<2015年末回顧>野中広樹の「演劇」ベスト5(舞台篇)
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SPAC『舞台は夢』(静岡芸術劇場) 撮影/三浦興一
2015年 わたしの演劇ベスト5(舞台篇)
① SPAC『舞台は夢』 (ピエール・コルネイユ作、久保田梓美脚本、フレデリック・フィスバック演出、静岡芸術劇場)
② さいたまネクストシアター『リチャード二世』 (ウィリアム・シェイクスピア作、松岡和子訳、蜷川幸雄演出、彩の国さいたま芸術劇場)
③ 世田谷パブリックシアター『マーキュリー・ファー』 (フィリップ・リドリー作、小宮山智津子訳、白井晃演出、シアタートラム)
④ 俳優座劇場『月の獣』 (リチャード・カリノスキー作、浦辺千鶴訳、栗山民也演出、俳優座劇場)
⑤ 新国立劇場『桜の園』 (アントン・チェーホフ作、神西清訳、鵜山仁演出、新国立劇場小劇場)
新作戯曲ベスト5で紹介した舞台以外から選んだところ、奇しくもすべてが翻訳劇になった。
『舞台は夢』はユニークな構造の劇である。まず、大きな枠組みとして、家出をした息子グランベールを探そうとするプリダマンは、友人ドランドに連れられて魔法使いアルカンドルの洞窟を訪れる。その洞窟のなかで、プリダマンは、アルカンドルの魔法によって、息子の所業が再現され、それを見ることになる。つまり、舞台では劇中劇として、息子をめぐる芝居が展開されるのだ。だが、劇の構成はそれだけにとどまらず、もうひとつの「物語」が、さらに劇中劇のなかに挿入される。そして、これらの構造が、劇の主題と密接に結びついている。
そのような手法を用いて確かめられるのは、息子の安否と、息子がしでかした恋の顚末である。恋する息子グランベールは、出会った女性すべてに恋をし、言葉巧みに口説き落とす。ふた股かけた相手にすべてがばれても、自己の行為の正当性を滔々と述べたてる。この苦し紛れの言い訳は、一聴の価値がある。
さまざまな位相によって複雑に組み立てられた劇構造であるがゆえに、導かれる結末を堪能した。舞台はすべてを救済していく。芝居好きを喜ばせる趣向と仕掛けに満ちていた。
さいたまネクストシアター『リチャード二世』(彩の国さいたま芸術劇場) 撮影/宮川舞子
『リチャード二世』は絶頂からどん底へという振幅がとてつもなく大きな劇だが、王侯貴族は若い俳優たち、そしてそれを支える人々は人生の経験豊かなベテランが演じることにより、世代間の格差がくっきりと浮き彫りにされた。そして、両者が手をつないでタンゴを激しく踊るとき、闘いの火蓋が切って落とされる。若い力がほとばしる水面下で、経験豊富な時間がぶつかりあって渦が生みだされ、歴史が刻まれた。
世田谷バプリックシアター『マーキュリー・ファー』(シアタートラム) 撮影/細野晋司
『マーキュリー・ファー』は、近未来、廃墟と化した集合住宅の一室でおこなわれたアブノーマルなパーティを描いた作品だが、フィリップ・リドリーの作品を見るたびに、イアン・マキューアンの初期短篇を思い出す。風変わりな性向の持ち主の奇妙な行動を通して、社会の歪みや病根の深さが露わになっていく。暴力と異常性愛を強いる富裕層と、生きるためにそれをイベントとして準備する貧困層の人々。独得で圧倒的なイメージが突出した舞台だった。
俳優座劇場プロデュース『月の獣』(俳優座劇場)
『月の獣』はトルコによるアルメニア人大量殺害を扱っている。この史実については、『新・冒険王』に登場するアルメニア系アメリカ人も台詞のなかで言及していたし、今年の4月12日、サンピエトロ大聖堂でフランソワ教皇は「20世紀最初の大虐殺だと広くみなされている」と述べた(朝日新聞)。今年はそれから100年後に当たる。はじめに老紳士が語り手として登場し、子供が登場してからは、舞台袖で劇を見守りつづけるが、最後に老紳士は子供の現在の姿であることがわかる。過去を語り継ぐ存在として登場したのだ。戯曲は過去の記憶装置であり、役者の身体を伴って哀しい過去を甦らせた。
新国立劇場『桜の園』(新国立劇場小劇場) 撮影/谷古宇正彦
『桜の園』は、子供部屋の舞台装置としてミニチュアの椅子や本棚が置かれ、色彩はシャガールの絵を思わせる色で構成されていた。つまり、屋敷全体を幻想的なノスタルジアの空間に見立てて、そこでチェーホフ的世界を展開させたのである。幕間にはサティの音楽が流れていた。フランス的イリュージョンとして『桜の園』を上演するのは新しい試みである。