コンクールの真価とはなにか――ショパン国際ピアノ・コンクール2025を振り返る~若き才能たちの放つエネルギーは何よりも力強かった!【現地レポート/総括編】

レポート
クラシック
2025.11.9
(C)K. Szlęzak/NIFC

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世界三大コンクールとひとつとされる『ショパン国際ピアノコンクール』。2025年は10月3日~10月20日までポーランドのワルシャワで開催された。期間中、SPICEでは音楽ライター・朝岡久美子氏による現地からのレポートをお届けした。特集のラストを飾る本記事では、総括編として今大会全体を振り返る。すべてのコンテスタントならびに関係者に敬意を込めて。(SPICE編集部)


ショパン国際ピアノコンクールが終わって、早や二週間が経とうとしている。幸いにも第二次審査から現場で取材する機会を得て、今、その美しい日々を振り返りつつ、諸々、所感を書き記してみたい。

“ユニバーサル”を体現するコンテスタントの多様性

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今回のコンクールを俯瞰して一番印象に残っているのは、何よりも中華系の出場者が多かったことだ。最終的な結果においても上位は実に中華系の秀でたピアニストたちによって独占されていることからも想像できるだろう。実際に第二次審査くらいの段階だと、午前・午後両セッションともに中華系のピアニストの演奏が8~10人くらい続いた日もあり、聴く側としても興味深くもあると同時に、いささか複雑な思いを抱いたこともある。

これについて、最終結果が発表された翌日の合同取材で5位に入賞したポーランド出身のピョートル・アレクセイヴィチに尋ねてみた。もちろん中華系の出場者が上位を獲得したことについて質問したわけではなく、ショパン作品の演奏における多様性についてだ。彼はこう答えた。

「ショパンがポーランド人の作曲家だからと言って、“ポーランド人であること”にこだわる理由は何もありません。むしろショパンの音楽はユニバーサルなもの(万人のためのもの)であるべきであり、演奏においても多様性はむしろ歓迎されるべきだと思います」

(C)K. Szlęzak/NIFC

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彼はどこからも見ても優等生の非の打ちどころのない演奏家だが、このように寛容な言葉で、そして大家のような風格で堂々と答えてくれたことが嬉しかった。他の文化圏から来た演奏家たちの演奏にも多く学ぶところはあるのだろう。(ちなみに、ポロネーズは子供の頃から学校でも踊るけれど、マズルカはさすがにポーランド人にも難しいと言っていた)

ファイナリストの面々を今一度振り返ってみても、確かに中華系の出場者たちの中にもマレーシアの国籍を持ったピアニストがいたり、いわゆるグレーターチャイナ(中国本土)からの出場者にも民族色が強いと思われる地域の出身者がいたりと、それぞれの文化的バックグランドがあまりにも豊かで、ショパンという作曲家がいかに“ユニバーサル”であるかということを感じずにはいられなかった。まさにアレクセイヴィチの言葉の通りだ。

(C)W. Grzędziński/NIFC

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(C)K. Szlęzak/NIFC

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マレーシア出身のヴィンセント・オン(第5位入賞)はペナン出身だというからさらに驚きである。マリンリゾートという印象が強い東南アジアの島で生まれたピアニストがこの最高峰の舞台でオペラ指揮者を思わせるような立体的で多彩な演奏を聴かせたのだから!やはりショパン・コンクールというものからは目が離せないのである。

デジタル時代のコンクール。よりいっそう華やかで“祝祭的”なイベントへ

(C)W. Grzędziński/NIFC

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今大会ではSNSなどのプラットフォームを駆使したデジタル時代全盛のコンクールの在り方がよりいっそう定着してきたのが目に見えて感じられた。コロナ禍に開催された前回2021年の大会ですでにそのようなフォーマットがいやが上にも加速したわけだが、今回は主催者側も意図的にメディアやデジタルツールを最大限に活用し、よりいっそう華やかで“祝祭的”なイベントへと移行させようと願う情熱が強く伝わってきた。今回、ワルシャワ市内のシンボリックな広場でパブリック・ビューイングも行われ、普段はクラシック音楽に興味のない人々もショパンの音楽を身近に感じる場が設けられたのも素晴らしいことだ。

コンクール会場入り口には世界の旗が飾られていた(撮影=朝岡久美子)

コンクール会場入り口には世界の旗が飾られていた(撮影=朝岡久美子)

