静寂を聴かせるサクソフォーン奏者 平野公崇 ~演奏・即興・編曲の壁を軽々と超えてゆく変幻自在の音楽
-
ポスト -
シェア - 送る
平野公崇
「実は原曲通りに聴こえている部分が、全然原曲と違ったりするんですよ」 平野公崇 “サンデー・ブランチ・クラシック” 2017.4.30. ライブレポート
「クラシック音楽を、もっと身近に。」をモットーに、一流アーティストの生演奏を気軽に楽しんでもらおうと毎週日曜の午後に開催されている『サンデー・ブランチ・クラシック』。ゴールデンウィークの2日目、4月30日に登場したのはサクソフォーン奏者の平野公崇と、ピアニストの石橋衣里だ。平野がサンデー・ブランチ・クラシックに登場するのは2度目。前回は愛弟子であり、現在は共にサックス・カルテットを組んでいる田中拓也らとの共演だったが、今回は満を持してソロでの出演となった。
13:00になると平野はアルトとソプラノ、2種のサクソフォーン(サックス)を持って舞台に登場。まずアルトをかまえて吹き出したのは、ヘンデルの有名なアリア「私を泣かせてください」だ。
サックスというと、一般的にはジャズのイメージがまだまだ強いかもしれないが、ジャズとクラシック音楽ではサックスという楽器は別物といって過言ではないほど、奏者が目指すサウンドが根幹から違う。特に平野が奏でる音色はサックスという楽器に対するイメージが根幹から塗り変わって変わってしまうほど、極限まで柔らかで繊細だ。対する伴奏する石橋のピアノも、繊細を極めるサックスのサウンドに合わせて、右手のハーモニーを聴こえるか聴こえないかぐらいで重ねていきつつも、和声感を演出する上でもっとも重要な左手のバスのラインはしっかりと聴かせるという絶妙な塩梅だ。
石橋衣里、平野公崇
サックスが休みになると、ピアノの右手で今度ははっきりと主旋律が奏でられるが、その歌い口は平野がサックスで演奏していたそのまま。石橋の耳の良さ、室内楽奏者としての能力の高さはこの時点で既に明らかだ。つづいてサックスが戻ってくると、曲の後半の展開にうつりかわる。前半とはうってかわり一気に音量をあげてくるのだが、それでも柔らかはまったく失われず、豊かなビブラートが強く印象に残った。最後にテーマが短く戻ってくるところで、再び繊細な表現に回帰していき心地よい沈黙にたどり着いたところで、あたたかな拍手が会場に鳴り響く。ゆっくりアルトサックスを置き、そしてマイクをもってご挨拶。「今日はあまり肩に力の入らない曲を揃えてみた」と淡々としてはいるが、奥に優しさを秘めたような声色で語る平野。トークを聴くと、強面なイメージは完全に払拭される。
MC中の様子
つづいて2曲目にフランスを代表する作曲家ドビュッシーのピアノ曲『ベルガマスク組曲』より「プレリュード」を演奏したのだが、選曲理由は「サックスはフランスで出来た楽器」だからだという。……とはいいつつも「サックスを作ったアドルフ・サックスはベルギー人なんですが、サックスさんが生まれた頃はベルギーという国はなかった」のだといい、生まれた街が現在はベルギーになっているため、フランスとベルギーで「うちの国の楽器なんだ!ってベルギーとフランスでちょっとした争い」があるというトリビアな余談を挟みつつ、演奏にはいった。
ソプラノサックスに持ち替えた平野は、やもするとキツめの耳あたりの強い音色になりがちなこの楽器からも、アルトと変わらぬ繊細で柔らかなサウンドを引き出してみせるのだから、やはり只者ではない。そして高音もやせ細らず、クラリネットの音色を更に甘くしたようなサウンドを聴かせてくれるのはもはや当然として、意外な驚きがあったのは高音を得意とするソプラノから魅力的な低音域のサウンドを聴かせてくれたことだ。彼は楽器そのもののイメージや概念を変えてしまうような、名実ともに日本を代表するサックス奏者であることを改めて痛感させられる。
つづいて3曲目は、平野が「高校時代から愛してやまない」というバッハが演奏された。曲目は有名な「主よ人の望みの喜びよ」である。ところが事前に「少しずつクラシック感が弱まっていきます」とトークが挟まれたように、ひと味もふた味も違うものが飛び出てきた。
