劇作家・堤春恵に聞く──1907年明治座「ベニスの商人」上演で発生した暴動事件を描く、名取事務所『奈落のシャイロック』
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名取事務所公演『奈落のシャイロック』チラシ。
1907年(明治40年)、明治座では、歌舞伎俳優による初めてのシェイクスピアの翻訳劇『ヴェニスの商人』が上演されようとしていた。ところが、二代目市川左団次のシャイロック、松居松葉演出による舞台は、これまでの慣わしを否定された劇場関係者の反発により、観客を巻き込んだ暴動へと発展する。そのとき役者や演出家が緊急避難先として選んだのは、劇場の奈落だった。奈落ではいったいどんな話し合いがされたのか。名取事務所公演『奈落のシャイロック』において、その謎にせまる劇作家の堤春恵に、創作についての話を聞いた。
劇場を舞台にすることが多い理由
──堤春恵さんが最初に発表された戯曲『鹿鳴館異聞』は、1990年3月、木山事務所で上演されました。東京では俳優座劇場で末木利文演出と記憶しています。『鹿鳴館異聞』は花道の仕掛けがとても重要なんですが、初演時には、舞台機構の制約もあったのか、反映されませんでした。
あれは省略されてちょっと残念でした。
──花道の場面が、肝心な場面のひとつなのにと思ったんですが、そのように劇場の構造を演劇的に利用されています。今回も題名にあるように、奈落という劇場空間が重要な役割を果たすことになる。
そうですね。劇場機構ですね。
──しかも、それはメインの舞台ではない場所に照明を当てられている印象を受けます。なんらかのこだわりがあるんでしょうか。
こだわりっていうんでしょうか。やはり歌舞伎が好きなので。『鹿鳴館異聞』のときはまだそれほどではなかったんですが、その後、『仮名手本ハムレット』で新富座を取りあげました。当時の新富座はハイカラな洋風劇場なんて言われていますが、四国の金比羅歌舞伎の金丸座をちょっと大規模にした程度の劇場です。新富座を取りあげたことがきっかけで、日本にある古い芝居小屋を見て歩くようになりました。
そうすると、やっぱり舞台機構に関心が向かって……いまの歌舞伎座の奈落は、たぶん素人は入れないし、見学できたとしても、機構はみんな電気になっていて有機的なものは見えてこないと思うんですが、古い芝居小屋だと、生(なま)に、人間が動かすようにできている。そういう面白さですね。
花道にしても、いまの歌舞伎座よりも、もっとプリミティブ。原始的なだけに人間的な感じがして。だから、やっぱりお芝居を扱った劇を書いているうちに、余計そちらに興味が移っていったような気がします。
──面白いですね。花道は、小沢昭一さんがおっしゃるには、あそこでおひねりをもらったからだと……。
なるほど(笑)。花の道ですね。
──芸妓さんへの謝礼の「お花代」と同じ。だから、花道なんですよと教えていただいたことがあります。だから、本当に芝居だけじゃない、いろんなやりとりが、直接、役者とお客さんとのあいだにあったんでしょうね。
言葉だけじゃないコミュニケーションの場という。でも、奈落は、そういったコミュニケーションから断たれたというか……。
──奈落は客席からは見えない場所ですね。
ちょっと孤独な場という、そういう面白さ……。
──ときどきは事故の現場にもなることがある。そういう危険な場所でもあるんですが、劇には欠かせない舞台機構のひとつです。
だから、花道が舞台機構の表の華だとしたら、裏みたいな……。
──縁の下の力持ちじゃないけど、見えないけど、舞台を下で支えている大事な空間みたいな……。
それから、影の場ですね、そういう気はします。
奈落という地下空間
──『奈落のシャイロック』からは離れるんですけど、イギリスのナショナル・シアターで「バックステージ・ツアー」という劇場内部を見学できるイベントに参加したんですが、そのとき、最初にいちばん大きなオリヴィエ劇場へ連れられて……。
あのすり鉢みたいになってる劇場。
──はい。そこで説明してもらったんですが、オリヴィエ劇場の奈落は、4階建てになんだそうです。
奈落が4階建て!
──常に3演目をレパートリーシステムのように上演するので、演目毎に奈落を動かして対応するらしい。すさまじく大規模な機構なんだと思いましたが、それとはまたちがって『奈落のシャイロック』に出てくる奈落は、ひとつの劇場にひとつだけあり、しかも、人の力で動かされている場所であると。
今回も装置の石井みつる先生のアイデアで、いろんな芝居の道具などが奈落に置いてあるという設定になっています。
──昔ながらのもの……?
