郷古 廉&加藤洋之が語るベートーヴェン ヴァイオリン・ソナタ全曲演奏 “人生に思いを巡らす三年間”
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郷古 廉、加藤洋之
若手ヴァイオリニストの登竜門として知られるユーディ・メニューイン青少年国際コンクール・ジュニア部門での最年少優勝。このとき、彼は中学一年生だった。その後、ティボール・ヴァルガ シオン国際ヴァイオリン・コンクールで優勝したのは20歳の時。その名を世界に轟かせた。ヴァイオリン界を背負う逸材として期待され、デビュー以来、幅広く充実した活動を展開してきた郷古廉(ごうこ すなお)が、今春から三年間にわたって、ベートーヴェンの金字塔 ヴァイオリン・ソナタの全曲演奏に挑む。ピアノの相棒は気心の知れた加藤洋之(かとう ひろし)。加藤は長年、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のコンサートマスター、ライナー・キュッヒルと共演を重ねてきた室内楽の名手で、二人はリサイタルやCDで度々共演を重ねている。二人が提示する「ベートーヴェン像」は、間違いなく『東京・春・音楽祭』の聴きどころの一つだ。現在、23歳の郷古と円熟味を増す加藤にとって、この全曲演奏がもつ意味とは。演奏家の生の声を聞いた。
■ベートーヴェンに対峙できるだけの人間的な準備がやっとできた(郷古)
■聴き手にも創造的な作業をして欲しい(加藤)
――三年間をかけての挑戦ですね。全曲演奏だからこそ味わえるものもあると思いますが、いかがでしょうか。まずは、お気持ちを聞かせてください。
郷古 これまで、僕はベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタを積極的には取り上げてきませんでした。でも、加藤さんと長く共に演奏し、僕にもソナタに対峙できるだけの人間的な準備がやっとできてきたと思ってきました。取り組んでみたいと伝えた矢先に今回の話を頂いたので、タイミングがとてもよかったですね。
また、三年かけて演奏するというコンセプトも面白い。ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタはひとつとして同じ意味合いのものがありません。状況を打破していこうという強い精神は、ベートーヴェンの人生に一貫したものですが、ヴァイオリン・ソナタにもそれが見てとれます。年代順に演奏し、ベートーヴェンの歩んだ時間を、僕達も人生の時間をかけて辿ります。お客さんにとっても、時間を掛けて作品を聴くことは意義があると思っています。
加藤 東京では、素晴らしい演奏会であっても、「消費され、すぐ次の新しいものに置き換えられていく」という感覚があります。聞き手が咀嚼、熟成する時間はありません。今回は敢えて三年かけて演奏します。そうすることで、二年目に聞いたときに、聞き手は一年前との繋がりを感じたり、来年のことに思いを巡らしたりできます。ベートーヴェンが、常に今日の自分を変えよう、前へ進もうとしていたからこそ、なおさら意味があると思いますね。
――この作品群の魅力は、どこにあると思いますか。
郷古 僕にとって、ベートーヴェンは特別なもの。「好き」で特別なのではなく、より理解したいから特別なのです。だから、ベートーヴェンを避けてきたわけではありません。考えはあったし、見つめる時間もたくさんあった。ただ、まだ表には出せないなという気持ちがありました。演奏家としてだけでなく、一人間としても彼の音楽には強烈なものを感じます。
郷古 廉
――ベートーヴェンの「特別感」について、加藤さんはいかがですか?
加藤 ベートーヴェンのソナタは、こぎれいに合わせただけでは、エネルギーやラディカルさ、深さが表に出てきません。全ての瞬間に最大級のテンションが要求され、必死にさせられるので、同じ相手と継続して演奏を続け「熟す」時間も必要で、そうしないと色や香りというのは絶対に出てきません。
――既に全十曲に取り組まれているとのことですが、様式が変遷していく様を改めて感じられていると思います。この点については、どのようにお考えですか。
郷古 1番ですが、ピアノはとてもヴィルトゥオーゾ(超絶技巧)。一方で、ヴァイオリンは、ヴァイオリン的には書かれていません。ものすごく弾きにくい。
加藤 当初、ベートーヴェンは自分自身がピアノを弾き、それがどう聞こえるかを考えて、ヴァイオリンにも同じことを要求していた。楽器のことをあまりわかっていない状態で書いていたのです。徐々にヴァイオリンの特徴や良さ、奏法を理解していったと思います。
郷古 3番のヴァイオリンパートには、挑戦している感じがあり、5番の第1楽章なんて、ものすごくヴァイオリン的です。そして、9番で、ヴァイオリンとピアノが完全に同じ重さで対峙する瞬間がくる。
加藤 行けるところまで行ったのが9番だね。実のところ、9番の初版に「ソナタ」というタイトルはないんです。デュオ・コンチェルタンテ。二重協奏曲と書いてある。つまり、完全な二重奏です。お互いに、強い遠心力が働きつつも、一つの作品として形が保たれているのは、ベートーヴェンの作曲の核が強くなって、両者をひきつけているからだと思っています。
加藤洋之
――今回の聴きどころを教えてください。
加藤 音楽は、個人的な体験でもあるから、他の人は感じられないけど、ある人には感じられる何かがあったりするじゃないですか。だから「聴きどころ」を言葉に表して、受け止め方を限定し、縛ることはしたくないです。
郷古 僕が音楽を聴くときには、自分自身と向き合っています。ホールでは、聞く側一人ひとりに、それぞれの経験と時間がある。ある時間、席に拘束されるわけだけど、音楽が鳴り響き、演奏する人間もいる。ただ聴いて終わりっていうのだと、何というか、音楽の醍醐味を味わっていないように思われます。
加藤 そう。聴き手にも創造的な作業をして欲しい。音楽が生まれる場にいる聴き手もまた、一緒に音楽を作っているわけですから。やはり、音楽は特殊な芸術。楽譜は紙に印刷された記号でしかなく、演奏家が音にした瞬間に完結するものです。
■出会ったときから心を開いていた(郷古)
■共感でき、尊敬している(加藤)
――お二人は、度々、共演されていますが、出会いはいつですか?