あのお馴染みの旋律は登場せず、ピアノの左手がベースとしてD(レ)の音を3連符のたゆたうリズムを静かに刻み、そしてその上に“C”と“D”のコードが交互に繰り返されるという、大きく予想を裏切るアレンジが施されたものだったのだ。繰り返されるピアノのベースとコードの上に、サックスによる即興風のフレーズが乗せられていく。
原曲から大きく雰囲気をかえたアレンジかと思いきや、前奏部分が終わると聴き馴染みのある旋律が原曲通りに姿をあらわす。サックスがまず吹くのは、弦楽器によって繰り返される3連符の部分だ。ひとしきり終わると、ふたたび冒頭の繰り返されるベースとコードが登場。サックスがまたもや即興風のフレーズを重ねていくのだが、今度ははっきりと原曲の旋律がパラフレーズされた旋律の断片があらわれ、圧倒的なクライマックスを形作っていく。サックスの持てるポテンシャルを開放したところで、またもや原曲の世界に戻ってくる。ただし、今度サックスが奏でるのは合唱による本来の主旋律だ。フォルテッシモで奏でられる圧巻の盛り上がりは、もうただただ圧巻としか言えず、一種神々しくさえあるほどであった。最後はピアニッシモの繊細な世界へ戻り、みたび心地よい沈黙が会場を包み込んだところで拍手が鳴り響いた。トークに移り変わる前に汗をぬぐう姿からも熱演ぶりが伝わってくる。
カフェで食事を楽しみながらクラシックを
落ち着いてからマイクをつかんだ平野が4曲目として紹介したのは、意外にも久石譲作曲の「いのちの名前」(映画『千と千尋の神隠し』より)だ。普段、夏は日本におらず、フランスで仕事をしているという平野は「ある日、久石譲のこの曲を是非一緒にやらないかとフランス人から誘われ」て、それまで久石作品のことを知らなかったのだという。しかし吹いているうちに、「気がついたら、普通にファンになっていた」と平野自身が述べているように、今では定番のレパートリーに定着したようだ。
今度は原曲に忠実なはじまりで、まずはピアノソロで余韻をたっぷり聴かせる。そこに1曲目のヘンデルのアリアのような極限まで繊細さを追求したサウンドを乗せていく平野のソプラノサックスが観客の心を掴まぬはずがない。全体としては静寂を強調しつつも、主張もしっかりとなされていく平野と石橋の演奏によって、久石の音楽が世界中で愛されるのも当然かと思わされてしまった。静寂のなかに鳴り響くピアノのきらびやかでありながらもノスタルジックなサウンドで曲が終わると、それに呼応するように優しい響きの拍手が鳴る。
石橋衣里
いよいよ本編最後の曲になる前にもう一度マイクをつかみ、本日のパートナーの石橋の紹介をはじめる平野。「なんかちょっとカクテルとか似合いそうじゃないですか。つい先日、九州は佐賀でご一緒していただいて、2~3日いたんですよ。夜、飲みにいくわけですけれど、「私は熱燗」と石橋さんがおっしゃられ、そのイメージのギャップにワタクシは惚れたんです」と、舞台を降りたあとの石橋のプライベートの姿を明かし、客席からは微笑ましい笑いが漏れ聞こえる。
さて、そうしてプログラムのラストを飾ったのはバッハの「プレリュード」……なのだが、先に平野から「ちょっと今までのとは違う感じになります」と紹介のあった通り、再び大胆なアレンジが施されたバッハを聴かせてくれた。
平野公崇
ピアノによる小洒落た前奏ののちに、アルトに持ち替えた平野が《平均律第1巻》2番ハ短調のプレリュード(前奏曲)を猛烈なスピードで吹きはじめたのだ。その様はプレリュードというよりもトッカータといった様相で、原曲のピアノソロを超えるような超速で駆け抜けていく。次第に盛り上がっていくと、最初のクライマックスへ到達。ピアノの保続低音の上で、またもや即興的に少し割れ気味のブロウなサウンドで吹きったくるのだから圧巻としか言いようがない。
即興的なフレーズとバッハのオリジナルが高次元に結びついた名アレンジであり、名演奏であった(後日調べたところ、このアレンジは平野が結成したブルーオーロラ・サクソフォン・カルテットのために「BASQ Prelude」というタイトルで演奏されている楽曲であるという)。
石橋衣里
会場を興奮の坩堝に巻き込んだ平野は息があがってしまったため、アンコールはまず石橋のソロでカバレフスキー作曲のピアノ曲集『30の子供の小品,Op. 27』より「第20曲 小さなお話」が演奏された。その題名の通り、子どもでも弾けるシンプルな作品ではあるが、その繊細なハーモニーの移ろいは石橋ならではのもので、あっという間に終わってしまったのが大変惜しいほど、素晴らしいミニチュアの世界観が築かれた。
