本当は笑える? 舞台『8月の家族たち』 ~ 追憶のNY2008『August: Osage County』

2016.4.13
コラム
舞台

ミュージック・ボックス・シアター外壁より(2008年)


"Life’s Too Short"、人生短し…。これは、筆者の好きな英国BBCのコメディドラマの題名であるが、今はそれを言いたいわけではない。演劇ヲタク道を突き進む筆者としては、文字通り“短すぎる人生”において、出来る限り多くの傑作舞台を観ておきたいと考えている。だから時おり出かける短期間の海外旅行でも、観劇のスケジュールをギッシリと詰め込みたがる。『August: Osage County』(作:トレイシー・レッツ、演出:アナ・D・シャピロ)というストレートプレイを観たのは、2008年9月23日のことである。その時もニューヨーク滞在6日間で10本観るという強行スケジュールだったが、その中の最後の一本だった。その作品は後に日本で『8月の家族たち』という題名で流布され、ついには2016年5月に日本語で上演されることになった。たいへん印象深い、愉快な作品だったので、当時を振り返ってみたい。

その時期、9月15日にリーマン・ブラザーズが倒産したばかりで、ニューヨークは、いわゆるリーマン・ショックの暗雲が立ち込めていた。その影響なのか、ブロードウェイの観客数も減ったようで、当時かかっていた舞台の多くが、ほどなくして次々にクローズされていったのを憶えている。『Spring Awakening』『Legally Blonde』『Xanadu』『Forbidden Broadway』等々。昨年末の『プリンス・オブ・ブロードウェイ』で編曲を務めたジェイソン・ロバート・ブラウン(代表作:『ラスト・ファイヴ・イヤーズ』『マジソン郡の橋』)の手掛けた中学生ミュージカル『13』も、筆者の観たところ、なかなかの良作だったにもかかわらず、開幕後、数週間で打ち切られたと記憶する(当時無名のアリアナ・グランデも出演していたというのに…)。 また『A Tale of Two Cities(二都物語)』に至っては開幕して一週間も待たずにクローズとなった(その後、東宝ミュージカルとして陽の目を浴びることができたのだが)。

リーマン・ブラザース社(NY 2008年9月)

しかし当時、そうした負け組たちを横目に生き抜く勝ち組もいた。『Lion King』『CHICAGO』『Manma Mia!』『Wicked』といった観光客向けの定番はやはり強かった。それらと並び、その年(2008年)6月発表のトニー賞ミュージカル部門で賞を総なめにした『In The Heights』も生き残った。2016年4月現在、2年先までが定価で買えない超ヒット作『Hamilton』を作ったリン=マニュエル・ミランダの出世作である。そして、なんと『August: Osage County』もまた、金融危機なぞに負けることなく公演が継続されていたのだ。ミュージカルでもないのに、である。その年のトニー賞演劇部門最優秀作品賞はじめ5つの賞を受賞したことは大きかったのだ。しかしそのこと以上に、見応えのある“コメディ”としての評判が伝わっていたからこそ、観客を呼び続けることができていた、ということなのではないだろうか。

まあ、そんなことを意気揚々と書いている筆者ではあるのだが、恥ずかしながら英語はてんで弱い。だから通常、ブロードウェイ界隈で観るのは歌や踊りを楽しめるミュージカルが殆どだ。にもかかわらず2008年の訪米の際に、わざわざ件のストレートプレイを観劇対象に選んだのは、やはりトニー賞がきっかけではあった。受賞した作品がどんなものなのか気になってネットで調べてみると、個々の登場人物が色々な事情を抱え込みつつ、人間関係も荒みきった、現代アメリカの病理の凝縮されたようなダークコメディだと判った。これは非常に面白そうではないか。ならばと、早速に日本からネットでを購入した。とはいえ、いきなり現地で何の予備知識もなく観ても、何を喋っているのか皆目見当がつかないだろう。そこで、事前の予習をしようと決意した。

アマゾンから英語の戯曲を取り寄せ、パソコンの自動翻訳ソフトで訳させた。すると、母親のVioletという名が「すみれ」となるのはまあいいとして、長女Barbaraの娘Jeanが「デニム地」という役名に訳されるなど、ヘンテコな日本語が次々と生成されてしまう。さすがにそれでは具合が悪いので、結局、自らの手で全体を翻訳し直すという作業を、家の伴侶と共に地道に行なった。そうやって話の全貌を頭に叩き込んだ上で、現地での時差ボケが最も解消するであろう(多少は頭も冴えてきているであろう)滞在最終日のを取ったのである。

