歌い手・島爺 ロックなジジイの日に放たれた1stフルアルバム『冥土ノ土産』を語る

2016.7.1
インタビュー
音楽

島爺

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“永遠の82歳”として活動する歌い手・島爺。これまで一度もCDをリリースしてこなかった彼が、6月22日に初のアルバム『冥土ノ土産』をリリースした。ファンにとってはまさに待望の、初見にとっては“なんだこの人は!?”と驚きの作品となっているのではないだろうか。
82歳? 島爺? この2つのワードを想像しながら歌声を聴くと、そこからはかけ離れたキレのある歌声が。そんな爺ちゃんから放たれた“冥土ノ土産”とは
――

――島爺さんにとって、初の音源となるアルバム『冥土ノ土産』が先日ついにリリースされました。しかも、先ほど放送された(取材は6月下旬)『ミュージックステーション』のアルバムチャートでは、見事10位にランクイン(現時点でオリコン週間10位も記録)という快挙まで果たされたそうではないですか。

そうらしいんです(笑)。番組自体は観ていなかったんですけど、Twitterでファンの方に教えいただきました。

――その報をお聞きになって、島爺さんとしてはどのような心境になられました?

いやなんか、ぽーっとしてますね(笑)。めっちゃ嬉しいのは嬉しいんですよ。

――ご自身のことなのに、何故か他人事のように感じてしまっているようですね(笑)。

多分、まだあんまり実感というのが無いのかもしれません。ワーナーさんのマーケティングとか、オトナの戦略が上手いこといったんちゃうかな?と考えてしまうフシもあります(笑)。

――島爺さん……それはきっと考え過ぎです。年の功で猜疑心が強くなってしまうのは分かりますが(笑)、素直に喜んでもいいことだと思います。

あははは(笑)。もちろん、ありがたいことやなとは思っているんですよ。ただ、自分にとっては初めてのことなので、事態を把握しきれていないというのが正直なところですね。

――今回のアルバム『冥土ノ土産』に対しては、それこそTwitterなどにもさまざまな感想や、反響などが返ってきている頃かと思われます。ファンの方々から寄せられているご意見の中で、島爺さんにとって特に嬉しかったコメントを教えてください。

頂いている言葉は全部どれも嬉しいです。ニコニコ動画で活動をするようになってから、「この部分が良かった」とか、「こういう曲が良かった」という風に言っていただくことが多かったんですけど、今回のアルバムに関しては「家族で聴いてます」とか、「受験勉強中に励まされてます」、そして「子育てで悩んでいる時に息抜きさせてもらえました」といったような意見がありまして、リスナーさん側の環境も含めたお話をいただいているんですよ。それが特に嬉しかったです。

――『冥土ノ土産』は、人々の人生に寄り添うような作品に仕上がっているのですね。

感覚的には、今までが山の上から見る夜景として家々からこぼれてくる光を見ていた感じだったとすると、今回はその光の中にひとつずつの生活がある様子が見えてきた、みたいな感じなんですよ。

――そんなアルバムには、島爺さんの魅力が目一杯に詰め込まれている印象です。ご自身からすると、島爺さんがこのシーンにおいて誰にも負けないと自負している点や、唯一無二だと自覚している点は、どんなところでしょうか。

そうだな……歌い手とか、ヴォーカリストらしからぬ消極性(苦笑)。

――あの伸びやかで力強い歌を聴かせていただいている限りは、消極性などみじんも感じませんが……。

とりあえず、誰かと競うのがキライなんです。そもそも、目立ちたくなくて。

――島爺さんがここまで一切顔出しをせずに、“永遠の82歳”というふれこみで活動をされてきたこととも、その件はどこかで関係していそうですね。

実は僕、前にバンドで活動をしていたことがあったんですよ。その頃から人混みが苦手だったので、活動をしていくうちにお客さんの数が増えてくると、ライブの途中でだんだんと気分が悪くなって来ちゃったりすることも時々あったんです(苦笑)。ほかのヴォーカリストの方で、多分こういう性格の人はいてないんちゃうかなぁ。だから、そこが誰とも違うところでしょうね。

――ただ、音楽を始めたり、歌を歌ったりという行動の根底には、誰しも少なからずの“自己顕示欲”はあると思うんですよ。島爺さんの中にある自己顕示欲と、目立ちたくないというその消極的ない気持ち。両者が、一体どのようなバランスのもとに成り立っているのか、という点にも興味があります。