続いて平野が戻り、アンコールをもう1曲。沖縄民謡の「てぃんさぐぬ花」が最後に演奏されたのだが、アンコールピースらしくこれまた大変自由なアレンジとなっており、平野のこれまた繊細な口笛から曲がはじまるのだ。素朴さを保ちつつも、細かくニュアンスのつけられた口笛はまるで遠くから聴こえてくる鳥の鳴き声のようで、その背後では今度は石橋が左手をピアノのなかに入れて弦をミュートすることで、まるで沖縄の伝統楽器である三線(さんしん)のようなサウンドをグランドピアノから引き出してしまうのだから驚くほかない。
平野公崇
口笛からアルトサックスに楽器を替えた平野は今度、かすれるかかすれないかのギリギリの線をつくような聴いたこともないようなサウンドをサックスから引き出すのだ。少しずつサックスもピアノも輪郭や響きをはっきりとさせていくと、自然と胸が締め付けられていく。最後も和音が解決しないまま、消えいくように音楽は何処かへいってしまった……そして再び心地よい沈黙が訪れる。
沈黙の対極にあるような熱狂的な拍手が鳴り響くなか、40分強ほどの演奏があっという間に終わってしまった。規格外の演奏を聴かせてくださった平野と石橋の両名に終演後、話をうかがった。
――本日は心に染み入る音楽を有難う御座いました。まず最初におうかがいしたいのはアレンジ(編曲)についてです。今日、演奏された曲目はすべてサックスのために書かれたオリジナルの作品ではありませんが、すべてアレンジは平野さんご自身がなさったのでしょうか?
平野:そうですね、人にゆだねたことがないんです。ピアノ用の楽譜など、既存のものをそのまま吹いているというものもありますが、アレンジとなると自分でやりますね。
――そうしたアレンジ、例えば「主よ人の望みの喜びよ」のなかには即興風のフレーズが組み込まれていましたが、そこは実際に即興されているのですか? それとも既に音は決まっているのでしょうか?
平野:(あのアレンジをした)最初の頃は即興ではじまっているんですよ。即興を盛り込みたくてアレンジしているので。でも段々、何回も吹いていると同じようなフレーズになってきてしまって、そのフレーズではないものを吹こうとすると良くなくなるんですよ(笑)。だから、自分はこの音に行きたいという何通りか(のパターン)がやっているうちに出来てしまっているので、それを意図的に毎回変えようとはしていないことも多々あります。即興半分、いつもと同じ道を通ってしまうのが半分ぐらいかな。
――何回もステージを踏まれるなかで、一番自然な形に落ち着いていかれたということなのですね。そうした
平野:勘ですね(笑)。……とはいっても、勘というのは後々考えると理屈がくっついていたりするじゃないですか。多分、最初に理屈でいこうとすると、大体つまらないことになってしまう。だから初手としては勘でしょうね。「これなんか良さそうだ」という勘がして、やっていく間に「こうやれば上手くいくんだな」っていうのが見えてきた頃になって「○○だからだな」という風にやっと理屈が、後付けで見えるようなパターンが自分は好きですかね。
「主よ人の望みの喜びよ」なんて、そんな大したことはしていないんです。原曲に対して、頭と真ん中に知らないパーツが入っているだけでしょう。でも、精査すると実は原曲通りに聴こえている部分が、全然原曲と違ったりするんですよ。
――そうなんですか!? 全く気づきませんでした。
平野:いわゆる(フレーズの)終りの部分は、(バッハが楽譜に)書いたまんまだと上手くいかなかったんです、ほんのちょっとした調整なんですが。あれも結果的にああなってしまったんですよ。もっと全然違うアレンジが最初にあって、真ん中に大々的なアドリブセクションが入っちゃってたりとか、そこにファンク系の要素が入ってたりとか、色んなのをやったんです(笑)。色んなのをやったんだけど、「おかしい」「違う」「ああじゃない」とやっているうちに、段々元に戻っていって、あそこにちょうど落ち着いたんです。
インタビュー中の様子
――ありがとうございます。では、このように演奏ごとに確定していない部分があったり、あるいはヘンデルのアリアのときにように、極限まで繊細な表現が求められたりと、平野さんにあわせるピアニストは大変かなと思ったのですが、いかがでしょうか?
