森山直太朗「絶対、大丈夫」に隠された想い、そして劇場公演『あの城』についても語る
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森山直太朗
今年、メジャーデビューから15年の節目を迎えた森山直太朗。昨年、久々のリリースとなったオリジナルアルバム『嗚呼』に続き、秋には15年間の歴史を紐解くオールタイムベストアルバム『大傑作撰』が発売され、改めて森山直太朗の紡ぐ歌の普遍性と唯一無二の音楽世界を堪能することができた。そしてデビュー15周年を記念する全国ツアー森山直太朗 15thアニバーサリーツアー『絶対、大丈夫』を大盛況で終え、9月14日(木)より5年ぶりの劇場公演『あの城』の開催も決定。音楽をはじめとするあらゆる表現において、飄々としていながらも本質をつきながら受け手を魅了するアウトプットを続けてきた15年間。そこを経た現在の森山直太朗に新曲「罪の味」、そして「絶対、大丈夫」について、また秋の劇場公演について語ってもらった。
――WOWOWで放映されたドラマ『絶対、大丈夫』とてもおもしろかったです。直太朗さんがご本人役を演じていましたが、もしかしたらツアー中のある日、実際にああいったことが起きているのではと思ってしまうぐらい画面の中の姿が自然で。
今回は本人役ということもあって、まったく違和感なくやらせて頂きました。ただ、ドラマのようにライブの前に会場を抜け出したりするような、ドタバタと人騒がせなことが毎回起こっているわけじゃないんですけど、あのドラマに描かれているような側面はどこかにあるんですよね。あのドラマはもともと、一緒に曲を書いて今回のツアーの構成演出もやっている御徒町凧が、ライブ開演前の物語を描いた群像劇をラジオドラマでやろうとしていたことがあって。その企画は結局実現しなかったんですが、今回WOWOWでライブ生中継の事前番組を作ることになり、このドラマのアイディアを伝えたら「じゃあやりましょう」ということでドラマ制作に至ったんです。でも、もともとテレビドラマを考えていたわけじゃなかったから、“やっていいの? ドラマ”って感じもあって (笑)。
ただ、彼が作るものは本質的なものだったりもするんですよね。作中ではあまりにもリアルすぎる部分と、完全なる妄想の両方があって、現場マネージャーもタカシという名前は同じなんですけど、ドラマみたいにイケメンじゃないし、いつもスーツを着ているわけじゃない。ただ「絶対、大丈夫」という言葉が、得も言われぬ力強さと無責任さと頼りなさを持っていて、この言葉をツアータイトルにしたら面白いなと思ったのと、そこから「絶対、大丈夫」という曲が生まれたり、曲から派生して今回のようにドラマになったり、「絶対、大丈夫」という言葉が日常で会話の端々に出てきたり、その言葉が独り歩きしていく様子をただ眺めて楽しんでいる感じもありますね。
――「絶対」も「大丈夫」も強い言葉で、無責任に使える言葉でもある一方、“絶対と言い切れるものが果たしてあるのか?”という声も自分の中にあります。
ですよね。ひとつ思うのは、「絶対」と「大丈夫」って、ある種ポジティブなエネルギーをもらえるような言葉なんだけど、それが2つそろうと若干不安になるような気がして。本当に「絶対、大丈夫」と思っている人ほど、それを口にはしないと思うんですね。逆に不安な人ほどそう言うことで鼓舞してくるというか。
――なるほど。
ただ、おもしろいもので、それも言い続けていると言霊じゃないけれど、大丈夫な状況になってくるんですよね。だからこの言葉は連呼してなんぼっていうか。ただ、言い続ける事で自分は大丈夫になってくるけど、ピンチな状況は何も変わらなくて (笑)、そういう言葉のおもしろさがあるなって。たとえば、山で遭難して山小屋で食べるものがないまま3日が過ぎた。でも「絶対、大丈夫」と言い続けてみると、遭難している状況は変わらないけど、一つの真理として「絶対、大丈夫」と言えている今は少なくとも大丈夫なんですよね。ただそれだけの言葉で実際は何の保証もない。