一方で“お祭り的”な雰囲気を模索せんとする方向性の中で、本選審査において協奏曲演奏に加え、ソロ課題曲演奏が付されるという今大会から新たに改訂された点が最終結果に大きく影響したであろう可能性も実に興味深い。ただ、高揚感高まる本選ステージにおいて協奏曲の演奏に加えて「幻想ポロネーズ」という難曲をホームラン競争のようにファイナリスト全員が演奏することで、よりいっそう世界中の外野(視聴者・オーディエンス)が盛り上がったことは間違いない。

今大会からの改革は、採点・評価方法にも。数値主体の難しさ

(C)K. Szlęzak/NIFC

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今回から採点や評価方法が改訂されたのも特にジャーナリスト陣には興味の対象だった。各ステージの点数集計において、より統計学的な点数算定方法が導入され、さらに各ステージの採点にはそれまでの全ラウンドの成績が規定の歩合によって累積的に組み込まれるシステムになったのだ。これは出場者のタイプによって良し悪しが大きく分かれたに違いない。つまり、最終審査委に関しては、本選の実績のみならず、一次からのそれぞれのステージの点数の何割かが(歩合はそれぞれのステージによって異なる)加味されることになったのだ。
そして最終結果発表後に各審査員の採点内容すべてを公表するという試みがなされ、既に多くの反響が起きているのは周知の通りだ。

これらの一連の改革的な要素が吉と出るかどうかは、この先、数回にわたる開催を経てさらに明確になっていくのだろうが、これほどまでに規模が大きく、世界的な注目を浴びているコンクールにおいて、しかもショパン作品のみに特化した内容において“統計・数学的な”手法が重視されるのも、また時代の流れなのだろうか。オリンピックのように速さ、フォームの美しさというような採点基準枠がしっかり確立されたものであれば評価はしやすいが、目に見えない音と音との行間をいかに彩るか、そしていかに新たなる創造性こそがその人の音楽家としての資質や個性であるかということも問われるこの種のコンクールにおいて、数値を主体にして判断するのは、いかに大変なことであろうかと、審査員に同情の念すら寄せたくなる。実際に審査員の間でも(特に審査員長のギャリック・オールソン氏を筆頭に)、「一次予選でその先に進めなかった出場者の中にどれほど優秀かつ有望な人材がいたことか」、「二次予選で進めなかった出場者にも印象的な人物がいて頭の中を離れない」などと口々に個人的な意見を吐露することもあったようだ。

真に価値あるコンクール、その本質とはなにか?

(C)W. Grzędziński/NIFC

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最終結果についてはこのコンクールに想いを寄せていた人々それぞれに感じるところがあるに違いないが、それらの思惑を超えて、嬉しいこともたくさんあった。
まず一つ目は、多くの出場者たちが一連の課題曲に真剣に向き合うことによって「ショパンという人間――その人と成りにますます惹かれた」と答えてくれたことだ。

もう一つは、二次予選や三次予選で進めなかった出場者の中からもバラード賞やマズルカ賞という栄誉ある賞が与えられ、入賞者コンサートでも堂々と演奏を披露していたことだ。予選ラウンドで残念な結果に終わった彼らが、その後も毎日客席で仲間の演奏を食い入るように見つめ、聴いていた姿が印象的だった。そんな真摯な姿勢が最終的に個別賞授与というかたちで報われたことは、コンクールの在り方においても、今後の展望を語る上で大いに期待できそうだ。

マズルカ最優秀演奏賞を受賞したYehuda Prokopowicz(ポーランド)

マズルカ最優秀演奏賞を受賞したYehuda Prokopowicz(ポーランド)

バラード最優秀演奏賞を受賞したAdam Kałduński(ポーランド)

バラード最優秀演奏賞を受賞したAdam Kałduński(ポーランド)

現代の音楽ビジネスにおいてコンクールで獲得したタイトルは何よりも重要なのは間違いない。しかし、出場者たちの想いに寄り添い、彼らの目線で世界を見た時、真に価値あるコンクールとは、志ある若き音楽家たち同士の出会いと交流の場であり、また審査員や聴衆との対話の場であることも確かだろう。

第4位に入賞が発表されたのち桑原志織さんに話を聴いた際、「会場の空間から感じ取るものにインスピレーションを得て演奏していたのを自分でも感じ取ることができましたし、会場の空気感にも響きにも同調できたのは大きな喜びです。やはり最高峰のコンクールのステージだからこそ感じるインスピレーション―――それは聴衆の反応だったり、ピアノとの対話だったり……と多々あるのですが、そういうものこそ本当に大切なのだと認識しました」と語ってくれた。

