大衆演劇の入り口から[其之十] ・ついに登場!名女優・辰己小龍さんスペシャルインタビュー!(たつみ演劇BOX)
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辰己小龍 (2016/1/5)
(2016/1/2)
「小龍!」「小龍っ!」
いくつものハンチョウ(掛け声)がかかる。ファンの高揚した声は客席を飛び立ち、舞台上の圧倒的に深いドラマに飲みこまれていく。
「たつみ演劇BOX」の辰己小龍さん。小泉たつみ座長・小泉ダイヤ座長の姉。その演技力は、一瞬の表情ひとつ、セリフひとつで物語世界を構築する。男優が中心の大衆演劇界でも、「小龍さんの芝居が観たくて」「小龍さんの舞踊が大好き」というファンはあとをたたない。たつみ演劇BOXの名作芝居を次々に書いてきた、一流の戯作者でもある。
現在、横浜・三吉演芸場公演中の劇団に依頼し、夜の部の終演後に小龍さんのお話を伺うことができた。
「『夜叉ヶ池』は百合が主役なんですよ」
―まず今日小龍さんにお伝えしようと思っていたことがありまして。年末年始に、たくさんの大衆演劇ファンがブログで「2015年のベスト芝居」みたいな振り返りを書いていたんですが、その中に小龍さんの書かれた『夜叉ヶ池』がすごく挙げられていたんです。
辰己小龍さん(以下、小) あ、そうですか!嬉しい!
―あの芝居が好きという人はすっごく多かったんだなと。これは小龍さんにお伝えしようと思って。
小 やー、嬉しいです。ありがとうございます。
※『夜叉ヶ池』…2014年の小龍さん誕生日公演で初上演された芝居。美しい人間の女・百合と、夜叉ヶ池に棲む姫・白雪の二役を小龍さんが演じる。原作は泉鏡花の戯曲。
―あのお芝居をやるきっかけは何だったんですか?
小 誕生日公演のお芝居を決めようと思って、自分でずっと調べてたんです。もともとは他のお芝居の候補が色々あって、『滝の白糸』が一番やる色が濃くて。で、『滝の白糸』は本来『義血侠血』って泉鏡花の作品だったのを知って。そこから『夜叉ヶ池』に飛んでしまったんです(笑)
―調べていたというのは、泉鏡花の原作を読まれたり?どの芝居を作られるときも必ず原作を読まれると伺いました。
小 読みます、はい。このときは『日本橋』と『滝の白糸』と二つの候補で悩んでて、それぞれ原作を読んでいて。そしたら一緒の本の中に『夜叉ヶ池』が入ってたんですよ。それで、『夜叉ヶ池』が候補にホコッと入ってきちゃったわけですね。そしてたまたま家に帰ったときに、『夜叉ヶ池』のDVDがあったんです。春猿さんがされてたやつかな、玉三郎さんが監修されてて…。それを観て、これをどうにかできないかなって思って。一気に『夜叉ヶ池』にバーッと吸い寄せられた感じです。
―どの部分に心惹かれたんですか?
