日本人キャストでミュージカル化へ! 映画『リトル・ダンサー』の“物語としての魅力”とは?
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2017年7月から、TBS赤坂ACTシアターにてミュージカル『ビリー・エリオット~リトル・ダンサー~』が上演される。トニー賞10部門を始め全世界で80以上の演技賞を受賞してきたロンドン発の舞台に、初めて全キャスト日本人を採用した同作は、1,300人以上の中からオーディションで選ばれた少年たちや、吉田鋼太郎、益岡徹ら実力派俳優らが参加していることでも話題だ。
そんな『ビリー・エリオット~リトル・ダンサー~』が、2001年に公開された映画『リトル・ダンサー』(原題:Billy Elliot)のミュージカル版であることはご存じだろうか? 米国アカデミー賞ノミネートを果たし、全世界で興行収入120億円を超える大ヒットを記録。その後、2005年に映画版と同じスティーブン・ダルドリー監督が初めてミュージカル化し、現在までに1,000万人以上を動員している。映画誕生から16年を経た今も、その物語が世界中で愛されるのはなぜなのか。原点である映画『リトル・ダンサー』の魅力あらためておさらいしてみよう。
ステレオタイプなジェンダー観から自由になり、少年は夢を追いかける
『リトル・ダンサー』DVDパッケージ
イギリスの炭鉱町に暮らす少年ビリーは、父と兄と祖母の4人暮らし。炭鉱夫である父と兄はストライキ中で収入がなく一家の暮らしは貧しい。ビリーは、男らしくなるようにとボクシングを習わされているが、ある日偶然目撃した女の子たちのバレエ教室に魅了され、父親に内緒で教室に通うようになる。ステレオタイプなジェンダー観が幅を利かせている時代の保守的な田舎町ということもあり、父親はその姿に「男がバレエをやるなんてみっともない」とすら思っていた。それでもビリーは夢を諦めず、バレエ教室のウィルキンソン先生と懸命に特訓に取り組む。ビリーの才能を信じる先生は、ロイヤル・バレエ学校への入学を勧めるが、貧しい上にスト中のビリーの家族には、彼を進学させるほどのお金はない。そんな中でも情熱を燃やし続けるビリーを見ているうちに、息子を恥ずかしく思っていた父親も心を打たれ、夢を応援することになるのである。
ビリーには3つの壁が立ちはだかる。狭き門であるロイヤル・バレエ学校のオーディション、炭鉱不況での貧困ゆえの進学費の問題、そしてバレエは「女がやるもの」という偏見だ。大きな夢を追いかける青春映画なら、名門学校入学のためのオーディションのような壁は、物語としても常套手段ともいえる。その意味で本作は王道の青春映画だが、時代背景にある炭鉱不況による貧困と、少年がバレエダンサーを目指すというジェンダー観への挑戦は、本作を非凡なものとしている。
また、この物語は当時のイギリス社会の変化を色濃く反映している。1984年のイギリス北部の炭鉱町を舞台にしているが、この時代のイギリスは石炭庁総裁が採算の採れない炭鉱を閉鎖し、約2万人の雇用削減案を提出している。これに対抗するために全国の炭鉱町ではストライキが活発化し、中には死者を出すような暴動事件に発展したものもあった。ビリーの父親と兄もストライキに参加しているが、劇中ではスト派とストを破って就労する労働者との対立も描かれている。
こうした背景には、なんとなく生まれた町でそのまま炭鉱夫になれば未来は安泰という考えから、一人ひとりが未来を選ばなくてはならない、激動の時代への変化が現れている。自分で夢を見つけてそこに向かって行くビリーと、炭鉱で働き、「町を出たことがない」と語る父親や兄が対比的に描かれているのも本作の重要なポイントだ。
そして、少年がバレエダンサーを目指すという物語からは、「男は男らしく」といったような、ステレオタイプなジェンダー観への挑戦が見て取れる。今でこそ、バレエダンサーやフィギュアスケーターなどにも多くの男性がいるが、それでも「女性のスポーツ」というイメージがつきまとうことは確かだろう。ビリーの父親は保守的な考えの持ち主かもしれないが、当時の大多数の価値観はビリーの父親とそうは違わなかったはず。折しも1984年は、炭鉱組合員とLGSM(炭坑夫支援レズビアン&ゲイ会)が手を組み、運動を行った年。同じくイギリスの映画『パレードへようこそ』がこの運動を描いているが、両者が手を組むまでは様々な軋轢があったことがよくわかる。
『リトル・ダンサー』にもビリーの親友・マイケルが家族のいない自宅で女装をしたり、ビリーにキスをする場面などが登場する。性的マイノリティにとって1984年はまだまだ決して生きやすい時代ではなかったし、バレエのような「女のやること」をやっていれば、「オカマ」のレッテルを貼られかねない。ビリーは、そういう時代に自分の情熱を貫き、夢を叶えようとしているのだ。
舞台と映画、2つの世界で名匠の地位を築くスティーブン・ダルドリー
映画版の監督であり、ミュージカル版の演出にもクレジットされているスティーブン・ダルドリーは、初の長編映画『リトル・ダンサー』で米国アカデミー賞監督賞にノミネートされる快挙を成し遂げている。舞台で培った卓越した演出力と、役者の演技を引き出す指導は一流で、ローレンス・オリヴィエ賞やトニー賞を受賞している実力派だ。撮影前に入念なリハーサルを行うことでも知られており、役者の力を最大限引き出す演出力を持ち合わせている。『めぐりあう時間たち』では付け鼻をつけ、精神を止んだ作家ヴァージニア・ウルフという難役に挑んだニコール・キッドマンから、表に出ない感情を、宙を見つめる泳ぐ視線だけで抑制された芝居の中で表現させ、アカデミー主演女優賞をもたらした。
彼はインタビューでも「編集は楽しい」と語っているとおり、巧みに時間の経過を省略する、映像独自の演出方法もたくみに使いこなす。リトル・ダンサーにおいても、オーディションに行けず、悔しい思いをしたビリーが町を踊りながら駆けていくシーンでは、壁にぶつかり座り込むビリーをクローズアップにした瞬間、晴天の秋から雪景色に変わるといった、センスある映像演出を体得していた。
『リトル・ダンサー』や『めぐりあう時間たち』など、彼の監督作には同性愛者のキャラクターが登場するのも特徴だ。ダルドリー監督本人は女性と結婚して子どもも設けているが、同性愛者であることも公言している。『リトル・ダンサー』は、彼のゲイとしてのアイデンティティや問題意識のようなものが垣間見られる作品でもあるのだ。『めぐりあう時間たち』では自分を抑圧して生きる3人の女性や、同性愛者の母親とその息子の葛藤なども描き、同様の題材を多く手がけるグザヴィエ・ドラン監督は同作をLGBT(性的マイノリティー)映画ベスト1に選ぶほど絶賛している。
多くの人に夢と希望を、そして自由に自分らしく生きられることの素晴らしさを説いた本作が、日本でミュージカルとして復活するのはとても望ましい。これまでの舞台版『リトル・ダンサー』も担当してきたダルドリー監督の演出は、日本版ではどう再現されるのか。ダイバーシティ(多様性)の重要性が叫ばれるなか、本作が観客にどんな素晴らしいメッセージを残してくれるのか期待したい。
文=杉本穂高