加藤 彼が15歳の時に初めて会いました。若い人との話題はどうしようかと緊張していましたが、会って、音を出した瞬間に、一人の素晴らしい音楽家だと分かりました。ものすごく共感でき、尊敬しています。初めて会ったときからです。
郷古 今、23歳になりました。自分の人生の中で、加藤さんとの時間は大きな割合を占めているわけですが、不思議と、そう感じていません。「もうそんなに経ったんだ」という感じ。僕も最初から心を開いていたのでしょう。二人の間に何の壁もありません。考えるべきことを考えて、大切なことを伝えることのできる相手です。
加藤 本質的なところが一致しているからできるのだと思います。初めて会った日、彼は緊張していたかもしれない。でも、次に会った時には、楽屋で転げまわって爆笑していた(笑)。素でいられる感覚ですね。だから、二人でいると過激化していく…(笑)。
郷古 確かに。
――音楽的な点はいかがですか。
郷古 何を大切にしているかっていう点で一致している必要はあると思います。でも、音楽的なところに共通点を見出す必要はない。例えば、舞台の上で、室内楽を演奏するときに、普通はコンタクトを取って合わせようとする。でも、誰一人、コンタクトをとっていないのに、全員がやるべきことをやっていて、最終的に音楽が調和していく状態が理想の形だと僕は思います。
郷古 廉
加藤 合わせるんじゃなくて、同じ方向に向かえば「合ってしまう」ということだね。あとは音色に対する感覚は似ていると思う。
郷古 音楽上の美学。確かに、そこは重要。
――音楽には性格が出るといいますが、演奏には素顔の郷古さんが反映されていますか?
加藤 もちろん。例えば、彼はピアノを弾きますが、シューベルトのソナタやドビュッシーのプレリュードが好きで、困ったことに(笑)、久しぶりに会うたびに上達してくる。明確な音のビジョンを持っているから、一言、アドバイスするとできるんです。
郷古 でも、隣で加藤さんが弾くと、すごく悔しい。
加藤 なぜ!?(笑)ピアノは優先順位として、より音楽を多層的に、また全体を俯瞰することが要求されるので、ピアノが彼のヴァイオリンの演奏に大きな影響を与えていると思う。彼がヴァイオリンで一音弾くと、バックにあるハーモニーとかスコアのいろんなものも見えてくる。
加藤洋之
郷古 ピアノとヴァイオリンが共演するとき、大抵はヴァイオリンが旋律で、ピアノが伴奏を担うことが多い。旋律を奏でるとき、ピアノの和声感の上にあるものじゃないと、絶対調和しない。だから、気になる部分の和音をピアノで弾いて、音程やハーモニーを感じるようにしています。
――最後に、楽しみにされているお客様にメッセージをいただけますか。
郷古 コンサートを通して、自分の人生に思いを巡らす、一つのきっかけになればと思っています。
加藤 コンサートの日が晴れて、夜桜がみられるといいですね(笑)。
加藤洋之、郷古 廉
取材・文=大野はな恵 撮影=安藤光夫
郷古 廉(ヴァイオリン)&加藤洋之(ピアノ)
ベートーヴェン ヴァイオリン・ソナタ全曲演奏会 I
■日時・会場
2017.4.13 [木] 19:00開演(18:30開場)
東京文化会館 小ホール
ヴァイオリン:郷古 廉
ピアノ:加藤洋之
ベートーヴェン:
ヴァイオリン・ソナタ 第1番 ニ長調 op.12-1
ヴァイオリン・ソナタ 第2番 イ長調 op.12-2
ヴァイオリン・ソナタ 第3番 変ホ長調 op.12-3
ヴァイオリン・ソナタ 第5番 へ長調 op.24 《春》
■公式サイト:http://www.tokyo-harusai.com/
ヴァイオリン・ソナタ 第4番 イ短調 op.23 / 第6番 イ長調 op.30-1
ヴァイオリン・ソナタ 第9番 イ長調 op.47 《クロイツェル》 / 第10番 ト長調 op.96