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ショパンを真に愛する人々(聴衆たち)もまた、彼ら(出場者たち)の志の高い演奏に数多く触れることでより成熟し、出場者たちもまた、聴衆たちのあたたかな空気感に包まれて自分自身の納得いく演奏を成し遂げることで、さらなる良き未来が開かれていくのだろう。出場者と聴衆との関係は切っても切れない美しいスパイラルを描き出しているのだ。

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祝祭は、ワルシャワの街全体へ

コンクール主催者であるショパン研究所の壁に書かれた絵(撮影=朝岡久美子)

コンクール主催者であるショパン研究所の壁に書かれた絵(撮影=朝岡久美子)

最後にコンクール場外で開催されたイベントについても触れてみたい。まず毎回、コンクール本選の日程前に行われるショパンの命日にちなんだミサだ。ショパンの心臓が納められている聖十字架教会でのコンサート。今年はウクライナ出身のピアニスト ヴァディム・ホロデンコがピアノ・ソロ版によるモーツァルト ミサ曲を聴かせてくれた。その日、何よりも印象的だったのは、ショパンの命日を心から悼むワルシャワ市民たちも多く詰め掛け、熱心に頭をうなだれていた姿だ。ショパンは真にポーランドの人々にとって誇るべき、かけがえのない存在なのだということを目の当たりにでき、嬉しかった。

聖十字架教会でのコンサートの様子(撮影=朝岡久美子)

聖十字架教会でのコンサートの様子(撮影=朝岡久美子)

聖十字架教会でのコンサートの様子(撮影=朝岡久美子)

聖十字架教会でのコンサートの様子(撮影=朝岡久美子)

聖十字架教会(撮影=朝岡久美子)

聖十字架教会(撮影=朝岡久美子)

他にもコンクール期間中に『Chopin』というタイトルの映画が封切られたり、ショパンやその恋人達にちなんだ香りをイメージしたエレガントな香水が販売されたりと、コンクールとは別の場で祝祭的な雰囲気が醸しだされていたのは、数週間かなりシビアな空気感の中にいる我々にとっても束の間の安らぎを与えてくれた。

香水(撮影=朝岡久美子)

香水(撮影=朝岡久美子)

映画ポスター(撮影=朝岡久美子)

映画ポスター(撮影=朝岡久美子)

そして、最後に最終発表の翌日に行われた各国メディアの合同取材において、私自身、その場に集えなかった有望なピアニストたちのことも思い、当初は気分が晴れなかったが、入賞者たちの放つ言葉から、彼らがすでに終わったことよりも明日を見つめているのを感じ、曇っていた心が軽やかになった。やはり、若き才能たちの放つエネルギーは何よりも力強かった!

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文=朝岡久美子

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■ショパン国際ピアノ・コンクールHP(英語)https://www.chopincompetition.pl/en

公演情報

UBS×三井住友信託銀行 presents
「第19回 ショパン国際ピアノ・コンクール2025 優勝者リサイタル」
 
2025年12月15日(月) 19:00   東京オペラシティ コンサートホール
2025年12月16日(火) 19:00   東京芸術劇場 コンサートホール
[特別協賛]
UBS証券株式会社 UBSアセット・マネジメント株式会社
UBS SuMi TRUSTウェルス・マネジメント株式会社
三井住友信託銀行株式会社
https://chopin.japanarts.jp/recital.html

野村不動産グループ presents
「第19回 ショパン国際ピアノ・コンクール2025 入賞者ガラ・コンサート」

 
2026年1月27日(火) 18:00   東京芸術劇場 コンサートホール
2026年1月28日(水) 18:00   東京芸術劇場 コンサートホール
  [特別協賛] 野村不動産グループ
https://chopin.japanarts.jp/gala.html

「第19回 ショパン国際ピアノ・コンクール2025 入賞者ガラ・コンサート」
 
2026年1月31日(土) 13:30 愛知県芸術劇場 コンサートホール
  [学生サポートパートナー] 株式会社 豊田自動織機 / 豊田通商株式会社
https://chopin.japanarts.jp/gala_ngy.html
 
その他の全国公演
1月22日(木) 熊本 熊本県立劇場
1月23日(金) 福岡 福岡シンフォニーホール 
1月24日(土) 大阪 ザ・シンフォニーホール 
1月25日(日) 京都 京都コンサートホール
1月29日(木) 川崎 ミューザ川崎シンフォニーホール 

各公演の詳細は、特設サイトをご参照ください。
「優勝者リサイタル」「入賞者ガラ・コンサート」特設サイト 
https://chopin.japanarts.jp/index.html
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