KEYTALKの素顔に迫る・第2回「小野武正編」
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小野武正(KEYTALK)
KEYTALKのリーダーにしてリードギタリスト・小野武正。率先して冗談を言ったり変顔を披露して場を盛り上げてくれる一面と、クレバーに自身のこと、バンドのことを見つめる一面、そしてKEYTALKを現在の位置まで引っ張る原動力としての一面と、様々な顔を見せてくれる小野。彼のパーソナリティを多角的に紐解くため、音楽と出会った頃から現在までを振り返ってもらい、さらには「プレイヤーとしての自分とは」「自分にとってのKEYTALKとは」まで訊いた。
「根本的に目立ちたがりだから、歌を立てるための伴奏は嫌だと思ってた」
――ここはメンバーそれぞれの個人ヒストリーといいますか、ミュージシャンを志してから武道館に至るまでの出来事を振り返ってもらう企画になってます。
「じゃあ簡単に言うと……中学2年生の時にクラシック・ギターを習い出したんですよ。なぜということでもなく、“ギターをやってみたいな”というところから始まって、中3でGLAYやMONGOL800が好きになって、歪んだギターやパワーコードが弾きたくてエレキ・ギターを手に取って。その後はメロコアやメタルを経由して、高校2年ぐらいの時にthe band apartと出会って、ファンク、ソウル、ジャズやソウルが好きになっていき、そのあたりで“音楽で生活できたらいいな”と思うようになったんですね。それで音楽大学に行くことを決めて、昭和音楽大学というところに入って、作曲の理論だったり、パソコンを使ってDTMを習ったりしてました。ギターもずっと習っていて、いろんな方に教えてもらってたんですけど、最後に教えてもらっていた先生が、小田和正さんの後ろでも弾いている稲葉(政裕)さんという方で。それまでの先生はいわゆる教えるプロで、理論的なことを教えてくれたんですけど、稲葉さんは現場主義の方だったので、教え方はいい意味でラフなんですよ。“そこはノリで”とか“だいたいこんな感じで”とか。ずっと最前線でやっている方の意見はすごく参考になりましたね」
――うん。なるほど。
「バンドでなんとかやっていきたいという気持ちがあったので、大学1~2年の間に頑張って単位をほとんど取ってしまって、3~4年ではバンド活動ばかりやってました。それで大学2年の時にレコード会社や事務所100社ぐらいにデモテープを送って、何社か声をかけてくれた中の一つがKOGA RECORDSで、大学4年の時にそこから初めてのCDをリリースしました。最初は全然お客さんも入らないしCDも売れなかったんですけど、社長の古閑さんが長い目で見てくれて、“おまえら、絶対行けるよ”と言ってくれて。何度もツアーを重ねてリリースもして、やっと下北沢SHELTER、代官山UNIT、渋谷クアトロでワンマンができるようになった頃に、ビクターの方からお話をいただいてメジャーデビューが決まって。そのあたりからですね、武道館が現実味を帯びたのは。さすがに下北沢SHELTERでワンマンをやっている頃は、武道館は夢のまた夢で、現実的には考えられなかったのが、着実に一歩ずつ進んで行く中で、メジャーでやっていくのであれば武道館は最初の大きな目標だなということが現実味を帯びてきて、約2年たって現実になりました。ということですかね、僕の14歳から27歳までのヒストリーは」
――すごい。ちょうど5分で語りきってくれました(笑)。ギタリストとしてのプレースタイルで言うと、最初はジャズ・ギターでしたっけ?
「そうです。最初の先生がジャズ・ミュージシャンの方で。なんでジャズ・ギターを選んだかというと“ずっとソロを弾いていられるから”という言葉に感銘を受けて(笑)。今でこそあまり思わないですけど、ギターを始めた当初は単純な伴奏が嫌いで、そういう中でその先生に出会ったのは良かったなと思います」
――なぜ伴奏が嫌いだったんですか。
「根本的に目立ちたがりということがあって、歌を立てるための伴奏は嫌だと思ったんじゃないですかね。“俺も見てくれ”と思ってたんだと思います。結果的にそれを貫いて、一つのキャラクターになったので、功を奏したんだと思います。若い時は特に人と同じことはしたくないと言う気持ちが強かったんで、それが今みたいなプレーに繋がったのかなと思いますね」
――同じようなタイプで影響を受けたギタリストはいます?
