加藤“JUNYA”純也×広瀬“JIMMY”さとし JUNYAの約30年ぶり音楽活動再開の理由、師と仰ぐ44MAGNUMへの思い、今後の展望――熱き子弟対談が実現
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44MAGNUM×JUNYA
1996年のGRAND SLAM解散以来、音楽活動から身を引いた加藤“JUNYA”純也(ex REACTION/GRAND SLAM)が、2025年12月に約30年ぶりにライブシーンに電撃復活。GRAND SLAMでの盟友、Toyokawa Yoshihiro(Ds)や旧友たちを含むメンバーで構成されたJUNYA projectを率いて音楽活動を再開した。そして、8月9日に埼玉会館で開催された『SAITAMA Summer Rock Festival 2026~Burningsplash- 60分 BATTLE -』にて、本格始動一発目となるライブを行ない、そのステージで「限界というやつまで、めいっぱい走っていこうと思います」と決意を語った。そのJUNYAの音楽活動の原点であり、師と仰ぐ44MAGNUMのメンバーの一人、広瀬“JIMMY”さとしを迎えて対談を実施。活動再開のきっかけ、音楽から離れた理由、44MAGNUMへの思い、そして今後の展望など、多岐にわたり語り合った熱い言葉をお届けする。
――8月9日に埼玉会館で開催された『SAITAMA Summer Rock Festival 2026~Burningsplash- 60分 BATTLE -』で、JUNYAさん率いるJUNYA Projectが本格始動発表後の初ステージを披露しました。JUNYAさんの本格復帰を記念して、今回は対談を企画させていただきました。対談のお相手は、44MAGNUMのJIMMYさんです。
加藤“JUNYA”純也:光栄です。JIMMYさんにはガキの頃からお世話になっていて。僕が高1ぐらいのとき、44MAGNUMのローディーをやらせてもらって。
広瀬“JIMMY”さとし:44MAGUNUMがデビュー前だっけ?
JUNYA:デビューはしていました。84年に『44MAGNUM-1+2』というツアーがあったんですよ。そのツアーの横浜で、初めてJIMMYさんとお会いしたんです。もちろん、その前から新宿ロフトへ44MAGNUMのライブを観に行ってましたよ。
――キッズとして?
JUNYA:そうです、14~15歳ぐらいから。JUNYA Projectでギターを弾いているKOJIが、僕より前に44MAGNUMの新宿ロフトのライブを観に行っていて。これはNG話だけど、KOJIはウエストバッグにレコーダーをしのばせて、ライブを録音してきたんです。録音してきたライブテープを、KOJIの実家が営む八百屋の裏にある溜まり場で、みんなで聴いてコピーしまくって(笑)。
JIMMY:へぇ~、KOJIの家は八百屋だったんだ?
JUNYA:そうです、木村青果店。その裏に四畳半ぐらいの部屋があって、そこが僕らの溜まり場だったんですよ。隠し録音したテープを部屋で聴きながら44MAGNUMをコピーしまくって、僕は新宿ロフトに臨んだんです。そのとき観たのは、EARTHSHAKERと44MAGNUMの『関西ヘヴィ・メタルなぐり込みギグvol.3』(83年3月)だったんです。これがもう衝撃で、“なんじゃー、コリャ!”って。耳もキーンみたいな感じで、完全にノックアウトされたんです。それでついに84年3月に横浜シェルガーデンにお邪魔して、「なんでもやります!」って。
JIMMY:ああ、覚えてる。
――いきなり押しかける形だったんですか!?
JUNYA:いや、KOJIが44MAGNUMのローディーをすでに始めていて。当時、KOJIと僕がやっていたMEDIAというバンド全体で、44MAGNUMのローディーになったんです。44MAGNUMのリハが東京であるってお呼びが掛かって、「よっしゃ、行きます!」って。
――44MAGNUMの現場に入りびたる日々が始まったんですか?
