不朽の名作『わが町』を、はせひろいちが地域色を織りまぜ岐阜県大垣の市民劇に

2017.3.3
インタビュー
舞台

『わが街 大垣』チラシ表


市井の人々の何気ない日常…その尊さをつぶさに描いた、はせ版『わが町』とは?

アメリカの劇作家、ソートン・ワイルダーが1938年に発表し、今なお世界中で上演され続けている『わが町』。隣接する二家族を軸とした一般市民の生活が、さまざまな演劇的企みをもって描かれたこの名作戯曲を下敷きに、岐阜市出身のはせひろいち(劇団ジャブジャブサーキット主宰・劇作家・演出家)が1960年代の大垣庶民史に書き変えて演出する『わが街 大垣』が、今週末の3月4日(土)・5日(日)に「大垣市スイトピアセンター」で上演される。

はせといえば、2010年に名古屋でも同様の市民劇『わが街、名古屋』の脚本を担当しているが、今回の大垣版ではどのように劇作と演出に取り組んだのか、はせひろいちと、演出助手兼尼僧役で出演もする荘加真美(劇団ジャブジャブサーキット)に話を聞いた。

前列左から・早野さち子、高木詩織、小森明美、川合由紀子、鵜飼祥己、荘加真美 後列左から・中村師、棚橋充子、佐久間愛夢、はせひろいち、小松久美子、松原真司 ※写真は出演者の一部

── 1960年代の設定ということですが、この時代をテーマに書かれたのはなぜですか?

はせ 原作は1901年のアメリカの架空の田舎町を題材にしてるんですけど、ワイルダーの書きたかったことを推測するに、戦争も終わってすごく目立った都市でもなくて、ただただ街が成長していく過程にあるっていう時代を描いているのでそれは大事にしたいなと思って。これを日本で同じ年代にすると戦争があったりいろいろあったので、高度成長期の入り口でGHQの支配もなく…みたいな頃と思って1960年にしました。自分が生まれた年でもあるので、振り返るのにちょうど関心のある年でもあって。この設定は『わが街、名古屋』の時に決めたんですけど、今回大垣の歴史も紐解いてみたら、そんなに何かがあった年でもないし、街が出来ていくプロセスのちょうどひと断面だったのでそのままいこうと思ってそうしました。

ちょうど1964年に東京オリンピックがあって、今も3年後に東京オリンピックがあるっていうことも不思議にリンクしてて面白いなぁと。あとは、市民劇なので僕よりも上の世代の人たちも観に来るというのもあって、そういう人たちは「おぉ、そうだったわいなー」って言いながら観てくれたり、若い世代にとっては、「おじいちゃんたちの時代はそうだったのね」っていう風に街を振り返れるので、定点観測の位置としてもちょうどいい。これが100年以上前だと時代劇っぽい感覚になっちゃうので。

── 大垣の歴史を調べられて、面白いなと思ったことや取り入れた出来事などはありますか。

はせ まぁ山ほどというか、いっぱい入れてます。街が少しずつ大きくなっていくっていうのが物語のベースにもあるので、’60年代は大垣が活気づいてた頃でもあるし、どこの都市でもそうかもしれないけど、人情という意味では今よりもずいぶん明るかったり。大垣って、新しさに対してはすごく敏感な街みたいなんですね。僕もおぼろげに知ってるけど、その頃の駅前あたりはまさに昭和の活気づいた雰囲気で、『主婦の店』っていうスーパーの走り…つまり集中レジ管理するシステムの第1号店が大垣だったり、映画館も2つ3つ駅前にあったりね。城下町であり宿場町でもありながら、寺院町とかいろんな面を持ってる。あとはよく言われるように“水の都”という側面もあって、地形的なことも入れながら書きました。始まって30分もしないうちに、客席も巻き込んで街について語っていくところがあるんですけど、そこもモロ大垣にしてあります。

あと、婦人会とか青年団とか共同体が非常に強い。中盤あたりに結婚式をするシーンがあるんですけど、’60年代は結婚式場が出来た頃なんですよね。大垣にはまだ民間の式場がなかったので、調べていったら市営の婦人会館で安く質素に式を挙げている。町民たちがみんな参加できるように手作りの結婚式が流行ってたので、それもちょっと入れさせてもらったり。原作でも、当時としては進歩的な考えを持った二家族の長男と長女が結婚して死んでいくっていう話なので、ある意味街を移して見せることはたやすいというか、誠意を持って描けばちゃんと原作者の意向を残しながら市民劇になり得るっていうのが、ワイルダーの持っている振り幅だと思うんですよね。やっぱりすごい戯曲ですよ。全然古くない。

