androp バンドの歴史とこれからの姿に迫るロングインタビュ―・第1回
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androp 撮影=菊池貴裕
結成以来、アルバムの頭文字を「a」「n」「d」…とバンド名をなぞってネーミングし続けてきたandrop。5作目(メジャーでは3作目)の『period』で「a-n-d-r-o-p」を完成させた彼らは、昨年2015年にセルフタイトルとなるアルバム『androp』をリリースした。そんなひとつの区切り、節目ともいえる作品を世に出した彼らは、5月から始まる全国ツアーに向け、そして次なる作品に向けて、いま何を見据えているのだろう。SPICEではこれからのandropをうらなうべく、結成当初からのヒストリーを振り返りながらバンドの現在位置を紐解く。全3回にわたるメンバー全員でのロングインタビュー、じっくりと彼らの歴史に触れることのできる永久保存版だ。
──まずはandropが始まったときのことからお聞きしていきたいんですが、どうやって4人は集まったんですか?
内澤崇仁(Vo/Gt 以下、内澤):僕が前にやっていたバンドが解散してしまって、また新しく組もうと思ったときに、当時よく出ていた下北沢のライブハウスで対バンしていたバンドにいた佐藤君のことを思い出したんですよ。いつもニコニコしながら楽しそうにギターを弾いていたのを覚えていて。その佐藤君を誘って、ドラムとベースをずっと探していたんですけど、共通の知り合いから前田君を紹介してもらって。で、良いドラムを探しているっていう話をしたら、前田君が昔からの知り合いだった伊藤君を連れてきてくれて。その4人でスタジオに入ったんですけど、あらかじめ3人にデモを渡していて、その曲を合わせたんですよ。その中に「Image Word」とか、あとは「Basho」と「Tonbi」が入ってたんですけど。
──じゃあ『anew』(1stアルバム。2009年12月発売)の曲はもうすでにあったんですね。
内澤:そうですね。他にも曲を作り貯めてはいたんですけど、デモを渡して合わせたのはその3曲で、4人で入る前にいろんな人たちと試してもいたから、一緒に演奏したら音がどんな感じになるか?っていうのが、もう分かるようになってたんですよ。で、4人で合わせたときに音楽で会話できた気がして。
──感触が全然違いましたか?
内澤:デモを聴いて、自分の中で解釈してスタジオに持ってくる過程がすごく見えたというか。たとえば、ドラムはこうやって打ち込まれているけど、きっとこうやって叩いてほしいんだろうなって僕が思っているのを感じ取って、それを理解して叩いてくれていて。
──曲の作り手としてはめちゃくちゃ嬉しいですよね。
内澤:そうなんです。それがすごく分かったから、この人たちとだったら、きっとちゃんと会話ができるし、もっと良いものも作れるだろうなって。
androp・内澤崇仁 撮影=菊池貴裕
──佐藤さんとしては、最初に内澤さんから渡されたデモを聴いたときや、スタジオに入ったときはどんな印象を持ちました?
佐藤拓也(Gt/Key 以下、佐藤):デモの完成度がものすごく高かったし、とにかく楽曲が素晴らしいなっていう、まずそこにすごい感動して。だから、僕は大丈夫かな……っていう感じでしたけどね。きっとこういう風にやってほしいんだろうけど、俺ちゃんとできてるかな……って。結構緊張してました。
前田恭介(Ba 以下、前田):デモをもらってからスタジオに入るまで、1ヶ月ぐらい期間があったんですよ。その間ずっと聴き続けていたから、叩き込んで理解するというよりは、もう完全に生活の一部みたいになっていて。実際、何度聴いてもすごくいい曲だなと思ったし、こんなバンドできたらいいなっていう音楽だったんですよね。だから、本当に自然と自分の中に入ってきて、それをストレートに演奏したらそう思ってくれたっていうのはよかったなって。
──伊藤さんは、前田さんが連れてきてっていうお話でしたけど。
伊藤彬彦(Dr 以下、伊藤):その当時、前田君が僕の家に入り浸ってたんですよ。そのときに「今度こういうバンドでどうのこうの――」って言いながら、そのデモを聴いてたんですけど、なんかいい曲だなぁと思って「あぁ、いいですね」みたいな。
佐藤:“お前だけ良い話来てんな?”みたいな?(笑)
伊藤:そうそうそう(笑)。そのとき僕もバンドを探していたので。それからしばらくして、「どうやらドラムもいないらしい」って言い出したんですけど、それがスタジオに入る結構直前で。前田君は“生活の一部”とか言ってましたけど、僕は寝ないで練習してたんで、話を聞いててちょっとうらやましいなと思ったんですけど(一同笑)。
伊藤:テクニカルな要素がふんだんに盛り込まれていて、なかなか手強いなと思っていたので、僕もわりと緊張はしてましたね。でも、やりがいはすごく感じていたので、緊張半分、楽しさ半分みたいな感じでした。
androp・佐藤拓也 撮影=菊池貴裕
──みなさんそれぞれ「曲がよかった」というお話をされてましたけど、その曲を届けるために、スタート当初のヴィジュアルはバンドロゴのみで、メンバー全員が顔を出していなかったし、なんなら名前すらも公表しない徹底ぶりでしたよね。
内澤:僕だけは名前を出してはいましたけど、インタビューでは“ギターのやつ”って言ってたりしてましたからね(笑)。
──ははははは(笑)。楽曲至上主義ゆえに、そういう方向性になったのは結構自然な流れでもありましたか?