JUNYA:そう、憧れの44MAGNUMの。
JIMMY:当時のマネージャーが「なるべく金が掛からないようにスタッフを」ということだったと思う(笑)。
JUNYA:でも、こっちは喜んでやっていましたから。今でいう、ウィンウィンな感じ(笑)。
JIMMY:44MAGNUMがまだ大阪に住んでいたアマチュア時代から、JUNYAみたいな若手バンドマンが現場でいろいろ手伝ってくれてね。最初の俺のギターテックは、後にDEAD ENDに加入する足立祐二で。2番目に付いたギターテックが、D'ERLANGERの瀧川一郎。手伝ってくれた若手が、後にバンドで活躍していく。そういうストーリーができていったのも、良かったかなという思いがある。
JUNYA:僕からすると、プロの現場を見れるっていう刺激がまずあったんです。縁があってREACTIONというバンドで僕はデビューするんだけど、44MAGNUMのローディー経験があったから、全然、戸惑わなかった。
――プロのミュージシャンがリハーサルではなにを気を付けているのか、どんなことを考えているのか、いろいろ学べたんですか?
JUNYA:そう。PAUL師匠に「ボーカルを教えてください」って一度だけ頼んだことがあったんですよ。そしたら「そんなのは俺を見とけばいい」って。
JIMMY:それは教えるのが面倒臭かったからでしょ(笑)。
JUNYA:教えるもクソもないってことでしょうね、考えてみたら(笑)。でもステージ上の立ち振る舞いであったりとか、すごく勉強になって。あと44MAGNUMのツアーにも何カ所か行かせてもらったんです、現場マネージャーと機材車に乗って。自分のバンドでツアーするとか、夢のまた夢の話でいたけど、ローディーとしてツアーの経験があったから、後にバンドでツアーすることになったとき、全然、動じなかったというか。
JIMMY:見本があるから、やりやすいだろうね。羨ましいと思うときがあるよ。俺たちには、見本になるような先輩バンドが身近にいなかったから。JUNYAたちのような若手バンドマンは、ラクだなと思った(笑)。身近に見本があって、失敗も全部分かるから。
JUNYA project
――ローディーになったとき、JUNYAさんはまだステージ経験は浅かったものの、現場でいろいろ学んで、百戦錬磨みたいなところがあったんですか?
JUNYA:百戦錬磨は言い過ぎですけど、例えばライブ中にトラブったとき、ステージ上のミュージシャンはどう振舞えばいいかとか学べるわけですよ。ツアーとかに連れて行ってもらったとき、本当にいろんなことを勉強させていただいて。
JIMMY:人との対応とかもね。周りは年上のオトナばっかりだから、付き合い方もよく分からないじゃない? ボケ方とか交わし方とか、こうすればいいんだなって、JUNYAは分かったと思うし(笑)。
JUNYA:あとライブでお客さんの反応が、いつもの感じと違うときもあるじゃないですか。それぞれの土地柄とかもあるし。そういうとき、こうすればいいんだとか、本当に勉強になりました。
■僕はずっとPAUL師匠になりたかったんだけど、REACTIONに入ったら「PAULの真似してもあかんで、JUNYAじゃないとあかん」って言われて、ああ、そうなんかな…と。(JUNYA)
――44MAGNUMは師匠であり先生であり?
JUNYA:本当にそうなんです。プライベートでよく飲みにつれて行ってくれたりとかもありました。僕は酒飲めないんだけど(笑)。
JIMMY:えらい目にあったことないの(笑)? みんなで飲んでいて、最後に誰かを世話しなきゃいけないとか。
JUNYA:そういうのは、REACTIONになってから。44MAGNUMは飲み方もオトナ、ジェントルだったと思います。
JIMMY:飲みの席で暴れるとかは、なかったな。JUNYAたちの世代は多いよね、暴れるのが(笑)。
JUNYA:そうなんですよ~、飲みの席でいろんなものが飛び交ってましたから(笑)。皿とかコップとか。
JIMMY:確かにREACTIONはガラ悪いな(笑)。
――REACTIONにJUNYAさんが加入したのは85年のことでした。そのときも44MAGNUMのローディーを続けていたんですか?
JUNYA:REACTIONに入ってからは、ローディーはやらなかったですね。自分たちのことでいっぱいいっぱいで。僕はPAUL師匠に憧れて、“PAUL師匠みたいになりたい”というよりも、“PAUL師匠になりたかった”から。
――学生時代にクリア下敷きにPAULさんの切り抜き写真を入れていましたからね。
JUNYA:そう、高校のとき。JIMMYさんは、ジミー・ペイジの切り抜きを入れてたんですよね?