でも何の保証もないということは生きていくこととすごくリンクしていて、個人的な主観でも、プライベートな感覚でもこの言葉はモノを言うし、言ってしまえば世界とかもっと広いコミュニティでもこの言葉は効力があると思うんですね。僕も、さっき言われたみたいに「絶対なんてありえないし、大丈夫なんて言い切れない」というところからこの言葉をとらえているので、無碍に人の背中を押したいわけじゃないんですね。ただ想像力というのは、自分が思っているよりも自分の人生にとって良き方向に状況を整えてくれたりするかもしれないよっていうことですね。こうやって話しているとちょっと回りくどくなっちゃうんですけどね。
――今の話は、自分としては6月から配信されている新曲「罪の味」に通じるものを感じました。「ラーメンの残ったスープにご飯を入れて食べる」という歌が、どうしてこんなにも自分の人生にリンクするんだろうとあの曲を聴いて思ったんです。
あれは日清食品さんの「ぶっこみ飯」とのコラボレートで御徒町と書き下ろしたんですけど、作り手として思うのは、書き下ろしってどこかですごくテクニックを要するものだと思うんですね。たとえば何か、ドラマのように、別のストーリーがあって、ドラマの世界の色々な要素とイメージがリンクして曲がすごく良く聴こえる。そういう効果をもたらすものであればいい。でもこの曲ってAメロで「ラーメンの残り汁にぶっこんだ飯」って言っちゃってるので、もうそれしかないよなって(笑)。そういうおもしろさと、逆に入り口はそれであっても、ラーメンのスープにご飯を入れて食べることに通じる背徳感とか、罪悪感を感じるような事柄に素直になっていくことで自分の世界が広がっていく感覚。実際、罪の意識と隣り合わせたところに人間のある種の幸福感があったりしますよね。という普遍的なところに最終的には行き着いたおもしろい経験でした。普通に曲を作っていたらこうはならなかったでしょうし、背徳感と幸福感って、すべては合致しないけどどこかで相通ずる部分があるのかなと。
――そこに快楽という要素も通じるものがあるような気がしました。曲を聴いていて。
うん。そうだと思いますよ。
――「罪の味」も「絶対、大丈夫」も配信という形でのリリースですね。
そうですね。リリースする形にはもはやこだわっていないというか、「罪の味」はまた違うんですが、「絶対、大丈夫」はツアーを通して生まれて育ってきた曲なので、何かしらの形でフラッグを立てたかったんですね。それが、CDとかシングルとか配信とかアウトプットの仕方はあまり気にしていなくて。ただCDと比較すると、配信はフットワーク軽くリアルタイムで発表できるイメージもあったのでひとまずそこで挑戦してみようと。ライブに来てくれた皆さんにはまずこういうふうに曲が育ちこういう形で完成しましたという報告と、ライブに来れなかった人も、曲を聴いてもらうことでツアーの片鱗を感じてもらえたら。手前味噌ですがそういう目的もあって配信にしました。
――しかも、「絶対、大丈夫」はいわゆる普通の楽曲だけの配信ではなく、お守りという形で発売されました。
配信というやり方は誰もがやっていますからね。ただ、このお守りも相当無責任な行為というか、「絶対、大丈夫」という1曲がここにあるというだけで何の効能もないですしね(笑)。ただ、ドラマの中でもマネージャーのタカシ君が“本気で願えばなんとかなる”と言うセリフがあるんですけど、唱え続けたり思い続けることってその人がどれだけ本気であるかに比例するのかなと思うんですね。若い人でも年配の人でも、例えば人生のどこかで安定に入っていくと、本気を出すのがちょっとカッコ悪く感じたり、本気を出してダメだった時の現実の厳しさとか、自分のキャパシティを知るのが怖くて、あまり本気を出さないと思うんですよ。けど、本気を出せば案外叶うことって実は結構あると思うんですよね。ただ常にその本気を出せるほどみんなヒマじゃないし、それだけ時間をかけたり、自分に本気で向かい合うことって結構辛かったりしますよね(笑)。ある種、痛みも伴う行為だから。