内澤:そうですね。目で見えるものとか、誰がやっている何人組で、どういう人たちなのかっていう情報とかが、自分たちの音楽にとって何かしらの足枷になるのが嫌だったんですよ。そういうものを全部排除して、まずは耳で判断してもらおう。それでダメだったら、それが結果だと思ってやっていこうと。でも、自分たちのことをパっと思い浮かべるものがほしかったので、バンドロゴだけ考えて、それを全面に押し出していこうって。
──顔を隠すというトリッキーなことをしたとしても、実際に曲が良くなければ広まらないでしょうし。
内澤:そうですよね。あとは今だったら、たとえば動画サイトに曲をアップしてすぐ発表することもできるけど、まだその当時はみんながみんなパソコンを持っていて、インターネットですぐに調べられるっていう時代ではなかったんですよ。
佐藤:ちょうどスマホが出てきた頃だったよね。iPhoneの3Gとかが出始めて、早い人はそれを持っていてっていう。
内澤:そうそう。ネットの普及率が加速し始めた頃で。だから、僕らはCDを聴いて、雑誌とかを見て好きな音楽を知っていった世代ではあるので、そうなった流れもすごく自然だったというか。ネットを使ってどうこうとかよりも、まずはとにかく良い音楽を作ろうって。
──ただ、そうやって表に出て行かないことによって、少しリスキーな部分も言ってみればあったと思うんですけど。
内澤:それよりも顔や名前を出したことで何かを得るっていうことが好きじゃなかったし、最初の頃は、とにかく「完璧な音楽」を作りたいって思っていたんですね。耳で誰もが納得するもの、自分が納得するものを音源にしたいと思ってやっていたので、それ以外のことは全て無駄に思えたんです。とにかく耳で判断してもらって、そこからライヴに来てもらって、こういう人たちがやっているんだっていうのを初めて知って、改めて音楽を体感するっていうものにしたくて。
佐藤:内澤君が話していたことはすごく納得できたし、僕らとしては、たとえばCDを出す上でプロモーションをしたり、アーティスト写真やミュージックビデオを撮ったりするその時間を、全部音楽に費やすことができたんですよね。そういうメリットもあって。
伊藤:それこそバンドがスタートしたばかりで、演奏の部分だったり、考え方だったりっていうバンドの基礎を形成しなきゃいけなかった時期だったんですけど、そのときに、なにはともあれ良い音楽を作ろうとか、良い演奏をしようとか、あくまでも音楽に向き合っていこうっていうことを全員で共有できたんですよ。それが今も活かされているので、あの時期に集中してそれができたのはよかったと思います。
前田:でも、そうやって自分たちの中で完結していたから、メディアの人とあまり接することもなければ、ライヴをやるにしても、ソールドアウトしてるのに本当にお客さんが来てくれるのかあまり信じられなくて(笑)。でも、実際にライヴでお客さんと接することによって、コミュニケーションを取れるわけじゃないですか。その喜びを直に、というよりは、むしろそれがすべてだったんです。外部との接触がライヴのみだったので。だからこそ、ライヴのよさとか、ありがたさをすごく体感できたので、それはすごく幸せだったなって思います。
androp・前田恭介 撮影=菊池貴裕
──そうやって活動をしていく中で、音楽性としては、『anew』『note』(2ndアルバム。2010年4月発売)『door』(3rdアルバム。2011年2月発売)と、作品を経ていくごとに、ギターロックだったものが、ポストロックだったり、エレクトロだったり、様々な要素が入り組んでいくようになりましたけど、どんなことを思いながら曲を作っていましたか?
内澤:一番最初にやっていたものは、ライヴでの再現性がないものはやめようっていう想いから、同期っぽいものや打ち込みっぽいものをほとんど排除して作ったのが『anew』で、『note』もほぼその感じでした。ステージ上で鳴らせるものをっていう。当初は、どういう人たちが自分たちの音楽を聴いてくれているのか分からなかったので、とにかく自分の好きなものを作っていたんですけど、前田君も言ってたけど、ライヴでコミュニケーションをすることによって、自分たちの音楽を聴いてくれているのはこういう人たちなんだ、じゃあこの人たちに対して、自分は何ができるんだろうって考え始めたんです。
──たとえばどんなことですか?