JIMMY:そういうのはなかったな。
JUNYA:でも憧れてたのはジミー・ペイジでしたよね?
JIMMY:ジミー・ペイジもそうだし、ゲイリー・ムーア、マイケル・シェンカーも。
JUNYA:ギターを始めたきっかけは誰だったんですか?
JIMMY:レッド・ツェッペリンの映画『The Song Remains the Same』を、高校のときに観に行ったんですよ。それで自分の持っているロックミュージックの概念が、一気に変わったというか。インプロビゼーションで1曲を20分ぐらい演奏するとか、サイケデリックな面もあるし、プログレみたいなところもあるし、受け止め方としてはアートロックみたいな感じ。ジミー・ペイジは、ギタリストとしての存在の向こうにいる感じだよね。次元が全然違う。トータルで世界観を作っている感じだから。
JUNYA:ミュージシャンというよりアーティストという。
JIMMY:そう、表現者としていいなと思って。俺がギターを弾くようになってから、UFOのマイケル・シェンカーがいいなと思ってね。当時、マイケル・シェンカーの存在は全然知られていなくて。梅田の商店街にあった海賊盤屋にレコードを買いに行って、俺だけが知っているという、ちょっとした優越感があってね。あとモトリー・クルーもそう。なんかの雑誌の白黒ページに、ドクロを持って写ってるモトリー・クルーが載っていてね。BANとPAULと俺で「これはカッコいいじゃん!」とか言ってたよ。あとジョン・サイクスの影響で、俺はブラック・ビューティ(黒のレスポール)を使い出したよね。20代前半までは、他人の人生を生きるみたいな感じで、いろんな人から影響を受けたよ。でも20代後半からは違うなと思った。自我に目覚めたんだよ(笑)。
JUNYA:僕はずっとPAUL師匠になりたかったんだけど、REACTIONに入ったら「PAULの真似してもあかんで、JUNYAじゃないとあかん」って言われて、ああ、そうなんかな…と。だからJIMMYさんみたいに自分で目覚めたんじゃなくて、僕は事務所の社長である大石さんから言われて、“自分らしさってどういうことかな”と思いながら、REACTIONでツアーするっていう(笑)。
JIMMY:大石、過保護やな(笑)。
――徐々に自分らしさを掴み取っていったんですか?
JUNYA:あのときは過激な感じのほうがウケが良かったし、僕もそのほうがやりやすかったし、そういう形になっていきましたよね。“REACTIONやJUNYAはガラが悪い”みたいな(笑)。
44MAGNUM / JIMMY
――やんちゃなボーカリストというイメージでした。44MAGNUMの舎弟であるJUNYAさんがREACTIONで活躍する様を、JIMMYさんはどう感じ取っていましたか?
JIMMY:ローディーで関わった若手バンドマンのこと、舎弟とは思ってないよ。D'ERLANGERの一郎が「師匠」とか呼んでくるけど、落語家じゃないんだから、やめてくれと(笑)。
JUNYA:いや、やめられないですよ。
JIMMY:俺は最近、一郎のことをCIPHERと呼ぶけどね(笑)。「やめてくださいよ」って言われるけど、CIPHERってほうが呼びやすいから(笑)。キャリアを積んできたら、年上や年下とか関係ないからね。でも当時、JUNYAだけじゃなくて、D'ERLANGERを見ても思ってたけど、なんでプロになれてんの、と。
JUNYA:アッハハ!
JIMMY:華が見えなかったから。というのは、俺には身近な存在過ぎて。そういうことで言えば、PAULの良さを、俺のほうが知らないかもよ(笑)。身近過ぎて。
JUNYA:REACTIONでデビューしてからも、PAUL師匠を前にすると、僕はローディー時代の気持ちになるし。44MAGNUMのローディーというのが自分にとっての始まりだから、自分がどうなろうが、ずっと変わらない気持ちなんですよ。一郎もそうだと思う。
JIMMY:「かわいがってくれてありがとうございます」みたいな感じでしょ、みなさん。別に、かわいがってたとかじゃなくて、ただ、後輩たちがなにか困ってることがあったら、やっぱり気になる。
■一時、ヤバかったんですよ。人間関係だったり、人が信用できなくなったりして、精神的にだんだんおかしくなってきて。(JUNYA)
――話が一気に飛びますが、REACTION解散後にJUNYAさんはGRAND SLAMで活動しました。ところが97年2月の解散ライブを最後に、JUNYAさんはバンドや音楽活動から離れました。あの時期、PAULさんやJIMMYさんに相談もしたんですか?
