寺岡呼人 50歳のバースデーライブを前に訊く“50歳”と“50祭”、盟友たちからのメッセージも
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寺岡呼人
2018年2月7日に50歳の誕生日を迎える寺岡呼人が、さだまさし、桜井和寿、ゆず、Kという自身の音楽人生を彩ってきた盟友たちを迎え、東京と大阪でバースデーライブ『50歳/50祭』を開催する(※ゆずは東京公演のみ出演)。「GOLDEN CIRCLE以上に、よりプライベート感のある特別な夜にしたい」という主宰・寺岡呼人に、“50歳”と“50祭”に向け話を訊いた。また、寺岡との思い出深いエピソードと“寺岡呼人のキャッチコピー”を話してもらったゲストアーティストたちの動画コメントも合わせてご覧いただきたい。
あえてチャレンジという気持ちは特になくて。“おもしろそうじゃん”って思えたものが、結果的にこうして今でも残っている。
――来年2月のお誕生日で50歳を迎えるということで、そこへの心境と、呼人さん生誕50年に向けた記念ライブ『50祭』に関してお伺いします。まずその記念ライブを企画しようと思ったのはいつくらいからだったんですか?
準備をしはじめたというか、やりたいなと思ったのは1~2年前でしたね。昔、忌野清志郎さんのデビュー30周年イベントに出させていただいたことがあって、そのときにCHABOさんが「いい事ばかりはありゃしない」っていう曲を歌うときに「清志郎! 俺たちもうすぐ50だってよー!」って言ってから歌い始めたんです。そのときに僕は32~33歳だったと思うんですけど、“ああ、あのCHABOと清志郎がもうすぐ50歳かぁ”って思ったのをよく覚えていて。自分があのときのふたりの年齢になるっていうのが、すごく自分の中では意味のある通過点だったんですよね。あのときのふたりと同じになるっていう意識が強くて、50歳になるときは何かやりたいなって思ったんです。でも、そういうCHABOさんもついこの間、67歳の誕生日ライブをやられていて。先輩方がそうやって誕生日ライブをやられているのを見ると、自分もまだまだガキなんだなっていう感じになるんですけど。通過点ではあるので、ちょっとここで一回それを自分で祝おうかなっていう感じですね(笑)。
――その先輩方が迎えていた50歳にもうじきご自分がなるわけですが、昔と変わったなと思うことはありますか?
いや、むしろ中身はそんなに変わんないんだなぁって思ったり (笑)。やること自体は変わらないじゃないですか? 曲を作ってレコーディングしてライブをしてっていうルーティーンは変わらないし、歳をとればとるほどその1年が短く感じるので、気が付けばこの歳だなって感じですよね。前は1年のサイクルが長かったけど、だんだんその回転が速くなってるような気はするんです。
――あと、若いころは自分を中心に考えていたけど、年齢とともに関わる人が増えて、周りを見ながら生きなきゃいけないぶん忙しさも増えるからかもしれないですよね。
そうですよね。この間、70歳になる先輩と話してたんですけど、前だったら3か月かかってわかったことが今ではすぐにわかったり、バランスよくなってきてる気がすると言ってました。
――音楽界としても、現役で稼働している呼人さんが50歳のバースデーを祝うライブをすること自体、とてもポジティブなことだと思います。
そうなんですかね。でもそういう意味では今回のライブに出ていただくkeywords/0000001166">さだまさしさんは特に、僕が生まれて初めて見たコンサートがkeywords/0000001166">さだまさしさんで。小学校5年か6年のときに弟と見に行ったんですけど、そういう方と自分が50歳になって一緒にやれるということは、さださんが40年以上も現役で、しかも休みなく続けているってことですから。単なる“僕を祝ってください”ということではなく、僕自身がそういう凄味みたいなものを間近で見てまた刺激をもらえるんだろうなと思う。『50祭』にはそういうところもあるんですよね。
――今回ライブで共演する各アーティストの方々とも、そういった感慨深さがあるんでしょうね。
うん。自分が初めて目にしたコンサートをしたアーティストであるさださんと、同じ時代を生きた桜井(和寿)と、初めてプロデュースという形でかかわった、ちょうど10歳くらい下のkeywords/0000000855">ゆずと、僕とさださんと同じくらい僕と年齢の離れたkeywords/0000004019">Kくんと。普通、誕生日ライブというと仲間を呼んで盛り上がるんだろうけど……もちろん今回来てもらう人達も仲間なんだけど、僕がやってきた仕事はすごく幅が持てていたんだなっていうことをまず自分自身で感じられるし。ただまぁ、もちろん誕生日ライブにあんまり関係ない人を呼んでもしょうがないじゃないですか? 僕が呼びたい人達を考えたら、たまたま年齢的にもバランスよくなっていたということなんですけど。
