前川知大(作)×長塚圭史(演出)の初タッグに実力派キャストが集結~シアターコクーン・オンレパートリー2017『プレイヤー』開幕
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左から 藤原竜也、シルビア・グラブ、長井短、成海璃子、真飛聖、仲村トオル、木場勝己 【撮影:細野晋司】
2017年8月4日(金)から27日(日)まで東京・Bunkamuraシアターコクーンにて、8月31日(木)から9月5日(火)まで大阪・森ノ宮ピロティホールにて、9月9日(土)から10日(日)まで静岡・静岡市民文化会館・中ホールにて、『プレイヤー』が上演される。8月4日、初日を迎えるにあたり、舞台写真とコメント(作:前川知大、演出:長塚圭史、出演者代表:藤原竜也、仲村トオル、成海璃子、木場勝己、真飛聖)が届いたので紹介する。
手前 藤原竜也 奥 大鶴佐助 【撮影:細野晋司】
劇作家・演出家として活躍する二つの才能、前川知大と長塚圭史の初タッグが実現!
前川知大が全作品の作・演出を手掛ける劇団イキウメで、2006年に戯曲『PLAYER』が上演された。死者の言葉が、生きている人間の身体を通し、死後の世界から語りかけ、再生されるというサイコホラー作品。前川は、その『PLAYER』を劇中に組み込み、戯曲を稽古する俳優やスタッフの姿を描く新作『プレイヤー』を今回、書き上げた。そして、その演出を手掛けたのが、シアターコクーンの空間に壮大な世界を創り上げてきた長塚圭史。ともに劇作家・演出家として活躍し、独自の世界を築いてきた同世代の二人が出会い、どんな化学反応を見せるのか。
左から 木場勝己、大鶴佐助、藤原竜也、仲村トオル、成海璃子、長井短 【撮影:細野晋司】
戯曲『PLAYER』 × 劇作家の言葉を再生“Play” × 演じる俳優“Player”
『プレイヤー』は、<死者が生者の再生装置となっていく戯曲『PLAYER』>と、<俳優たちが劇作家の言葉を再生する“Play”>、そして<俳優たちが俳優役を演じる“Player”>という、“演じること”が幾重にも重なる入れ子構造となっている。劇中劇と稽古場を行き来する中で、戯曲『PLAYER』の持つ不穏な世界が、演じる俳優たちを侵食し、生と死、現実と虚構の境界線が次第に曖昧になっていきます。“Player”として狂気を帯びてゆく登場人物は、藤原竜也、仲村トオル、成海璃子、木場勝己、真飛聖ら、実力派揃いの魅力的なキャストが顔を揃え、シアターコクーンにスリリングな世界を表現する。
左から 仲村トオル、藤原竜也 【撮影:細野晋司】
あらすじ
ある公共劇場のリハーサル室。演劇の稽古が行われている。演目は『PLAYER』。幽霊の物語だ。死者の言葉が生きた人間の体で再生されるという、死が生を侵食してくる物語。
<行方不明の女性、天野真(あまのまこと)が遺体で見つかった。死後も意識として存在することに成功した彼女は、記憶をアクセスポイントとして友人達の口を借りて発言するようになっていく。事件を追っていた刑事・桜井(藤原竜也)を前に、天野を死に導いた環境保護団体代表・時枝(仲村トオル)は、臆面もなく死者との共存が、この物質文明を打開するだろうと語る。カルトとしか思えない時枝の主張に、桜井は次第に飲み込まれていく。>
物語は、劇中劇『PLAYER』と稽古場という二つの人間関係を行き来しつつ進行し、次第にその境界が曖昧になってゆく。
彼らはなにを「再生」しているのか。
左から 木場勝己、本折最強さとし、安井順平、成海璃子、仲村トオル 真飛聖、大鶴佐助、シルビア・グラブ、村川絵梨、長井短、藤原竜也、高橋努 【撮影:細野晋司】
代表者コメント
<作・前川知大>
長塚さんとの共同作業はとても刺激的で充実した時間でした。俳優も魅力的な人が集まり、作家として稽古場に同席するのは、得がたい経験でした。この作品の大きな要素に、瞑想をはじめとするスピリチュアルな事柄があります。そういったものに抵抗感がある人もいるでしょう。実際登場人物も抵抗し、飲み込まれ、変わっていきます。人は変化を恐れながらも変化を求め、私たちはこのバランスの中で生きています。本来、変化とは楽しいもので、心に残る映画や演劇、芸術は、その人の何かを変えてしまう。劇中の(仲村トオルさん演じる)時枝のように、世界を変えようというのは極端ですが、お客様には、フィクションが描き出す【現実を揺さぶる力】のようなものを想像し、感じて、楽しんでいただければ幸いです。
