に遊べた。そこから出ないといけなくなった場合、出ようと思った場合のことを物語で書いて、その歌詞になりました。完全に自分を重ねて書いていますね。

ーー<小さな足で ボクの速さで震えたまま先へと>はまさに先ほどお話いただいたことですね。<前だけ見てよ 許しはなくても>は印象的でした。

よく使う<許し>は他者からのものですよね。でもそれは自分の中にもあるもので、「やっていいんだろうか」と迷うことがあると思うんですよ。大事なルールもあると思うけど 言いたかったのは「誰になんて言われようと、前だけ見て進んでいけばええやん」という感覚で書きました。

ーー決意でもありますか。

そうですね。

ーー<あの日はもうね 見つからないから 忘れたくない そんな今にしたくなった>というところも想いが表れていて。

<今>というのは、ずっと移ろっている中での<今>なんですけど。例えば過去の記憶や綺麗な思い出も、生活を経て色々思い出すわけなんですね。「あのライブすげー良かった」とか。それは本当に過去の大事な思い出として持っていけますし、そういった<今>をこれからも繰り返し作っていけたらいいなという。これも決意ですね。

ーー明るい曲調の楽曲ですが、サウンドに関してこだわりはありましたか?

最初は弾き語りで、そこから肉付けしたかな。そういえば「暗くなりたくない」とは思っていました。突拍子のないアレンジというよりかは、ロックバンドっぽくフォークソングっぽく、今まで自分がやってきたサウンドから外れることのない感じにしたいなと感じていました。でも過去を焼き直すという意味ではなくて、今自分がやる中でこの気持ちに最適なサウンドはこれだったというか。レコーディングスタッフも長年一緒にやってくれてる方々で、自分をよく知ってくださっていたので、いたって楽しんで制作しましたね。

●仲間への親愛を歌った「GOOD FELLOWS」と、ファンと並走したいという想いを込めた「人間だし」

山内総一郎

ーー「GOOD FELLOWS」もソウルフルでポップな楽曲になっていますね。

この曲は去年の11月か12月ぐらいに、サントリーノンアルコール飲料 新 WEB 動画 「好きな人と、好きな時に、乾杯。」篇のために作った曲です。明るいCMソング的なところもありつつも、僕はスポーツ、バンドとずっと仲間に囲まれてきたので、その仲間と乾杯するような気持ちといいますか。東京に住んでもう長いですけど、正月に大阪に帰ってきて、友達と意味のわからん話をする時がすごく楽しい。それを思い浮かべながら書きました。

ーー聴くとこっちも楽しくなるような楽曲です。コーラスは佐々木久美さんですね。

はい。SMAPの「青いイナズマ」や山下達郎さんのコーラスをされていて、以前フジファブリックの「手紙」にも参加してくださったんですけど、本当に大好きな方で。すごいんですよ、ソウルフルで。僕はそこまでソウルフルに歌う技術がないので、その対比というか。僕の歌と久美さんの歌は違うタイプだと思いますけど、サウンドとして久美さんのコーラスはすごく楽曲に広がりを持たせてくださるので、お願いしました。

ーー本当に響きが良いですね。

急にメジャー感が出るというか。中学校の時、CDが100万枚とか平気で売れてた時代の響きがする(笑)。

ーー確かに! 平成の響き(笑)。あと2番の<まだまだ行けるでしょう>の前の間奏が素敵でした。

あるじゃないですか、みんなが飲んで喋ってて全く入る隙のない時間(笑)。でもすごく幸せな空気。居酒屋で昔話に花が咲いてる瞬間を思い浮かべながら作っていたので、グワーッとなってる中でもみんな穏やかな気持ちになってる感じが間奏で出せたらいいなと思って、あまり詰め込み系じゃないソロで作りました。

ーー「人間だし」も生き生きとした楽曲ですね。MVの山内さんの笑顔が輝いていました。

ずっと笑ってますよね。あれは千葉県の矢切駅という駅で、普通に夕方前とかに乗客の往来がある中で撮ってたんです。

ーーそうなんですか! 貸し切りじゃなく?