小 最初がね、どうしても陰気臭いでしょう。でも後半になるほど勢いが増す。そのギャップですよね。あとは…なんだろうなぁ、あのお芝居はどうしても白雪を主役にしたくなりがちなんですよね。でも、私の場合は百合が主役なんですよ。百合はすごく不幸な境遇ですよね、一人ぼっちで生きて、迫害されながら生きてきた。その彼女が、唯一晃だけは失いたくないっていうわがままを持って、死をもって彼を永遠に自分のものにしたわけじゃないですか。そういうところがね、彼女の生き様がいいなぁと思って。白雪は、百合のほんの手助けをしたにしか過ぎないっていうかな。
―百合があくまでも主役。
小 あくまでも百合という人が、人を惹きつけてやまなかったっていうのを出したいなと思ったんですよね。原作を読んでそう感じたので…。『夜叉ヶ池』をお舞台でやられるときというのは、どの舞台も必ず、白雪で終わるんですよね。映画でも白雪が最後に出て終わりだったと思うんですけど。でも、泉鏡花さんの原作の最後は百合で終わるんですよ。百合が、竜の頭の上で晃を見つめるっていうのが終わりだと書いてたので…。泉鏡花さんがどういうつもりで書かれたかはわからないんですけど。
※実際、泉鏡花の戯曲『夜叉ヶ池』のラストは以下のような百合の描写である。<晃、お百合と二人、晃は、竜頭に頬杖つき、お百合は下に、水に裳をひいて、うしろに反らして手を支き、打仰いで、熟と顔を見合せ莞爾と笑む。>
(2016/1/2)
父・小泉のぼるさんの残されたノート
―先日1/10(日)に『武士道残酷物語』を観ました。あの芝居も、浅野家のことを小龍さんが文献で調べられたと伺ったんですが。
※『武士道残酷物語』…浅野内匠頭が幼少の頃の浅野家の騒動を描く。草履取り・五十嵐軍平を主役にし、軍平を助ける役として大石内蔵助も登場する。
小 そうですね、このお芝居はお父さん(故・小泉のぼるさん)がもともと立てていたお芝居だったので、そんなに詳しいことを調べないまま、お父さんがやってたまんまをやってたんですけど…。本来お父さんが立ててくれてたときっていうのは、全部の世代を上にしてやってたんですね。浅野家の当主は内匠頭のお父さん・采女正の子どもの頃という設定で、大石内蔵助もそのお父さんでした。私たちも一回はそれでやったんですけど。たつみさんが、「演出をちょっと変えたいからナレーションを入れてほしい」と。じゃあナレーションを入れましょうとなったら、西暦とかについてもいい加減なことを言えなくなってしまって…(笑) じゃあ調べてあげましょか、って言って調べたら、実は浅野内匠頭も大石内蔵助もお父さんが早死にしてて、早くに家督を継いでるということがわかったんです。何これ何これ?!って言って(笑)あたしも気になりだしたら止まらないので、家系を全部調べるんですよね。
―実際の歴史を調べたら、父親世代という元々の芝居の設定ではちょっとおかしいと。
小 おかしい。で、全部本来の実説に合わせて、下の世代に変えてやりました。
―たつみさんが演出を変えようと言って小龍さんが調べられたとおっしゃったんですけど、「調べる役割」ってもう小龍さんに決まってるんですか?
小 そういう風になっちゃってますね(笑)
―調べるのって昔からお好きなんですか?
小 そういうわけではないんですけど、父親が昔から物事をいっぱい知ってましたので…最初はお父さんの書き記したものを読むことばっかりですね。父は、書いたものを相当残してくれましたね…。
―脚本とかも?
小 父の脚本はすごく簡単だったんです。ホントに大衆演劇の口立てでするような、ここよろしく、とか、こんなようなことを言う、とかいう書き方で、あんまり詳しくは書かれてなかったですけど。でも、背景資料のノートを作ってくれていたんです。たとえば「忠臣蔵に関すること」とか。一冊のノートに、こっち側(裏側)からは実説の忠臣蔵、こっち側(表側)からは仮名手本(『仮名手本忠臣蔵』)で書かれたこと。「国定忠治」だったら、芝居の中の話と、実説の話とか。次郎長とかもそうです。そんな風に、一冊のノートを反対側から読んでいけるように作っていてくれて。
―お父様の残されたノートが、たつみ演劇BOXの財産なんですね。
小 そうですね、本当そうです。もう読み漁って、読むとこなくなったっていう感じで。父も残してなかったことは、今は簡単にネットでいくらでも調べられますんで。たつみさん・ダイヤさんは、演じることをすごく厳しく教えられたんですが、私はお父さんの事務的なことを手伝ってたんで、自然と。
―子どもの頃からお手伝いされてたんですか?
小 子どもの頃からです。当時は手書きの時代だったんですけど、小学校6年生のときにワープロがほしくて。お父さんにワープロを買ってくれって言ったら、お父さんの仕事手伝うなら買ってあげるって言われて。それでやるようになったんです。お父さんが口で言った台本を私が打ったりとか。でもお父さんはすごく新しいもの好きだったので、自分で打ったりもしてましたけど。お父さんが自分で台本書いて、私が誤字・脱字とか矛盾とかを見て、お父さんここは違います、とか言ったり、お父さんここどういうことですか、とか聞くんです。それはわざとこういう風に書いてるんだって言われたり。自分でも気になるから、文献とか調べるじゃないですか。お父さんこんなん言ってたのに、これ違いますよね、とかいうこと言うようになってから、私が話し相手になったっていう感じですね。
―ちなみに…小学6年生でワープロがほしいって言ったきっかけはなんだったんですか?
