「SNS時代における現代美術のあり方を実験する」束芋パフォーマンス作品『網の外』 束芋×平本正宏に聞く
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束芋、平本正宏
花札、銭湯、台所など庶民的なモチーフを駆使したアニメーションで、現代日本が抱える不安や問題を浮き彫りにする束芋。彼女が作るのは仮想空間なのに、どうしてどうして、いま、身体性にものすごく惹かれているようだ。京都文化博物館で2017年1月28日(土)~2月12日(日)に開かれる「Kyoto Art for Tomorrow-京都府新鋭選抜展2017-」に特別ゲストとして新作『網の中』を発表する。さらに空間に魅せられて、パフォーマンス作品『網の外』もオープニングに上演することになった。音楽に作品を引っ張ってほしいと白羽の矢が立った平本正宏は、映画や舞台などへの楽曲提供もすれば、自らの企画で電子音楽によるオペラを作るという気鋭だ。
音楽によってまったく違う展開が導かれていく作品にしたかった(束芋)
束芋「網の外」(2017)パフォーマンス作品イメージ ©Tabaimo / courtesy of IMO studio
束芋 平本君とはお仕事は初めてですけど、友達になってからは5年くらいかなあ。
平本 そうですね。でも僕が束芋さんを知ったのは大学の授業だったんです。面白い現代美術のアーティストが出てきたから見に行きなさいと作品展の
束芋 私は『錆からでた実』にここ何年か取り組んできました。ダンサーの森下真樹さんとの出会いの中で作れば作るほど一緒にやりたくなる感覚になり、また生の舞台への興味も深まって、新作もまったく違うものだけれど同じメンバーで作りたいと思ったんですよ。ただ京都文化博物館がすごく音の響きが強いところで、音楽によって全然違う展開が導かれていくような作品にしたいなと。そのときに平本君が教会でやったコンサートを思い出したんです。それはわざわざ響きを利用したもので、その経験が生かせるのではないかなと。
平本 ありがとうございます。
束芋 パフォーマンス『網の外』については、まず最初、テーマやシーンのイメージを言葉で伝えました。その後、会場を下見してもらい、じゃあ教会で録音しましょうと提案してくれました。そこでスケッチ的に演奏を録音してくれた曲を、映像のタイムラインにはめ込んだらバチっと合って、相性もすごくいい曲だったんです。
平本 イメージの説明はそれぞれ40文字くらいでした(笑)。30分という時間軸の中でシーンの説明が5、6つポンポンと書かれていたのでここは5分くらいかな、とか想像しながら。あとはすでにできていた数分の映像を頼りにバリエーションを広げていきました。教会を選んだのは、本番をやる京都文化博物館の響きと似ていたから。京都文化博物館の響きが特殊なんです。天井が高くて、ピアノをちょっと弾いただけでも残響がすごい。その環境を最大限に生かすには、防音されたスタジオで演奏しても本番の響きをイメージしずらいと思ったんです。僕は2回、ピアノのある教会に足を運んで、1回目は響き自体の確認とどう演奏したらどういう響き得られるかを体感し、2回目にコンセプトシートと数分の映像をその場で見せていただいて作曲していったんです。そのときの作業は、瞬間に感じたものを迷いなく出していく、インスピレーションを吐き出すようにパッと即興でピアノを弾くという感じでした。それが不思議で、普段作ったことがない新しい響き、新しい曲がたくさんできたんですよ。
束芋 その曲を平本君自身が譜面に起こしているときに、「どうしてこんな曲ができたんだろう」って独り言を言うんですよ。
平本 ベーシストの田中啓介さんと本番で演奏するために譜面に起こしたんですけど、どうしてこんな曲が作れたんだろうというくらい不思議な和音を採っていたり不思議な展開をしていたり、過去の経験値にはないものを作っていました。自分にとっても面白い音楽になっていて、たぶんこれからの作曲家人生に大きな影響を与えるなって今から思っています。
−−平本さんは作曲家としては相乗効果を狙うのか挑んでいくのかどちらですか?
平本 その世界を借りて、さらに想像もしなかった世界にするという感覚です。だから、束芋さんの作品ありきで、それを受け取った自分がそれに対して、束芋さんが想像もしなかったような音楽でさらに想像もしなかった深い世界にできたらいいなと。
束芋 まさにそんな感じに。私の場合は脳みそが出てきたり、ケーキが崩れたりするわけですけど、平本君が2行の説明から感じたものと、私が考えているものは全然違うんです。だけど中心にある言葉にアクセスしてそれぞれが作った。私だけでも平本君だけでは作れないものが生まれたと思いますね。
ネットの世界に支配されたり、日常が侵食される印象を音楽に込めた(平本)
束芋「網の中」(2017)映像インスタレーション作品 スチルイメージ ©Tabaimo / courtesy of IMO studio
−−そもそも「Kyoto Art for Tomorrow-京都府新鋭選抜展2017-」に参加する作品を出すのが前提ですよね。作品とパフォーマンスはどうリンクしているんですか?
