劇作家・演出家の岩松了に聞く──彩の国さいたま芸術劇場、さいたまゴールド・シアター公演「薄い桃色のかたまり』
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さいたまゴールド・シアター公演『薄い桃色のかたまり』の演出をする岩松了( 撮影/宮川舞子)
さいたまゴールド・シアターの俳優たちが、初めて蜷川幸雄以外の演出家と芝居を作る。演出家は、さいたまゴールド・シアターに、これまで『船上のピクニック』『ルート99』を書き下ろした岩松了。今回は「福島」をテーマに、新作『薄い桃色のかたまり』を書き下ろした。東日本大震災から6年、帰宅困難区域だったが、ようやく避難指示が解除されたところが舞台。作・演出を手がける岩松了に話を聞いた。
蜷川幸雄に「出会う」場所
──劇作家として岩松了さんがさいたまゴールド・シアターに書き下ろすのは、2007年の『船上のピクニック』、2011年の『ルート99』につづいて3回目になります。今回は福島を舞台にされたことについて、聞かせていただけますか。
『船上のピクニック』は、高齢者の再雇用の問題や難民の問題、『ルート99』は基地の移転の問題があった。ぼくは蜷川さんとご一緒する仕事に関しては、社会的な問題を題材にしようと思ってるんですが、題材について話しあった当時は、どう考えても福島がいちばん大きな問題だったから、すぐに福島で決まったんです。
なんで社会的な問題を題材にするかと言うと、これはぼくの印象ですが、蜷川さんは人が立つ場所に対して、強い意識を持っていると思うんですね。それとは対照的に、ぼくは、たとえば、家庭内の愛憎を描くことで、人間関係が緊張感を増していく感じなんだけど、場自体に対しては、そんなに緊張感がなかったりする。蜷川さんの舞台を見るにつけ思ったのは、人が立たされている場所に対して、曖昧な意識を持たない。
蜷川さんは、割と確実な場所に、そこに立っている人を描いてこられた印象があって、そのふたつを擦りあわせるときに、社会的な題材が楔(くさび)になってくれるんじゃないかなと。そういうふうに、ぼくは蜷川さんと出会うんだろうと思った。
たとえば、なんでもない中産階級の家庭劇を蜷川さんに書く気はしないし、ぼく自身が蜷川さんが立っている場所へ出かけていく。蜷川さんにしてみれば、ぼくのドラマツルギーみたいなところに歩み寄ってくる。社会的な題材を介することによって、おたがいが出会える場所だと感じることは、ぼくにとってはごく自然なことなんです。だから、福島という題材を介して蜷川さんと出会うみたいな印象を、ぼくは持っています。
さいたまゴールド・シアター 撮影/宮川舞子
解決策が見えない社会問題
──『船上のピクニック』は高齢者のリストラと難民、それから、『ルート99』は異国の軍事基地がある島で、その移転をめぐる話ですから、どちらも解決策が見えない問題です。新作『薄い桃色のかたまり』では、震災後の復興……これもあまり進んでいませんが、あまりに問題が大きすぎてどうしたらいいのかわからないテーマを描いている。ですから、たんなる社会問題ではなく、答が出ないかもしれない問題に挑んでいる感じがします。
そうですね。それは、すごい大見得切った言いかたをすると、自己だから……「自分」だからですよ。「自分」を決めることができる人間がいるのかという問題に等しいような気がするんですね。
だから、たとえば、福島を描いているのに、なぜ「福島」という言葉を使っていないのかという問題はありますよね。「東京」は使ってるけど「福島」は使っていない。5月にM&O Playsプロデュースで上演した『少女ミウ』のときもそうですけど、ここがどこか定かではない。しかも、解決がつかない。これはほとんど自己の形象ですよ。だから、解決のつかないものであり、問題をいっぱい抱えていて、他人からはこう見られているくらいまでは判断できるけど、自分のなかで「自分」を決めていくことはできないものは何かと言えば、他者ではなく自己である、「自分」であると考えていくと、福島という場所へと向かっていく。それこそ蜷川さんの話で場所と言いましたが、結局、人間の社会というのは、自分だけが抽象で、あとは具体なわけですよね。みんな具体的なのに、自分だけは抽象なんですよ、人っていうのは。つまり、その様子を演劇に置き換えるという考えかたがあるような気がしているんですね。
