超満員のPITを静かな熱狂へいざなったamazarashi
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静寂の場内に響く叫びが照らしたもの
秋田ひろむを中心とするバンド・amazarashi。剥き出しの感情を生々しく描き出す文学的な詞と、オルタナティヴロックの系譜に連なる激しくも美しいサウンド、メディアはおろかライヴでも顔出しをせず代わりにアニメーション、タイポグラフィーといった手段で楽曲を表現した映像をスクリーンに投影するという独特のパフォーマンスで多くのファンを獲得し、2015年でデビュー5周年を迎えることとなった。それを記念して東京・豊洲PITにて行われた『amazarashi 5th anniversary live 3D edition』は超満員。初の試みとなる、3D映像を投影して展開された圧巻のステージ、その模様をお届けする。
ライヴの魅力とは何か。
答えは人それぞれだが、少なくともロックに分類される音楽に関して言えば、目の前で繰り広げられるステージの迫力ーーアクトの表情やアクションなど一挙手一投足、音に合わせて踊ったり暴れたりして味わうトリップ感、掛け声やシンガロングの一体感ーー大体そんなところだろう。少なくとも僕はそう思って「いた」。
どこか夏も終わりに近づいたことを感じさせるお盆休みの最終日、8月16日。豊洲PITに集まったおよそ3000人のオーディエンスが目撃したamazarashiの5周年記念ライヴは、前述の問いに対する答えとその概念をひっくり返してくれたのである。
静かなピアノのメロディやアンビエント系のインストが流れる中、開演を待つ観客。それぞれ手渡された3D観賞用のメガネを持ち、紗幕の貼られたステージを前にどこか張り詰めた緊張感に包まれている。
その静寂を打ち破ったのは、秋田が噛みつくように叫んだ「後期衝動」。紗幕に投影された映像では「歌詞」が立体的に浮かび上がり、回転したり3Dの奥行きを生かして遠くからこちらへスライドしてきたりする。そこに実際に無数のレーザーが飛んできたりするので、すごい立体感だ。
その未体験の演出に驚く間もなく、「豊洲PIT! 青森から来ましたamazarashiです!」と一言だけ叫び『東京喰種トーキョーグール√A』のエンディングテーマにもなった「季節は次々死んでいく」のイントロが流れ出す。張り上げた秋田の歌声とロックギターと豊川の奏でる繊細なピアノのリフが絡み合う様からは、音源より激しくエモーショナルな印象を受ける。紗幕にはバンドのシルエットが映し出され、そのまま「ヒガシズム」へ。映像では美しい夕日のオレンジ色にモノクロの歌詞が被さって、そのうち曼荼羅模様になり、ラスサビではリフレインに合わせて次々と切り替わる映像で畳み掛けてくる。バンドのアクションを観るのとは全く違った次元の視覚的興奮を前に、いつの間にか首筋から後頭部にかけて鳥肌が立ちっぱなしだ。
その後のセットは5周年記念であることを意識してかキャリアを横断するもの。「ワンルーム叙事詩」など初期の楽曲も披露され、7曲歌い終えてようやく行ったMCでは、たくさんの人が集まってくれたことへの感謝とともに「バンドを始めた頃の自分に、こういう景色が待っていることを伝えたい」と語った秋田。そこから放たれたオアシスばりの壮大な美メロから有り得ないくらいドラマティックな展開を見せる「14歳」、溢れる言葉の数々による攻撃が容赦ない「冷凍睡眠」、そして新曲「スピードと摩擦」(MVが3Dに!)と繋いだ中盤戦。これまでの道程を振り返るような構成だ。
ここまで歌われた楽曲の一つ一つからは、生きることの持つ様々な側面、それもほとんどマイナス面の感情が聴こえてくる。それは紛れもなく真実で、秋田はそこに真正面から向き合い、ときにシニカルにときに文学的に、またときには身を切るようなパーソナルな叫びとして歌にしているのだ。だがそれは決して単なる「諦め」ではなく、「あがいてやるんだ」「負けるわけにはいかないんだ」という強い意思のもとに歌われている。その壮絶な宣戦布告を前に、超満員のオーディエンスは曲の合間こそ大きな拍手と「ヒューヒュー」といった声を飛ばすものの、それ以外はただじっと見届けるしかない、そんな感じ。息を止めたように静まり返った会場に、鬼気迫る演奏と叫びが響き、身動き一つ取れないのに明らかにフィジカルな興奮を覚える。こんな感覚は味わったことがない。
オルゴールのような優しい音色にベースの重低音が乗ってくる出だしが印象的だった「美しき思い出」を経て、秋田によるポエトリー・リーディング「しらふ」へ。
リリースやライヴのたびに思うこととして、「いつでも捨てられるように」と語り、「amazarashiは0から始まりました」と前置きした上で、秋田は切々と自らの人生における光景や事象を並べ、晒け出していく。語りはいつしか叫びとなり、声を裏返しながら、それでも今まで感じた不条理や失望、挫折、苦悩、焦燥、怒り、迷い、全てを叩きつける。そこに見えるのは彼の「渇き」だ。
きっと、観るものを圧倒する熱量はこの「渇き」によるものなんだろう。音楽を、バンドをすることによってそれを吐露し、前に進んではいるものの、メジャーデビューを果たし、3000人の観客を前にしてなお、圧倒的に渇いている。
先にも述べた、ほとんどの人が感じながら、ほとんどの場合目をそらしてしまうような、生きることへの苦悩と向き合った秋田が、今なお抱える「渇き」。それこそがamazarashiの原動力であり、多くの人を惹きつけるリアルだ。だがそんな彼が歌うのは、安易な慰めでも「なんとかなる」といった気休めでもなく、かといって諦めや絶望では決してない。
歌詞の一節「夜の向こうに答えはあるのか!」を2度繰り返し叫んで放たれたラストナンバー「スターライト」。彼らの楽曲の中で一際強い力を持つこの曲のメッセージこそが、悩んであがいて渇いた彼が照らす、僕らが進むべき道標だ。「負けられない」という現状に対しての抵抗から、その先へと。
<僕らはここに居ちゃ駄目だ / きっといい事ばかりじゃないけど だからこそ僕らは行くんだよ>
曲の終わりに今日一番明るく照らされた場内。
今が辛くても、未来が希望が持てなくても、とにかく前に、前を向いて進んで行く。そんな決意と覚悟を受け取ったオーディエンスは、すっかり暗くなった会場の外を、小さく確かな「星の光」を胸に帰路に着いた。
文=風間大洋