シンセ番長・齋藤久師が送る愛と狂気の大人気コラム・第五十六沼 『DJ沼』

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2019.9.30

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「welcome to THE沼!」

沼。

皆さんはこの言葉にどのようなイメージをお持ちだろうか?

私の中の沼といえば、足を取られたら、底なしの泥の深みへゆっくりとゆっくりと引きずり込まれ、抵抗すればするほど強く深くなすすべもなく、息をしたまま意識を抹消されるという恐怖のイメージだ。

一方、ある物事に心奪われ、取り憑かれたようにはまり込み、その世界にどっぷりと溺れること

という言葉で比喩される。

底なしの「収集」が愛と快感というある種の麻痺を伴い増幅する。

これは病か苦行か、あるいは究極の癒しなのか。

毒のスパイスをたっぷり含んだあらゆる世界の「沼」をご紹介しよう。

第五十六沼(だいごじゅうろくしょう) 『DJ沼』

私は楽器が全く演奏できない。

演奏できないばかりでは無く、譜面も読めない。

そんなダメな自分でも、買った瞬間に何の練習もしないのにいきなり使いこなせた楽器(のようなもの)が二つある。

まず一つはテルミンだ。

これは鉄の棒に手を近づけたり離したりする事で音階とボリュームを調整して演奏する古くからあるロシアで生まれた電子楽器である。

バイオリンのようにフレットが無いため、耳だけで音を取る私には向いていたのだろう。

そしてもう一つがDJが使うターンテーブルだ。

18歳の時、テクニクスのターンテーブル『SL1200mkⅡ』を二台と、安い『Vestaxのミキサー』を今は無き渋谷の某DJ専門店で買って、バスと電車を乗り継いで手持ちで家まで帰った。(腕はパンパンになり腰が砕けた)

開封してすぐにレコードに針を落としたら、練習もしないのにスクラッチがバカみたいにできた。

自分でもさすがに驚いた。

次に、HOUSEの曲をミックスするため、ビートマッチング(2台のターンテーブルを使って、現在かかっているレコードのリズムに次のレコードをヘッドフォンの中で合わせこみ徐々につないで行く)をしてみたが、これも一発で出来た。

一瞬、自分を天才だと思ったが、どんな事をしても他の楽器が全く出来ないため、神様がすこしオマケしてくれたんだろうと思った。

自宅のDJブース

自宅のDJブース

その頃テクノユニットも既にやっていたが、DJも並行して行っていた。

GOLDやCAVE、ENDMAXを始め、そのころ一番面白かったクラブでさんざん回させてもらった。

もちろん、ビートを崩してはいけない。踊っているお客さんの足を止める事になってしまうからだ。

ビートマッチングはテクノやHOUSEのようなロングミックスタイプのDJにとって、マストなテクニックであると共に、現在でももちろん、ほとんどのDJが絹のような繊細な繋ぎをし、大きなグルーヴのウネリを止めないように丁寧な仕事をしている。

私は93年頃、既にDJをする事に飽き飽きしていた。

というのも、人が作った曲をかけて商売する事に関して、少しばかり抵抗があったのと、レコードを毎月何十枚も、スケジュールによって下手したら100枚も買わなくてはいけないので、経済的に豊かなヤツにはかなわなかったというのもある。

常にフレッシュな音を届けるにはそれくらいの仕入れが必要だった。

現代はレコードよりもCD、そしてデジタルデータを扱うためのDJ機器が主流であり、ビートマッチングも自動的にやってくれる装置もあるほどだ。ズルい。

私は、数年前に「もういっかいDJをやってみよう」と思いたち、DOMMUNEの宇川くんに相談し、22年ぶりにDJを再開した。

もちろん、最近のDJ機器など触った事がない。

家には常にDJブースが設置してあるが、18歳の時買ったテクニクスのターンテーブルと、いささか時代遅れだが、世界的な名機と呼ばれるUREI1620とGSAのアイソレーターのみだ。

それを見かねてDOMMUNE宇川くんがパイオニアの最新のミキサーを貸してくれた。

もう浦島太郎状態の私は言葉も出なかった。

イコライザーは各チャンネルに付いてるし、ゲイン調整もできる。しかも裏でCUEしてる次にかける曲の音量まで視認でき、自動的にBPMに追従するエフェクターも搭載されているのだ。。。。。。。。。。。。。。。ハイテクすぎる。

