小谷美紗子、キャリア初のピアノ弾き語りオールタイムベストに見る鮮烈な深み
小谷美紗子
画像を全て表示(3件)この人には嘘やお世辞は通用しない。社会生活や友人関係の中でそんなスリリングな時間はとかく「空気を読む」ことが善とされる最近はますます希少なものになってきたのではないだろうか。勿論、音楽を聴く時に、対象となるアーティストに見られているわけではないけれど、何より自分自身と対峙することになる、ならざるを得ない、小谷美紗子はそんな希少なアーティストである。
19歳でデビューし、今年20周年を迎えた彼女の周年プロジェクトの第一弾作品は初の弾き語りベスト盤である。歌とピアノのみで観衆と向き合うライヴを数多く経験してきた彼女のキャリアからは意外でもある。今年、オールタイムベストをリリースすることになった経緯とは?
「スタッフにピアノと歌のみのアルバムが一枚もないよ? 弾き語りのアーティストなのに、と言われました。本当だな〜と自分でも思い、もし、リリースするなら、20周年の年にリリースしたいと思いました。デビューからこれまでの曲をピアノと歌だけで、今の自分で語りたいと思いました。新しい作品制作途中でしたが、新しいアルバムの前に弾き語りベストをリリースしようということになりました」
その10曲はデビュー曲「嘆きの雪」の時代から東日本大震災後、無料配信のみで世に出した「3月のこと」や、現時点の新作『us』収録曲など、必ずしも11枚のオリジナルアルバムから満遍なく選ばれたわけではない。
「スタッフ数人と選曲大会をしました。曲数は、ライヴの曲数もそうですが、少なめで丁度良いと思っています。私の楽曲はさらっと流れるものが少ないので、聴く側も歌う側も集中して音楽と向き合うことが多いと思うので。それから、弾き語りのレコーディングはライブと同じように、編集しながら歌うことができません。ピアノを弾きながら歌うので、歌が良くてもピアノにミスがあったり、感情がイマイチ込められなかった時は、最初から録音し直します。限られた時間の中で最高のテイクを残すという作業なので、10曲の録音は10日間毎日ライヴをすることよりもずっとしんどいです。一年休みたくなるほどです」
厳選された10曲。10テイク。生易しいラブソングは一つもない。相手のずるさ、自分のずるさ、手に負えない人を想うということの破壊的な力。また、大きな権力に対してただ弾劾するのではなく、人間という生き物の性(さが)と重ねあわせて描出するリアリティ。正義や共感という劇薬めいた安易な表現に巻き込まれない個の表現は、むしろ徹底して独りで思索したい時、励ましになってくれるものだ。
そして、いい意味で「一年休みたいほど」という労作であるにも関わらず、この作品は押し付けがましくない。執念と同時に俯瞰で自分を見るような描写を声の表情や、今、その時でしかない演奏の必然。それがこのアルバムの純度を担保している。
「弾き語り録音の醍醐味としては、鍵盤に触れる指の音や、ペダルを踏む音、骨がポキっと鳴った音が、ボーカルマイクにのっていることなどです。それから、ミスタッチや歌のピッチが良くないところがあっても、テイクの一発の流れが良ければそちらを優先させるので、荒々しく剥き出しのテイクが残ることも、弾き語り録音の良いところだと思います」
その解像度の高さは、録音/ミックス・エンジニアの平沼浩司(Mr.Children、エレファントカシマシ、andymori、秦基博など)、マスタリングにKIMKENこと木村健太郎(岡村靖幸、電気グルーヴ、クラムボンなど)の仕事も一役買っている。
昨年、大いに話題になったMr.Childrenの2マンツアーの札幌編で共演したり、凛として時雨のTKと345がかねてファンであったことからこちらもライヴで共演が実現。他にもeastern youth、星野源、中村一義、安藤裕子、峯田和伸(銀杏BOYZ)、岸田繁(くるり)ら、小谷ファンを自称するミュージシャンやクリエーターは枚挙に暇がない。
背筋の伸びた表現者として、同じく表現者たちに意識されている小谷自身は、デビュー20周年の今、自分をどう見ているのだろうか。
「デビューしてから20年も歌っているのに、まだ歌うことに照れがあり、歌手になりきって歌っていないところが、短所であり長所でもあるのかなと思います。もっと歌えるのに、チェッ、と思いつつ、歌詞や感情を大事に歌っているので、良しとします」
自分は何にどうまだ納得していないのか? 解決はしなくても向き合うことはできる。小谷美紗子の音楽が希少なのは、その時間とスペースを作ってくれるからだろう。
文=石角友香
小谷美紗子『MONSTER』通常盤
小谷美紗子『MONSTER』特別「木の箱」仕様盤
<収録曲>
1. 手紙
2. Who
3. Off you go
4. 自分
5. 嘆きの雪
6. 子供のような笑い声
7. The Stone
8. 手の中
9. こんな風にして終わるもの
10. 3月のこと