平野:大変ですか?(笑)。
石橋:説明できない部分で、説明の要らない音を吹いてくださるので、分かりやすいです。
――なるほど、細かくどうしたいこうしたいと説明されるのではなく平野さんが出されている音に自然に応えるという感じなのですね。
石橋:はい、そうですね。
――なお、これまでお二人の共演は?
石橋:今回が2回目です。
――2回目とはにわかに信じられないほど、アンサンブルとして完璧に息があっていたように感じました。
平野:そうですね。すごい昔……っていうと、歳がバレてしまうのであれなんですが、結構前から存じ上げてはいたのですが、ご縁がなくて。珍しいかな、何にも余計なことを考えないで演奏できる感じで。余計なことって、何でも面倒見てくれるとかそういう意味ではなくて、普通に前を向いて歩いていると、(石橋さんが)こっちを向いているんじゃないのに、真横にいるなっていう感じがある安心感があります。だからヒモは繋がっていないんだけど、二人三脚が上手にできているみたいな感じですね。それがそうじゃないとね、(リハーサルのときに)ここはこうしますから、あそこはああしますから……って説明しなきゃいけなくなってしまうじゃないですか。何にも引っかかることないので、するっとそのまんまいけるんです。それって大事ですよね。
石橋:はい、すごく大事だと思います。どっちが良い悪いではなくて、一緒にそういうことが出来る人と演奏ができることはすごく幸せです。
平野:自然でいて良い関係でいられるのは嬉しいな。
――今後も3回目、4回目とお二人の共演は続きそうですね。
平野:石橋さんが嫌だって言わない限りはあると思います。
石橋:是非、よろしくお願いいたします(笑)。
平野:どんな内容をやるかは分かんないですよ。やる内容は、そのときの自分たちの気分、そしてご時世とで、もしかするとふたりっきりでどこかでやっているかもしれないし、沢山のお客さんに聴いていただいているかもしれないね。
――今後のおふたりの共演が頻繁に聴けるようになることを期待しております。本日はどうも有難う御座いました!
石橋衣里、平野公崇
一流演奏家のパフォーマンスを間近で、しかも気軽に体感できる“サンデー・ブランチ・クラシック”は毎週日曜の午後13:00から開催されている。渋谷駅から徒歩6分という立地で、アクセスが良いのも魅力だ。是非あなたも一度訪れてみてはいかがだろうか。
取材・文=小室敬幸 撮影=荒川 潤
坂本真由美/ピアノ
13:00~13:30
MUSIC CHARGE: 500円
7月9日
ピーティ田代 櫻/チェロ
13:00~13:30
MUSIC CHARGE: 500円
7月16日
藤田真央/ピアノ
13:00~13:30
MUSIC CHARGE: 500円
■会場:eplus LIVING ROOM CAFE & DINING
東京都渋谷区道玄坂2-29-5 渋谷プライム5F
■お問い合わせ:03-6452-5424
■営業時間 11:30~24:00(LO 23:00)、日祝日 11:30~22:00(LO 21:00)
※祝前日は通常営業
■公式サイト:http://eplus.jp/sys/web/s/sbc/index.html