貸し切りの場面もあるんですけど、階段の場面とかは皆さんが通る中で「すいません」とか言いながら撮らせてもらって。だからもう笑うしかないみたいな。サウンド的にはロックバンドがやるカントリーミュージックの感じもありつつ。

ーー脱力できますよね。「人間だし」と言われただけで肩の荷が下りる感覚があって、魔法みたいな言葉だなと思いました。

歌詞を書いてる時、2〜3日何も出ない時があって。でも毎日喫茶店に通いながら筆を走らせてはいたんですよ。それでなんとなく「今日もできへんなー。しゃーないな、人間やし」と関西弁でメモに書いてて「これでいいな」と。活動はこれからスタートしていくのでだいぶ力を入れないといけないけど、1回グッと力を抜いて、抜いたところでしか見えない景色や考え方もあるなと思って、「人間だし」の標準語に変えまして。

ーー「やし」から「だし」に。

「人間やし」でも良かったんですけど、ヤシの木みたいに思われたら嫌だなと思って(笑)。あとはフラットに聴いて欲しかったので、「関西弁推ししてまっせ」と思われるのも嫌だった。

ーー関西弁だとだいぶ濃くなりますもんね。この曲で一番伝えたかったことは?

各パート、例えば1コーラス目2コーラス目と色々グラデーションはあるんですけど、歌詞にしていない言葉でいうと「ウェイトを下ろそうぜ」です。ザ・バンドの「The Weight」(1968年)という曲もあるんですけど、今自分もまさに抱えていたものを下ろして進んでいるところ。でも自分で自分を急かすと何も進まなかったりするし、<そばでも食べようぜ>という感じがすごくちょうどいいなと。サビとしてはある意味気の抜けたフレーズなんですけど、できた時は「これをリリースしてやるぜ!」と自分の中で小さくガッツポーズしました。どうしても力は入ってしまうものなので、どう抜くかって難しいんですけどね。

ーー持てるものって限られていますよね。

可視化できないものもあるので、わからないですよね。自分もできる限り抱え込まないようにしたいなとは思うんですけど、ついつい持ってしまいますよね。

ーー応援歌のように聴こえますが、これも山内さんご自身の背中を押す意味合いもありますか?

ありましたね。タイトルも人間を代表してるようでおこがましいんですけど、僕の気持ちとしては、背中を押せるような楽曲もちろんできたらすごく嬉しいんですけど、できる限りファンやリスナーの人と並んで歩いたり走るような、そんな音楽が作っていけたらいいなと思っていて。その第一歩目がこの曲かもなという感じがしますね。

●2026年4月には東京と大阪でワンマンライブを開催

山内総一郎

ーー3曲をリリースして、止まらずに制作が続く中で次に何が出てくるのか楽しみですが、今の時点ではどんな感覚でいらっしゃいますか?

今の時点では、やっぱりどんどん曲を聴いてもらいたいと思っています。7月にやったライブのショートバージョンもYouTubeで見れるようになっているので、早く新曲をリリースして、みんなに聴き込んでもらえるものをサブスクリプションで用意したいと思っています。僕もリリースするたびに気持ちが成長するし、それをライブにも活かせたらなと思っていますね。

ーーそんなライブですが、12月1日(月)に大阪でも待望の初ワンマンを行いつつ、2026年4月5日(日)は東京・恵比寿ザ・ガーデンホールで、4月24日(金)は大阪・なんばHatchでワンマンライブ『ぶらんにゅーでい』を行われます。

大阪は自分のふるさとでもあるし、特別な想いを持ってライブをやると思います。やるならしっかりパワフルなものを観せたいですし、年末の『RADIO CRAZY 2025』もありますので、今年の集大成を聴いてもらえたらいいなという想いです。

ーー4月のライブはまたひとつ進化していそうですね。

状況も、自分の心境もめっちゃ変わると思いますね。新曲ももちろんやりたいですし、何かより自分が聴いてもらいたいメッセージは少しずつ明確になってきているので、『ぶらんにゅーでい』と言ってますけど、新たな一日が始まるような感覚で、みんなと楽しめたらいいなと思っています。

取材・文=久保田瑛理

ライブ情報

山内総一郎ワンマンライブ2026「ぶらんにゅーでい」
2026年4月5日(日)東京都 恵比寿ザ・ガーデンホール
2026年4月24日(金)大阪府 なんばHatch
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