本作品は、2007年6月にシカゴのステッペンウルフ劇場で初演、同年12月にはブロードウェイ進出(キャストの大半も初演時のまま)、2008年4月からは同じブロードウェイ内のミュージック・ボックス・シアターで上演が続いていた。劇場に入ると、舞台上に四層構造の大きな一軒家が建っている。といっても内部が見えるよう切断されたような形のセットが後方に、そして登場人物達の主戦場となる部屋のセットが前方に位置していた。客層は、これはブロードウェイの特徴で、老若男女、とても幅広かった(子供はいなかったけど)。筆者の座席は1階の前方のほうだった。

ミュージック・ボックス・シアター(2008年)

"Life is very long…"。人生はとても長い…、というTSエリオットの詩を引用しながら始まる、父親ベバリーの台詞は、いきなりヒジョ~に聴き取りにくい英語であった。しかし我が周囲の観客はさっそく台詞のひとつひとつにドッカンドッカン大ウケである。筆者も予習の甲斐あって「今ここでは、こういうことを言ってるのだな」くらいはわかった。その後も、気の利いた台詞ごとにドッと笑い声。演劇とは、こうした客席の生の反応によって、テンポやリズムが作られてゆくのだと、改めて感じたものである。

マティ・フェイ 「私はいまだってすごくセクシーよ」 (I'm still very sexy)
バイオレット 「あなたはセクシーだわ、濡れた段ボール箱みたいにね」 (You're about as sexy as a wet cardboard box)

こういうフレーズが、ガーッとバカウケするのだ。テレビで海外シットコムを観ているようだ。いまいちチンプンカンの筆者も、あまり無反応すぎると周囲から浮いてしまいそうだったので、一緒になって作り笑いをしては、わかったようなフリをする。

ミュージック・ボックス・シアター外壁より(2008年)

『August: Osage County』、直訳すれば「8月:オーセージ郡」である。オーセージ郡はオクラホマ州の北部、アメリカ合衆国の真ん中近くに位置する。そこは19世紀に米政府がネイティブ・アメリカンから譲り受けた土地で、劇中「ただ暑いだけで何もない、だだっ広い平原」などと言われる。そんな土地に建つ一軒家に集まる家族たちの顛末を描いた戯曲なのである。

ただでさえ30度を軽く超える、日本で言えば熊谷市のような土地なのに、家の中では母親バイオレットの意向でクーラーをつけられない。だからよりいっそう暑苦しい、という設定だ。インコを飼ったら忽ち死んでしまった、というほど暑い、熱帯の鳥なのに、という台詞も出てくる。登場人物たちが「暑い、暑い」と汗を拭う演技を頻繁におこなうのだが、それでもニューヨークの劇場はクーラーを寒いくらいに効かせる傾向にあるので、油断すると劇中の暑さを忘れてしまいそうになる。しかし、そこも予習の成果として「この人たちはいつだって、うだるような暑さにイラついているのだ」ということを常に念頭に置くことができた。

重ねて言うが、予習をしたうえで観たことは本当に良かった。だいいち、登場人物が13人もいる。しかも、バイオレットだのバーバラだのべバリーだのビルだのと名前も紛らわしい。それら13人の個々のキャラと、それぞれの悩みや隠し事、そして人物たちの相関図がわからないと、おいてけぼりを食らう。やがて露呈してくるギリシャ悲劇的なエピソードにだってハラハラドキドキできない。俳優たちの達者な演技をじっくりと味わうことだってできない。しかし、予習のおかげで、筆者もちっとはエラそうなことをいえるようになったのである。もっとも、観てる間は理解しようと必死だった。しかるに、観終わってしまえば面白かったシーンが次々と脳裏に甦ってくるので、「あそこは実に笑えたな」なんて、記憶がちょっと余裕のある方向にすり替わったりしてるのである。

ただ、結果的に満足のゆく観劇だったことは確かで、良い気分になって、劇場のグッズ売り場ではTシャツを2種類購入した(そのうちの1枚には「This madhouse is my home」という象徴的な台詞がプリントされている)。また、終演後には出待ちをして俳優たちからPLAYBILL(無料パンフレット)にサインを貰った。

"August:Osage County" T-shirts

海外の面白い舞台を観ると、「もしも日本で上演したら」という妄想が湧く。私より数日前に同舞台を観た伴侶と、宿泊先近くのヘルズキッチンという食堂街で夕食をとりながら、こういう芝居はいわゆる“新劇”調にやっても伝わってこないから「やはり演出はケラリーノ・サンドロヴィッチだろう」なんていう話がさっそく交わされる。それで、もしもナイロン100℃がやったら、誰が何役で、というところまで盛り上がってゆくのである。そんな次第で、この『August: Osage County』と、そしてもうひとつ、或る有名なユーゴスラビア監督の撮った映画は、KERA氏にぜひ演出して欲しい二大作品として、その思いを長年胸に秘め続けて来たことは本当のことだ。

