新日本プロレス オカダ・カズチカから学ぶ、世界との戦い方
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撮影=中溝康隆
“レインメーカー” オカダ・カズチカの時代が来た
2017年、完全なオカダ時代の到来だ。
3月6日、大田区総合体育館で行われた新日本プロレス創立45周年の旗揚げ記念大会のメインイベントで、IWGPヘビー級王者のオカダ・カズチカがアニメの中から飛び出したタイガーマスクWとの死闘を制した。これで今年は1月4日東京ドームのケニー・オメガ戦、2月5日北海道立総合体育センター北海きたえーるでの鈴木みのる戦に続きフル回転。オカダ、オカダ、雨、オカダ……そんなヘビーローテーション。毎月のように重要な興行では、常にオカダがメインイベントで勝利を飾っている。
29歳にして、すでに絶対的王者の風格すら感じさせるカネの雨を降らせる男“レインメーカー”。身長191cmの体格で全身バネのような打点の高いドロップキックを放ち、40分以上の試合を戦いきる無尽蔵のスタミナを持つ。さらには、相手の技を受けきる身体の頑丈さを誇っている。その底知れぬ才能に往年の怪物レスラー、故・ジャンボ鶴田の姿を重ねるファンもいるほどだ。
「21世紀のプロレス」を体現する男
実際、このオカダの出現をきっかけにプロレスに戻ってきたオールドファンは数多い。ってそう言う自分もそのひとりだ。数年前まで、プロレスは過去の思い出だった。80年代プロレス黄金時代、90年代闘魂三銃士、そして故・三沢光晴。リアルタイムでの熱狂はそのあたりで止まっている。出戻るきっかけは、5年前の土曜日の深夜のことだ。夜中の3時頃、何をするにも気怠い時間帯。カップ麺にお湯を注ぐのすら面倒なサタデー・ノーナイト・フィーバー。ようやく片付いた仕事に一息つき、部屋でぼんやりとテレビの前に座り、チャンネルを適当に回してチョイスしたのはテレビ朝日の『ワールドプロレスリング』。その音を消したテレビで、オカダのドロップキックを目撃したのだった。
滞空時間の長い、信じられない高さで放たれた一発の芸術的ドロップキック。その衝撃に一瞬で過去から現在へと引き戻された。「分かるか、これが今の21世紀のプロレスだ」と。メキシコ修行から凱旋帰国して、あっという間に当時チャンピオンの棚橋弘至からIWGPヘビー級王座を奪った新星オカダ・カズチカ。15歳でメキシコへ行くって、15歳で単身ブラジルに渡ったサッカーの三浦知良のようだな。凄い、なんなんだこいつは……。その夜以来、俺は再びプロレスに狂う日々に戻ることになる。
「新日本プロレスのオカダ・カズチカ」で勝負したい
そんな感じでオカダをきっかけに戻ってきたオールドファンと新規ファンが入り交じり、現在の新日本プロレスは過去最高の売上げを記録する盛り上がりをみせている。いまや世界が注目するスーパースターとなったレインメーカーだけに、ファンは数倍の年俸が保証されるであろう海外団体への移籍を心配する声も多い。ちょうど1年前、自著のプロ野球死亡遊戯本に収録するためオカダのロングインタビューに行った際、「野球やサッカーでは国内で超一流と呼ばれる選手は好条件の海外リーグを目指しますが、挑戦したい思いは?」と質問すると、オカダは力強くこう答えてくれた。
「僕は新日本プロレスのオカダ・カズチカで勝負したい気持ちが強い。プロレスは今どこの国からでもネットや動画サイトで見れる。海外に行かなきゃ海外の人に見てもらえないわけじゃないんですね。新日本にいる状態で凄さ、強さを発信したい。自分がプロレスというジャンルの入口になるというぐらいの気持ちですね」
会場の観客はもちろん、新日本プロレスワールドで配信される試合映像で世界中のユーザーの目も意識する。いわば“日本にいながら世界と戦う男”の出現である。WBCで盛り上がる野球界にもこんなスケールの選手に出てきてもらいたいものだ。プロレスもプロ野球も、80年代は地上波テレビで視聴率20%突破の黄金時代だった。だからといって、ノスタルジーも行き過ぎるとクレイジー。常にあの頃と比較され、過去の幻想と闘う現代の選手たち。オカダでさえ「どのスポーツでも昔を知っている人は今のものについて否定から入る」と指摘する現実がある。だからこそ、古いファンを無理に説得するのではなく、世界に目を向け新しいファンを連れてくるという発想だ。
インタビューの最後に、若き王者は力強くこう言った。
「10年後にはプロレスと言えば馬場・猪木っていう固定観念も消えて、プロレスと言えばオカダでしょというのが常識になってると思います」
>>新日本プロレスの