「自分らで切り開いて、続けられる限り続けるだけ」ーーBRAHMAN結成30周年、KOHKIが語るこれまでとこれからのこと
結成30周年記念、3日間に渡って幕張メッセで開催されるBRAHMANの『尽未来祭 2025』。出演バンドがエモい、アツい、ていうかカオスすぎる、と大きなどよめきが広がっている現在だが、開催直前企画として、普段スポークスマンとして出てくるTOSHI-LOW以外の声を聞くリレーインタビューをお届けする。
まず第1弾はギタリストのKOHKI。バンドに最後に加入し、ギタリストとして成長を続け、今なお腕を磨き続ける彼の目に、BRAHMANの歴史はどう見えているのだろう。駆け抜けた青春時代や、続けることで見えてきた現在地。『尽未来祭』1日目のメンツを思い浮かべながらお読みください。
20周年の『尽未来祭』から10年を振り返る
「やっぱ4人で。シンプルなのが好き」
一一『尽未来祭』まで、あと1ヶ月です。今どんなこと考えていますか。
もう1ヶ月前ですか。いや、特にね、まだ実感もなくて。もうちょっと近づいてきたら実感するかもしれないけど。まぁお祭りみたいなもんなので。
一一そこは素直に楽しんでますか。
うん。30年間続けてこれただけでもありがたいのに、またそれをお祭りみたいに祝ってもらえるって贅沢だなと思ってますね。今回(自分としては)初絡みのバンドもいますけど、いろんなジャンルの人たちが出てくれるから、ここで生まれる交流もあるかもしれないし。みんな楽しんで欲しいですね。
一一10年前、20周年の『尽未来祭』は、どんな記憶として残ってます?
10年前……あん時はもう友達だらけで。先輩も含めて、ものすごい人がバックステージにいて、みんなベロベロで。
一一なんだっけ、日本酒が70升空いたとか(笑)。
そう。樽がなくなって、追加で茨城まで取りに行ってた(笑)。あと人に会いすぎて、もう歩けないくらい。全員に話しかけられて、やっぱ会えば喋りたいじゃないですか。喋っていくと、気持ちは楽しいんだけどバテちゃって、本番までに疲れちゃて(笑)。それで1日目はガタガタだった。だから2日目はあんまり人と話さないでおこうと思って。そういう記憶が残ってる。
一一あれからの10年を振り返っていきますけど、大きかった出来事とか作品って何が浮かびますか。
んー……『梵唄』のプリプロ、合宿でやってたんですよね。その光景はすごく印象に残ってる。BBQして、酒飲んでギター弾いてたらいいのができて、そのままスタジオ入って録ったりとか、したなぁ。
一一突発的なセッションからできた曲があった。
けっこうそうっすね。みんなで意見出し合って。ひとカケラでもパーツとなるものができたら、そこから膨らましていったりするから。あとは「Slow Dance」かな。コロナ禍真っ最中で、どういう曲を作ろうかってなった時に、ちょっと日本っぽくもある、踊れる感じの曲がいいねって話になって。それで、家でいろんなサンプルというか、いろんな音源聴き漁ってフレーズを作ってたんですよね。ライブもまったくないし、毎日ぼーっとしながらそれ考えてましたね。
一一サンプルにした音って、たとえば?
日本の楽器。三線とか。
一一「Slow Dance」ってイントロが琵琶みたいな音色で。そこに繋がる話。
そうそう。琵琶もそうですね。もちろんインスパイアって言ってもね、自分っていうフィルター通るとその通りにはならないんですけどね。
一一ワールドミュージック、アジア・オリエンテッドってBRAHMANにずっとあったテーマだと思うんですけど、この10年はぐっと日本に、和モノに寄っていきましたよね。
あぁ。僕らってアジアンチックとかのイメージが強いと思うんですけど、要は琴線に触れられればいいってことだから。別に和モノであろうが、ガツンと来ればそれでいいんですよね。別に和モノも(好きな対象の)範疇にあるというか。いきなり違うものにシフトしたとか、そういう意識はないんですね。
一一気がつけば、そういうものがグッとくるようになっていった。『viraha』も土着の音、和モノの祭囃子が満載のアルバムになりました。
祭囃子ね。でもね、他の祭囃子でチャンカチャンカはないんですよ。
一一え? そうなの?
