その「声」は驚くべき速度で進化し、響きあう~児玉隼人リサイタル・ツアー ファイナル公演レポート

レポート
クラシック
2025.9.8

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若き日に故郷の湖のほとりでトランペットの練習に励んだマイルス・デイヴィスにとって、楽器の音は「声」であり、そのフレーズは「歌」だったという。

この逸話を目にしたとき、児玉隼人を思い浮かべずにはいられなかった。「日本管打楽器コンクール」トランペット部門史上最年少優勝後、デビューアルバム『Reverberate』をリリース、4月からドイツに拠点を移した16歳。渡独直前のリサイタルで聴いた彼の「声」が、忘れられなかったからだ。

8月、国内7都市をめぐったリサイタル・ツアーのファイナル、東京公演が開催された。当日は快晴。浜離宮朝日ホールで受け取ったプログラムには「毎日音楽の見方、感じ方が変化している」という自身の言葉が添えられ、充実した留学生活が伝わってくる。

定刻。ステージに鎮座するグランドピアノの前に、児玉隼人が軽やかに登場した。すっと構えられたトランペットから響き渡った、憂いを含んだ「声」。ベルギー生まれのトランペット奏者、シャルリエによる「36の超絶技巧練習曲 第2番」だ。勇壮に、たっぷりと歌うような中間部のふくよかさに、明らかな変化を感じて目を見張る。

同様の観客が多かったのだろう、どよめきのような拍手が沸き起こった。袖に下がった児玉が、ツアーの相棒であるピアニスト、山中惇史とともに再び登場した。ともに定位置についての2曲目は、同じくシャルリエの「ソロ・ド・コンクール 第2番」。ト長調の輝かしい冒頭が、山中の情感豊かなピアノとからみあい、これからはじまるステージを期待させる。

転調を経て、軽快に弾けるクライマックス。拍手に応え、マイクを手にした児玉は「本日はありがとうございます。7月から続いたツアーもいよいよラストです」と挨拶。すかさず山中が「児玉くんはトークも本当にうまくなりましたね」と感慨深げにコメントし、会場を和ませる。口休めのピアノソロは、山中の歌心が生きるシューマン「献呈」(リスト編)。余韻に浸っていると、少し緊張した面持ちの児玉が戻ってきた。

山中惇史

山中惇史

3曲目はいよいよ、今回のツアーの目玉「トランペット・ソナタ(リヒャルト・シュトラウスによる)」である。フランスの作曲家エーラーとトランペット奏者フリーマン=アトウッドが、シュトラウスのメロディを集めて作曲したソナタ。演奏時間30分。複雑な構成に加え、唇の形をキープする意味でも難易度が高い大曲だ。

3つの楽章はまず、シュトラウスのヴァイオリン・ソナタの華やかなメロディではじまった。弾むようなピアノに導かれ、滑り出すトランペットのメロディ。2つの楽器はロマンティックにからみ合い、時に激しくぶつかり合う。その後もシュトラウスの交響詩のエッセンス――作曲家でもある山中の解説によると、第2楽章では「ツァラトゥストラはかく語りき」、第3楽章では「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」など――が巧みに織り込まれ、万華鏡のような音世界が広がっていく。「この曲が大好きで、絶対に挑戦したかった」という児玉の横顔は充実感で満たされ、暗譜演奏への驚きが霞んでしまうほど楽しげだった。

劇的な幕切れから休憩をはさんで後半は、穏やかなフリューゲルホルンの響きではじまった。

4曲目のシューマン「アダージョとアレグロ 変イ長調」は、雄大な自然を感じさせるアダージョの会話が、一転活気あふれる掛け合いへと変化する。その後のMCで、児玉の愛器が、低音を出すための第4ピストンバルブを加えてもらった特注品だと明かされた。楽器について夢中で話す児玉に、山中が「ようやくたくさんしゃべれるね」と声をかける。それに対し児玉は「(前半の難曲)シュトラウスが終わったので、もう大丈夫です」と答え、会場を湧かせる。じつはシュトラウスは、ツアー開始当初は暗譜が間に合わず、本番で「楽譜落下事件」というアクシデントもあったという。ツアーの1ヶ月間での、凄まじい成長ぶりが伺える話だ。

1ヶ月でこれならば、半年での成長は自明である。ドイツでの新生活について問われた児玉は、「苦労話ができればいいのですが、まったくなくて」と笑いを誘ってから、この半年を「ずっと変化し続けている」と語った。憧れの名匠ラインホルトが2026年7月で教授を辞めてしまうと知り、今すぐ彼の下でトランペットを勉強したいと直接交渉した児玉。カールスルーエ近くの村、築500年の邸宅で先生夫妻とともに暮らし、レッスンに明け暮れる環境は本当に充実しているのだろう。湿度の低いドイツでは「音が飛んでいくよう」という言葉も印象深かった。

児玉と山中は互いにヨーロッパで学び、初夏には山中が拠点とするパリ・モンマルトルでリハーサルを開始した。続いて演奏された5曲目、ワックスマン「カルメン幻想曲」の掛け合いからも、二人が日々感じている刺激と、相性のよさが伝わってくるようだった。名ヴァイオリニスト、ハイフェッツに捧げられたこの曲は、ビゼーのオペラ『カルメン』が原曲。オーケストラのように雄弁な山中のピアノに導かれ、児玉はハバネラやセギディーリャなどの名アリアを軽やかに歌い上げる。超絶技巧をこなしながら飄々としたその佇まいには、風格すら宿っているようだ。袖に下がる際、山中に向かってニヤリと笑顔を見せたというから、自身会心の出来だったのだろう。

後半のピアノソロは、「献呈」ともども児玉のリクエストで選ばれた山中の自作曲「上を向いて歩こう、ただし足元もお気をつけて」。舞台に戻った児玉は、いよいよラストという言葉とともに、1年後のサントリーホール公演の決定を発表した。祝福の熱気の中で最後に演奏された6曲目は、ガーシュウィン「ラプソディ・イン・ブルー」(ドクシツェル編)。一人でオーケストラを演じるように巧みに音色を変えたトランペットが、ユーモラスに、そして後半では輝かしい音を響かせる。本領発揮とばかりに歌い上げるピアノとの掛け合いは、まるで二人だけのコンチェルト。深い音楽愛に満たされた、幸福なクライマックスだった。

アンコールは、児玉の代名詞「トランペット・ラブレター」。続くバッハの「アリオーソ」を聴きながら、彼らの音楽への愛が、神様に届くようにと願わずにはいられなかった。

児玉隼人の公演はいつも、トランペットという楽器の可能性を、そして一人の音楽家がどれだけの速度で成長していくかを、驚きとともに教えてくれる。まもなく10月にはNHK音楽祭に登場。来年のサントリーホール公演まで、注目の共演とドイツでの研鑽が続く。彼がこれからどんな「声」を届けてくれるのか、楽しみでならない。

取材・文=高野麻衣 撮影= 鈴木久美子

今後の出演予定

『NHK音楽祭2025』
 
日時:2025年10月 3日(金)19:00開演
会場:NHKホール
出演:
管弦楽 = NHK交響楽団
指揮 = エヴァ・オリカイネン
ソリスト = 児玉隼人(トランペット)、ソフィア・リュウ(ピアノ)
https://www.nhkso.or.jp/concert/20251003.html?pdate=20251003

『児玉隼人トランペットリサイタル in サントリーホール』
 
日時:2026年9月13日(日)14:00開演
会場:サントリーホール 大ホール
公演詳細・発売日は後日発表!
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