小 すごい恥ずかしい話なんですけどね、アニメの『愛の若草物語』で次女のジョーって女の子が打ってんの見てほしくなって(笑) ジョーがカタカタカタカタ…って打つと、打つなり紙が出てくるでしょ。ワープロってあんなんやと思って(笑)
―そのタイプライターみたいに(笑)。
小 そうそうそう。あんなんやと思って言ったら、なんかすごい…パソコンみたいなのが来てしまって(笑) どうしよう、みたいな(笑)
―お父様の教えられたことがすごくたくさんあると思うんですけど、特にこの思い出が残っているっていうのはありますか?
小 お父さんは、“これを教えよう”っていうのはなかったので。お父さんは自分が書いて、自分の頭に入ったらノート捨てちゃうんですよ。歳いってから残そうって思ったかもしれないんですけど、私が4年生くらいの時分は、このくらいのことは自分で覚えろとか、そういう感じだったんで、書いたものもポイッて捨ててましたね…。「捨てとけ」って言われるんですよ。私は「はい」って。言うこと聞かなきゃ怒られるんで(笑)。受け取って、こっそり書き写してから捨てたりとかして(笑) ある日見つかっちゃって、「お前こんなん残してたんかー!」ってすごく褒めてもらったことが印象に残ってますね。
―その書き写したものって、今も持っていらっしゃるんですか?
小 今も持ってます(笑)
小龍さんから見た役者としてのたつみ座長・ダイヤ座長
左・小泉ダイヤ座長(2016/1/2) 右・小泉たつみ座長(2016/1/10)
―戯作者としての小龍さんから見た、役者としてのたつみさん・ダイヤさんの持ち味ってどんなところですか?それぞれ、これがニンっていうのがあると思うんですけど…。
小 あ、それはありますよ。主役でも脇役でも、芝居をまとめる人っていうのが絶対に存在するわけですが、それはたつみさんですね。お客さんは日によって盛り上がる日、そうでない日、お客さんが笑いを好んでんのに泣きの芝居をやってしまった日、とかテンションの違いがあると思うんです。そのお客さんとの温度を調整してくれるのは、やっぱりたつみさんです。ダイヤさんは逆に、忠実に演じてくれる感じですかね。
―なるほど…。
小 役で言うならば、やっぱりたつみさんのほうが強い役になってしまいますね。ダイヤさんのほうが、ほっとけなくて、やんちゃで、ちょっと愚かなところもあって、とかそういう役です。たつみさんは、いじめられてる人をスパーンと助けてくれるような。
―ヒーローですね。
小 そうですね、ヒーロー派ですね。だから、たつみさんはすごく侍が似合うとか言われますね。ただ、今まではそういう風に書いてきましたけど、ちょっと最近考えが変わりまして。侍でも、ちょっと頼りないところのある役をダイヤさんに回したり、たとえ町人でも、世の中のことをよく知ってる役をたつみさんにっていう風に書くようになりました。私から彼らへの挑戦状というか。
―小龍さんが書かれて出されたものに、たつみさん・ダイヤさんが反抗じゃないですけど(笑)、こういうのは嫌だみたいに言うこともあるんですか?
小 あります、あります。平気でボツ食らいます。
―そうなんですか?!
小 去年も上半期に一ヶ月一本のペースでバーッと本書いたんです。1月から6月まできっちり6本書きました。そのうち3本ボツ食らいました。
―じゃあ、お蔵入りになってるのがまだあるってことなんですね。
小 ボツになったもののうち唯一復活したのが『裏・天保水滸伝』っていう芝居です。座長大会でさせてくれたんですけど。
―はい、観ました。2015年2月、篠原演芸場での、のぼる會特別公演でしたね。
小 あれは唯一復活させてもらいました(笑) それ以外は全部ボツ食らいました。あと稽古して1回本番でやったけど、やっぱ受けが悪いとか。やっぱりどうしても主演が乗らないと、できないみたいですね。
「夢はもう叶いました」
―今まで戯作のお話を伺ってきたんですけど、演者としての話も伺いたくて。先日の個人舞踊『夢やぶれて』を観て、すごい衝撃を受けました。
小 ありがとうございます。
客席に大きな衝撃を与えた個人舞踊『夢やぶれて』(2016/1/10)
―個人舞踊では、踊る人物がどういう女性かっていうのをいつも決めてらっしゃいますよね?