<演出・長塚圭史>
前川知大氏は今をときめく人気劇作家、同業者でしかも同世代。つまり本来であれば互いの作品の気に入らないところを引っ張り出して論戦、と行儀良くゆけばまだいいのですが、取っ組み合ったまま土手から転げ落ちて当然の間柄。しかし前川さんと私は、深夜の居酒屋で掴み合わず、朝の喫茶店で穏やかに話し合い、前川氏が10年前に書いたという『PLAYER』なる奇作を机上に持ち込んで以来、長い長いお喋りを続けてきました。そしてこの長いお喋りは、とうとう前川知大の血肉となって戯曲に表出したのです。私の役割は作品と劇場を繋ぐこと。そういう心づもりのお喋りであったように思いましたが、打てば響く前川氏の柔軟性には何度も感心させられましたし、私にとってはこの目の前の台本から広がるものがすべて、これを全うすることが私の役割であると思い、この日を迎えました。
<桜井道彦役・藤原竜也>
今回は、稽古場で非常に贅沢な経験をさせていただきました。たとえば蜷川さんの稽古が<短期間で人生を駆け抜ける作業>だとしたら、今作の稽古は多くの時間を費やして、皆でじっくりとキャラクターの裏付けを考え、探っていく作業でした。圭史さんの稽古は新鮮であり、演劇の基本姿勢だとも感じます。また、難解な前川戯曲がそうさせているのかもしれません。そのホンで、皆で勝負しようと、圭史さんは僕らの前で迷いをいっさい見せることなく、最善の方向に向かって稽古を進めていってくれたように思います。僕自身は、圭史さんに自由に泳がされるようにして、楽しく稽古を重ねて来れました。面白いメンバーが集まっているので、それぞれのキャラクターに注目していただきたいと思います。
<時枝悟役・仲村トオル>
前川君の戯曲については、非日常、非現実風の “前川流SFラッピング”が施されてはいるけれど、その中身は意外とシンプルでトラディショナルなものなんじゃないかと感じています。「誰かに体を奪われて、自分ではない言葉を吐く」というのは、僕ら俳優が仕事でやっていることでもあるし、たとえば竜也君から蜷川さんの稽古場の話を聞くことで、自分はまったく経験のない蜷川さんの稽古場をチラッと覗き見した気分になるのも、同じようなことだなと。それは役者と演出家の関係だけでなく、一般社会の人間関係のいたるところで起こりうる感覚ではないでしょうか。圭史君の、緻密に計算しながらそれを見せない、“足跡を残さない演出”は面白いです。複雑な構造の作品ですが、観客の皆さんに、「何かはっきりとはわからないけど、とてもすごいものを見た」と思ってもらえたら嬉しいですね。
<神崎恵役・成海璃子>
実は今回の座組、藤原さん以外の皆さんとは全員「初めまして」なんです。異なるジャンルの方がそろっているので、稽古を見ているだけで面白い。特にトオルさんの不気味な演技はまったく想像できなかったので、瞑想の指導者・時枝が出て来ると「ステキだな~」と思わず眺めてしまいます(笑)。せっかくこういったお芝居に参加するので、楽日までに一度は、すうっと瞑想に入っていく体験をしてみたいです!
<大河原和夫役・木場勝己>
瞑想シーンなどの稽古をしている中で、ふと僕自身も中学生の時に、ちょっとスピリチュアル系の体験をしていたことを思い出したんです。それまでまったく忘れていたのに…。だからこのお話に呼ばれたのかな?ちょっと怖いけど(笑)。また稽古中、あるせりふを言った瞬間にヒヤ~っとしたことがあったんですよ。今しゃべったのは役の大河原和夫という俳優でもないし、僕自身でもない。別の誰かに言わされているような気がして……。憑依・虫の知らせ、夏に似合いそうな言葉が飛び交います。物語はスピリチュアルな世界ですが、その中でどれだけ「ドラマ」を生み出せるか。お客さんも一緒にヒヤ〜を体感してみませんか。
<東智子役・真飛聖>
この芝居では、俳優が役に身体を浸食されるような、ちょっと恐いことが描かれています。でも実は、その感覚はどこか、分かるんです。本当にたまにですけれど「降りてくる」感じで、自分では考えもしなかった動きが自然にできることがありますから。そういった体験があると、役に認めてもらったような気がして、やはり嬉しいです。『プレイヤー』は一見、構造をヒモ解いていくのが難しい戯曲です。お客様にスッと理解していただくためにも、私たちの中できちんとクリアに理解して、リアルなものとしてお届けしないといけません。難しいからこそ、ハードルが高いことに取り組める幸せを、日々、感じています。