束芋 会場を下見に行ったときに展示だけで済ませるのはもったいないという空間だったんですよ。ちょうど『錆からでた実』を作っているときで、この空間をパフォーマンスで盛り上げてたいなあと思える大きさとビジュアルの面白さがあった。映像で使う窓やシャンデリアは空間からのモチーフです。それで音を響かせたい、空間に負けないダンサーに出てほしいと思いました。美術家としては作品ができた後にそれをパフォーマンスに展開するのはよくある方法。今回は、逆の順序で制作することでどう展開するのか。ただ共通のテーマとストーリー展開は同じですが、インスタレーションの『網の中』とパフォーマンスの『網の外』、その2つが混じり合ったときに内も外も見えてくるようにと考えています。
−−インターネット、携帯電話と人々のかかわりがテーマだそうですね。企画書にスマホで撮影された写真がSNSで拡散されていく現状について書かれていました。
束芋 SNSが広まり、展示作品を撮影する流れができたことで、美術館は今まで難しかった美術展の集客を増やすことができました。そこを作家として、ダメだと言ってしまうのは施設側として厳しいんだそうです。全部撮ってもいいという作家さんもいらっしゃるけれど、私は撮ってほしくないんですよ。撮るという行為が何を生むかは作品によって違うものだと思います。私の場合は映像インスタレーションなので、その空間を含めたものが作品で、その空間に入った人が作品と対峙する時間を写真を撮ることにシフトしてしまうと、全然違った関係になっていく。だから私は「NO」なんですが、今度の作品は実験材料にしようと思っているんです。この作品を経て、何が起こるのか体験しようと。そうじゃないと本当の意味で「NO」と言えないし、もしかしたら「YES」になるかもしれない。そのためには写真撮影をしたとしても作品として成立するものにしたいし、そういう仕組みを考えているんです。
−−その仕組みとは?
束芋 まず正面から、今まで避けていたSNSとのかかわりをテーマとして扱うことを中心としました。写真撮影を許可すると、インスタレーションの写真を撮る人も誰かの写真に写るかもしれない。それも含めて作品だと言えるようなものにしたいと思っています。会場では、私の作品が写り込んでいるものをどうぞSNSにアップしてください、でもその際にはハッシュタグをつけて検索しやすいようにしていただいて、さらに私の作品が写っている場合には私がいかようにも使えるようにしてくださいという注意書きを掲示します。写真撮影がオッケーというだけでは、私が感じているような気持ちは、たぶんお客さんには伝わらないと思うんです。でも勝手に使われるかもしれないという前提があることで行為が少し変わってくるかもしれません。インスタグラムが利用規約に「ここにアップしたものはいかようにも利用できる」と入れたことで物議を醸しましたよね。私も最初は「そんなんあかんでしょう」と思ったんですよ。でもインスタグラムは自由に使わせてあげて、楽しませてあげているわけで、そこから情報を得るのが一番の対価。嫌だったら使わなければいいだけ。私の作品でも注意書きを呼んでもらうことで少しでいいから立ち止まってほしい。それらの写真をどう使うかアイデアはないんですよ。とにかく時間軸上に並べてみたい。そこから何か見えてくるかもしれないし、もしかしたら後の作品に影響を及ぼすかもしれない。
平本 ネットの世界に触れるということは、本来は自由な行動なのに、いつの間にか自分の感覚や感動を束縛する。ネットにアップロードするという行為が作品を見た瞬間の体験をねじ曲げてしまうんです。そういうねじ曲がりや、ネットの世界に支配されていく感覚、日常が侵食されていくイメージが音楽で感じられたらと作曲しました。何かどんどん取り込まれたり、日常が侵食されていくようなイメージを持って作曲しました。
インターネットや機器に頼っても自分の体の在り処を意識できれば(束芋)
−−美術館で写真を撮っていると、角度や位置にこだわったりしていると、なんだかそれが自分の作品になってしまう感覚に陥りますよね、図々しい話ですけど。