稽古風景より。右端は演出をつけるはせひろいち

── 原作を読まれて一番すごいと思われた点はどこでしょう。

はせ 普遍性かなぁ。ありきたりな喜怒哀楽のドラマじゃなく、生きてる者と死んでる者がちゃんと描かれてるっていう。「あの人が死んで悲しいよ」とか、「人生って何だろう?」って思い悩むことを敢えて絶対書かないように進んでるから、言葉もすごく良いですしね。僕らもそういう風にやってるんだけど、本当に舞台美術とか一切作らないみたいなポリシーも、観てるうちにいろんな普遍性とか記号性を納得してもらうように創られてる。

メタ的なところも多いし、断片でシーンを切っていく新しさもあって。当時はすっごい実験的な上演だったはずなんですよ。最初に進行役が、二家族のお母さんたちが炊事とかやってる時に、「この人はもうすぐ死にます」とかね、平気で言っちゃう(笑)。その二家族を中心に、長男長女の恋愛も含めてガーッとドラマを動かしながら、途中でパーンと切ったり。「ではこの街についてもう少し喋りましょう」って言って、関係の皆さんに発言してもらったりいろいろして進んでって、「じゃあ10分休憩です」って休憩に入っちゃうのね。で、2幕は結婚式の朝から始まる。そこからちょっとだけ回想が始まって披露宴になって、またそこでパンと終わって、次はもう墓場のシーンだからね。その大きな3部構成になってるんですけど、結婚式が終わるとパッと死んでる人が残ってるっていう。死ぬドラマとかなんにもないもんね(笑)。

荘加 普通だったら死ぬことがドラマになるような人も混ざり込んだりしてるんですけど、単なる一部になっちゃってる。

はせ その死んだ人たちが生きてる人たちを見て、「本当にあいつらは見苦しいね」とか言ってるんだよね(笑)。めちゃ面白いよね。あんな死の描き方って、絶対当時すごく新しかったと思うし、今でこそ死者が喋るとかSFめいたのも当たり前だけど、それよりも遥かに面白い。

稽古風景より

── 出演者の方はオーディションで選ばれたんですよね。

はせ はい。とはいえ、落とすオーディションじゃなくて、来てもらった人には基本的には参加してもらうつもりで。一人だけリタイアされた方がいましたけど、それ以外は来た人全員です。それで人数が足りなかったので、ウチの劇団や岐阜の劇団の「紅茶組」や「かいとうらんま」さんから来てもらったりして、一応9人が客演です。

── 初心者の方や舞台経験が浅い方もいらっしゃると思いますが、演技指導などで苦労された点などありましたか?

はせ 市民劇だから芝居のつくりが変わるかというと、本質的には変わらないですね。稽古に慣れてらっしゃらないから、使う言葉とか時間の配分は変わってきますけど、市民劇だからといって別のチャンネルを持ってるわけではないなと、逆にやってて再確認しました。

── 出演者は33名いらっしゃいますが、配役は原作と同じ感じなんでしょうか。

はせ とりあえず一人一役という風にはしたんですが、原作よりも多いです。まず最初に進行係が莫大なセリフを喋るので、これはベテランの人にしかやってもらえなかったんだけど、それ以外はこの人は経験者だからこの役でっていう感じではなく、声とかワークショップをやりながらなんとなくのイメージで決めました。時間の関係でとりあえず決めちゃって臨んだけど、配役を大間違いしたっていう人はいないですね。

── 先ほど、原作の言葉が良いと仰られましたが、そのまま使われているところも?

はせ うん、おいしいところはそのまま使ってます(笑)。3幕までに死んだ人が10人いて、お墓に座ってる人=墓石なんだけども、観客が「あのおばちゃんも死んだのか」って思えれば俺はいけると思ってるんだよね。墓っていうものに対して、今までの先祖が全部いる場所っていう意味合いが語られてたり、結婚式でも「我々の祖先のことを考えると、実は参列者は何千何万人です」みたいなことを進行係が言ったり、その辺の言葉がとっても上手いんですね。とにかくやたらそういうセリフが多いので、ちゃんと全部繋がってくれば、絶対面白いものになると僕は思ってる。

稽古風景より

── 全体を通して、演出的にポイントにされた点はどんなことですか?

