じんのひろあき、漫画・映画・演劇とジャンルを超えて人気の『櫻の園』に再度挑む。
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じんのひろあき
1990年に公開された映画『櫻の園』。原作は吉田秋生の漫画。脚本・じんのひろあき、監督・中原俊という座組みだった。春の創立記念日にチェーホフの『桜の園』を演じる女子校を舞台に、演劇部員たちの葛藤を通じて、少女たちの人間模様が描かれる。キネマ旬報ベスト・ワン受賞など高い評価を得た。1994年春に堤泰之の演出で舞台化され、秋には再演されるなどこちらも話題を呼んだ。そして、じんの率いる劇団ガソリーナが『櫻の園2』を上演する。
『櫻の園2』の初演は実は今年の5月。ただ、私もじんのもバタバタのなかで、原稿の確認のやりとりがうまく行かずにお蔵入りになってしまった。ところが「再演が決まったけど、あの原稿まだ生きている ?」との連絡がじんのからあり、またメッチャギリギリだが、引っ張りだしたのがこの原稿なのだ。でも、じんの節、全開 !!
演劇界の異端児はこんなことを考えていた
金子修介監督のロマンポルノ映画『ラストキャバレー』でデビューし、廣木隆一監督、市川準監督らとも組んでいる脚本家、じんの。その一方で、周期があるかどうか、時に演劇を集中的に上演してきた。もしかしたら演劇人として括られるのは本意ではないかもしれない。口語による演劇であること以外は毎回じんのテイストの痕跡の残らない作品を手がけてきた。「それは映画屋だから。同じような映画は作らないよ。スタンリー・キューブリックみたいな、毎回違うジャンルを手がけて、最高傑作を作る方が素敵だと思う」と言う。
じんのは演劇界では異端。けれど、ベケットの不条理劇『ゴドーを待ちながら』と永井豪原作の人気漫画を融合させた『デビルマン~不動を待ちながら~』、戦後新たな日本国憲法を国民にも広く理解してもらうため「文語文で書かれた憲法を口語文に直してほしい」と政府から依頼された小説家・新聞記者・歌人・劇作家・コピーライターなど言葉のプロが喧々諤々とやり合う『自由を我らに』など、知られざる名作メーカーだ。惜しむらくは動員が少ないこと。だからこそ『櫻の園2』と聞けば、取材しないわけにはいかなかった。そして、いきなり挨拶もなく始まった脚本、稽古の話もやはり演劇人ぽくはなかった。
じんの 『櫻の園2』の台本を作るのにせりふをボイス・レコーダーにしゃべって、音声認識で文字起こししている。例えば“倉田「(カギかっこ)わたしがなんだかかんだ」(カギかっこ閉じ)。(まる)”みたいな感じでしゃべるわけ。パソコンでせりふを打ってた時は感情が乗ることはなかったけど、先日、六本木で人と待ち合わせする間にずっとせりふをしゃべってた。そしたら感情が乗ってきて、胸にこみ上げるものがあって、涙が流れてきたからしばらく物陰で泣いていたんですよ(笑)。わー、いいシーンだって!
もしかしたらいるのかもしれないけど、さすがにボイスレコーダーで台本を作る劇作家など聞いたことがない。台本を書かず、口立てで役者にせりふをつける、つかこうへいはいたが。じんのの話は続く。
じんの この方法のおかげで昔よりも試行錯誤できるようになった。どうしても書く(打つ?)時は、せりふを意識的に整理してしまう。「そして、そして、そして」と3回言いたいところを、1回でいいじゃん、とね。でもそうじゃなくて、なるべく無駄なものを入れるというか。女の子のリアルなせりふを考える時に、思いつく事象みたいなものをあえて取り込んでみて、その通りに繰り返し演じさせる。つまりナチュラルとは何かということ。文章とは違う、ものを伝えるには、今やっているやり方に可能性を感じる。データだから紙を無駄にすることもないしね。
じんののデジタル化は、どうやら稽古場にも広がっている。それは、とことんまで、極力不必要な無駄を省こうとしているかのように。
じんの 演技の確認のために役者に映像を見せるんだけど、自分のところだけ見ればいいじゃない。ノートパソコンを置いておいて、その役者が出ているところだけSDで抜いて、ヘッドホンつけて見せている間に、別の稽古をするんですよ。稽古のダメ出しや演出方針も1日に400字詰めで10枚分くらいの量を音声認識させたテキストで送る。次の稽古で使う台本も同様ですよ。内容は事前に読んできてもらう。電車での移動時間でもバイトの休憩時間でもいいから。稽古場で黙々と読む時間が気持ち悪くて仕方ない。集まったらひたすら稽古、読む時間や納得する時間はなくていい。日常でちょっとずつ思い出したり考えたりしてくれる時間が集積されて稽古場時間よりもオーバーフローしてくれていればそれでいい。
舞台番『櫻の園』のセルフリメーク
『櫻の園2』
この話はまだまだ続く。そして面白いのだけれど本題に入りたい。じんのが『櫻の園2』を上演するきっかけはなんだったのだろうか。
じんの ここ数年、『スターウォーズ フォースの覚醒』とか『マッドマックス 怒りのデスロード』とかセルフリメークが出てきているけど、それがやりたいと。ブラッシュアップし、アップツーデートされ、今の技術をすべて投入した形の語り直しをやろうと。だから上演の理由は僕の内部にあるわけではなく、時流、外的なものです。自分の作り方、手の届く範囲でやるとしたら演劇がいいのかなと。
最初にやろうと思ったのは東日本大震災のころで、企画倒れになってしまった。その後、一昨年から短編演劇祭の審査員をやっていて、そこに出てくる女の子たちに相当いい子たちがいるんだけど情熱が空回りしている。彼女たちのクオリティーに脚本や演出が追いついてないものが多々あった。だったら演劇的な手垢のついていない彼女のような子たちに声をかけて回って、集めればいけるんじゃないかと。
『櫻の園2』
『櫻の園2』
20年以上もの時を超えた『櫻の園』のセルフリメーク。けれど、それは、じんの自身の経験を盛り込み、厚みを持った物語に変貌しているようだ。
じんの 今回、原作が3つあるんです。漫画とチェーホフの戯曲、そして映画。すべてのスピリットを使っています。枠組みとして演劇部の状況とチェーホフに出てくる桜の園の状況がクロスオーバーする。漫画にある女の子のブレみたいなものと淡い同性愛、映画の群集劇の感じを、今の自分のスキルで、とがった感じでブレンドして。
1幕目は演劇部の活動の話。チェーホフを稽古してない時期は、演劇部にも普通の部活動の時間がある。あれやりたいこれやりたいと、いろんな戯曲をプレゼンするんです。実際に野田秀樹さんの脚本を野田さんのあの感じでやるとか、ままごとのダンスを完コピするとか、『レミゼ』も歌えば、静かな演劇もある。あらゆる演劇のメソッドのバイキングにしたいんです。全部をぐちゃぐちゃに、しかしスパッと切り替える。2幕は主人公の女生徒が入学してきて、映画の世界を、その裏側も含めて描く。
みんな演劇が好きで、大会には出ないから勝ち負けがなくてとにかく楽しくてやっている。フィクションとしてありうるギリギリの夢のような演劇部、演劇生活を描こうと思って。
(取材・文:いまいこういち)