片岡仁左衛門が『勧進帳』で富樫役に! ~二代目白鸚・十代目幸四郎襲名披露「七月大歌舞伎」
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「七月大歌舞伎」合同取材会にて(撮影/石橋法子)
今年の大阪松竹座「七月大歌舞伎」は、松本幸四郎改め二代目松本白鸚(はくおう)、市川染五郎改め十代目松本幸四郎の襲名披露公演でもあり、東西の豪華俳優陣が大阪に集結する。中でも出演と監修で公演に華を添えるのが片岡仁左衛門だ。昼の部では『勧進帳』にて幸四郎弁慶と対峙する富樫左衛門役を、夜の部では『御浜御殿綱豊卿』にて徳川綱豊卿役を勤め、幸四郎の襲名披露狂言『女殺油地獄』では監修を担う。公演に先駆け大阪で仁左衛門の取材会が行われた。
◎「憧れは十一代目市川團十郎の富樫。弁慶役が生きるように演じたい」
大阪松竹座での「七月大歌舞伎」は「すっかり夏の風物詩」とし、ハレの公演を盛り立てたいと顔をほころばせる仁左衛門。富樫役で出演する昼の部『勧進帳』は、兄の源頼朝に疎まれて追われる身となった義経を守るため、武蔵坊弁慶が安宅の関で関守の富樫と攻防を繰り広げる人気演目だ。
片岡仁左衛門
「弁慶との問答では、問う側の富樫が間違えれば芝居が成り立たない、じつは大変なお役。心情を語り合う台詞であれば少々手順が違っても、気持ちさえしっかり掴んでいれば大丈夫なんですけどね。弁慶ほどには大変さが伝わりにくいので、ほんとはあんまりやりたくないんです(笑)」。仁左衛門が憧れるのは、十一代目市川團十郎が勤めた富樫。加えて、七代目松本幸四郎、十五代目市村羽左衛門、六代目尾上菊五郎が共演し、映画化もされた伝説の舞台『勧進帳』の映像をよく見るという。「十五代目市村羽左衛門さんの富樫は運びがすごくてね。いっとき生意気な時期がありまして、何となく自分の富樫が出来上がったような気分になっていた。そんな時に十五代目さんの映像を見たら、『わー! 全然違う』と驚きました。近づけてるつもりだったんですけどね…。もちろん、色んなやり方があっていいと思います。問答に関しても弁慶役とのキャッチボールが大事ですから。相手のリズムが違えばまた違ったものになる。富樫役は、相手が生きるようにやらなければ」
片岡仁左衛門
資料映像は、公演期間中も度々見るという。「映像を1、2回見て覚えたらそれ以降は映像を見ない人がいるでしょ。でも見返すと、その時は気づかなかった新しい発見がある。(演じる上で)これでいいということがないですから」と仁左衛門。同時に教えを乞う人がいないことへの寂しさも口にする。「今は残念というか悲しいことに、教えてくださる方、注意してくださる方がいらっしゃらないので。同世代や後輩方の芝居を見て、勉強させていただいています」
幸四郎が勤める弁慶役にも期待を寄せる。「幸四郎さんは貪欲にいろんな作品に取り組まれていて、勉強熱心。去年は『夏祭浪花鑑』で上方ものに挑戦されて、この4月は『廓文章 吉田屋』での藤屋伊左衛門役でね。私の方は、今回の富樫はやりにくい部分もありますね。彼はお父さん(白鸚)の富樫でも、播磨屋さん(中村吉右衛門)の富樫でも弁慶役を勤めているから、比べられるのがツラい(笑)」
◎「綱豊は“上から目線”がポイント。屈折した助右衛門もまた演じてみたい」
夜の部の『御浜御殿綱豊卿』は、江戸城本丸松の廊下で実際に起きた赤穂藩主の刃傷事件を巡る物語。幕府は喧嘩両成敗の原則にそむき、斬った大名浅野内匠頭は即日切腹、斬られた旗本吉良上野介はおとがめなしの裁定を下す。藩を取り潰された国家老大石内蔵助ら赤穂の浪士たちは、仇討ちを誓う。ある日、後に六代将軍家宣となる徳川綱豊の屋敷で吉良上野介と遭遇した赤穂浪士の富森助右衛門。折しも、浅野家再興の話が持ち上がり、助右衛門は再興と仇討ちは両立できないと困惑していた。それを受け、綱豊卿と助右衛門との間で仇討ちを巡り肚の探り合いが起きる。綱豊卿役の仁左衛門と、助右衛門役を勤める市川中車との掛け合いが見所のひとつだ。