小 決めます。
―それは曲を聴いてから決めるんですか?それとも、こういう人物像をやりたいっていうのが先にあって、合う曲を探すんですか?
小 両方そうですね。でも、人物像を決めてから曲を探すと、たいてい1回目・2回目はうまくいかないですね。やっぱり合わなくて変えたりとか、もうずーっと合わないまんま終わっちゃったりとかしますね。ピタッと合うのは、やっぱり曲聴いて、あ、これ!って思ったやつです。
―『夢やぶれて』はどちらのパターンですか?
小 『夢やぶれて』は曲聴いてですね。曲聴いて、衣装作りました。
―小龍さんの中では、あの女の人はどういう人生を送ってきたっていうのは全部決まっているんですか?
小 娼婦のイメージでやってますね。最初は高級な娼婦なんです。でも一人の人を好きになってしまったために、もう年老いてしまって、傷ついてしまって、娼婦でも生きられない一番最低のところに落ちてしまう…っていうイメージでやってますね。ピンクで華やかだったものが真っ黒になってしまって、赤い傷跡だけが残るっていうイメージですね。
『夢やぶれて』のラストはピンクから黒の衣装に変わる。
―ご自身の夢っていうのは、あるんですか。
小 夢はもう叶いましたね。もうじき40歳になるし…10代のときに夢見たことを20代で叶えて、20代で夢見たことを30代で叶えました。もうあとは、子どもの世代。夢見るというよりかは、これを引き継いでいく、将来の世代を育てていくっていうことに対しての責任ですよね。
―叶えた夢はなんだったんですか?
小 10代のときに夢見た夢は、やっぱり女優として皆さんに知っていただけるということです。当時、女優というのはもっともっと底辺で、名前の売れるものではなかったので。主演を張れる女優になりたいっていうのがあったんですね。座長ではないけども、主演はできるようになりましたし。今、自分の思い描いてた女優像になれたと思うんですよ。20代から30代に対して思ってたのは、おんなじ同業者に一緒に芝居したいねって言ってもらえるような、玄人に認めてもらいたいっていうことですかね。そりゃ、私のことなんか全然鼻にもかけない人いっぱいいてると思うんですけど、私がすごいなって思ってる女優さんから、一緒に芝居しようって言っていただいたり、素敵やなって思う男優さんから相手役をしてほしいっていう風に言うていただいたり…そういう風になってきたのは、20代のときに夢見た30代のイメージですよね。もう一つの夢はやっぱりお芝居。自分で書いたお芝居を自分でやれるようになりたいっていうのが、子どものときからあったので…
―じゃあホントに叶えられたんですね。
小 はい、叶いましたね。
―本当にお忙しい中、お時間ありがとうございました!
三吉演芸場でのインタビューを終え、阪東橋駅への帰り道。この女優さんを敬愛する、多くの大衆演劇ファンの顔が浮かんだ。小龍さんの誕生日公演が観たくて、大阪まで夜行バスで遠征したファン。小龍さんの書いた新作芝居と聞き、何がなんでも行かなくちゃとスケジュール帳を真剣にめくっていたファン。インタビューを録音したレコーダーを、筆者はしばらく握りしめていた。
大衆演劇の女優さんは、男優さんに比べ、立場に与えられた光は少ないかもしれない。けれど今、小龍さんは、たつみ座長・ダイヤ座長の隣で自ら輝きを放っている。座長を支える役に徹しながらも、主演の芝居や個人舞踊、そして戯作を通して、鮮やかなドラマへ私たちを招いてくれる。
(2016/1/10)
「小龍!」「小龍!」と、いくつものハンチョウが劇場内に重なっていくのを聞いた。声はやまないだろう。物語を愛するたくさんの大衆演劇ファンが、女優・辰己小龍の世界を望み続けていくだろう。
「小龍!」
会場:三吉演芸場 公式サイト
期間:1/1(金)~1/29(金) 夜の部まで
●横羽線「横浜公園出口IC」より5分、または東名高速「横浜町田IC」より30分