「あんまりいないんですよ。なんでみんなバッキングに徹するんだろう?と思ってたから。成長するにつれてバッキングの良さがわかっていって、最近は昔の自分と比べるとトゲがなくなったなと思うんですけど(笑)。初心は忘れてないですけど、いっぱい音楽を聴いたり、いろんなライブを見たり、いろんなところでプレーしていくと、普通に弾くことの良さもわかってくるんですよね。そっちのほうがいいとか、そっちのほうが受けるんだとか、そういうものを目の当たりにしていくと、いい意味でも悪い意味でも大人になっちゃったなって感じるところもあったりして。……と言いつつ昔からの自分もいるので、それはいつでも思い返せるし、突き詰めて行きたい部分はずっとあると思うんですけど」
――バッキングさえも、リードのように弾けるギタリストというか。
「布袋(寅泰)さんや、JUDY AND MARYのTAKUYAさんが好きだったりもするんで。最近そういうタイプのギタリストが少ないので……でももしかしたら、また増えてきてるのかもしれない。ゲスの極み乙女とか、KANA-BOONとか、歌の後ろでもかなり弾いてたりするので、僕と同じようなポイントで考えてるのかな?と思ったりします。ゲスの(川谷)絵音くんやKANA-BOONの古賀(隼斗)くんとしゃべると、それぞれ鋭い視点で音楽をとらえているから、すごく刺激になります。今までそういうスタイルが少なかったから、カウンターで流行ってきてるのかなと」
「周りにすごく才能ある人間が溢れていたと言うのが、僕の才能」
――ちなみに、小野くんの中に洋楽志向はありますか。
「基本的に日本的なコード進行や日本的なメロディが好きで、その上で洋楽を聴いてたので、これがカッコよくて好きなんだよね、という洋楽はあんまりないんですよ。聴いていく上でカッコよさはもちろんわかるんですけど、自分の魂が震えるようなことにはならないというか、“確かにカッコいいよな”ぐらいになっちゃう。と言いつつ、洋楽を聴かないのはプロとしてどうかなと思うし……いや、そんなことも考えてないか(笑)。いろいろ音楽を聴くのは好きだし、いろんな人と話す上で、知っておくと話が引き出せるということもあって。ヒップホップも好きだし、ニルヴァーナとか、メタルとか、70年代のハードロック、さかのぼるとビートルズだとか、“これが一番好きなんだよね”という人、いるじゃないですか? そういう人と話すと、その熱意と共に僕も好きになっていくということがあるので、聴いて、人と話して、音楽の造詣を深くすることは意識してます。でも根本的に何が一番好きかな?と考えると、やっぱり日本的なところにたどり着きますね」
――その「日本的なもの」って、理論化できることなんですか。音階とか、コードとか。
「たぶん理論化はできてます。具体的にコード進行がこれで、メロディに使われてるスケールがこれで、とか。それが好きなので、KEYTALKの曲もだいたいそうなってます。J-POPの音楽もだいたいそうなっていて、同じような作りではあるけれど、それをどうアレンジするかでセンスが問われるんじゃないですかね」
――小野くんは、KEYTALK以外の場所でも積極的にプレーしてますよね。たぶんメンバーの中で一番外に出ることが多いと思うんですけど。それは意識して?
「そうですね。元々バンドを何個もやっていたこともあって、今も掛け持ちしてるんですけど。それも大学時代の時に組んだバンドがほとんどで、周りにすごく才能ある人間が溢れていたと言うのが大きいですね。僕がというよりは。変な話、それが僕の才能でもあったんですね。周りに才能がある人間が多かったという環境の中にいたことが。そういう境遇に生まれたことはすごく光栄なことだなと思ってます。そこからどんどん影響を受けて……というのはあります」
――では、小野くんにとってKEYTALKとは?
「いちバンド……ですかね」
――一番素になれる場所か、一番挑戦できる場所か、ということで言うと?
「そういうものは、いい意味でも悪い意味でも特にないんですよ。ただ現状の話で言えば、僕が関わっている中で一番売れてるバンドですね(笑)。もちろん悪い意味ではなく」
――将来、どんなミュージシャンになっていたいですか。
「こうなりたいからここに向かっているというのは一個もなくて、ひたすら一日一日が過ぎていくという感じ。それはただ無駄に過ぎて行くということではなくて、日々いろんな人に会ったりいろんなものを見たりして、影響を受けているので、たとえば一つの方向を決めてしまうと、影響を受けられなくなっちゃうかなと。そもそも“この人が一番好き”“こうなりたい”というものがないので、ふわふわしていると言えば、ふわふわしてるんですけど。それでいいのかなと思ってます」
インタビュー=宮本英夫 撮影=風間大洋
6th SINGLE「スターリングスター」
フジテレビ系アニメ「ドラゴンボール超(スーパー)」エンディング・テーマ(10月4日〜)
2.鏡花水月
3. summer end
グッズ付き(「KEYTALKオリジナルネックストラップ付きパスケース」)
10,000枚完全限定生産盤(CD+GOODS) VIZL-887 ¥2,200+税
通常盤(CD) VICL-37103 ¥1,200+税