尾上松緑の碇知盛が壮絶に散る 歌舞伎座『錦秋十月大歌舞伎』第三部観劇レポート
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第三部『義経千本桜 渡海屋・大物浦』(左より)渡海屋銀平実は新中納言知盛=尾上松緑、女房お柳実は典侍の局=中村時蔵
2026年10月2日(金)、歌舞伎座で『錦秋十月大歌舞伎』が開幕した。1日三部制のうち、壮絶なクライマックスで知られる『義経千本桜』「渡海屋・大物浦」は、尾上松緑、中村時蔵をはじめ、盤石な配役で名作を名作として力強く届ける。舞踊『屋敷娘』では、中村壱太郎と尾上眞秀が娘姿で共演し、『近江のお兼』では、壱太郎が力強い娘の姿で華やかに魅了する。充実の第三部をレポートする。
【第三部】18時開演
一、義経千本桜(よしつねせんぼんざくら) 渡海屋・大物浦
壇ノ浦の戦いで勝利をおさめた源義経だが、兄の頼朝の不興を受けてしまう。世を忍び、兄の追っ手や、平家の残党からも命を狙われる。兄の追っ手から逃れる、源義経の道中が描かれる物語だ。義経を取り巻く人々が、各場面の主人公となる。「渡海屋(とかいや)・大物浦(だいもつのうら)」の主人公は、壇ノ浦で討ち死にしたと思われた平知盛。尾上松緑が勤める。
渡海屋
第三部『義経千本桜 渡海屋・大物浦』(左より)源義経=中村種之助、女房お柳実は典侍の局=中村時蔵
幕が開くと、渡海屋という船宿。主人の銀平と女房お柳は、逗留している義経(中村種之助)たちの船出を手厚くサポートする。しかし銀平の正体は、実は平家の猛将、平知盛。お柳の正体は、典侍の局(中村時蔵)。お昼寝をしていた娘の“お安さん”こそが、壇ノ浦で入水したと思われた安徳帝なのだ。“打倒義経”の機会を狙っていた知盛たちは、今まさに、その時を迎える……。
松緑の銀平は、花道の登場では厚司(アイヌのアットゥシ織)を羽織った粋な姿で拍手を浴び、出陣前には、純白に銀が光る鎧姿で、神聖なものをみる気持ちにさせた。栄華を誇った平家のセンスの良さを想像させた。渡海屋の下女や船頭たちがつくる活気は心地よく、相模五郎(坂東亀蔵)、入江丹蔵(中村萬太郎)も生き生きと、魚尽くしの負け惜しみで観客を(きっと知盛と典侍の局をも)楽しませた。この空気が後半の展開に、一層深い落差を作るようだった。
第三部『義経千本桜 渡海屋・大物浦』(左より)相模五郎=坂東亀蔵、入江丹蔵=中村萬太郎
大物浦
わら葺の小屋に、緋色の長袴に平安装束の官女、そして典侍の局と安徳帝。不釣り合いなほどの雅やかさは、幻をみるようだった。入水を前に、安徳帝は典侍の局が行くならどこへでも行こうと答える。ふたりが重ねてきた時間を想像した。時蔵の典侍の局は渡海屋でも面差しから品があり、「実は渡海屋の女房ではなく」という設定に説得力を与えていた。夫自慢のシャベリで観客を笑顔にし、大物浦では、十二単で、毅然と海へ「如何に八大竜王恒河のうろくず」と呼びかける。安徳帝と海の神を繋ぐ祈りでありながら、救いにすがるものではない。憤りをこらえ、問いかけているかのようだった。
第三部『義経千本桜 渡海屋・大物浦』女房お柳実は典侍の局=中村時蔵
そして大物浦でありながら、思い浮かぶのは壇ノ浦での惨敗だ。知盛は、また敗れる。あまりにも哀れな状況だが、松緑の知盛をみすぼらしいと感じる瞬間は、最期までなかった。長刀を手に、花道へなだれ込んできた時、白い装束はすでに血に染まり、満身創痍。残る力、残る命、呼吸ひとつ無駄にせず、研ぎ澄まされた集中力で殺気を漲らせる。この知盛なら、今度こそ勝てるかもしれない。思わず、ありえない期待をした。生々しい緊張感の立廻りだった。知盛は最期まで、平家の武将として誇り高かった。壮絶なラストに、驚きの声と拍手が響いた。