昔ながらというより、奈落で使われそうな縄とか、バケツとか……。
──実際の奈落は、舞台と比べてどのくらいの大きさなんですか?
明治座はまったくわからないんです。わたしがこの芝居を書こうと思ってから見に行った熊本県山鹿市にある八千代座……玉三郎さんがよく踊りの公演をなさる……は、まわり舞台よりちょっと大きいぐらいに掘り抜いてありました。おそらく古い奈落ほど小さいんじゃないかなと思います。やっぱり、掘るのは大変だから。新しい劇場ほど大きく掘る方法がありますよね。明治座の方が奈落はもうちょっと大きかったんじゃないかという設定のもとに書きました。といっても、このお芝居の奈落は、実際には下北沢小劇場B1の舞台ですから、劇場の舞台より大きくはできないし……。
──B1というのが、なんか奈落っぽくていいですね。
奈落っぽいんですよ、割と黒っぽい感じで。
──とくにあの劇場は、昔、渋谷の山手教会の地下にあったジァン・ジァンのような気がします。客席もL字型になってますし……。
大通りから下へ入っていくし……。
──だから、客電が落ちると、ジァン・ジァンと小劇場B1という劇場同士がつながっているみたいな感覚がある。同様に、劇場の奈落ですと、これまでその舞台で上演された芝居も、地層のようにずっと記憶しているみたいな……。
溜まっているところみたいな感じで……。
──奈落はそんな感じもしますよね。
うまく、そういう感じが出ればいいと思っています。
事実の空白部分を想像力で埋めていく
──取りあげられる時代ですが、『鹿鳴館異聞』のときも、明治のはじめ、近代の黎明期において、日本的なものと西洋的なものが衝突したり、融合する過程を描かれていました。異質な文化の受容をテーマのひとつとして扱われることが多いですね。
『鹿鳴館異聞』を書いた頃、わたしはアメリカにおりましたので、異質な文化の衝突、融合が、いつも自分が向きあわなくてはならない問題でした。
それから、わたしは明治の新富座の歌舞伎、なかでも散切りとか、西洋化の試みが研究テーマなので、その両方の理由から、明治時代に、主に劇場を中心に日本と西洋がどうぶつかったのかが、ある意味、自分にとって書きやすいテーマだったような気がします。
──そこではアメリカにおける文化や生活のうえでのいろんな出会いかたと、明治期の日本と西洋の演劇文化の出会いかたとが、ご自身のなかで二重写しになっていく……。
やっぱり、ぶつかりあいですね。明治時代でも、現代でも、異なった文化はそう簡単には融合しない。それを無理に融合させようとするところにドラマが生まれると思います。
──学者としても、日本の歌舞伎のような伝統芸能と、それから西洋から入ってくる新しい演劇の受容について研究なさっていらっしゃる。その研究論文の、具体的で壮大な試みのひとつとして、わたしは『鹿鳴館異聞』と『仮名手本ハムレット』を受け取っていました。等身大の舞台上で起きるいろんな摩擦や衝突、そこから生まれる理解や感動を体験していたような気がします。
ありがとうございます。でも、わたしはそれほど学問的な人間じゃなくて、自分が論文で書いたことを舞台で体験したかったと言うより、たとえば『奈落のシャイロック』に登場する旭梅(きょくばい)は、名前とか人生はざっとわかっていますが、『ヴェニスの商人』のポーシャの役については、あまり記録に残ってないんですね。残ってないから逆に資料の穴になっていて、お芝居にしやすいんですね。
論文の場合には、わからない部分は空白にするしかない。でも、お芝居の場合は、その空白を自分の想像力で埋めていける。それが面白い。ただ、この『奈落のシャイロック』でも、だいぶフィクションは入っています。二代目市川左団次の革新興行では、本当は『ヴェニスの商人』を全部演じたわけではなくて、いまの歌舞伎座と同じように、いくつかの見取上演になっています。また実際には、大騒ぎにはなったんですけど、奈落に追いこまれるほどの危機的状況には至らなかった。だから、この作品は史実の空いてるところを使っただけじゃなくて、少し変えてあるんです。
──あと、面白いと思ったのが、九代目市川團十郎の次女・旭梅(きょくばい)、本名扶伎子。彼女は歌舞伎の家に生まれた女性ですが、言葉がずっと男の子言葉になっていて……。
本当のことはわからないんですが、團十郎の家では実際に、娘の実子(さねこ)と扶伎子を「坊や」と呼んでいた。「扶伎坊」とか。扶伎子の娘が、新派で水谷八重子さんと同じ時代に活躍された市川翠扇さん(三代目)。彼女の場合も、家に男の子が生まれなかったこともあるけど、「坊や」って呼ばれていた。男っぽく行動していたかどうかはわからないんですが、そういうエピソードがあって、こういう役として出てきました。