片岡仁左衛門
「中車さんとは、京都・南座での彼の襲名披露で残念ながらご一緒できなかったので、楽しみです。その時も彼に稽古をつけましたが、非常に熱心でしたね」。自身が勤める綱豊卿に関しては、愛を大事に演じたいという。「まずは、赤穂浪士に対しての愛ですよね。それから、派手な動きがない台詞劇ですから、いかにお客様を退屈させないように、心地よく芝居を届けるかも大切です。綱豊も助右衛門も可哀想、お互いの気持ちがよく分かるというようにもっていかないと。弱味をさらすようですけど、私は相手と同じ目線に立って演じてしまう癖がある。綱豊はもっと上から目線で話さないといけないなと思います。演者としては、助右衛門の屈折した部分も好きなんですよ。いつかまた演じてみたいですね」
片岡仁左衛門
◎「どんな悪人でも憎みきれないところを作ってやらないと、嫌な芝居になる」
幸四郎の襲名披露狂言『女殺油地獄』は、近松門左衛門が約300年前に書き下ろした世話浄瑠璃。複雑な家庭環境に育ち、荒んだ生活を送る大坂天満の油屋河内屋の息子・与兵衛が、継父や実母の愛情を感じながらも、馴染みの芸妓小菊に入れ上げ、かさむ借金に後がなくなり衝動的に殺人を犯す。油まみれになりながらの立廻りが、大きな見せ場となる演目だ。与兵衛は仁左衛門が片岡孝夫時代の1964年に初演、出世作となった当たり役。2009年の歌舞伎座さよなら公演では『女殺油地獄』で仁左衛門、孝太郎、千之助の親子三代共演が実現、仁左衛門が与兵衛役を一世一代で勤め話題をさらった。今回の監修ではどんな点に重点を置くのか。
「世話ものは、“伝える”ということが非常に難しい。演じる役者の個性や人間性も出てきますし、こうしなきゃいけないというよりは、自分の解釈はどうか。私も河内屋のおじさん(三代目實川延若)に教わりましたが、今のやり方は教わった当時のものとは全然違いますから。ただ、関西特有のものは大事にしないと。中には、与兵衛とお吉の関係を(精神的な恋愛がなくては成り立たないと)誤解される方がいらっしゃる。私たちが子供の頃は、近所の子には構ってご飯を食べさせるとか、それこそ家族のような付き合いをしていました。関西人のそういうところを、ちゃんと表現していかないと」
片岡仁左衛門
衝動的に殺人を犯す与兵衛だが、完全なる悪人としないのが仁左衛門流だ。「犯罪を犯すのは、家庭環境がどうだとか、そんな深いところまでお客さんに考えさせない。漠然と『あ、与兵衛なら仕方がないな』とキャラクターで魅せる芝居にしないと。歌舞伎は文楽と違って、役者で魅せる部分もあるので。お客様が見ていてあまりにも腹が立つような与兵衛では困る。どんな悪人でも何か憎みきれないところをつくってやらないと、嫌な芝居になってしまう」。作品の監修は勤めるものの、幸四郎にはのびのびと与兵衛を演じてほしいとも。「与兵衛にしろ弁慶にしろ(手本の)出所は一緒でも、演じる人の個性によって全然違いますから。基礎を身に付けたら、あとはぞれぞれの味付けで」
自身は、片岡仁左衛門の襲名から今年で20周年を迎えた。「もう20年が経ったのかという気持ちです。いつも思うのは、先輩たちの私の年代のころの大きさね。昔の写真を拝見しても50代からすごい風格がありますから。今の自分を思うと情けなくなる」。一方、何人もの後輩たちが与兵衛役を演じてくれることは、喜ばしいと語る。「恐らく私がやってなかったら、他の人もやってなかったでしょうし、私のを見て与兵衛をやりたいと思ってくれたなら、うれしいことですね。先輩たちに対してご恩返しができたのかなと思います」
取材・文・撮影=石橋法子
イベント情報
市川染五郎改め十代目松本幸四郎 襲名披露
「七月大歌舞伎 関西・歌舞伎を愛する会 第二十七回」
■会場:大阪松竹座
【昼の部(午前11時開演)】一、廓三番叟
二、車引
三、河内山
四、歌舞伎十八番の内 勧進帳
一、御浜御殿綱豊卿
二、二代目松本白鸚 十代目松本幸四郎 襲名披露 口上
三、女殺油地獄