マルクス・アイヒェ(バリトン)〜WEBぶらぼ特別篇
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マルクス・アイヒェ
ウィーン国立歌劇場日本公演の《ナクソス島のアリアドネ》で若々しく知的な音楽教師を歌い演じたマルクス・アイヒェ。2017年春に再び来日し、同じヤノフスキの指揮で今度はワーグナー《神々の黄昏》を歌うことになる。
「ヤノフスキさんは素晴らしい指揮者ですね。リハーサルでは細部まで厳密さを追求し、練り上げていきます。細かいリズムやフレーズの強弱に関して、さまざまなヒントをいただき、それによって音楽の造型が明確に浮き出た部分がたくさんあったと思います。彼との共演は2016年夏のバイロイトが初めてでした。それが《アリアドネ》に続いて、今度の春もまた一緒。縁を感じますね」
東京・春・音楽祭2017では演目もバイロイトと同じ《神々の黄昏》で持ち役のグンターを歌う。
「一般にグンターは弱い性格の犠牲者と見られることが多いようですが、私自身は、グンターは実は本来、剛毅な王様タイプだと思っています。友人を犠牲にしてまで、権力を維持し、王国を守らなければいけないという状況に追い込まれて、激しい葛藤に苦しみ、悲劇的な最期を遂げるわけです。ジークフリートが殺される場面で、合唱が『何をする?』と現在形で叫ぶのに続いて、グンターが『ハーゲン、何をしたのだ?』と過去形で問い詰めますよね。状況が把握できていない群集は目の前のジークフリート殺害だけを問題にするのに対して、グンターはこの瞬間、過去から今にいたるまでハーゲンが巧妙に仕組んだ陰謀の全体を把握し、自分の犯した取り返しのつかぬ過ちを悟る。そこに渦巻く感情があの台詞に凝縮されるのです。オーケストラがダッダッというように寸断された和音を二度鳴らしますが、ワーグナーは感情も状況も凍りついた瞬間を見事に音にしています」
グンター役はこれまで、三つのプロダクションで歌い、それぞれ全く異なる役作りが求められたという。
「ミュンヘンのクリーゲンブルク演出ではグンターは享楽に浮かれる中身は空っぽの人物という描き方でした。グートルーネとの近親相姦的な要素も暗示され、ドラッグ依存性で、だからこそハーゲンにつけ入られるという解釈です。一方、バイロイトのカストルフ演出では、グンターはケバブの屋台の店主でした(笑)。これだと登場人物同士の本来の関係が見えてこないので、難しかったですね。周囲の人が自分を王と認めて仕えるという演技をしてくれないかぎり、王様を一人で演じることは不可能なんです。その点、一番自分の解釈に近く、葛藤に苦しむ王者を演じられたのはウィーン国立の《アリアドネ》と同じ、ベヒトルフ演出でした」
オペラ歌手として世界の一流歌劇場で活躍する一方で、その暖かく知的な歌唱により、歌曲の解釈者としても高い評価を確立しているアイヒェ。東京春祭でいよいよリート歌手として日本の聴衆の前にお目見えする。
「オペラという総合芸術では音楽のほかに舞台美術やさまざまな要素が絡み合い、歌手は全体の大きな営みの中の歯車の一つになります。一方、歌曲のステージは歌手とピアニストだけで作り上げる、小さな完結した世界です。そこで大切なのは選曲とプログラムの構成で、いわば、一つ一つの歌曲にちりばめられた小さな感情が積み重なり、掛け合わされて、大きな感情の弧を描くのです。すべてを聴き終わったあとで、お客様が何かしら、ああそういうことなのかと感じていただけたらと考えています」
シューベルト(〈さすらい人の月に寄せる歌〉〈ドナウ川の上で〉ほか)、ベートーヴェン(《はるかな恋人に》)、そしてシューマン(アイヒェンドルフの詩による《リーダークライス》)で構成された今回のプログラム。旅やさすらい、遥かなものへの憧れ、郷愁を連想させる個々の曲名からも、氏の意図する感情の全体像が読みとれそうだ。
「歌手という仕事は家から離れて旅することが多いわけで、それだけに家や故郷への憧れを日々強く抱いています。今回のプログラムもそうした気持ちの反映ですね。旅の途上にある人物は誰か話し相手がそばにいてくれればと願うものですが、シューベルトの歌曲で歌われる「月」とはまさに、孤独な「さすらい人」にとって、常にかたわらに寄り添い、話しかけることのできる大事な存在です。一方、シューマンの《リーダークライス》にも、家や故郷から遠く離れてさすらう旅人の心境が多く歌われています。
ベートーヴェンの歌曲集はすでに題名からして、遠くへの憧れという主題をはっきり打ち出したものです。ただし「はるかな恋人に」といっても、物理的・空間的に遠くにいる男性にとっての女性の恋人という意味に限定してとる必要はないと思います。夫や妻や誰か大事な友人でもいいし、あるいは人間に特定せず、もっと抽象的で理想的な気持ちでもよいでしょう。こういうふうになりたいという願いや将来への夢、ここから離れて未知の世界へ旅立ちたいという憧れでもいい。聴く人それぞれの経験や想いにしたがって、受けとり方はさまざまだと思います。私自身の経験から言えるのは、憧れを抱き、憧れに向き合っているときにしか、多幸感は生まれないということです。お客様にも、そうした幸福を味わうことを大切にして欲しいと思いますし、プログラム全体からそのことを感じとっていただければ嬉しいですね」
取材・文:山崎太郎 写真:藤本史昭
(ぶらあぼ2017年1月号掲載の記事に大幅加筆したものです)
Profile
シュトゥットガルトやカールスルーエの音楽大学で学ぶ。バルセロナのフランシスコ・ヴィーニャス国際歌唱コンクール第1位。2011年からウィーン国立歌劇場、バイエルン国立歌劇場と専属契約を結び、《フィガロの結婚》アルマヴィーヴァ伯爵、《ヘンゼルとグレーテル》ペーター、《エフゲニー・オネーギン》オネーギン、《ラインの黄金》ドンナー、《神々の黄昏》グンター等を歌う。ミラノ・スカラ座、ベルリン・ドイツ・オペラ、バイロイト音楽祭等に出演。レパートリーは多様なスタイル・時代の作品に及ぶ。チューリッヒ芸術大学で教鞭も執っている。
『ニーベルングの指環』第3日 《神々の黄昏》 演奏会形式/字幕・映像付
2017.4/1(土)、4/4(火)各日15:00 東京文化会館
指揮:マレク・ヤノフスキ ジークフリート:ロバート・ディーン・スミス グンター:マルクス・アイヒェ
ハーゲン:アイン・アンガー アルベリヒ:トマス・コニエチュニー
ブリュンヒルデ:クリスティアーネ・リボール グートルーネ:レジーネ・ハングラー
ヴァルトラウテ:エリーザベト・クールマン 他
管弦楽:NHK交響楽団 合唱:東京オペラシンガーズ
http://www.tokyo-harusai.com/
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