感情をえぐられるダイアローグ! 小川絵梨子×蒼井優『スカイライト』と新国立劇場の”作品主義”【コラム】
新国立劇場『スカイライト』(撮影:細野晋司)
今年もいろいろなことがあった演劇界。中でも大きなニュースのひとつとして、”新国立劇場 演劇”の新芸術監督に小川絵梨子さんが就任したことを挙げたい。
小川さんにはこれまで対談とソロで2回ほどインタビューさせていただいたが、その印象は2度とも“キレのある北島マヤ”だ。作品とカンパニー以外のことにはほぼ興味がなく(2回とも撮影があるにもかかわらず、”素”の状態で登場)、自身を良く見せようとか、大きく出ようとする邪気が一切ない真っ直ぐな視線とトークに胸打たれた。「この人なら絶対に面白くぶっ飛んだ作品を魅せてくれる!」とワクワクした感覚を今でも思い出す。
そんな彼女が前芸術監督の宮田慶子さんからバトンを受けての2018/2019シーズン。幕開けとなったのが『誤解』『誰もいない国』『スカイライト』の海外戯曲3作連続上演である。
今回はその3作の中で小川さん自身が演出した『スカイライト』のレビューとともに、今年1年の”新国立劇場 演劇”の仕事について振り返っていきたい。なお『スカイライト』レビューは、作品の内容にかなり触れていることも最初にお伝えしておく。
新国立劇場『スカイライト』(撮影:細野晋司)
◆『スカイライト』感情がえぐられていくダイアローグ
ロンドン郊外の質素なアパート。寒く貧しい部屋で暮らす教師・キラ(蒼井優)のもとに、10代の青年・エドワード(葉山奨之)が訪ねてくる。彼はかつてキラが不倫をしていたトム(浅野雅博)の息子だ。エドワードの口から、トムの妻・アリスがガンで亡くなったことを知り、ひとり動揺するキラ。と、そこにトムが現れ、それぞれの感情の扉がこじ開けられるーー。
対面に組まれた客席の中央に配された舞台。キッチンとバスルーム、ベッドが置かれたワンルーム。劇場内の温度は低くないのに、なぜか寒々しい。そんな部屋にキラが帰宅するところから物語は始まる。スーパーの袋を置き、鍵を開ける瞬間から漂う圧倒的な生活感。
作品自体の登場人物は3名だが、舞台上に存在するのはつねに2人。ダイアローグで互いの関係性や過去、そして現在が語られていく様子が胸に刺さる。
この言葉、あまり好きではないのだが言ってしまおう……”傑作”だと思った。
何気ない会話からこぼれ落ちる感情の行き違い、唐辛子やチーズ、運転手への対応から見えるキラとトムの埋められない価値観。国も環境もまったく違うのに、まるでいつかの自分をせりふの応酬……ダイアローグを通して突きつけられているような感覚に陥る。
ふたりの会話から浮かび上がるさまざまな過去。キラが弁護士の父を持ち、乳母がいた環境で育った上流階級の娘であること、その家から飛び出して最初に働いたレストランのオーナー夫妻のもとで暮らし、貯めたお金で大学に行き、卒業後にまた彼らの仕事を手伝うようになったこと。そこから始まる6年間の不倫関係と別離、教師になったキラとさらに成功者となるトム、アリスの死。
この戯曲のひとつの肝が”時の流れによる逆転”だ。
新国立劇場『スカイライト』(撮影:細野晋司)
上流階級で育ったキラが今はロンドンのはずれの貧しいアパートに住み、長時間かけて荒れた学校に通っている。一方、庶民出身のトムは事業を拡大し、現場に出ることなく多額の報酬を得る立場にある。
ふたりが不倫関係にあった頃、キラはトムにとって若くて頭と育ちが良く、自分を傷つけない程度に刺激を与えてくれる存在だったのだと思う。男は20歳年下の女に安定した給料と居心地の良い環境を与え、女は男を支えることである種の安寧を得る。愛情という目に見えないものを言い訳にしながらの中途半端な主従関係。
が、別離を経てそれぞれの3年間を生きた今、この部屋で最終的なジャッジを下すのはいつもキラだ。
パスタソースの唐辛子は後から入れる、チーズはあるものを使う、運転手を帰す(=トムが泊まる)、タクシーを呼ぶ(=ふたりの終わり)。リッチな恋人の庇護を受け、仕事でも私生活でも男のサブとして存在していた女性はもういない。いるのは自分ですべてを選択する自立した女なのである。
弱さがあるからこそ折れないキラを演じる蒼井優が素晴らしい。今の生活に価値がある、と語りながら、以前の幸福の象徴として、ホテルリッツのナフキンを顔にあて泣くシーンにこの役の多くのことが表れていると感じた。
また、卑怯さも弱さもありながら、可愛さと魅力を感じさせる浅野雅博のトムも胸に迫る。トムは酷いクズではないのだ。それはアリスの死後1年、キラのもとを訪ねられなかったことからも理解できる。
このディヴィッド・ヘアの戯曲を文字で読んでもこれほどの心の震えは体感できなかっただろう。小川絵梨子の緻密で繊細な演出とそれに応えた俳優3人の力があってこそ成立した世界なのだと思う。