内澤:僕としては、今はこういう曲を作ってはいるけど、自分が好きな音楽って決してそれだけじゃないんですよね。先ほど挙っていたポストロックもエレクトロも好きだし、いろんなジャンルから影響を受けていたので、“音楽ってそれだけじゃないんだよ”ってライヴをしながら思ったというか。本当にいろんな音楽があるし、その見せ方も聴かせ方もいろいろあるんだっていうのを、みんなにもっと知ってほしくなったんです。そうやって自分が思っているもの、作れるもの、鳴らせるもの、歌えるものっていうのはこれだけじゃないんだっていうのをどんどんやりたくなって、その想いが『door』で爆発した気がします。
──そこから『relight』(1stフルアルバム。2011年9月)に至ったわけですけど、1曲に対する密度もどんどん濃くなっていた感覚もあったのですが。
内澤:どうだったんだろう……とにかく当時の自分が作れる中で「完璧な音楽」を作っていたんですけど、だんだんそれって自分の独りよがりなんだろうなって思い始めたというか。
──というと?
内澤:『anew』とか『note』を作っていた頃は、自分に技術がないから思い通りの曲が作れない、思い通りの表現ができないんだって思っていたんです。その頃は、たとえば、音程がここまでブレずにしっかりと伸びているとか、リズムがとても精確だとか、そういったものが「完璧な音楽」だと僕は思っていて。だけど、たとえそういうものを作れたとしても、その先にいる聴く人達の心を揺り動かさない限りは、完璧だなんて呼べないなって思うようになったんです。そう思ったのが『door』を出した頃で、その後に震災(東日本大震災)があったんですよ。僕は青森出身なんですけど、東北が大変な被害にあって、やっぱりいろんなことを考えたんです。一時期は曲も作れなくなったし、自分は何のために音楽を鳴らすんだろうってすごく考えていて。でも、だからこそ独りよがりのものじゃなくて、もっと広がるものを、自分の音楽を好きで聴いてくれる人の心に届くものを作らないと納得出来なくなっていったし、そういうものを作っていきたいって思ったんですよね。そういう変化はありました。
──前田さんは、そういった内澤さんの変化を曲から感じたりしましたか?
前田:一貫してデモを作り込んでくる人なので、そこにブレは全然ないんですけど、仮歌の熱量とかがどんどんあがっていったんですよ。歌詞が全部入っているわけではないんだけど、何かをすごく伝えたいんだろうなっていうのはすごく思いました。それに、デモのクオリティもどんどんあがっていったし、内澤君の中にしっかりとした世界があるんだなと思ったから、それをちゃんと表現しないといけないなって。
伊藤:僕もそうでしたね。その時期は、とにかく内澤君の作る音楽を表現できる自分になりたいと思っていて。自分が考える要素をバンドに入れるんじゃなくて、あくまで内澤君が考えたものを、いかに自分自身の精度を高めて行って、それを4人として表現できるかっていう。その土台を作っていかなきゃいけないなっていう意識が強かったです。
androp・伊藤彬彦 撮影=菊池貴裕
──佐藤さんは『door』から『relight』へ向かっていくときは、どんなことを思ってましたか?
佐藤:『door』を出した後に初めて全国ツアーをしたんですよ。その初日の大阪で、『door』に入っている「MirrorDance」を演奏したら、お客さんがハンドクラップをしてくれて、初めてライヴハウスが一体となって楽しめる空間を作れた感覚が、僕だけじゃなくてみんなの中にあったんです。それまでは、間違えないようにしよう、とにかく精度の高いものを見せられればいいと思っていたけど、ライヴってこういうものなんだって気づけて。そういう瞬間を作れるようになれたらいいねっていう話をしていてからの『relight』だったので、あのツアーも大きかったと思います。その頃からちょっとずつ、僕らの名前とか、顔も出し始めていったので。自分たちの名前を言ったのも、『door』のリリースツアーでのSHIBUYA-AXだったし。
内澤:初めて自分たちがミュージックビデオに出たのも『relight』に入っている「Bright Siren」だったしね。
前田:顔はほとんど映ってなかったけど。
──完全に顔がわかる!ってなったのは「Boohoo」(2ndシングル。2012年8月発売)のときでしたね。ただ、そうやってライヴを積み重ねて行くことで、バンドがどんどん変わって行ったと。
内澤:僕らはだいたいライヴで変わってきていますね。ニュースごとは全部ライヴで発表していたし、お客さんから求められるものに対してもライヴで応えてきたし。
佐藤:昔の僕たちを知っている人が、急に今の僕たちを見ると“なんで変わったの?”って言うかもしれないけど、意外とそういう段階を踏んできてるんですよ。求められて、それに応えていったっていう。
撮影・菊池貴裕 インタビュー・文=山口哲生
one-man live tour 2016 ”Image World”
2016.05.11(水)福岡DRUM LOGOS
2016.05.13(金)なんばHatch
2016.05.15(日)Zepp Tokyo
2016.05.22(日)SENDAI PIT