三年目の川瀬賢太郎&神奈川フィル、力強い開幕公演
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神奈川フィルの常任指揮者として3年目を迎えた川瀬賢太郎 (c)Yoshinori Kurosawa
2016年4月9日、横浜みなとみらいホールで川瀬賢太郎と神奈川フィルハーモニー管弦楽団の3年めのシーズンが開幕した。その演奏会に赴いての感想はまずひとこと、「今が聴き時」である。
1984年生まれのマエストロを常任指揮者に据える、横浜を拠点に広く活躍するオーケストラの実際の音を、私は以前からコンサートで聴きたく思っていたが、ようやく機会を捉えることができた。「2016-2017シーズン開幕のコンサートなら、その真価を測る舞台として不足はない」――そんな風に、若き指揮者に対して年長者ぶった思いが私になかったとは言うまい。
放送や配信で触れた川瀬賢太郎と神奈川フィルの音楽がどのようなものか、まだ掴めずにいた私は今シーズン開幕にあたって川瀬賢太郎が用意してくれた今回の魅力的なプログラムに誘われてようやく会場に足を運んだ次第だ。冒頭にコダーイの「ガランタ舞曲」、そしてプーランクの「二台のピアノのための協奏曲」、そしてベルリオーズの「幻想交響曲」と、一つのコンサートでここまでオーケストラに多くを求めるプログラムが組めること、それはそのまま彼らの良好な関係を示している、そう思えたのだ。
そしてついに体験できた演奏への率直な感想はといえば、これが一言で済ませることもできる、「これが若さか……」と。
彼らがこの日聴かせた音楽を、たとえば減点法で測るなら低く評価することもできるだろう、彼らが繰り出した数多くの独自のアイディアには同意できないところもある。手放しで褒めちぎるには演奏のほころびもないわけではないし、そして振幅の大きい音響は効果的でもあるがときにやりすぎに思えなくもない。それでも、彼らの意欲的な演奏は否定し難いものだった。そう、この日聴いた演奏には間違いなく力があった、だから私は、カミーユ・ビダンに殴られたクワトロ大尉のようにその感想を述懐する羽目に陥っているわけである。
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とはいえ、これでは何も伝わらないおそれがあるので(特にも、Ζガンダムをご存じない方には申し訳ない限りである)、もう少しコンサートの模様を詳しく書いていこう。
コンサート冒頭に演奏されたコダーイの「ガランタ舞曲」は、もしかすると小難しい曲だと思われているかもしれないが、リストのハンガリー狂詩曲などにも似た構成の、美しい旋律と激しいジプシー風の舞曲が交互に現れる美しいオーケストラ曲だ。先入観なしで聴けばいわゆる「現代音楽」とはまず言われないことだろう。
チェロの斉奏で始まる冒頭を柔らかく伸びのある音で始めたその瞬間から、川瀬賢太郎が彼の意志で演奏を染め上げたことがわかる、そしてオーケストラがそれを受け入れて全力で音にしていることが伝わる。オーケストラ奏者たちの名技を随所に散りばめたこの作品からコンサートを始めるあたりからも、川瀬がオーケストラを如何に信頼しているかが伺えるだろう。
二曲目に演奏したプーランクの協奏曲では、田村響(1986年生まれ)と佐藤卓史(1983年生まれ)の、二人のピアニストたちが独奏者として登場した。プーランクはそう長くはない協奏曲に、彼らしくも音楽の”本筋”を見失うほど多くのアイディアを織り込んでいる。たとえば第二楽章は途中までは「モーツァルトの知られていない作品です」と言っても通じてしまいそうな見事なパロディとなっているし、両端楽章の変幻自在っぷりはまさにプーランクの音楽だ。
この作品に登場した指揮者、ソリストすべてが1980年代生まれである事実には年長者として戸惑いがなくはないが、彼らの音楽はこの協奏曲のもつ多様な性格を見事に示してくれ、そこには若者の演奏だからと侮られるようなところはまったくない。むしろ彼らの演奏の技術的確かさ、フットワークの軽やかさ故に、この作品のトリッキーな魅力に気づかれた方も多いのではないだろうか?村上春樹は「意味がなければスイングはない」でプーランクへの愛を語っていたけれど、こういう演奏で出会えれば他の作品も聴いてみようと思う人も増えるだろう。
既に世界各地で演奏活動する田村響が第一ピアノを担当した (C)武藤章
独特なレパートリー、そして室内楽での活躍で知られる佐藤卓史が第二ピアノを担当
そして最後に置かれたのがベルリオーズの幻想交響曲だ。作曲者が1830年に若干27歳で完成させた傑作を、当時の作曲家と同年代の川瀬賢太郎はどこまでも濃厚に表情をつけ、テンポ、強弱の振幅も激しく劇的に演奏する。
荘厳な冒頭から一転、かなりの速度で始まる主部は活き活きと個性的に特徴づけられた表情が魅力的だ。そして幾度か迎える巨大な音響によるクライマックスは強力という他ない。二人のティンパニ奏者を筆頭に創りだされたこの日の巨大な音響の、その限界が見えないところはあたかもおなじみの”ベルリオーズの大音量に困惑する聴衆”という当時のカリカチュアを実現しようと試みているかのようである。もちろん、私も含めた現代の聴衆は、耳をふさぐどころかこらえきれない笑顔でそのチャレンジを楽しんでいたわけだが。