――この世代幅をまとめられる呼人さんがすごい(笑)。
まとめられないと思います(笑)。
――これまでにもGOLDEN CIRCLEなど色んな人たちとのコラボ企画をしていますが、中には意外性の高いアーティストもいましたよね。それは呼人さんがもともと枠にとらわれず、チャレンジする気持ちありきで声をかけているからだと思うんです。
そうですね。でも、あえてチャレンジという気持ちは特になくて。それより“おもしろそうじゃん”っていうだけだと思うんです。その“おもしろそうじゃん”って思えたものが、結果的にこうして今でも残っているというか。桜井にしても、僕の高校の後輩のライブで対バンしてて、おもしろそうなボーカリストだなと思ったのが最初で。僕は当時もうデビューしていたんですけど、そのライブ後のラ・ママの打ち上げにも行ったのかな。で、その数か月後に僕が初めてソロツアーを廻るっていうときに、“あのリチャード・ギアみたいな顔したボーカルの彼、一緒にツアー廻ってくれないかなあ”って思って。
――リチャード・ギアって(笑)。
当時、似てたんですよ、僕の中では(笑)。で、一緒に廻ってほしいことを後輩に言ったらすぐ電話してくれて、桜井もすぐ「行きます行きます!」って言ってくれて。そういう“おもしろそうじゃん”の延長なんですよね。
――桜井さんは動画コメントで、呼人さんと曲作りをするときに自転車で家に駆けつけたことをよく覚えてるとおっしゃってました。
そう、せっかくだったら曲を作ろうよってなって。言ってもまあまあ遠い距離だったと思うんですけどね、自転車でうちまで来て。そのときに「星になれたら」っていう曲のAメロを僕が書いて、「その先を書いて」と言ったらその場ではちょっと悩んでたんだけど、「今度来るまでに書いておいて」と言ったら帰りの自転車でほとんどできたらしいんですよね。なんかそういうおもしろそうだっていうことが、もう四半世紀も過ぎているのに僕らにとってはついこの間のことのような感じもするんです。そのときのつながりって、特別なものがあるんですよね。keywords/0000000855">ゆずのふたりにしても、僕のほとんど初めてと言えるプロデュース業だったので、僕もkeywords/0000000855">ゆずも右も左もわかんない時期で。でも、その勢いだけで生まれたものっていうのはずっと忘れられないというか、今ではお互い技術も向上しているので、あのときの作り方を思い出せもしないし同じことはできないんですけど。20代の終わりの僕と、二十歳そこそこのkeywords/0000000855">ゆずが夢中になってやってきたものも、特別なつながりを持たせてくれたなと思うんですよね。
――みなさん呼人さんに初めての刺激を与えてくれた方々なんですね。
JUN Skeywords/0000004019">KY WALkeywords/0000004019">KER(S)っていうのも自分が二十歳のころの青春だし、桜井と最初にひとりで廻ったツアーというのも青春だし、keywords/0000000855">ゆずと無我夢中で制作していたのも青春だし。ある意味、自分の青い時代の仲間を呼ぶみたいなところはちょっとあるかもしれないですね。で、keywords/0000004019">Kくんは本当に会ったときからずっと感じていることなんですけど、小学校の頃の友達に会った感覚というか。日本人が忘れてる優しさだったり思いやりを持ってる人なんです。小学生のときに駆け引きなしに仲が良かった友達っているじゃないですか? 普通に学校から一緒に帰ったりかくれんぼするような、ああいう純粋さみたいなものをずっと変わらずに感じさせてくれる。その人間性がちゃんと音楽として出ていて、今一緒に作ってるアルバムでも僕が先に歌詞を書いて彼が曲をつけるっていう新しい挑戦を一緒にやれている仲間でもあるんですよね。さださんに関してももちろんそうで。僕がプロデュースした植村花菜ちゃんの「トイレの神様」とか、はなわくんの「お義父さん」も、僕の中ではさださんの背中を追いかけてる曲で。keywords/0000001166">さだまさしさんのようにはできないけど、僕の年代で解釈するとこうなるのかも? っていうことをやった曲なんですよね。
自分で自分を研究すると……僕は中心のようで中心じゃないんですよ。みんなを集めた瞬間に黒子になるんですよね、昔から。
――みなさんのコメントにほとんど共通していたのは、呼人さんは“名は体を表す”という印象でした。自分ではそのあたりどう思われますか?
