日比野克彦は『ラスコー展』をどう見たか? 本展監修者・海部陽介、学術協力者・五十嵐ジャンヌとの座談会『ラスコーを語る』をレポート

レポート
アート
2017.1.13
(左から)日比野克彦、海部陽介

(左から)日比野克彦、海部陽介

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2017年2月19日(日)まで、国立科学博物館にて特別展『世界遺産 ラスコー展 〜クロマニョン人が残した洞窟壁画〜』が開催中だ。1月5日(木)、アーティストであり東京藝術大学教授である日比野克彦と、本展監修者であり同博物館人類史研究グループ長の海部陽介、学術協力者の五十嵐ジャンヌによる座談会イベント『ラスコーを語る』が開催された。

対談イベント前に実際に『ラスコー展』を鑑賞し、約2万年前に描かれたラスコー壁画の実物大レプリカと対峙した日比野。対談の場では、長く美術界の第一線で活躍する彼の目線から、クロマニョン人たちの高い創造性や芸術性などについて感じたことが語られた。さらに話は、人類の祖先や芸術の始まり、日常に溶け込む芸術の必要性などに展開。「芸術」についてじっくりと思いを馳せてゆく、奥深い対談となった。

 

洞窟の暗闇だからこそ生み出されたアート

海部陽介(以下、海部):まず、日比野さんがクロマニョン人の洞窟壁画をご覧になってざっくばらんにどう思われましたか?

日比野克彦(以下、日比野):いつの時代の作品でも、その作品の前に立てば作者と同じ距離感や気持ちになれるというのが、音楽コンサートとは違うアート独特のライブ感、いわゆる疑似体験のようなものだと思います。今回の展覧会でも、作者がいたのと同じ空間が再現されている場に身を置くことで、作者と同じ距離感で作品を感じることができたなぁと。そして、何より強く感じたのは、クロマニョン人たちは暗闇にいたからこそ、この壁画を描けたのだろうということです。洞窟の暗闇の中で何かが見えた気がしちゃったり、イメージや映像が頭の中に浮かんできたりして、それに対して落とし前をつけるような気持ちで、形にすることからこの壁画は始まったんじゃないかな、と思います。

海部:クロマニョン人の絵に親近感のようなものは湧いてきましたか?

日比野:純粋に「上手いな!」と思ってしまいましたね。また、人間が絵を描くことって積み重ねじゃないなとも感じました。技術的なテクニックは積み重ねによって上達するのかもしれないけど、絵を描くことや描写は積み重ねで上手になったり、先人のものを受け継いだりできるものじゃない。だから、はるか昔に描かれたクロマニョン人の絵も現代の僕達の絵も、"絵の上手さ"っていう点ではそう変わりがないのかなと。

海部:どういったところが上手いと思われたのでしょうか?

日比野:描く人それぞれの解釈が反映されるのが絵だと思っています。描いた人の馬や牛などに対する解釈……例えば頭の小さい馬を描いている人もいれば、お腹の出た牛を描いている人もいて、作者の対象に対する視点が絵にあらわれている。そういったところが面白いし、優れているなと。今、僕が東京藝術大学で生徒たちに「自分が何を見て何を言いたいのかをまずきちんと伝えよう!」と教えていることが、はるか2万年前に成し遂げられてるんですよね。

海部:では、先生目線でのラスコー壁画の評価は高いですか?(笑)

日比野:高いですね(笑)。作者の動物に対する思いが素直に表現されているという点で、描写として上手いな、優れているなと評価してしまいます。

 

クロマニョン人の"念"を感じる彫刻

海部:僕はアートについては素人なのですが、クロマニョン人の彫刻を見てみると、彫る線に勢いがあって迷いがないというか、自信に満ち溢れているように感じます。

日比野:祈りからなのか思いからなのかはわかりませんが、時間の蓄積とともに味わい深い溝が彫られていますね。それを数万年後に感じたり読み取ったりする力が我々にも備わっているわけです。同じく本展にあったヴィーナスの像もそうだけれど、時間をかけて少しずつ作者が目指す造形に近づけていった作品には、念にも近いものを感じますね。なにかを描いたり、彫り出すことは、明日生き抜いていられるかわからない恐怖や不安のようなものと戦いながら、暗闇の中で祈りや念のような神聖なものを形にしていく、ひとつの作業だったんだろうなと。

海部:今とは違って筆から何から、何もない状況ですよね。石や動物の毛などで描く道具を作り、遠くから顔料をとってきて、そしえあえて暗闇の中に入って、這いつくばってまで絵を描くというのは想像だけでも大変な作業です。そこまでしても描いているというは、本当にやりたくてやっていたんだろうなと思います。絵として凄いというだけではないな、と感じてしまいます。

日比野:洞窟の中の限られたスペースに、重ね描きがされていたそうですね。洞窟はやはり彼らにとって特別な空間であり、みんなが安心して集まって描いたものを見られる場所だったのかもしれません。

海部:実際、洞窟の中がどのように使われていたかということは、僕らにもまだわからない部分もあるんです。

日比野:生活をしていたような跡や、火を焚いた跡などは見つからないんですよね?