──とても気風のいい役ですね。
最後にこの役は、「あたしが男だったら、俺がーーー」と啖呵を切らなくちゃいけないので、それへの伏線という部分もあります。
人種と女性の問題を超えて
──歌舞伎の世界を描くので、家の世襲制のことや、女性は入れないことなどに加えて、外部から歌舞伎の世界に入ろうとするマイノリティの人々も登場します。
松居松葉なんか、無理やり入ろうとして……。
──そういうマイノリティに照明を当てている気がします。タイトルがヴェニスの商人ではなく、シャイロックであることもそうですし
わたし自身も、日本にいたら日本人だからマジョリティだけど、アメリカにいればマイノリティですよね。やっぱりそういう経験が反映されているのでしょうね。
日本で女性がマイノリティというのも……小池百合子さんを見ているとちょっと実感がわかないけれど……でも一方では、まだ社会のなかで完全にマジョリティにはなってない。そういう意識と通じるところはあると思います。
──そのなかでも、シャイロックを取りあげようとされた理由はありますか?
ひとつは、やっぱり事実だったからですね。
──二代目左団次が『ヴェニスの商人』を上演したことが史実としてあった。
もうひとつは、申しあげたような理由で、アメリカではときどき「この人種差別主義者め」と言いたいことはあったんです。もちろんそんなに酷い目に遭ったわけじゃなくて、差別と言うより偏見なんですが、偏見は相手が無意識だから余計に腹が立つ場合もありますよね。それが日本では「男尊女卑主義者め」……英語でmale chauvinistと言うんですが……と呟きたいことが増えまして(笑)。ただし、これも明治の頃の女性の体験とは比べものにならないとは思いますが。
考えてみたら『ヴェニスの商人』には、その両方が入っている。人種の問題と女性の問題ですね。だから、そこを切り口にできるかもしれないと思いました。自分がその問題を自分の芝居にできているかどうかは、舞台を見ていただいてということになりますけれど。
──では、最後に、作者から今回の舞台の見どころについて聞かせてください。
シャイロックの左団次、ポーシャの旭梅、それからいわゆるトリックスターの松葉……その3人は登場人物として動かないのですが、そこに女役者の市川九女八(くめはち)を出したのがうまくはまり、他の登場人物と噛みあったと思っています。
──九女八が加わることで、それぞれの役割が、よりクリアになったといいますか……。
ジェンダーの問題がくっきり見えてきた。ただ、女役者という存在を、いまのお客様にわかっていただくのはなかなか難しいんで、そこがわたしも苦労したし、演出家も苦労しておられると思います。ただ、存在として、非常に面白い役だと思います。
──女役者が女性であることを自覚させられると同時に、そこを超えて、ある役を演じる人間としても独立している。この場面も面白く拝読しました。
ありがとうございます。『鹿鳴館異聞』には女方が登場し、男なのに女の立場からものを言ったりするトリックスターで、舞台を引っ掻きまわしながらも、男中心の考えに凝り固まった森有礼には見えない部分が見えたりする。だから、それと同じように、九女八さんがけっこう言いたいことを言ってくれてよかったなと思っています。
──スカッとしますよね。
そうなんです(笑)。最後にスカッとするような啖呵を切るんです。
──旭梅も、なかなかスカッとすることを言ってくれますしね。このふたりが、舞台に立つことに最も人生を賭けているし、誇りを持っている。
ある意味、崖っぷちであるだけに……。
──それと比較すると、奈落に閉じこもってしまう二代目左団次は、そこに留まるしかなかったのかなという気もするんですが……。
これは演出家も言っておられましたが、そういう女たちのおかげで、やっぱり左団次も、自分は親父(初代左団次)でもなく、海外の役者でもなく、二代目左団次なんだということに気づくことができる。それにはふたりの女たちの役割が、とても大きいと思います。
──いろんな発見に満ちた舞台を楽しみにしています。ありがとうございました。
取材・文/野中広樹
■作:堤春恵
■演出:小笠原響
■日時:2017年10月13日(金)〜22日(日)
■会場:下北沢小劇場B1
■出演:千賀功嗣、吉野悠我、新井純、森尾舞、本田次布、志村智雄
■公式サイト:http://www.nato.jp/