JUNYA:あのときは相談していない、だいぶ病んでたから。
JIMMY:病んでた……風邪ひいたとか、そっちじゃなくて(笑)?
JUNYA:風邪はしょっちゅうひいてましたけど(笑)。
JIMMY:JUNYAは精神的に病んでるというキャラじゃないよ。
JUNYA:一時、ヤバかったんですよ。人間関係だったり、人が信用できなくなったりして、精神的にだんだんおかしくなってきて。不眠症にもなったりして、いろんな薬も処方してもらって。それでもうダメだってなり、自分で決断して音楽をやめたので。相談したといえば、REACTIONに加入するときにしました。44MAGNUMのメンバー、みなさんに相談したんです。「MEDIAをやめて、REACTIONに誘われたんですけど」って。
JIMMY:俺にも相談した? で、俺はそのときになんて言ってた(笑)?
JUNYA:JIMMYさんは「オマエ、MEDIAどうすんねん」って。BANちゃんも「MEDIAは? KOJIはどうすんの?」と。PAUL師匠も「オマエ、MEDIAをやめんの?」って。でもJOEさんだけは違ったんですよ。「やる気があって、チャンスだと思うならやれ」って。
JIMMY:さすが、JOEらしいな(笑)。
JUNYA:その一言でREACTIONに入るのを85年に決めたんですよ。
――話を戻して、音楽をやめるかどうかってときには44MAGNUMのメンバーに相談することもなく決めて。その後、PAULさんやJIMMYさんと話をする機会は?
JUNYA:一切なかったです。
JIMMY:そうか……。でも、俺も人間不信になることはしょっちゅうあったな。JUNYAほど、根を詰めて病むってことはなかったけど。途中で開き直ってたから(笑)。
JUNYA:だから昔、JIMMYさんはよく言ってくれてたんですよ。「JUNYA、オマエは考え過ぎや」って。
JIMMY:人のことはよく分かるからね。
JUNYA
――97年にバンドや音楽をやめてから、当時のミュージシャン仲間との交流はあったんですか?
JUNYA:D'ERLANGERの一郎と哲すら連絡取ってないです。もちろん44MAGNUMのみなさんとも交流はなかったし。31歳で引退してから、その後、29年間ぐらい音楽業界の誰とも連絡を取らなかったです。
JIMMY:それは長いな。人間不信というのもあって、周りが全て敵のように思えたわけ?
JUNYA:敵というか、心をもう乱されたくないっていう。刺激はいらないという精神状態だったんです。
JIMMY:デリケートやね。
JUNYA:そう、バリケード!
JIMMY:しょうもないギャグやめて(笑)。
JUNYA:44MAGNUMに教わったんですよ、ローディー時代に(笑)。
JIMMY:その29年間に音楽は聴いてたの?
JUNYA:聴いていました。あの頃の曲しか聴いてなかったです。
JIMMY:人間不信になる前の時期の。
JUNYA:そうです。
JIMMY:自分の精神状態が良かったころの。
JUNYA:はい。
■当時の心境とかを聞いて、そういうことが起こっていたのかと思ったけど、でも“不義理”って言葉は今後、使わないほうがいいと思うよ。(JIMMY)
――音楽の現場から離れていたJUNYAさんですが、2024年、44MAGNUMのライブに行きましたよね。なにがJUNYAさんを突き動かしたんですか?