あれは阿波踊りとかのリズムらしくて。僕、祭囃子いっぱい聴きましたもん。1曲もチャンカチャンカっていうのはなかった。コンピレーションとかで50、60曲聴いたけど他にはなかったんだよね。だいたい祭囃子って、ピーヒャラピーヒャラっていう笛と太鼓がメインで、あんまリズムが立ってない。
一一あぁ。言われてみればそうかも。
意外でしょ。僕も自分で意外だった。もちろん阿波踊りも含めて、ああいう踊り系の音も祭囃子って言うのかもしれないけど。
一一まぁ定義はなくて、お祭り音楽の総称ですからね。世界中にあるもの。
うん、チャンカチャンカってリズムは海外にもありますからね。あの跳ね感。
一一そういう音で踊る感覚が今はぴったり来る。自分自身に戻っていくような感覚なんでしょうか。
んー、戻っていくって言葉じゃないかな。僕の中では新しいことをやってる感覚。音楽的な新しさじゃなくて、自分の手法の中で新しいっていう意味で。
一一KOHKIくんのギターの弾き方も変わってきました?
やっぱり昔よりは力が抜けるようになってきた。昔はもうちょっと詰め込むのが好きだったけど、今はスペースが大事だな、とか。気づくの遅いんですけど。闇雲に弾けばいいってもんじゃないなって感覚はありますね。闇雲に弾けるほどのテクもないんですけど(笑)。
一一ギターが目立つシーン、昔より増えてますよ。ブルース的なソロとか。
あぁ。ブルースはもともと好きなんだけど、BRAHMANに落とし込もう、とか思ってるわけではなくて。あれってもう自然に出るもんだと思ってるんですよ。僕、今はギターソロとか半分くらい適当なんですよ。アドリブで全部やってる。そういうところで出ちゃうんだと思う。
一一決め込まないで、その場のフィーリングで弾く。
そう。それで「あんまり変えないでくれ」って文句言われたこともないから、まぁいいのかなって。たとえば印象的なキメのメロディとかは外しちゃダメだけど、それ以外だったらその場のノリで、適当に外してもいいかなと思って。
一一メンバーもそれを信頼してるんでしょうね。
もしくは、聴いてないか(笑)。どっちかですね。
一一ギターひとりのバンドって、やりがいがあるものですか? 今はツインギター、トリプルギターのバンドも珍しくなくて。
あぁ、今そうかもね。OAUではマーティンが弾いたりTOSHI-LOWくんが弾いたり、最大で3人いるから……めちゃめちゃ楽っすよ。
一一そんなに違うんだ。
BRAHMANで単音のソロとか弾きだすと、バックのオケがなくなるんですよ。でもOAUだとリズムギターが後ろにいるから、しょぼくならない。弾きやすいし。あとアルバムではギターの音を重ねるんですよ。リズムのギターと単音のギター、どっちもあって。それがライブだと1本になるから、そこはアレンジ変えたり、音作りを変えたりして、しょぼくならないようにいろいろ工夫してます。
一一その工夫も楽しい?
楽しい。挑戦のしがいがある。まぁ2人いたら楽なんだろうなーとは思うけど。
一一BRAHMANでやってみたいと思ったことは?
あんまりないですね。やっぱ4人で。シンプルなのが好きなんですよね。4人いて成立するってすごくないですか? 4人いて、それぞれ楽器があれば、もう曲が再現できちゃう。メンバーが増えてくると大変だし、中学生とかは真似できないじゃないですか。4人でできるってことは中学生のクラスメイトでできるから。そういうのが好きなんですよね。
一一何も知らないガキが「自分もできる」って思えるものでありたい。
そうですね。僕もそうだったから。特に4人バンドが好きだったし。
一一最初に憧れたのは?
