NISSAY OPERA 2021 『ラ・ボエーム』~若き詩人を愛し、死んでいったミミの物語 ゲネプロ(12日組)レポート
NISSAY OPERA 2021 『ラ・ボエーム』(撮影:長澤直子)
物語の語り手が持つ視点は、舞台を照らすスポットライトのようなものだ。光の色や当て方で物の見え方は変わってくる。NISSEY OPERA 2021『ラ・ボエーム』は、このオペラの語り手をヒロインであるミミに定めた。そこから見えてくるのは、若くして死んでいく彼女の運命の残酷さと、だからこそ痛切に感じる青春の喜びであった。2021年6月12日初日組のゲネプロ(初日前の総稽古)を観たレポートをお伝えする。
*この後の記述は今回のプロダクションの特徴についてのネタバレを含みます。
NISSAY OPERA 2021 『ラ・ボエーム』(撮影:長澤直子)
プッチーニの《ラ・ボエーム》には序曲がなく、一般的な上演であればリズミカルな音型で幕が開くと、詩人のロドルフォと画家マルチェッロが屋根裏部屋で仕事をしながら冗談口をたたきあっている。ところが今回の演出では、まず《ラ・ボエーム》第4幕の、ミミがロドルフォと再会した時の美しい旋律が演奏される。このオペラをよく知っている人が聴いたらびっくりしてしまうだろう。そして舞台上には屋根裏部屋の寝椅子に横たわるミミの姿が見える。つまり、このオペラ全体がミミの回想として描かれているということらしいのだ。それに続いて本来の《ラ・ボエーム》がスタートする。
NISSAY OPERA 2021 『ラ・ボエーム』(撮影:長澤直子)
だが今回の演出のかなめは、実はその後に続く部分だ。ロドルフォとマルチェッロが登場して二人のやりとりが始まってもミミがまだその場にいるのである。二人には彼女が見えていない。哲学者コッリーネ、音楽家ショナールが登場してからのおふざけシーンも、ミミは興味深そうに見守っている。そして、ロドルフォが部屋に一人になった時、彼女は彼の机の上にある燭台を手にしてロウソクの火を吹き消す…。
NISSAY OPERA 2021 『ラ・ボエーム』(撮影:長澤直子)
こうしてオペラの全ての場面にミミは存在し続ける。物語は彼女の想いの中で進行し、観客もミミの視点を重ねながらストーリーを追うことになるのだ。もうすぐ若くして死んでいくミミの青春の日々を。
NISSAY OPERA 2021 『ラ・ボエーム』(撮影:長澤直子)
この《ラ・ボエーム》は2017年にNISSEY OPERAが、今回と同じ園田隆一郎指揮、伊香修吾演出で初演した舞台の再演だ。しかしコロナ禍により前回と同じ条件で上演することは叶わなくなった。そこで演出の伊香は、前回のプロダクションの劣化版を作るよりは新しい視点で演出をしたいと決心する。2017年の《ラ・ボエーム》は「ボヘミアンたちの回想」というコンセプトのもと、四人の青年たちとムゼッタがミミの墓参りをする場面からオペラをスタートさせていた。つまり前回の“残された若者たちの視点”が、今回は“亡くなったミミの視点”に再構築されたのである。
NISSAY OPERA 2021 『ラ・ボエーム』(撮影:長澤直子)
NISSEY OPERA《ラ・ボエーム》のもう一つの特徴は日本語訳詞上演だ。台本はオペラ訳詞のエキスパートであるバリトン歌手の宮本益光が担当している。イタリア語の名調子とプッチーニの音楽が魔法のように結びついている《ラ・ボエーム》を訳すのは大変な作業だったと思うが、母音の入る場所がよく考えられた、韻の踏み方も自然な耳に心地よい訳になっている。キャストは2017年に歌った歌手が何人か入っており、再演にあたっては彼らのアプローチもより深まったのではないだろうか。
NISSAY OPERA 2021 『ラ・ボエーム』(撮影:長澤直子)
ミミを演じる安藤赴美子は一流の舞台で数多く歌っているプリマだが、ミミを歌うのは今回が初めて。舞台に出ずっぱりであることはオペラ歌手にとっては厳しい条件となるが、しなやかな身のこなしで存在感を示しつつ、純度の高い美声で隅々まで整った歌を聴かせた。ロドルフォの宮里直樹は初演に続く再登場。明るい音色の美声が魅力で、抒情的な表現もたくみだ。
NISSAY OPERA 2021 『ラ・ボエーム』(撮影:長澤直子)
横前奈緒は艶やかな声で可愛らしいムゼッタ。マルチェッロの今井俊輔はよく響く声に落ち着いた歌唱、音楽家ショナールの北川辰彦は歌と演技のバランスが絶妙だ。コッリーネのデニス・ビシュニャは深みのある音色で〈外套のアリア〉を切々と歌った。ベノアはガウン姿も決まった清水宏樹、アルチンドロの小林由樹はおかしみのある演技。パルピニョールは両日とも工藤翔陽で、舞台裏からの歌だが晴朗な声。
NISSAY OPERA 2021 『ラ・ボエーム』(撮影:長澤直子)
NISSAY OPERA 2021 『ラ・ボエーム』(撮影:長澤直子)
今回、児童合唱は参加せず、合唱(C.ヴィレッジシンガーズ)も全て舞台裏からの歌唱であったが、歌の表情は十分感じられた。第2幕の冒頭部分はあらかじめ録音した音源を使用。初演から引き続きタクトを取った園田隆一郎は、舞台裏演奏との調整に加え、オーケストラの一部がピットの脇奥に配置されるなど、通常の演奏とは違う部分が多かったはずだが、プッチーニには欠かせない“歌”の自在さを、歌手たちからも新日本フィルハーモニー交響楽団からも引き出す指揮が見事であった。10日からのニッセイ名作シリーズ(学校公演)、そして12・13日の一般公演でも素晴らしい演奏が期待できそうである。
NISSAY OPERA 2021 『ラ・ボエーム』(撮影:長澤直子)
NISSAY OPERA 2021 『ラ・ボエーム』(撮影:長澤直子)
取材・文=井内美香 撮影=長澤直子