JUNYA:なにも言わないで音楽をやめて消えちゃったじゃないですか、僕は。師匠である44MAGNUMのみなさんにも、なんの相談もせずに。不義理だなっていうのはずっと心のなかにあって、ずっと引っ掛かっていたんです。でも合わせる顔がないと思っていました。だけど、44MAGNUMが目黒鹿鳴館での最後のライブになるってことをSNSで知って、不義理だったことをお詫びしに行こうと思ったんです。怒られるか、追い出されるか分からないけど、とにかくお詫びしようって。腹をくくって行ったんです。
JIMMY:不義理なんて、とんでもない。白田一秀が2023年に亡くなったのが、ひとつのきっかけかなと俺は思っていたけど。
JUNYA:最初の大きなきっかけではありました。白田が体調を崩したとき、入院中の白田と会っていて、そのときに約束したんです。「健康になったら音を出そうぜ」って。それが残念ながら叶わなくて。白田が亡くなってしまって、僕が歌うことは完全にもうないだろうって思っていました。それで29年も経ってからですけど、あのときに不義理だったことを44MAGNUMのみなさんにお詫びしたいって。
JIMMY:JUNYAが不義理だったとは我々は誰も考えていなかったし。なんかのきっかけで音楽よりいいものが見つかったとか、どっかへ行ったときに人生観が変わったからバンドをやめるとか、わりと明るい方向で考えてたから。
JUNYA:いや、逃げたんです、俺。
JIMMY:JUNYAから当時の心境とかを今、聞いて、そういうことが起こっていたのかと思ったけど、でも“不義理”って言葉は、今後、使わないほうがいいと思うよ。
JUNYA:はい。鹿鳴館でお一人ずつ挨拶をした時点で、僕の中でひとつ整理がついたので。それで44MAGNUMのライブを最後まで観させてもらったら、帰るつもりだったんですよ、僕は。
JIMMY
――それがステージのPAULさんから突然、ステージに呼ばれてしまうという!
JIMMY:わりとすぐステージへ来たよな(笑)。
JUNYA:師匠に呼ばれたら、ローディーは走ってすぐに行くしかないじゃないですか(笑)。44MAGNUMのライブを観ながら、声が出るぐらいに僕は泣いてたんです。ところが「来い」っていきなり師匠から言われて。
JIMMY:涙をエプロンで吹きながら(笑)。
JUNYA:それでステージに上げさせられて、PAUL師匠から「オマエ、何なら歌えんねん」と言われて(笑)。
JIMMY:ちゃんとステージングしてたけどな、JUNYA。元気やな、と思った(笑)。
JUNYA:やるしかないじゃないですか、弟子として。
JIMMY:ライブ中の“間の感覚”っていうのかな、何十年もブランクあるようには思わなかったね。
JUNYA:カラダが覚えていたんでしょうね。ライブって刺激的なものだから、それが突然、ドンと来たら自分にとって衝撃ではありますけど、自分のなかで育てていたものが勝手に戻ってきますよ。自分の芯の部分ですから、ライブや44MAGNUMの存在というのは。
■根底にあるものはわりと自分で大事にしていると思う。久しぶりにJUNYAと鹿鳴館で会ったときも、ああ、変わってないなと思ったし。(JIMMY)
――それでJUNYAさんのバンドや音楽に対するエンジンが掛かったんですか?
JUNYA:呼ばれて歌った後に、PAUL師匠から「オマエ、帰ってこい」と言われたんですよ。そこからです、再び考えるようになったのは。
JIMMY:PAULの一言で? 凄いな、PAULって。熱い感じというより、PAULは軽いノリで「おう、帰ってこい」みたいなね(笑)。そんな感じちゃう?
