坂東玉三郎が語る『ふるあめりかに袖はぬらさじ』有吉佐和子が込めた人間愛~歌舞伎座『六月大歌舞伎』インタビュー

インタビュー
舞台
2022.6.7
第三部『ふるあめりかに袖はぬらさじ』(左より)遊女亀遊=河合雪之丞、芸者お園=坂東玉三郎 /(C)松竹

第三部『ふるあめりかに袖はぬらさじ』(左より)遊女亀遊=河合雪之丞、芸者お園=坂東玉三郎 /(C)松竹

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2022年6月2日(木)より歌舞伎座『六月大歌舞伎』の第三部で、坂東玉三郎主演の『ふるあめりかに袖はぬらさじ』が、上演されている。玉三郎の役は、かつて吉原、いまは横浜の遊郭に身を置く芸者のお園だ。当たり役のひとつと言えるお園への思い、本作の魅力を玉三郎に聞いた。開幕初日の模様とともに、お届けする。

■幕末の横浜に実在した遊郭

歌舞伎座の第三部は、遠くから聞こえる汽笛の音ではじまった。舞台は、開港まもない横浜港のそばにつくられた遊郭・岩亀楼。本作は、有吉佐和子の短編小説をもとに、有吉自らが戯曲化したもの。1972年に文学座で初演された。お園役は、杉村春子だった。

第三部『ふるあめりかに袖はぬらさじ』(左より)岩亀楼主人=中村鴈治郎、芸者お園=坂東玉三郎 /(C)松竹

第三部『ふるあめりかに袖はぬらさじ』(左より)岩亀楼主人=中村鴈治郎、芸者お園=坂東玉三郎 /(C)松竹

「杉村さんにぴったりの役です。杉村さんには真実があり、戦争や劇団の分裂も経験した。恋もされた方だと思います。​お園は、吉原で芸者をしていて品川へ。さらに流れて横浜の遊郭へ来ました。色々な経験をして色々な人生を見てきたのでしょう。けれども、それを笑いに持っていける巧妙さがあります」(坂東玉三郎。以下、同じ)

暗い部屋の戸が開くと、わずかに漏れ入る光が、出入りする人影を浮き上がらせる。まもなく女が、調子よくお喋りをしながら窓の戸を開けた。光がさすと、そこは遊郭の行燈部屋。窓辺には玉三郎演じるお園がいて、客席からワッと拍手が起きた。窓の外には横浜の景色が広がり、アメリカの船も見えるという。

お園が話しかける相手は、花魁の亀遊(きゆう)。長患いで行燈部屋に押し込められている。お園と亀遊は、吉原時代を知る者同士で、偶然にも岩亀楼で再会した。亀遊を演じるのは、劇団新派の女方の河合雪之丞。床から身を起こした亀遊は、儚げな中にも花魁としての芯の強さを感じさせる佇まい。商人イルウス(桂佑輔)の言葉どおり「夢、幻のごとき美しさ」だった。

⬛︎玉三郎と芸者のお園

面倒見がよく、お喋りが好きで、お酒が大好きなお園。中村鴈治郎が演じる妓楼の主人との掛け合いは、テンポ良く客席に笑いを起こす。玉三郎がはじめて、お園を演じたのは1988年のこと。それ以来、くり返し勤めてきた役となる。女優の役を女方で演じることに「特別な難しさはありませんでした」と振り返り、「それに、お園は芸者ですから」と続ける。

「芸者には私語がありません。その意味では、噺家さんと似ていますね。そして私は花柳界で育ったこともあり、そばにお園のようなお喋りはいくらでもいたし、散々喋っていても嘘と本当がちゃんと分かっている人がいっぱいいました。この役を演じていると、どこまでセリフでどこからアドリブなのか、よく聞かれます。アドリブはひとつも言っていないのに(笑)」

現代の歌舞伎界の女方の最高峰、坂東玉三郎のイメージとは、だいぶ異なるキャラクターだ。にもかかわらず、すべての瞬間がリアルだった。調子は良いが、こびへつらうわけではない。粋に興を添え、笑いを誘う。玉三郎自身、演じていて楽しいに違いない。

「私が楽しいかどうかは別なんです。演劇として、ちゃんと演じなくてはいけませんから。ただ、お園を演じると浄化されるんです。同じく有吉先生の『華岡青洲の妻』の加恵も、終わった後には、心が洗い流されるようにスッとします。三島由紀夫先生の作品は、家に帰っても引きずってしまう重たさがありますから(笑)、有吉さんの作品だからこその感覚なのでしょうね。有吉先生の作品には、人間愛があります。戯曲に込められた人間愛が、他のどの作家とも決定的に違うのだと思います」