第三部『義経千本桜 渡海屋・大物浦』(左より)渡海屋銀平実は新中納言知盛=尾上松緑、武蔵坊弁慶=中村吉之丞
義経主従が、渡海屋に立ち寄りさえしなければ、皆で静かに暮らせたのではないか。義経が憎いとさえ思われた。種之助の義経は、そんな一観客の憎しみまで引き受けるように、静かで深い悲しみと憂いを湛えていた。弁慶(中村吉之丞)の法螺貝の音が響き、重厚な余韻とともに熱い拍手で幕となった。
松緑も時蔵も度々勤めているが、このふたりでの『渡海屋・大物浦』は初。義太夫狂言の名作を、ぜひこのふたりで観てほしい。
二、 屋敷娘(やしきむすめ)近江のお兼(おうみのおかね)
上 屋敷娘(やしきむすめ)
第三部『近江のお兼』(左より)娘お秀=尾上眞秀、娘お壱=中村壱太郎
「大物浦」で打ちひしがれた心が、パッと明るくなる一幕。振袖に揃いの日傘で花道に登場する娘、お壱(中村壱太郎)とお秀(尾上眞秀)。大名屋敷で、行儀見習い奉公をしているふたりが、休暇で親もとへ帰るところだ。……といった前情報がなくとも、眞秀は全身全顔が、うれしい気持ちではちきれそう。観ている者の心も心地よく膨らませる。大人の女性が踊るような、恋の唄も大きく明るくみせる。それを、どこか見守るように、にこやかに踊るのが、壱太郎だ。眞秀の実年齢も相まってのかわいらしさと並ぶことで、壱太郎の女方の芸がより鮮やかに立ち上がる。壱太郎の嫋やかさと淑やかさが、贅沢な気持ちにさせた。
第三部『近江のお兼』(左より)娘お壱=中村壱太郎、娘お秀=尾上眞秀
下 近江のお兼(おうみのおかね)
第三部『近江のお兼』近江のお兼=中村壱太郎
続けて、壱太郎の『近江のお兼』。大きな馬が駆け込んできたと思ったら、盥を手にした近江のお兼が、スッと上手に馬を手なづけた。お兼は、男勝りの力を持つ女なのだ。とはいえ怪力でねじ伏せるのとは少し違う。ちょっとの力で、充分暴れ馬が大人しくなる。お兼のかわいらしさと古典ならではのユーモアが、客席の空気を和ませる。長唄にのり、元気に愛らしく。かと思えば、手拭いでしっとりとした空気を作り、壱太郎がふと遠くを見れば、つられてこちらの心も遠くまで広がるようだった。幕切れは、若い者を相手に、白く長い晒を二本自在に扱い、下駄で床を踏む。音と明るさが場内を満たし、高揚感とともに幕となった。
10月2日(金)から20日(火)まで、歌舞伎座で上演。
取材・文=塚田史香
公演情報
会場:歌舞伎座
第一部 午前11時~
湧昇水鯉滝
一、鯉つかみ(こいつかみ)
釣家下館の場
琵琶湖中鯉退治の場
滝窓志賀之助/滝窓志賀之助実は鯉の精:片岡愛之助
篠村次郎公光:坂東巳之助
小桜姫:中村壱太郎
呉竹:市川門之助
川連法眼館
佐藤忠信/佐藤忠信実は源九郎狐:八代目尾上菊五郎
静御前:中村雀右衛門
駿河次郎:市村橘太郎
亀井六郎:上村吉太朗
飛鳥:上村吉弥
川連法眼:河原崎権十郎
源義経:七代目尾上菊五郎
盛綱陣屋
:八代目尾上菊五郎(Bプロ)
篝火:片岡孝太郎
和田兵衛秀盛:片岡愛之助
信楽太郎:坂東巳之助
伊吹藤太:中村種之助
高綱一子小四郎:中村梅枝
盛綱一子小三郎:中村秀乃介
古郡新左衛門:嵐橘三郎
竹下孫八:中村萬太郎
早瀬:中村時蔵
微妙:中村萬壽
北條時政:中村歌六
※Aプロ(10月2・3・6・7・11・12・15・16・20日)
※Bプロ(10月4・5・8・10・13・14・17・18・19日)
山帰り大吉:坂東巳之助
第三部 午後6時~
渡海屋
大物浦
渡海屋銀平実は新中納言知盛:尾上松緑
女房お柳実は典侍の局:中村時蔵
源義経:中村種之助
武蔵坊弁慶:中村吉之丞
入江丹蔵:中村萬太郎
相模五郎:坂東亀蔵
上 屋敷娘(やしきむすめ)
二、
下 近江のお兼(おうみのおかね)
娘お秀:尾上眞秀