だから最近になって『8月の家族たち』のタイトルでKERA氏が本作品を演出することが決まったと知り、「念願かなったり」と悦んだ。キャストはバイオレットを除いて、我が家で妄想していたのとは大分異なったけれど、それでも相当に期待できる。この戯曲も、笑いのツボを最高に心得ている演出家に拾ってもらって幸運だった。すると、三女カレンが長々喋り続けるシーンは、モンティパイソン「旅行代理店」のエリック・アイドルを思い浮かべながら演出したりするのかもしれない。終盤近く、次女が母親にあることを話そうとするのを、そうさせまいと懸命に邪魔する長女のスラプスティックな行動も、あの演出家ならば、たとえばこんな感じでやるかな、と新たな妄想がどんどん広がり、ニンマリしてしまう。

しかし、である。ちょっといやらしい言い方をすると、そんな風にときめいているのは筆者だけなのではないか。これは筆者がたまたま向こうで観たから、そういう期待が高まるのであって、大多数の日本人演劇愛好家にとっては、「ん? アメリカ現代演劇?」「トレイシー・レッツ? トニー賞やピューリツァー賞をとった?」ってな感じで、いまいちピンと来ないのではないかと思う。同じKERA氏の演出でもチェーホフとかゴーリキーといった、おなじみの銘柄を手掛けるというのなら「おっ。面白そうじゃないか!」となるのだが…。しかし、あえて言ってしまおう、これは、より悪趣味に進化したドロドロのチェーホフなのだ、と。

ミュージック・ボックス・シアター外壁より(2008年)

それでも迷いが晴れないならば、どんな話なのかを確認するために、映画を見ればいい。『August: Osage County』は2013年に映画化され、日本でも公開された。そのタイトルこそ『8月の家族たち』だったのだ。 メリル・ストリープ、ジュリア・ロバーツ、ユアン・マクレガー、さらにはベネディクト・カンバーバッチやサム・シェパードまでもが出演して怪物的熱演を繰り広げた。相当に面白く素晴らしい作品であった。そして脚本は、舞台の戯曲を書いたトレイシー・レッツ本人が担当した。しかし、映画は舞台の印象とは全く異なるものであった。

映画は風景を見せる。暑くて、だだっ広いオーセージ郡の土地性が一見してわかる。そして人物の繊細な表情を見せる。だがその分、細かい台詞は不要となりカットされる。商業的配慮からなのか、場面を入れ替えたり、削ったり、付け足したりもする。だから終わり方も舞台とは違う。それも含めて映画のほうにしか出てこない素敵な場面も幾つかある…。ともあれ、同じストーリーなのに作品の伝わり方が舞台と映画とでは違うのである。筆者の印象では、舞台はシットコムに近く、映画は深みある情緒の漂う人間ドラマに仕上がっている。しかし、だとしても、アメリカの観客なら、おそらくこの映画を観て、台詞のひとつひとつにウケたりするのではあろう。しかし字幕を読みながらの日本の観客にとっては、半分読書してるような感覚になるから、鑑賞のリズムも自ずと違ってくるわけだ。

だから、映画版の『8月の家族たち』を観て、面白いと思った人、あるいは、あまり期待したほどではなかったなと思った人は、ぜひ舞台版の『8月の家族たち』と比較してみるとよいだろう。舞台では、素晴らしい俳優たちの生の応酬を聞くことができる。そしてコメディを高水準で作れるKERA演出だから、客席にセンスよく沢山の笑いをもたらしてくれることも予想に難くない。そう、本当は笑える、笑ってもいい、失踪あり不倫あり差別あり薬物中毒あり喧嘩ありマリファナありロリコンあり寝坊あり、その他なんでもござれのドタバタ悪趣味コメディー​なのである。今回の日本上演を通じて、筆者が2008年にブロードウェイで受けた衝撃と感銘を皆と共有することができれば、嬉しい。というか、この上演によって日本の演劇の水準が、また一つ高まる貴重な瞬間をぜひ目撃していただきたいと思う。人生は短いのだから、ぜひ目撃を。

命短し観劇せよ乙女… (2013年 NYタイムズスクエア)

(文・写真=うにたもみいち/演劇エッセイスト)

公演情報
8月の家族たち August:Osage County​
 
<公演日程・会場>
 
東京公演:
■日程:2016/5/7(土)~5/29(日)
■会場:Bunkamuraシアターコクーン
■料金:S席・10,000円 A席・8,000円 コクーンシート・5,000円 (税込)

 
大阪公演:
■日程:2016年6月2日(木)~5日(日)
■会場:森ノ宮ピロティホール
■料金:10,000円(税込)

 
<スタッフ・キャスト>

■作:トレイシー・レッツ
■翻訳:目黒条
■上演台本・演出:ケラリーノ・サンドロヴィッチ

 
■出演:
麻実れい、秋山菜津子、常盤貴子、音月桂、
橋本さとし、犬山イヌコ、羽鳥名美子、中村靖日、藤田秀世、小野花梨、
村井國夫、木場勝己、生瀬勝久