束芋 そういうことを言葉にする人は少ないと思うんですけど、多くの人は同じ感覚を持っていると思いますよ。私も最近、美術館でほかの方の作品を撮ったんですよね。でも、携帯電話の中でいろんな写真と一緒に並んでいると、ものすごく感動したはずなのに、情報としてはほかのものとすっかり並列になっている。私の感動はそんなものだったか?と。だから、写真を撮られることで、その人にとっての私の作品の価値が下がるのではないか、という予測をしているんです。写真を撮る瞬間に、そこからSNSでみんなに発信するうちに、作品との関係がどうであったかということはすっかり飛んでしまうと思うんですよ。私は映画を見てものすごく感動したら2度は見ないんですよ。そうすることで大切な時間であったという意識が強まるから。自分の作品が誰かにとってそういうものになってほしいと思っているから写真撮影はしないでほしい、というのが、今の素直な気持ちです。
平本 写真を撮る。その行為によって画面越しの世界を探るわけですよね。実際の体験は今ここにあるはずなのに、画面越しの世界だけを見てしまうので、その瞬間に“ここ”にはなくなりますよね。
束芋「網の中」(2017)映像インスタレーション作品 スチルイメージ ©Tabaimo / courtesy of IMO studio
束芋「網の中」(2017)映像インスタレーション作品 スチルイメージ ©Tabaimo / courtesy of IMO studio
束芋 虚と実というものがどこにあるのか曖昧になっている状態ですよね。だけどこの時代にすべてシャットダウンしてしまうのは、あまりにも現実離れしている。多くの方々が楽しんでいるという現実は受け入れなければいけないし、今度は私自身がどうあるべきかを考えないといけない。私はツイッターもフェイスブックもやっていないからと言って、関係ないとは言えないんですよね。この作品を作るにあたって最後はブツッと終わりたいと考えていたんです。突然終わりがくる、だけどそこに希望がないわけじゃなくて、それこそインターネットの世界だからこそ再構築が可能で、そこですべてが終わりじゃないという感じにしようと思っています。今の時代、脳みそで覚えるとか、目で見るという機能が、外側の機器に頼ってしまうから電話番号も覚えないし、見たものを記憶しようともしない。そういうものにあまりにも頼りすぎてしまうと、ブツッと切れたときにはそこで終わってしまうように思うんですけど、自分の体がここにあるという意識をちゃんと持っていれば、機器を使うのも悪ではない。自分の体を預けるときがあってもいいけれど、ちゃんと体に戻ってこれるようにしておきたいなということです。こういう社会だからこそ、インターネットでの繋がりをシャットダウンせず、前向きに取り組んだ初めての作品です。
《束芋》
1975年兵庫県生まれ、1999年京都造形芸術大学卒業。大学の卒業制作として制作したアニメーションによる映像インスタレーション《にっぽんの台所》が、キリンコンテンポラリー・アワード1999最優秀作品賞を受賞。以降、数々の国際展に出品、日本を代表する映像インスタレーション作家の一人として注目を集める。近年は舞台でのコラボレーションも展開、2012年浜離宮朝日ホール20周年記念コンサートでパスカル・ロジェと映像と音楽のコラボレーション、杉本博司脚本・演出の人形浄瑠璃『曾根崎心中』へのアニメーション参画、2016には森下真樹とのコラボレーション作品映像芝居「錆からでた実」を東京芸術劇場にて公演。2006年に原美術館、パリカルティエ現代美術館で個展開催。2011年第54回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展日本館代表。現在、シアトル美術館にて大規模個展を開催中。
《平本正宏》
作曲家、Tekna TOKYO主宰。1983年、東京生まれ。東京藝術大学大学院音楽研究科修了。2006年より写真家・篠山紀信の映像作品「digi+KISHIN」の音楽を50作品以上を作曲し、「ATOKATA」などの展覧会の音楽を担当。2013年に映画「さよなら渓谷」(監督:大森立嗣)の音楽を担当。第35回モスクワ国際映画祭にて高い評価を受け審査員特別賞を受賞。2014年には蜷川幸雄演出『ジュリアス・シーザー』に楽曲提供。2016年に映画「セトウツミ」(監督:大森立嗣)、「少女」(監督:三島有紀子、第29回東京国際映画祭Japan Now部門出品)の音楽を担当。また2016年には、自身の企画として東京芸術劇場シアターイーストにて、全編コンピューター音楽によるオペラ『OPERA -NEO-』を上演。そのほか振付家・金森穣、デザイナー・奥村靫正、演出家・前川知大など、さまざまな分野の精鋭とのコラボレーションを展開。 http://teknatokyo.com/
■演奏:平本正宏、田中啓介