■否定も肯定もせず描き出す、有吉佐和子の洞察力

序幕では、亀遊と通訳の藤吉(中村福之助)が心を通わせる。藤吉の若さと堅実さは、「志」という言葉を鋭利にピュアに響かせた。第二幕の岩亀楼の引きつけ座敷では、外国人商人のイルウスを前に、ド派手な唐人口(外国人向け)の遊女たちがパレードさながらの盛り上げをみせ、芸者の三味線、太鼓、日本人遊女たちを新派の女優陣が勤める。

第三部『ふるあめりかに袖はぬらさじ』芸者お園=坂東玉三郎 /(C)松竹

第三部『ふるあめりかに袖はぬらさじ』芸者お園=坂東玉三郎 /(C)松竹

歌舞伎の様式と新派の写実がそれぞれのレイヤーで生き生きと描き出され、見事に重なり合う。そんな中、悲劇が起こる。

「素晴らしい、特別な戯曲です。有吉先生は、男と女のありように深く踏み込んでいます。私たちはすれ違っちゃってるのね、と言いながらも、その実まったくすれ違ってない。男が良いとか女が悪いとか言うこともなく、独特の両面が語られます。それだけではありません。日本とアメリカ。勤王派と佐幕派、そのどちらでもない人々。情報に翻弄される人々。だれを否定も肯定もせず、あらゆる人間模様が煌めきます。有吉先生は、本当に頭がよく、素晴らしい洞察力をお持ちだったのだと思います」

しかし初演当時、本作はあまり評価されなかったという。

「先に発表された『華岡青洲の妻』は、当時からとても高く評価されました。でも『ふるあめりかに袖はぬらさじ』は、笑いやお客様受けを狙った戯曲と捉えられ、当時、意外と評価が低かったんです。それが私には、信じられませんでした。たしかに『華岡青洲の妻』は小説的な作品。『ふるあめりかに袖はぬらさじ』はエンターテインメント性に優れた演劇的な作品。でも、こちらも裏は生真面目で、魂が貫かれてた戯曲です。しかも国が言われたくない、言われると一番痛いところを、スッと刺しています」

「最近の日本の戯曲は、笑いならば笑いばかり。悲しい話は悲しいばかり。不条理劇は不条理劇だから、と分かりにくいことが多いように思います。有吉先生の戯曲は、不条理を突きつけながらも、お客様に不条理劇を見ているとは思わせません。笑いで転がっていきながら、後できちんと考えさせられます」

玉三郎自身、翻訳劇を手がけてきた経験がある。だからこそ、思うことがある。

「シェイクスピアもギリシャ悲劇も素晴らしいです。でも、書かれた国の言葉でなければ表せない部分があり、日本語で書かれた戯曲には、日本人にしか表せない日本人の感性があると思っています。だから私は、もう何年もの間ずっと、日本の言葉で書かれた、笑いながら人生をしみじみ感じられる戯曲、時代を越えて人間の根本に触れる戯曲を探しています。それがなかなか見つからない。もうこのような素晴らしい戯曲は、生まれないのかもしれません」

明日にはまた、岩亀楼のお座敷で

第三幕では、お園と藤吉が心の内を吐露する。お園の皮肉めいた言葉の隙間から、本音が滲みだす。その日、1枚のかわら版が舞い込み、岩亀楼は一気に騒がしくなる。かわら版には、無筆の亀遊が遺書を遺していたと書かれていたのだ。

「世情に流れる情報と真実がズレて、残された人間が伝説になって踊らされて。今の私たちと変わらないでしょう。でも、お園はしっかり分かっているんですよね。本当の魂はここにあるのよって」

第四幕は、亀遊の死から5年後の岩亀楼。その日は、思誠塾の岡田(喜多村緑郎)や小山(田口守)がやってくる。お園は、亀遊の死を見事な節回しで聞かせる。すっかり達者な語り部となったお園に、思誠塾一行も拍手をおくるが……。幕切れは、お酒をあおったお園の独白となる。人間のおかしさ、悲しさ、それでも生きていく弱さも強さもこぼれ出す。さらに玉三郎の身体があってこそ成立する、洗練された空間が生まれていた。

お園は、行燈部屋でもいなくなってからも、亀遊に強い思い入れをみせる。

「自分が若かった頃の恋心を、蘇らせていたのだと思います。だから2人を成就させたいと思ったんじゃないでしょうか。最後に言いますよね、“花魁は、さみしくって、悲しくって、心細くって”、ひとりで死んだんだと。私はそれを理解しているよって。でも自分は死ぬこともできなかった。明日にはまた、お座敷で“横浜は、ここ岩亀楼~”とやっていくのでしょうね」

取材の中で、取材対象者が多く使う、印象的なワードに出会うことがある。あくまでも感覚値だが、先人、挑戦、意味、仲間、美など、歌舞伎俳優でも様々だ。玉三郎のそれは「魂」と「お客様」。