はせ 「人はなぜか男と女でなるようになってるんです」っていうことまで含めて「自然」っていう言葉で語られてたり、そういうスケールのデカい死生観が普遍的なんですね。僕はその普遍性と舞台自体の抽象性っていうのが絶対に作用し合ってると思ってるので、その分とにかく抽象性をキープして進めていきたいなと思ってます。たぶんそれは必然のような気がする、この舞台の。

荘加 封筒に書かれた長い住所について語る手紙のシーンが象徴的だなと思うんですけど、無限の中のほんの一部だっていうのが、それを聞いてるうちに広がる感じが流れてるホンだなと。それが抽象のイメージで、それゆえにバーッと広がる感じがすごくあるなぁと思います。

── 俯瞰の視点で書かれているんですね。

はせ それを説明する時の設定とかが上手いんだよね。封筒の住所だけでバーッと広げていくとか、みんながいま月を見てるっていうシーンの見せ方とか、非常に上手い。で、ウォーっと広げておいて、「では10分休憩です」ってパーンと切るあたりも。

荘加 私、尼さんの役なんでお経をあげるんですけど、いろんなお経がある中で何にしようか探してて。結局長さの関係で「般若心経」にしたんですけど、内容を調べるとものすごくこの戯曲と近しいんですよね。心経の内容とすごいリンクすると思って。

稽古風景より

── そういうの面白いですよね。偶然いろんなことが一致していくみたいな。

はせ でも原作にはもちろん、お経をあげるシーンなんかないんだけどね。この前原作を改めて読んだら、無茶苦茶書き足してることがよくわかった。お客さんが原作を読んでから観に来てくれると、「はせさん頑張ったね」って思ってもらえるかも(笑)。

荘加 演出助手についたはいいけど、最初ホンをもらった時、登場人物がすごく多くて誰が誰なのかさっぱりわからず、出番も皆さんコマ切れで少ないのでキャラクターが描かれきれてないなって思いながら読んだんですけど、やっぱり土地に根付いた人たちが演じると相当濃いキャラになるんですよね(笑)。皆さんやりがいを感じて立ってらっしゃるので。

── 本当にそうですね。お稽古を拝見して、皆さんキャラクターが立っているなと思いました。

はせ まぁそれは市民劇の強みですよね。職業俳優だけが特権でも何でもないので。起承転結で持っていけるお芝居じゃないし、喜怒哀楽を中心に編める芝居でもないから、たぶん最初のうちはかなり戸惑ったり、今までやってきた市民劇とは違うっていう感覚の人もいたと思うんです。初めて通し稽古をした時に、やっと全体の中で自分のシーンの意味を把握した人もいたし、本番でもいろいろね、トラブル的なこととか段取り的になることもあると思うけど、逆に本番に入ってやっと内容がわかるとか、そういうことも絶対にこのホンは多いはずなので。それは演劇っていうものの持ってる懐の広いところで、僕が口すっぱく言わなくても、フッと上がる時って市民劇でもあると思ってるので、そういうところには期待してるんですよね。

わが国でも1941年の初演以来、数多の劇作家や演出家が挑み続けてきた『わが町』。その時々で新しい翻訳だったり、大胆な解釈やアレンジを加えて上演されることも多い戯曲だが、はせは原作へのリスペクトも含め、余計な肉付けをすることなく基本構造と本質を大事にしながら“大垣版わが町”に創り上げたという。

「何が言いたいか全部はわからなくても、お客さんが「ああ、今生きてる時間をちゃんと大切にしなきゃな」って、ちょっとでも思ってくれればそれでいいと思う」と、はせ。大垣という街の魅力と共に、名作の醍醐味を劇場でぜひ味わってみよう。

取材・文・撮影:望月勝美

公演情報
市民創作劇『わが街 大垣』

■脚本・演出:はせひろいち
■出演:鳥居淳、小松久美子、鵜飼祥己、佐久間愛夢、中村師、川合由紀子、高木詩織、川合光哉、高田滉平、川合紗矢、安藤瑳羅、加藤真人、西川真以、伊藤翔大、小森明美、棚橋充子、松原真司、荘加真美、熊崎閑示、方山みどり、大橋専利、疋田繁雄、松岡美紀、早野さち子、モリコ、山田美鈴、後藤加代子、花太郎、安藤小枝子、栗木己義、小木曽琴江、安藤瑠之介、後藤卓也

■日時:2017年3月4日(土)18:30、5日(日)14:00
■会場:大垣スイトピアセンター 文化ホール(岐阜県大垣市室本町5-51)
■料金:一般1,500円、U25(25歳以下)1,000円、高校生以下500円
■アクセス:JR大垣駅から南西へ徒歩15分
■問い合わせ:大垣市文化事業団 0584-82-2310
■公式サイト:大垣スイトピアセンター http://www2.og-bunka.or.jp