これたぶんね、自分で自分を研究すると……僕は中心のようで中心じゃないんですよ。みんなを集めた瞬間に黒子になるんですよね、昔から。で、「何かおもしろいことないの?」って結局、自分が呼んだ人たちにやってもらうっていう感じなんです。
寺岡呼人
――そんな呼びかけに応えるアーティストたちと作る武道館と大阪城ホールの『50祭』、どんなライブになりそうですか?
自分の中でGOLDEN CIRCLEと大きく違うのは……クリス・ボッティというトランぺッターが自分のアニバーサリーでイベントをやった映像を見たことがあるんですけど、つねにそのクリス・ボッティがトランぺッターとして舞台にいて。スティーブン・タイラーとかジョン・メイヤーとか招いたゲストが入れ替わり立ち替わり歌っていきながら、クリス・ボッティと絡んでいくっていう。イメージ的にはそんな感じで、今までGOLDEN CIRCLEの構成を考えるときにも、ここは誰のソロ、ここは誰の見せ場というふうに考えていたけど、今回は“keywords/0000000917">寺岡呼人&〇〇〇〇”という感じにして、僕はホストに徹しようかなと思っているんです。
――各アーティストの見せ方はもちろんですけど、そこに居続ける呼人さんがその都度どういうスタイルでいるのかも見ものですね。
ステージに、『50祭』用の写真撮影で使用したソファを置いておこうかなぁ、みたいな。で、僕はみんなのステージをずっと見ているっていう(笑)。結局やっぱり僕には、観客目線なところがあるので。例えばさっきも桜井と話したんですけど、「だったら今までGOLDEN CIRCLEでもやってないような、ミスチルの曲をやってみる?」って彼が言ってくれたりとか。keywords/0000000855">ゆずも僕の家に写真とか映像とかけっこうあるので、そういうのを自分で編集して曲の間に流してみようかなとか。企画もそういう編集も自分でやって、手作りな雰囲気でできたらいいなと思いますね。今まで桜井もkeywords/0000000855">ゆずもGOLDEN CIRCLEに出てくれていたけど、誕生日というまた違う視点ならではの、今までとは違うそれぞれの魅力を感じてもらえるんじゃないかなという気はしてます。
――自由度が高いぶん楽しいものになりそうですよね。では最後に、50歳になるにあたり、その先をどう歩いていきたいと思いますか?
いろんな先輩方と会うと、「50なんてまだまだ青い」と言われるんですよ(笑)。そういえば24~25のときにも「ああ、もう25だ~」とか言ってたら先輩に「25なんてまだまだなんでもできるじゃん」と言われたなってことを思い出して。そのときはまったく思わなかったけど、その年になってみるとわかるんですよね。だからおそらく、まだまだ自分は伸びしろもあって、やんちゃもできれば無茶もできると、そう自分をイメージしたいなと思うんです。“もう50なんだから”って落ち着くんじゃなく、先輩方の言葉を信じて、もうちょっと青年モードで攻めたいなっていう気持ちがある。特に新しい挑戦ということは考えてないんですけど、よりいろんなことに対してアタマよりまずカラダを使おう、みたいな。ここから先も変わらず攻めていきたいですね。
取材・文=川上きくえ
寺岡呼人
<バンドメンバー>
林久悦(Dr)/林由恭(Ba)/佐藤健治(Eg)/ミトカツユキ(Key)/松本圭司(Key)
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