いまだに自分の中でもちゃんと決着がついてないんですよ。常にどこか揺らいだ状態でいる、と言った方がいいかもしれないです。どうも昔から、自分は苦手なことをやりたくなる性質というのがあるようで、音楽もそのひとつなんでしょうね。

――苦手なことをやりたくなる、ですか。

たとえば、機械とか苦手やのにパソコンでDTMを始めてみたり。不器用やのに、いろいろやりたくなってしまったり。どういうわけか、そういうところがあって。

――目立ちたくなのに音楽をやっている、事実の裏にもその行動原理が存在しているということでしょうか。言い方を変えると、なんだかそれって“ひとりSM”のようですね。

確かに(笑)。気持ちの面では、けっこう入り組んでいるような気がしますね。しかも、その詳細はいまだに自分でも理解し切ってはいないんです。

――とはいえ、ある種の矛盾を抱えながらだとしても、音楽を生みだしてゆくことによって島爺さんがそこに喜びを見出している、というのは確かな事実ですよね?

そうですね。

――しかも、聴いてくださる方たちにとっても島爺さんの歌を聴くことが喜びになるのであれば、それは素敵なリレーションでしかないような気がするのです。

そこは本当に、ここまで音楽を続けてきて良かったなと思うところではあります。

――ここからは、アルバムの内容そのものについても伺いたく。この作品を仕上げて行く際に、島爺がヴォーカリストとして最もこだわったのはどんな点についてでしたか。

表現をするということに関しての妥協は、絶対にしない。まず何よりも自分の中で大きかったのは、そこでした。ただ歌う、というだけでは終わらせたくなかったんです。

――レコーディング現場では、歌うことのほかにセルフディレクションも行われていたそうですね。歌う人間としての主観的な表現力と、それをジャッジする客観的な判断力の両立も、難しかったのではありません?

実は、レコーディングで一番時間がかかるのはそこなんです。特に、歌い手を始めた頃は日をまたがないと冷静な自己判断はなかなか出来なかったですね。

――日常生活にたとえると、夜に思い詰めて書いたメールをそのまま送っちゃダメ!ということと似ていますね。朝になって読み返してみたら、「イタタタ……」となってしまう可能性が多々ありますし(笑)。

そうそう(笑)。主観的になり過ぎると、歌でも表現過多になってしまう時がありますから。そこを正しくジャッジするには、やっぱりある程度の客観性は必要ですね。でも、ニコニコ動画での活動で積み重ねてきた今までの経験もあったので。それが活きた部分が凄くありました。

――なお、今作には島爺にとっての代表曲「ブリキノダンス」をはじめとした、ボカロ曲があれもこれもと収録されています。と同時に、書き下ろし曲としてはナナホシ管弦楽団さんが作られた「OVERRIDE」の放っている存在感も、非常に力強いですね。

この「OVERRIDE」については、ほとんど何の注文も出していなかったんですよ。それなのに、物の見事に予想通りといいますか。いや、予想以上の素晴らしい曲を作っていただけたな、という感じなんです。きっと、ナナホシ管弦楽団さんは僕の今までの活動とかも知ってくれたうえで、それを踏まえたものを作ってくださったんだと思います。

――まさに歌い手冥利に尽きますね。

ここまで音源というものを出してこなかった僕が、今このタイミングでアルバムを出す時にどんな心情でいるか、ということを読み取ってくれていることに驚いたんですよ。そこはおそらく僕になりかわって書いていただけた曲なんじゃないかと、僕は勝手に解釈していますね(笑)。

――ちなみに、楽曲的な特性ということでいうと、「OVERRIDE」はかなり情報量の多い内容になっていますよね。これだけの曲をダイナミックかつ、良い意味での緊張感をもたせながら歌い切っていらっしゃるあたりはやはり流石だな、と感じました。島爺さんの持っていらっしゃる武器や技が、これでもか!と投入されていますよね。

おぉ! そんな風に褒めていただいて……ありがとうございます(笑)。ナナホシさんはきっとそのあたりまで考えてはったんちゃいますかね。僕が使ういろいろな声色であったりとか、表現方法としての声の押し引き、そのあたりをするっていうことまで全て見越した上なのか、曲のオケの部分はあらかじめ徹底的に削ぎ落としてあったんです。そのおかげで、僕は自由に思い切り歌うことが出来ました。