久し振りに”演劇”を観たと心の底から思える舞台だった。
◆新国立劇場2018年の仕事
ここでざっとではあるが、2018年の新国立劇場 演劇の仕事についても振り返っていきたい。今年、新国立劇場の主催で上演された舞台は以下の通り。
『赤道の下のマクベス』『1984』『ヘンリー五世』『夢の裂け目』『消えていくなら朝』(宮田慶子芸術監督)
『誤解』『誰もいない国』『スカイライト』(小川絵梨子芸術監督)
こうしてこの1年のラインナップを並べてみて、あらためて新国立劇場で上演される舞台は”作品主義”だな、と感じる。言葉のチョイスが難しいが、映像で名の売れたスターを起用するのではなく、まず戯曲ありきでキャスティングをしている作品が他の劇場と比べても明らかに多い気がするのだ。
新国立劇場『赤道の下のマクベス』(撮影:谷古宇正彦)
3月に上演された『赤道の下のマクベス』は『焼肉ドラゴン』で高い評価を得た鄭 義信の新作。戦争直後、シンガポールのB、C級戦犯たちを収容した刑務所内で刑の執行を待つ男たちを描いた作品だ。
新国立劇場『消えていくなら朝』(撮影:谷古宇正彦)
宮田慶子・前芸術監督、最後の作品となった7月上演の『消えていくなら朝』。こちらもモダンスイマーズ・蓬莱竜太の新作。蓬莱が自身を投影したという作家の定男が、5年振りに実家に帰って「家族の物語を書く」と宣言したことから浮き彫りになる家族間の軋轢が展開する。
2作品の共通項は閉ざされた空間で展開する会話劇ということ。いろいろな意味で逃げ場がない。正直、最初にリリース等を見た時は「なかなか……シブいキャスト陣だな」とも思ったのだが、実際に観劇し、両舞台ともすぐには立てないくらいに心が動いた。特に『赤道の下のマクベス』においては、帰り道の半分は思い出し泣きをしていたレベルだ。
新国立劇場『ヘンリー五世』(撮影:谷古宇正彦)
また5~6月、中劇場での上演となった『ヘンリー五世』は、新国立劇場が2009年から続けているヘンリーシリーズの句読点となった作品。演出の鵜山仁が「これは俳優・浦井健治の成長物語でもある」とかつて語った通り、浦井はその思いに応える成長を見せ、立派な”点”を打った。
新国立劇場『1984』(撮影:宮川舞子)
4~5月、小川絵梨子の演出で上演された『1984』。近未来の監視社会と、過去とが交差し物語が進んでいく問題作。主役のウィンストンを演じた井上芳雄は、自身の持つ清潔さ、清廉さを活かした役の構築でこの難しい戯曲に挑んだ。
他にも三演目となった井上ひさし・作『夢の裂け目』、新国立では初の演出となる稲葉賀恵『誤解』同じく寺十吾『誰もいない国』と、いずれも見ごたえのある作品が上演されている。
◆観客として新国立劇場に望むこと
小川さんの最近のインタビューで「新国立劇場に来るお客さまは比較的年齢層が高い。これからは10代~40代の観客も増やしていきたい」と語る一説があった。
確かに、新国立、特に小劇場の客席にはある程度年配の観客が多い。平日マチネともなればなおさらだ。事情もあるとは思いつつ、個人的には平日ソワレの回数を増やして欲しいと願う。
また、1年を通してひとつの作品を練り上げていく「こつこつプロジェクト」や、来年4月から公演が始まる『かもめ』(フルキャストオーディション)には期待しかないし、これまで新国立とは縁がなかった若手作家や演出家の登用も続けて欲しいと思っている。
良質な戯曲をスター主義でなく上演する――。今のエンタメ業界、そして演劇界では容易いことではないだろう。が、公共劇場のトップともいえる新国立劇場には、この”作品主義”を貫いて欲しい。「俳優も戯曲もあまりよく知らないけど、あの劇場でかかる作品は面白い」と、若い世代の興味をひく舞台を新国立なら提供し続けられるはずだ。
単身アメリカに乗り込み、劇団というバックアップ組織がないまま演劇界にさまざまな風を吹かせてきた”キレのある北島マヤ”……こと小川絵梨子新芸術監督なら、きっと面白いことを公共劇場でもやり続けてくれると信じている。
文=上村由紀子
公演情報
■翻訳:浦辺千鶴
■演出:小川絵梨子
■出演:蒼井 優 葉山奨之 浅野雅博
■予定上演時間:約2時間40分(1幕80分 休憩15分 2幕65分)
■会場:新国立劇場 小劇場
■日程:2018年12月1日(土)~12月24日(月祝)
■公式サイト:https://www.nntt.jac.go.jp/play/skylight/
■会場:兵庫県立芸術文化センター 阪急 中ホール
■日程:2018年12月27日(木)13:30/18:30
■公式サイト:http://www1.gcenter-hyogo.jp/