五十嵐ジャンヌ(以下、五十嵐):火を焚いた跡はないんですが、ラスコー洞窟は当時の洞窟には珍しく、食べカスがあちこちに残っているんです。そこには600頭もの動物が描かれているので、何かを食べながら描いたのではないかという説もあるんですよ。でも、その食べカスの90%はトナカイの骨だろうと言われているのですが、600頭描かれている動物のなかでトナカイはたった1点。しかもほとんど見えない程度に薄く描かれているだけで……ちょっと不可解なんですよね。

日比野:食べたトナカイのことは描かないんだ?

五十嵐:近くの別の洞窟には描かれているマンモスがラスコーには描かれていなかったり、記号なども多く、本当に謎がいっぱいなんです。たくさんの人に見てもらうために描かれた絵ではないので、何のために描かれたのか、誰のために描かれたのか、目的がまだわからないのです。

日比野:目的があって制作する、現代のアーティストとは違う部分ですよね。

 

芸術と物づくりは、表裏一体だった

海部:これまでは、クロマニョン人はヨーロッパで芸術的能力を進化させたと考えられてきましたが、そうではありません。彼らはアフリカからやってきたホモ・サピエンスの移民であり、彼らが示す創造性や芸術性は、アフリカで進化したらしいのです。クロマニョン人の容姿についても、かなり誤解されているようです。展示の中にあるクロマニョン人の模型でも再現していますが、彼らは裁縫をして服やアクセサリーを作り、着飾っていた証拠があるので、カッコよかったはずです。

日比野:アフリカで誕生したホモ・サピエンスが移動してクロマニョン人になり、ヨーロッパ人の祖先となった。同様に、アジアに移動した民族が我々になった。日本列島に渡来したホモ・サピエンスも、海を渡って釣り針作っちゃったりと創造性の高い生活を営んでいたようですね。原点はアフリカにいた共通祖先だし、クロマニョン人と我々の祖先は同じような生活をしていたんでしょうか?

海部:日本に渡ってきたホモ・サピエンスもヨーロッパに移り住んだ者たちと同様に、優れた能力を持っていました。ただ残念ながら、おそらく日本には壁画が残るような洞窟がないんですね。洞窟自体が少ないということもありますが、描いていたとしても雨が多いので流されてしまったりして残らなかったんだと思います。そういうことで芸術的な痕跡は日本には残念ながらないんですが、海を渡って釣り針を作っちゃうなんていう発想や創造力は、やはり凄いですよね。

日比野:そうですよね。「どうやって魚を捕まえればいいんだろう?」という発想から、釣り針が生まれたわけですもんね。

海部:餌をつけて魚が飲み込んだら引っかかるような形に工夫しないといけないですからね。芸術とそういう能力って表裏一体というか、進化の視点からするとイマジネーションとクリエーションは同じように見えるんですよね。芸術なんて人間以外の生き物にとっては必要のないものだったりするじゃないですか。でも我々人間にとっては、イメージを形にする芸術がとても重要なものなんですよね。

日比野:イメージする力があるからできることですよね。道具にしろ建物にしろ、誰かがこんな物があればいいなと思って物づくりが始まった。石を見て「石器欲しいな」と思うとかね。クロマニョン人の洞窟壁画も、ふと湧いたイメージを誰のためでもなく形にして見えるように描いたら、まず自分が驚いて、次に見た人がさらに驚いて……と発想していく。そういった能力を人間が獲得したことから全ての物づくりは始まっているんだと思います。今は芸術と物づくりと生活を区別してしまっているけど、昔はひとつの流れの中にあったものなんですよね。

海部:自然の中に一緒に溶けこんで成り立っているものだったんでしょうね。

 

ラスコー洞窟壁画は、現代が求め始めている芸術の姿

日比野:最近は美術館の展覧会だけではなく、自然や大地の中でアートと出会える芸術祭や、その地形を活かした作品が注目され始めています。これはある意味、洞窟に絵を見に行くようなもの。これまでは芸術が後回しというか、経済的に豊かになってから文化に力を注いできたようなところがあったんですが、まずは日常生活の中に溶け込んだ芸術や文化が基盤としてあるべきだということにみんなが気付き始めているんでしょうね。そういう意味で、ラスコーの洞窟壁画は我々が求め始めている芸術の姿なのかもしれませんね。

海部:では最後になりますが、藝大生の教え子達にこの『ラスコー展』を勧めるとしたら、どのような言葉でお勧めされますか?

日比野:ほとんどの人にとっては実物を見ることができない貴重な洞窟壁画を描いた、「"無名の作者"クロマニョン人に会える展覧会」……いや、「クロマニョン人になれる展覧会」でしょうかね!(笑)

 

イベント情報
特別展『世界遺産 ラスコー展 〜クロマニョン人が残した洞窟壁画〜』

会  場:国立科学博物館 〒110-8718 東京都台東区上野公園7‒20
会  期:2016(平成28)年11月1日(火)~2017(平成29)年2月19日(日)
開館時間:午前9時~午後5時(金曜日は午後8時まで)
※入館は各閉館時刻の30分前まで。
※土曜日の開館時間は、以下のとおりです。
特別展「ラスコー展」のみ午前9時~午後5時まで(入場は午後4時30分まで)
その他常設展示等は午前9時~午後8時まで(入館は午後7時30分まで)
休 館 日:毎週月曜日
※ただし、2月13日(月)は開館。
公式サイト:http://lascaux2016.jp/

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