最初の最初はBOØWYっすね。あとラフィン・ノーズ。
一一あぁ。ラフィンも4人バンドだ。
そう。「4人だけでほんとにやってるんだ!」って、そこに衝撃受けましたから。パンク寄りの音楽だからこそ「もしかしたら僕もできるかもしれない」って思ったし。だからバンドって流行ったんじゃないかな? いきなりジャズとかだったらお手上げじゃないですか。できちゃう人もいるんでしょうけど。
一一英才教育の人たちだけの世界になってしまう。
だから入り口としては、それくらいシンプルなほうがいいなと思いますね。
一一今のBRAHMANって4人の関係性、他に替わりがいない、こいつを全面的に信頼するっていう感覚が、そのまま曲になってる気がします。
あぁ。それはもう、バンドとしてはすごい褒め言葉ですよ。ギターの技術で言えば僕より上手いギタリストなんていっぱいいるし。ベースもドラムも、歌もそうだろうし。それってもう音楽とか、上手い下手ってことじゃないんでしょうね。ほんと、バンド、っていう関係性だと思う。
昨日の自分より今日の自分。
バンドマンでもありたいけど、いいミュージシャンにもなりたい
一一今さらの話ですけど、KOHKIくんはBRAHMANに一番最後に加入します。当時1st、2ndミニアルバムはすでに出ているタイミングで。
そう。僕、入る前にも何回か見たことあって。たまたま友達のバンドと対バンとか、よくあったから。で、当時はミクスチャーロックとかメロコアが流行ってて、その中でも異色の存在というか。なんか面白いなと思ってましたね。ちょっとこのバンドは、音にもキャラがあるし、格好いいなって。
一一加入するキッカケは?
もともと僕がやってたバンドの解散ライブがあったんですよ。1996年か。その時にロンちゃんとMAKOTOくんの後輩の、松本出身のバンドも出てて。それでロンちゃんとMAKOTOくんが遊びに来て、まぁ僕が弾いてるのを見てくれたんでしょうね。そこでこう、印象に残ってくれてたのかな? 友達づてに誘われて。僕はロンちゃんのこと直接知らなかったけど、VIRGOのユウが紹介してくれて。
一一入る時に戸惑いとか不安ってありましたか。
それはもう転校生みたいな感じですよ。緊張したし。すごい覚えてるけど、12月の10日だったんですよ、1997年の。ON AIR WEST(現在のO-WEST)でBRAHMANのライブがあるから、ロンちゃんに観に来てって言われて。海外のバンドのオープニングアクトで、いろんなバンドが出てたんですけど。そこでCD渡されて「1週間で覚えてきて」って。まぁミニアルバム2枚、10曲なんで、なんとか覚えて。それで最初にスタジオ入った時は緊張しましたね。
一一弾きやすかったですか、BRAHMANの曲。
いやいや、やっぱ癖ありますよ。人が考えたフレーズって自分で弾くと違和感あるし。
一一やる曲って「BEYOND THE MOUNTAIN」とか「ARTMAN」ですもんね。濃いやつばっかり。
そうそう。濃い(笑)。合わせたなぁ。
一一振り返って、辞めたくなったことはありますか。
僕? んー、ない。辞めてぇなと思ったことはないですね。曲作りでロンちゃんとワーワー言い合ったとか、そういうのはありますけど。そんなの小さな次元の話だから。ほんとに辞めるって考えたことはないかも。
一一メンバーの自覚というか、自分が参加してイチから作っているという感覚が出てくる作品は?
んー、『A MAN OF THE WORLD』の時も曲作りにはちゃんと参加してるんだけど、でももともとあった曲とかもあって。だから、曲作りも全部イチからっていうのは『A FORLORN HOPE』くらいから。そこからようやくって感じなのかな? 当時、『FORLORN〜』ではクリーントーンとかも出てきて、それで「パンクじゃねぇ」とか言われたんですよね。アルペジオ弾くだけでも「何それ?」とか。でもこっちは差別化を図りたかったんですね。周りのバンドたちと。
一一この頃ってAIR JAMブーム、どのバンドも出せば売れる、インディーズでも何十万枚とCDが売れていた時代で。いわばバブルですよね。
そう。僕らからしたら先輩たちのムーヴメントですからね。ハイスタとかスーパー・ステューピッドとか。当時出てるメディアもテレビじゃなかったし、たぶん雑誌と口コミだけ。それでインディーズで何十万枚ってすごいことで。今で言うとバズったってことですよね。バスりまくってたんでしょうね、当時。
一一羨ましかったですか。
まぁ……羨ましくないって言ったら嘘になりますね。やり方とか見てブチブチ文句は言うんですけど。それもやっぱ羨ましいからですよね。
一一ただ、先輩たちと同じ道には行かないように、っていうのがBRAHMANのルールだったように見えました。
まぁ独特というか。音楽的にも、ドハードコアでもドパンクでもなくて、カテゴライズしづらい音楽じゃないですか。だからどこかに混ざりづらいっていうのはありましたね。当時は今よりジャンルの壁が大きかった気がするし。
一一BRAHMANにとっての盟友って、誰になります?