――はい。今、お話を聞きながら実感しています(笑)。
そうですよね。でもある程度の悩みって本気を出せば解決することも多くて、ただその本気に至れないのが社会生活だしそこが難しいところなんだけど、少なくともこのお守りがあれば緩やかに願い続けることは可能なんじゃないかなと思って。まぁ後付けでもあるんですけど(笑)。ただ、「願い続けても全然ダメじゃん」みたいなクレームやご意見は一切受け付けませんけど、何か善いことがあったら僕らの手柄にもしたいので、このお守りを手にして何か善いことがあった時だけ教えてください(笑)。お守りがあっても善いことがないなぁという方はね、きっとまだ本気になってないんですよ。
――わかりました(笑)。そして、9月14日~10月1日にかけて5年ぶりの劇場公演『あの城』が開催されます。気が早いですが、今回はどういった内容になりそうですか?
今回はキャストも盤石の布陣で、ドラマ『絶対、大丈夫』で一緒だった町田マリーさんや黒田大輔君たちがサポートしてくれます。いつものコンサートツアーでも寸劇っぽい場面は若干あるんですが、今回の劇場公演はお芝居でも音楽ライブでもないもので、じゃあ何なんだと言われるとまだ記号化できていないんですが、今回は僕の舞台表現の1つとして行き着いた形なんですね。なので、観る人それぞれに名前を付けてもらいたいという感じで。御徒町ともよく話しているんですが、舞台って自分たちが作った曲が一番よく聴こえる手段なんですよね。純粋なコンサートも楽しいんですけど、自分たちがゼロから作ったものを伝える上で、一番手近で一番無理がなくて、矛盾がない。
そもそも第1回の劇場公演『森の人』(2005年上演)のはじまりは、僕がデビューして間もなく、いろんな人に曲を聴いてもらえる環境になってツアーもできるようになって、僕は僕でやりたいこと、御徒町は演出家としてやりたいことやアイディアがあって、それを話すと制作サイドの方やキャリアのある舞台監督の方達からは、「2人がやりたいと思っていることは、自分たちでハコ(=会場)を作って、1つの場所で作り込んでやった方がいい」と言われて。それが劇場公演の発端だったんですね。『森の人』では劇中で「生きとし生ける物へ」とか「愛し君へ」とかそれまでにリリースした曲を歌ったんですが、普段ラジオで流れたりドラマの主題歌で聴こえてくる曲の世界観や、そこから受ける解釈とはまた違った、その曲が本当に伝えたかったことみたいなものが、劇場公演という形がもっとも無理なく迷いなく、まじりっけなく伝えられたんじゃないかなと。それが舞台の特性だなと思ったんですね。今回の『あの城』もそういう舞台になるでしょうし、そういう音楽のプレーンな部分をみなさんに知ってもらいたいし、僕達も舞台で歌うことで発見がある。出演者はみんな、ただただ楽しくやっているのでその感覚も伝わればいいなと思いますね。
――公演が行われる本多劇場のある下北沢は、『ザ・スズナリ』等の小劇場がひしめく演劇の街ですね。
そう。下北沢は演劇のメッカで、そこで上演するのは大きな意義があって。そこでしか観ることができないということに価値を感じているので、関東以外の地方の方にとっては旅費もかかるし距離的には遠いんですが、ぜひ足を運んで頂いて、あの街のあの会場で見るということも含めたアトラクションとして楽しんでもらえたらいいなって。演劇の街だけあって、僕らの舞台だけじゃなくてマチネやソワレもいたるところでやっているので、オフブロードウェイみたいにその日に
取材・文=梶原有紀子
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