とりあえず、急いでフレッシュなネタを用意しなければいけないと思い、六本木WAVEの頃からの親友で現在テクニークからジェットセットへ移ったテクノサウンドの伝道師 星川慶子ちゃんに電話して、最新のボクが好きそうなレコードを100枚くらいみつくろってもらった。

そしてDOMMUNEや各地のクラブで何回か回してみた。

が、あまり面白くない。なにかしっくり来ないのだ。

しかし、DJ復活宣言をしてみんなにも協力してもらっているので、何かの打開策を見つけようともがいていたところ、、、、、、、

小林径さんに出会ってしまった。正確に言うと30年ぶりに再会してしまったと行った方がいいだろう。

このフライヤーをみてほしい。93年には既にさんとお会いしていたのだ。

他の出演陣も面白いのでチェックしてみたら吹くだろうw

私は彼のことを当時からJAZZ DJの大御所中の大御所として認識していた。

しかし、久しぶりに聞くさんのDJのあまりの超進化にノックアウトされた。

ボコボコにノックアウトされたと言っていいだろう。(体育館の裏に呼び出されボコられた時よりも凄い衝撃を受けた)

一緒にDJをやらせてもらって、これほどのショックを受けた人はなかなかいない。

なんと、彼の出すサウンドはむき出しの電子音や歪んだアコースティックドラムなどの融合。

そして全くと言っていいほどビートマッチングさせないプレイにヤラれまくった。

私はあまりのショックに、新しく買い揃えた100枚のレコードをほとんど破棄し、次のさんとのイベントではチャンピオンにたいする挑戦者のような形で新しい音源を漁った。

しかし、、、、またボコボコに打ちのめされた。(あまりの自分のショボさに心が折れるほど)

これは、もう絶対にかなわないと思い、思い切ってさんにデートの申し出をしたところ、家も近所だったこともあり喜んで快諾してくれた。

彼は深かった。

ビートマッチングしないのは、ボクは選曲家だと思っているからなんです」と彼は言った。

ビートマッチング、、、、

キッチリした事が大好きな私が初めてビートマッチングを捨てようと思った瞬間だった。

出来るのにやらない」という選択はとても勇気がいる事だったが、思い切って自分にもいわゆる「ブッコミ」というテクニックを取り入れてみた。

しかし、これが本当に難しい。ビートマッチングなら寝ながらでも出来るのに、ブッコミって本当に本当に難しい。

さんのプレイはただのブッコミでは無いという事もわかってきた。何かの念力で繋いでいるんじゃないかとも思った。

そして、さんへの挑戦をし続けてしばらく時がたった頃(ボコボコにされ続けた)、イベントが終わるとともにさんが近づいてきて一言。

今日は久師さんの優勝ですね」と。

私は腰を抜かしそうになりながらも、本当に心の底から嬉しかった。

勝ち負けでは無いのだけれど、さんに少しだけ認めてもらえたような気がしたと同時に、肩の荷が降り、DJがスッゲー楽しくなってきた。

選曲の趣向も変わった。(もちろん、その後も容赦なくなんどもなんどもボコボコにされてますけどw)

そして、ビートマッチングを辞めてかれこれ2年ほどたったある日、このスタイルでDOMMUNEでDJをする機会があった。

番組が終わった後に宇川くんは「ヤバイね〜!マジでヤバイね〜!久師くん、このヴァイナル(レコード)一枚一枚がシンセのモジュールだという感じでやってるんでしょ?」と。

言われて初めて気がついた。

その通りだった。

一度DJを辞めた時「他人のトラックで食う」という考えが自然に遠のいた。

トラックとは、一つのモジュールであり、シンセサイザーや楽器と同じ意味を持っている。

ビートマッチングを否定するわけではない。

しかし、私の場合は神、小林径に出会った事でビートマッチングについて深く考え、選曲という事についても深く考えさせられた。

さんも楽器は一切演奏しない。 そのかわり、DJブースが彼の楽器なんだ。

ボクはさんの真似を少しやめた時にさんからお褒めの言葉をいただいた事を思いだした。

勇気はいったが、なにか、自分だけのプレイを確立したような気分になった。

そして私は毎月、フレッシュな音源を現在も漁っている。日本に無い時は海外からも取り寄せる。

でも、ヴァイナルだと、なかなか変態なトラックって無いんだよな〜。

しかしやるよ!これからもヴァイナルオンリーで!

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