JUNYA:そこはどっちでもいいんですよ。とにかくPAUL師匠の言葉が俺には響いたんです。でも実家に「ただいま」って帰る感じとは違うじゃないですか、バンドや音楽を再開するのは。すぐに帰ろうって決められるわけでもなかったです。音楽をやめて29年経っていて、容姿も違うし、考え方もあのころとは違うし。若いときは全精力を音楽に傾けていたので。そこからリタイアしたとき、考え方を変えなきゃいけないと思ったんです。社会というものがあって、仕事をして、家族もいて、生活があって。
JIMMY:余計なことかも分からないけど、デビュー当時の考えや価値観がひとつの基準だとして、そこから変化が起こっていくじゃない? 好きな方向性が変わったり、それによって周りや環境も変わったりする。それは変わるとかではなく、重なっていく感、そして重なっていくものの量が多くなっていく。ただ、多くなると、自分では整理できなくなることもある。なにがどうなっていくのか。でも根底にあるものはわりと自分で大事にしていると思う。久しぶりにJUNYAと鹿鳴館で会ったときも、ああ、変わってないなと思ったし。
JUNYA:僕が何者でもないときに44MAGNUMと関わらせてもらったから、僕の根っこの部分をよく知ってらっしゃると思うんですよね。師匠たちの前では、僕も鎧を着る必要もないし、虚勢を張る必要もないので、自然に素直になりますよ。それで師匠たちの言葉も素直に受け止められますよね。
■60歳になった自分が、どんな表現ができるか。できることを素直に、精一杯やっていこうと思っています。(JUNYA)
――44MAGNUMとの再会からリスタートが始まったというのはドラマティックですよ。
JIMMY:それで俺の去年のバースデーライブにもJUNYAは来てもらったし。
JUNYA project
――先日の『SAITAMA Summer Rock Festival 2026~Burningsplash- 60分 BATTLE -』でも、44MAGNUMのステージにJUNYAさんは飛び入りしてコラボレーションもしました。
JIMMY:そして9月の44MAGNUMのライブにもJUNYAはゲストで歌ってくれるつもりで、ここに来ましたけど(笑)。
JUNYA:俺もそのつもりで来ましたよ(笑)。JIMMYさんとは、あんまり形式ばった業務的な話を改まってしたことはないんですよ。JIMMYさんのソロのイベントに出させてもらって、数曲、歌って、「これはまたあるかな…!」とか僕は思っちゃうわけですよ。
JIMMY:そして今、JUNYAは9月の44MAGNUMのライブにも、やる気満々でいてくれるんだろうなって予感が……。
JUNYA:もちろんですよ。120%で取り組むつもりです。44MAGNUMのサポートになるのであれば、いくらでもやりますよ。
JIMMY:サポートじゃなくて、ゲストボーカリストですよ。
JUNYA:いやいや。44MAGNUMと一緒にステージに立てるんだったら、俺はなんでもやります。あと10月のJIMMYさんのバースデーライブにも、もちろん参加しますよ。
――12月には、JUNYA Projectはサブラベルズとの対バンを新宿ロフトで行なうことも決まってます。本格復活した今、近い将来のビジョンをどう考えていますか?
JUNYA:60歳になった自分が、どんな表現ができるかってことです。アーティストとしてとか、シンガーとしてとか、そういうのも大事なことだろうけど、今の自分がなにができるのかって。観に来てくれる人を楽しませることができるのかってことを、真剣に考えていこうと思っているのが、今のビジョンです。
JIMMY:分かる。バシッと実感が欲しいんだよね。実感があることをやるってことは、つまり好きなこと中心にやるってことだろうし。生きてる実感があるってことをやればいいかなと俺も思ってる。
JUNYA:この前の埼玉会館は実感があったし、すごく刺激的でしたよ。みんなが昼から晩まで手を振り上げて一緒に歌ってくれているのは、すごい力だなって。若いときよりも思った。44MAGNUMのステージに立ったとき、俺が昼1時にステージをやったときとお客さんのパワーが全然変わってねえぞって(笑)。そういう人たちが楽しもうと思って観ているっていうのを感じるから、こっちも応えなきゃって。で、期待以上のことをしなきゃって思ったんですよ。
JIMMY:20代のころは人生は永遠だ、とか思っていたじゃん? でも今は、観ている側も永遠だと思っていない感じがあるじゃん。観れて良かったとか、元気で良かったとかさ。それはそれでいいと思うんだよね。人生には時間制限があるから、すごく貴重な感じがして、本気で喜んでくれているなって思うし。それは感動や感激しますね。
JUNYA:僕も、できることを素直に、精一杯やっていこうと思っています。
取材・文=長谷川幸信
JUNYA project ライブ情報
44MAGNUM / JIMMY 情報
2026年10月12日(月・祝) 東京・バウハウス六本木
CIPHER(D'ERLANGER)
JUNYA KATO
HIDEAKI NAKAMA
TAIJI FUJIMOTO
■44MAGNUMメジャーデビュー44周年記念公演
2027年4月4日(日)浅草花劇場
■44MAGNUM https://www.44magnum2001.com/
■JIMMY https://www.44magnum2001.com/jimmy/index.html