友達で言ったらBACK DROP BOMBとかHUSKING BEE、SCAFULL KINGとかでしょうね。あのへんが90年代に一番ライブやってたメンツじゃないですか? 仲間というか、いつも一緒にいる人たちで。
一一ただ、HUSKING BEEを筆頭に、2005年くらいから失速していくバンドも増えていく。
あー、ハスキン解散ってそれぐらいか。僕も30歳になってて。……でも当時、こういうラウドシーンに40代とかいなかったですからね。30でも年寄りくらいの感覚。だから30代になった時点で、まぁこういうふうに辞めてくものなのかなって勝手に納得してたというか。今は平気で60代のバンドとかいますけど、当時は「GAUZE、40になったんだって!」ってみんなびっくりしてましたもん。「40でハードコアなんだ!」とか言って衝撃を受けて。……40歳なんて今の僕ら、とっくに超えてますからね(笑)。でも当時はそんな感覚だった。
一一2005年に30歳ってことは、KOHKIさん、2015年に40歳ですよね。最初の『尽未来祭』が終わった時、このあとの10年ってイメージできました?
いやぁ? あんまりイメージしてなかった。なんとなく50まではできるかなと思ってたし。でも50から60ってさらにハードル高くなるじゃないですか。これからどうしようかなぁと思って。何すればいいんだろうね?
一一何か続けるための努力ってしてますか。
アル中になるほど飲みすぎないとか、あとは軽い筋トレとか。腹ポーンと出るよりは、シュッとしてるほうがいいじゃないですか。ステージに立つなら。
一一BRAHMANとOAUを、ずっとやっていたい。
できるならやっていたい。
一一他のこと、たとえば自分のソロを考えたりは?
んー、あんまないかな。弾き語りとか、歌を練習しようって考えたこともあるんだけど……よく考えたら歌いたい曲がなかった。
一一はははは。そういうもんですか。
なんかこう、僕、曲のパーツが好きで。趣味でDJやる時も、パーツとして全部断片的に考えてる。だから、もちろん好きな曲はあるんだけど、自分でそれを丸ごと歌いたいとは思わなくて。
一一インストだとどうです? 好きにギター弾きまくって作品を作る。
好きに弾いて……誰が聴くんだ? と思うけど(笑)。でもやろうと思えばやるかもしれない。何かキッカケあったらやるかもしれない。ふっとスイッチ入ったら、凝り性だからそこに突き進むだろうし。
一一バンドではどうでしょう。BRAHMANでこういうことをやってみたいって思うことはあります?
んー……なんだろう。
一一可能かどうかは別として、何でも挙げてみてください。ワールドツアーとか、大御所プロデューサーを立ててみるとか。
あー、プロデュサーって1回はやってみたいかな、いい悪いは別として。どんな感じなんだろうっていうのを経験してみたい。
一一立てるなら誰ですか?
いや、特に浮かばない。……だからほんとに望みってささやかというか。
一一そんなに大袈裟な夢は見ていない?
うん。ここまで30年やってきたけど、まだまだこう、よくなると思ってるんですよ。ほんとに。何なら『梵唄』とか、僕もう聴けないんですよ。「あー、なんでこうやっちゃったんだ」とか、そういうことばっかり思っちゃう。『A MAN〜』まで行ったらもう開き直って「あぁ……はいはいはい(笑)」って感じだけど。でもそういうことの積み重ねだと思うんですよ。だから望みって、よくなりたい、しかないですよね。
一一昨日より今日、今日よりは明日。
そうそう。それ格好いい言い方ですね。
一一ちょっとBOSSっぽく言ってみました(笑)。
昨日の自分より今日の自分。そういうことですね。あとは、バンドマンでもありたいけど、いいミュージシャンにもなりたいんですね、僕。
一一その違いは?
バンドは4人で曲を作ってライブをやる。まぁ思想も込みだったりするし。で、いいミュージシャンっていうのは、ミュージシャンシップに則った演奏をすることで。そうなりたいですね。バンドもバンドシップに則ってもっとよくなっていきたいし。技術だけじゃなくて年齢重ねないと、経験がないと出ない音もあると思うから、そこも追求していきたい。
一一憧れの、こういうふうになりたいと思えるバンドって、今いますか。
……BRAHMANで、って考えると、ないかも。もう自分らで切り開いていくだけ。モデルにしたいバンドも特にないし。だから、あとは続けられる限り続けるだけですね。
取材・文=石井恵梨子 撮影=大橋祐希
イベント情報
会場:幕張メッセ国際展示場9-11ホール