「まずはお客様です。当たり前でしょう? お客様がいなくてはお芝居はできません。たしかに役者って、やりたくないことはできないものです。けれど、お客様に劇場へきていただき、楽しんでいただき、お帰りになる時にまた来たいと思っていただかない限り、次はありません」

第三部『ふるあめりかに袖はぬらさじ』(左より)芸者お園=坂東玉三郎、思誠塾岡田=喜多村緑郎 /(C)松竹

第三部『ふるあめりかに袖はぬらさじ』(左より)芸者お園=坂東玉三郎、思誠塾岡田=喜多村緑郎 /(C)松竹

「先ほどお話したとおり、有吉先生の作品は浄化されます。でも自分だけが気持ちの良い、ナルシスティックなことしていてはお客様に失礼です。自分にできる、自分がやりたい作品であり、お客様に楽しんでもらえる作品で、お客様に気持ちよくお帰りいただきたいです。その時に、どこまでお客様に迎合するかの線引きは難しいけれど」

迎合し過ぎて失敗した、という経験はない。「どちらかというと、引いていました。冷めた人間なのだと思います」と穏やかに続ける。

「芸に熱い方でもないと思います。ただただ、初日が開いたからにはちゃんとやらなくてはいけない。その責任感だけです。時どき放棄したくなるくらいのね(笑)。劇場ひとつ、興行の責任を持つようになってからは、その意識でいます」

コロナ禍以降も、舞台に立ち続け、歌舞伎界を支える玉三郎。杉村春子は、88歳までこの役を勤めた。これからもお園役を……と期待を込めると、「私にはできませんよ」と首を振る。

「お園をやらせていただくのも、今回が最後かもしれません。冗談ではなく、もうすぐ終わるからがんばらなくちゃと思っているだけ。(この先は)演出に興味があります。他の方が出られる作品を演出したいんです。でも、なかなかお声がかからないんですよね(笑)」

『六月大歌舞伎』の第三部『ふるあめりかに袖はぬらさじ』は、6月2日(木)~27日(月)までの公演。

取材・文=塚田史香

公演情報

『六月大歌舞伎』
日程:2022年6月2日(木)~27日(月)
会場:歌舞伎座
 
【第一部】午前11時~
 
一、菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)
車引
 
梅王丸:坂東巳之助
桜丸:中村壱太郎
杉王丸:市川男寅
藤原時平:市川猿之助
松王丸:尾上松緑
 
岡 鬼太郎 作
市川猿翁 補綴
二、澤瀉十種の内 猪八戒(ちょはっかい)
 
童女一秤金実は猪八戒:市川猿之助
孫悟空:尾上右近
沙悟浄:市川青虎
村長張寿函:市川寿猿
女怪緑少娥:市川笑三郎
女怪紅少娥:市川笑也
霊感大王実は通天河の妖魔:市川猿弥
 
※「澤瀉屋」の「瀉」のつくりは、正しくは“わかんむり”です
 
【第二部】午後2時15分~
 
田中喜三 作
齋藤雅文 演出
一、信康(のぶやす)
岡崎城本丸書院の場
二俣城外の丘の場
二俣城本丸広間の場
 
徳川信康:市川染五郎
松平康忠:中村鴈治郎
平岩親吉:中村錦之助
本多重次:市川高麗蔵
大久保忠佐:坂東亀蔵
大久保忠泰:大谷廣太郎
御台徳姫:中村莟玉
鵜殿又九郎:中村歌之助
奥平信昌:嵐橘三郎
大久保忠教:澤村宗之助
酒井忠次:松本錦吾
天方山城守:大谷桂三
大久保忠世:大谷友右衛門
築山御前:中村魁春
徳川家康:松本白鸚
 
二、勢獅子(きおいじし)
 
鳶頭:中村梅玉
鳶頭:尾上松緑
鳶の者:坂東亀蔵
鳶の者:中村種之助
鳶の者:中村鷹之資
鳶の者:尾上左近
手古舞:中村莟玉
芸者:中村扇雀
芸者:中村雀右衛門
 
【第三部】午後6時00分~
 
有吉佐和子 作
齋藤雅文 演出
坂東玉三郎 演出
ふるあめりかに袖はぬらさじ(ふるあめりかにそではぬらさじ)
 
芸者お園:坂東玉三郎
通辞藤吉:中村福之助
遊女亀遊:河合雪之丞
旦那駿河屋:片岡松之助
遣り手お咲:中村歌女之丞
浪人客佐藤:中村吉之丞
唐人口マリア:伊藤みどり
思誠塾小山:田口守
思誠塾岡田:喜多村緑郎
岩亀楼主人:中村鴈治郎
 
※片岡仁左衛門休演につき第三部の演目を変更しております
 
 
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