――その一方、「OVERRIDE」の歌詞については、島爺さんとしてどのような解釈をしながら歌われたのでしょう。

そこも、さっき言った通りなんですよ。僕のここまでの経緯を前提として、詞も書いてくださっているなと凄く感じたんです。僕の中にあるであろう心象風景を、上手く言葉としてこの詞の中にあてはめてくれているな、という感覚で受け取れましたね。

――そう考えると、この詞の中の<光差す場所へ走り出すのさ>というフレーズは、より感慨深いものとして響いていきます。

結局CDを出すっていうのは、僕にとってはそれだけ大きいことだったんですよ。その門出でこういう曲と出会えたことは、大きな収穫でした。なんか、自分のことを見てくれてる人は見てくれてるんやな、というところに対する安心感を得ることができました。

――それでいて、この詞の中には“絶望”ですとか“裏切り”といった、多少ネガティヴな単語も含まれています。それらの言葉も、島爺さんの内面と重なる部分があるものですか?

うーん……消極性では他に負けないと思っているくらいですから(苦笑)、自分はネガティヴといえばネガティヴな方だと思うんです。あとは、絶望とかそういう部分に関して言えば、一度はバンドをやった上でそれを諦めてしまった人間でもありますからね。ただ、ああやって音楽活動に対して挫折をした経験は、今から思えば自分にとって必要やったのかな、とも思うんですよ。だから、この詞における一見マイナスイメージの言葉たちは、僕の中だと決してマイナスなものではないです。結果的には、それもプロセスだったというくらいの感覚で捉えています。

――とても深いお話ですね。

でも、捉え方っていうのは本当に人それぞれじゃないですか。この詞の中には<自分勝手に傷ついてただ裏切りと呼んだ>という一節があるんですけど、今までずっと僕の歌を聴いてくれて来たリスナーさんたちの中には、今回のメジャーデビューを“裏切り”と取る人もいらっしゃるんやろうなと思いますし。島爺としては、これまで“そういう活動をしない”ということでやって来ていましたし、その姿勢そのものに賛同してついて来てくれていた方たちもいたので、ある意味では裏切ってしまったことになるのかなと。

――これだけ完成度の高いアルバムを聴いていただきさえすれば、そう感じてしまう方たちにも島爺さんの意図はしっかりと伝わるはずですけどね。

まぁ、難しいところですけどね。ある人は、CDを出したことを裏切りだと思うのかもしれない。といっても、僕自身は別に「絶対にCDを出しません」と明言をしたことはないし、出す以上は絶対的に自分が納得のいく作品を出したかっただけなんです。そういう意味では、島爺はCDを出さないに違いないって思わせてしまった僕にも、責任はあるのかもしれません。

――島爺さんがやりたいと思ったことをやって、それを喜んでくれる人がいる。考えるべきは、その構図についてのみだと思います。

この「OVERRIDE」という曲タイトルには、実のところそういう意味も含まれているのかな、と思います。命令を無視するとか、無効にするとかそういう言葉らしいので。周りのことを気にするよりも、今やりたいこととして、ここまでの僕の歌い手人生をまとめあげたのがこの作品なんです。

――そこに『冥土ノ土産』とは、また秀逸なアルバムタイトルをつけたものですよ。

自分にとっては、人生の走馬灯というかね。こういうのもあったな、あんなんもあったな、と様々な風景をいろいろと思い起こせるような仕上がりのアルバムですからね。歌い手としては現時点での全てを出し切っているので、もしこれで人気が急降下したとしても悔いはありません。

――せっかくですから、ここは島爺として今後やってみたいことなども伺っておきましょう。

今回メジャーでCDを出したからとか、そういうこととは関係ない次元の話としてですね。近いうちにオリジナル曲を作っていきたいな、ということは考えています。

――そうとなれば、永遠の82歳である島爺には『冥土ノ土産』どころか、さらに生き長らえていただかなければいけません。

そういえば。Twitterのフォロワーさんからは、「“一回冥土に行って、そこから帰ってきたうえでの土産”という考え方も出来ますよね?」って言われたんです。そう考えたらね。自分は既に一回バンドマンとしては死んだんやけど、そのあと永遠の82歳という爺さんになってこの世に還ってきた、とも言えるのかなと。まぁでも、これはメチャメチャ後付けです(笑)。
 

インタビュー・文=杉江由紀

リリース情報
『冥土ノ土産』
2016.06.22 Release
 
【初回限定盤 CD2枚組】

初回限定盤

品番:WPCL-12393/4
価格:¥2,700+tax
 
【通常盤】

通常盤

品番:WPCL-12395
価格:¥2,300+tax
Jacket Illustration:瞬く