だから、変な話、題材を何にしようと「自分」だという考えかたもあるから、結局、たどりつくもの……福島を介してたどりつくものは、もしかしたら自己と他者のつながりという問題に普遍されるのではないかみたいなことはあると思うんですね。
──自分だから常に抱えつづけるしかない。そこから逃れられないし、別の視点から、第三者的に見ることもできない。
だから、ぼくは福島を描くことはできないけど、「自分」は描くことができるかもしれないという思いです。
岩松了著『薄い桃色のかたまり/少女ミウ』(白水社)の書影
東日本大震災と桜の記憶
──『薄い桃色のかたまり』にほの見える桜のイメージが、とても印象的でした。原発事故のとき、津波が起こり、大地が汚染されても、桜だけはきれいに開花していた。その年、福島県三春町では「三春実生プロジェクト」を開始しましたが、これは桜は実生から育てると千年後も生きつづけることから、千年単位で放射能汚染について調べていこうという試みです。そして、東日本大震災は、千年に一度の規模で起きている地震らしい。『薄い桃色のかたまり』のなかには「桜は春ごとに思い出して花を咲かせる」という台詞がありましたが、それに比べて、ぼくらは事故が起きたことや、復興が思うように進んでいない事実をだんだん思い出さなくなっている。桜と自分がとても対照的だと思いました。
福島県富岡町「夜(よ)の森」地区には有名な桜並木があって、桜のトンネルみたいになっていて、それは前述した『少女ミウ』でも書いたんですが、桜が満開になると、どうしても人に見られてこその桜というような見えかたになるわけです。満開の桜がこんなにきれいに咲いてるんだから、人が見なきゃおかしいぐらいの状況になっているのに、だれも見る人がいない。
見られるために咲く桜が、だれにも見られないという現実がいまの福島だと考えると、復興というのは、桜の下でちゃんと愛でる人がいるという状況が、正常なかたちなんだろうと思ったし、桜が忘れないで必ず春に咲くことは、言ってみれば、思い出さなきゃ駄目だよと1年区切りで言ってるようなものにも見えるし、聞こえる。
さいたまゴールド・シアター公演『薄い桃色のかたまり』(岩松了作・演出)のチラシ
夢のなかまで芝居が追いかけてくる
昨日もだれかに言ったんですけど、『薄い桃色のかたまり』の稽古に入ってから、とにかく芝居の夢を見ることが多くて。
──それは家で眠っているときですか。
そう。家で寝ていて、あれ、また夢見ちゃったみたいな感じで。芝居の夢を見ることが多いので、よっぽど毒されているのかなと思って(笑)。
──夢のなかまで芝居が現れる。
夢のなかまで。ただ、ゴールド・シアターというはっきりしたものじゃないんですよ。なんか知らないけど、演劇の夢を見るんです。
──これが本当の「夢中」かも。だったら、初日が開けて、しばらくしたら、ふっと消えるかもしれない。
そうであってほしいですけどね。
──まだまだ稽古は続くと思いますが、体調に気をつけて、がんばってください。
取材・文/野中広樹
■日時:2017年9月21日(木)〜10月1日(日)
■会場:彩の国さいたま芸術劇場 インサイド・シアター(大ホール内)
■作・演出:岩松了
■出演:石井菖子、石川佳代、宇畑稔、大串三和子、小川喬也、小渕光世、葛西弘、神尾冨美子、上村正子、北澤雅章、小林允子、佐藤禮子、重本惠津子、田内一子、髙田清治郎、髙橋清、滝澤多江、たくしまけい、竹居正武、谷川美枝、田村律子、ちの弘子、都村敏子、寺村耀子、遠山陽一、徳納敬子、中野富吉、中村絹江、西尾嘉十、林田惠子、百元夏繪、益田ひろ子、美坂公子、宮田道代、森下竜一、吉久智恵子、渡邉杏奴ほか
■公式サイト:http://www.saf.or.jp/arthall/stages/detail/4011