なお、聴き慣れたメロディーが随所でかなり強めにデフォルメされていたり、グリッサンドが強調されていたけれど、よく聴けばそれらは楽譜にある表情付けをより強めに表現したもの。彼らの演奏は、特徴的ではあるが作品から逸脱しているわけではないことは付記しておきたい。
四台のハープが並ぶ様は壮観だ(リハーサルの光景より) 提供:神奈川フィルハーモニー管弦楽団
楽譜の指示にしたがってハープ四台※を用意した第二楽章、若者らしい叙情的な歌が美しい第三楽章、狂宴が始まる第四楽章、そして演奏会全体の音量の頂点となったフィナーレまでを力強く駆け抜けて、場内からの大喝采を浴びて川瀬賢太郎と神奈川フィルの新シーズン開幕公演は終了した。
※楽譜にはハープの二つのパートにそれぞれ「少なくとも二台」という指定がある
ここまで書いたとおり、私は大いに彼らの演奏を楽しんだのだが、その力に圧倒されながらもどこかで「彼らはこれからさらに変わっていくのだろう、果たしてここから何処へと向かうのだろう」とも考える。最高に面白い演奏だった、と感じるのと同時に「川瀬にとっていわゆる古楽のやり方はどういう位置にあるのだろう(ベルリオーズは前半2曲の時代よりベートーヴェンに近い作品である、この日の演奏では時代的な側面はあまり意識していなかったように思われる)」などと余計な心配もしてしまう。
彼がこれからどんな指揮者として大成するのか、いまの時点で言い当てることは正直に言って、私には不可能に思える。現時点での音楽をわかりやすく紹介できればいいのだが、むしろ先入観を持たずに彼の演奏に出会ってほしいとも感じる。
ここまで考えて「もしかして」と私は想像する。かつてバーンスタインがニューヨークの指揮台に登場した時にも、きっとこれに似た戸惑いが、そしてそれに勝る期待が集まったのではないか、と。
バーンスタインと川瀬の間に師弟関係はもちろんないけれど(バーンスタイン没年に川瀬はまだ小学生になったばかりなのだ)、彼がレニーのようにより多くの人々にクラシック音楽の魅力を伝えてくれるマエストロに成長してくれるならば、こんなにうれしいことはない。川瀬賢太郎がこれからも神奈川フィルと共に飛躍してくれることを期待する次第である。
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さて、川瀬賢太郎が次回神奈川フィルハーモニー管弦楽団を指揮するのは、団の指揮者ポストにある名古屋フィルハーモニー交響楽団との合同演奏会だ。菊池洋子をソリストに迎えてのモーツァルトのピアノ協奏曲第二一番を、そして「レニングラード」として知られるショスタコーヴィチの巨大な交響曲第七番を二つのオーケストラが合同で演奏する、祝祭的な演奏会だ。コンサートは6月に、それぞれのオーケストラの地元横浜、名古屋で開催される。
神奈川フィルハーモニー管弦楽団は、横浜みなとみらいホールのほか、神奈川県民ホール、そして神奈川県立音楽堂での定期演奏会を開催している。
横浜みなとみらいホールでの次回公演(5/21)には川瀬の師匠、広上淳一がドヴォルザークのスラヴ舞曲全曲という、なかなかコンサートではお目にかかれないプログラムで登場する。
神奈川県民ホールでの定期は年末の第九演奏会も含めて名曲演奏会と位置づけられており、次回公演(7/16)では同団の功労者で名誉指揮者の現田茂夫の指揮でオルフの有名な世俗カンタータ「カルミナ・ブラーナ」ほかの作品を演奏する。
そして最も近い演奏会として、4月23日の神奈川県立音楽堂での「音楽堂シリーズ」が予定されている。ハイドンを軸にプログラムを用意したこのシリーズにうってつけの、チェリストとしても活躍する鈴木秀美が待望の再登場を果たす。「木のホール」でのコンサートでは、ハイドンとベートーヴェンによるウィーン古典派の真髄をお楽しみいただけることだろう。
このように神奈川フィルハーモニー管弦楽団はそれぞれの定期演奏会シリーズで異なる特色を打ち出し、常任指揮者の川瀬賢太郎、首席客演指揮者のサッシャ・ゲッツェルほか多くの実力派マエストロを招いて多彩な演奏活動を展開している。また、他にもポップスオーケストラとしての活動や、各地でのアウトリーチ活動、団員たちの室内楽公演など数多くの演奏会を行っているので、ぜひ皆様も機会を見つけて、コンサート会場で直接神奈川フィルの音楽に触れてみてほしい。
■会場:横浜みなとみらいホール 大ホール
■出演:
指揮:川瀬賢太郎
ピアノ:田村響 佐藤卓史
管弦楽:神奈川フィルハーモニー管弦楽団
■曲目:
コダーイ:ガランタ舞曲
プーランク:二台のピアノのための協奏曲 ニ短調 FP.61
ピアノ独奏:田村響 佐藤卓史
ベルリオーズ:幻想交響曲 Op.14
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